コトノハ ヒラヒラ第十八話(非エロ)
シチュエーション


昼の、稲荷神社。賽銭箱へと伸びる階段に並んで腰掛け、男二人が何とはなしに空を見上げている。

「ここは相変わらずだなぁ」

呑気な声色で、まるで世間話でもするかのように、和也が切り出した。

「お前と沙希、確か暫くはここの世話になってたんだよな」

ここ、とは、二人の背後にある寂れた神社の事だった。今でこそ無人となってしまったが、彼らが若い頃は多少なりとも人の手が入っていたのだ。

「俺と華澄で切符やらなにやら手配して。ここの神主さんに頼み込んで、アパートが見つかるまで神社の手伝いしながら住まわせてもらって」
「・・・・・・」

懐かしむように言う和也だが、対照的に光也は視線を下に向け、深く項垂れていた。その内、和也はいつもの癖で煙草に火を点け・・・

「・・・お、いかんいかん」

何かに気付いたように、慌ててそれを消した。

「沙希は、煙草が嫌いだったか」
「・・・ああ、そうだな」

ようやく、光也が口を開いた。まるで、自分も今思い出したという風に。

「もう二十年も前か・・・授業サボって屋上で煙草吹かしてたら、必ずと言って良いほど華澄に竹刀で後ろから殴られたな」
「殴られたのは俺だけだぞ、和也。俺は煙草は吸っていなかったのにお前だけ逃げおって」
「けどお前だって、持ち込んでた駄菓子は根こそぎ取り上げられただろうが」

二人の脳裏に、在りし日の光景が映る。誰一人欠ける事無く青春を謳歌していた、輝かしき日々。

『山口っ!今日という今日は許さないわよ!』

走りやすいようにスカートを端折り、風紀委員の腕章を付けた華澄が、剣道場から拝借した竹刀を持って追い回してきて。

『うわっ!?出やがったな、えーっと・・・風紀委員A!』

煙草の臭いを制服にしみこませた和也が、悪態をつきながら逃げ回って。

『だーっ、だから屋上はまずいって言ったろ!風紀委員が張ってるんだから!』

早弁代わりに駄菓子屋で買った瓶詰めの酢漬けイカを後生大事に抱えた光也が、それに続いて。

『き、桐生さん落ち着いて・・・』

そして、その阿呆な寸劇を、おろおろしながら見守る少女が居て。

『私の名前は桐生華澄だって何回言わせれば気が済むのよーっ!』
『おいっ、久遠!お前のダチ何とかしろ!本気で殺しに来てるぞ!』
『あああ、沙希ちゃんの事は覚えてるのにやっぱり私だけ!わざとね!?わざとなのね!?』
『えと・・・高橋くん、生きてます・・・?』
『せ、背骨に一撃は効いた・・・いててっ』

授業を抜け出して屋上で好き勝手やっていると、必ず二人の風紀委員が現れて。尤も、一人の役目は主に、もう一人の暴走を止める事にあったようだが。
そんな日々。それが、彼らの幸せの象徴だった。それが、ゆっくりと動き始めたのは、とある質問がきっかけだった。

『久遠さんってさ、俺たちのこと怖くないの?』

セブンスターの箱を鞄から取り出しながら訊いたのは、光也だった。騒ぎが収まり、走り回った疲労で床に伸びている華澄と和也を尻目に、気になっていた事を訊いてみた。
久遠沙希という少女は、光也と和也にとって異端とも言える存在だった。『頭は良いのに素行の悪い二人』として名の通っていた光也たちに付き纏うのは、大抵が悪い噂。
対して久遠沙希といえば、校内に親衛隊なる物まで存在するような、絵に描いた様な美少女。普段の素行にも本人の性格にも目立った問題は無い。
風紀委員だからと言っても、沙希のような大人しい少女がそんな自分達にわざわざ近付いてくるのは、本当に華澄の面倒を見るためだけなのか、と。

『ほら、俺たちってこんなだろ?華澄ちゃん以外に、俺たちに近付いてくるような奴なんて滅多に居ないし』
『煙草とかは怖いですけど・・・私、皆さんの事見るの、好きですから』

意外な返事が返ってきて驚いたのを、光也は覚えている。

『・・・物好きだね』
『いえ、あの・・・私の事、沙希ちゃんとか久遠とか気軽に呼んでくれるの、皆さんだけで・・・その』

恥ずかしそうに話す沙希の様子に、光也はしまった、と思った。
沙希の実家が、町一番の名家である事は、同じ学校に通う誰もが知っていた。貧乏人である自分には分からないが、大きな家というものは総じて、厳格な空気に包まれたものが多い。
目の前の穏やかな少女が、それを快く受け止めているようには、到底見えなかった。大きな権力の中で、正直者は大抵痛い目を見る。しかも、縁者であればリタイアする事さえも出来ない。

『悪い、聞かなくて良い事聞いたかな』
『いえ、慣れてますから・・・あの、高橋くんも、私の事、さん付けじゃなくて良いですよ?』
『・・・わかった。じゃあ、沙希って呼ぶ』
『えっ・・・』
『なーんてな。冗談だって、久遠』

すぱー、と紫煙を吐きながら、飄々と笑う光也。

『・・・あ、あの!』
『んっ?』

しかし、真っ赤になった沙希がしどろもどろに放った言葉に、光也の顔から笑みが消えた。

『・・・・・・え、えと・・・さ・・・沙希、で・・・良いです』

光也がきっぱりと煙草を吸わなくなったのは、その翌日からだった。


それから、急速に二人は惹かれ合った。沙希にとって、自分に冗談を仕掛けてくるような男性は、光也が初めてだったのである。その過程を誰よりも近くで見ていた和也は、心の中で確信していた。

(光也は久遠のところに婿入りするんだろうな、きっと)

そう思って、疑っていなかった・・・だから、その一年と半年の後。卒業を控えた、真冬のある日。

『何だよ、相談って。結婚式で挨拶しろとか言うのは無しだぞ』
『・・・和也、真面目な話だ』
『・・・あ?』
『・・・・・・俺は、沙希と一緒にこの町を出る』

その言葉を聞いた時、銜えていた煙草を地面に落としていた事に、数十秒間気付かなかった。

「・・・なあ、今でも俺は、お前が何であんな事をしたのか分からんぞ」

そして、今。その相談を受けたときと同じように空を見上げて、二人並んで座り込んでいる。あの時と違うのは、和也が煙草を吸っていない事だけ。

「別にお前は、久遠の家から逃げる必要は無かった。お前が沙希を支えるだけでも良かった筈だ。それでもお前らは、茨の道を歩き始めた。・・・何があった?」
「・・・すまない」

問いに返って来たのは、答えならざる声。答える気が無い事を示す言葉に、和也は大きく溜息を吐き、煙草を懐から一本取り出す。帰る、という意思表示だった。

「今、和宏は兄貴の家に泊まらせてる。咲耶に会うんなら今のうちだ」
「な・・・そ、それじゃああの子は今一人で、お前の家に・・・!?」

和也が煙草を銜えながら、ぼそりと言う。すると光也は大きく目を見開き、和也に食って掛かる。

「うちの馬鹿息子が居ると、邪魔が入って誤解を解くどころじゃないだろう?」
「そんな!じゃあ、誰が・・・誰が、咲耶を守って・・・!」

光也は、つい一日前に見かけた光景を見て、咲耶の前から姿を消そうと思っていた。自分が居なくなった理由を話しても、咲耶は自分のもとには戻って来ないと確信したからだった。
自分が居なくても、親友の息子が、愛娘を守ってくれると。自分はもう既に、必要とされていない人間なのだと。

・・・その言い方が、親友の逆鱗に触れた。

「・・・お前なぁっ!大概にしろよ!?」

「・・・っ!」

気が付いた時には、建築現場で鍛え上げられた和也の掌が、自分の襟元をきつく締め上げていた。

「そんなにあの子を潰したいか!?何時からお前が、俺の倅をこき使えるようになった!?お前だって分からないわけじゃないだろうが!あの子にとって、本当に必要だったのは誰なのか!」
「・・・それは・・・」
「和宏達は今、互いに依存しすぎている。お前達がそうだったように・・・これからあの子達の人生に何も起こらないとは限らないんだぞ。あの子達に、お前と同じ思いをさせる気か!?」

最後は、怒鳴り声に近かった。咲耶は自分の父を、穏やかな人、と見ていたようだが、冗談ではない。記憶の中に居る、自分と同じぐらい血の気が多い男は、もう居ない。
最愛の妻を亡くしてから、光也は変わってしまった。暫くは食事も碌にとらず、下手をすれば咲耶を育てる事さえ放棄しかねないほどに、当時の光也は憔悴していた。

「っ・・・」

身に覚えがあったのだろう。光也が、ぐっと息を呑んだ。

「・・・俺だってな、馬に蹴られるような真似はしたくねえさ。だが、そうして繰り返してからじゃ遅いだろう?あの二人はまだ、一人で生きていけるだけの強さが無い」
「・・・繰り返さないで、くれるだろうか」

光也が、自分に問うように呟いた。本来別々に育つべきだった子供達は、七年の時を親密に過ごしすぎた。そこに居るのが当たり前というように。出会ってからの自分達が、そうだったように。
しかし、そんな光也と対照的に、和也は自信満々に言い切る。

「ったりめえだ。なんせ、俺の息子とお前の娘だからな。俺たちのことなんざ、軽々と超えて行くさ」

その言葉には、子供達を育ててきた『二児の父』の貫禄が在った。

********************


昼食は、涼しげな器に山と盛られたそうめんだった。ずるずると音を立ててそれを啜っていると、七瀬が声を掛けてきた。

「和宏、この後なんか予定とかある?」
「・・・別にねえけど」

咲耶が一緒じゃないと、どうにも何をやってもつまらないという気がした。しかし、そんな俺の胸中などお構い無しに七瀬が提案してくる。

「じゃあさ、ちょっと付き合ってよ。ここの裏の川ってさ、よく子供が泳いでるじゃない?溺れたりしない様に見張っててくれーって地元の人たちに言われててさ」
「そうだな。和宏、七瀬だけにやらせるのも何だし、お前も付いて行ってやれ」

反論する前に伯父さんにもそう言われて、俺に頷く以外の選択肢は残されていなかった。

「わかったよ。行けばいいんだろ、行けば・・・」

俺は投げやりに頷いて、器の中の麺を啜る。ちりんちりん、という風鈴の音が、やたらと耳障りだった。






SS一覧に戻る
メインページに戻る

各作品の著作権は執筆者に属します。
エロパロ&文章創作板まとめモバイル
花よりエロパロ