シチュエーション
![]() 4.寄せる波、返す波 うちの学校では、告白と言ったら裏庭の樫の木前が定番である。 告白の仕切り直しに相応しいと言えば相応しい。 「どんぐり前」と言えば、誰かが告白している、若しくはされているという意味だ。 俺の彼女に対する評価は、一般人と然して変わらないと思う。 皆が(心酔する者の評価も含め)言うように、確かに彼女は綺麗だ。 気高く、眩いまでに整った顔。名は体を表すが如く美しい声。 滅多に人を寄せ付かせず、大抵の者は視界にすら入れないような、人に対する 関心の無い態度……『氷姫』と渾名されるに相応しい。 恨まれる気持ちも分かる。 彼女は初めて自分のイメージを壊すような事をしたのだ。 茂みから現れた俺に彼女は驚いた表情を見せ、遅刻した非礼を詫びると難無 く許してくれた。 ちらりと1年前の事件が頭を過ぎったのは秘密だ。 普通男だったらここは告白を受ける場面だよな。 (付き合った後の大変さを差し引いたとしても、)付き合えただけで舞い上がって しまうような美人だし。 恥ずかしそうに俯いたままの相川嬢を前にして、そんなことをぼんやり考えてい た。 だがしかし、俺はその普通には属さない。いくら美辞麗句を述べたところで、俺 にとって彼女は特別では無い。そういう事だ。 はっきりと言おう。 「相川…告白の返事なんだが……」 「……はい」 どうやら顔を上げる気は無いらしい。俺は構わずに、 「断る」 短く言い切った。 目の前のものがピシリと音を立てて、固まったように見えた。 「告白は嬉しかった。しかし俺は相川のことをよく知らんし、……その、何より痴 女は嫌だ」 彼女は息を呑んだまま、身動ぎひとつしていない。 近くに立つ樫木が葉擦れで騒めいた。 これで男嫌いが加速しようが知ったこっちゃない。 それより、いきなり男にキスすることの重大性を説いてやらなければ拙いだろ う。この忠告は、これからの彼女の人生の中で布石になるはずだ。 「それじゃあ。返事が遅くなって悪かった」 暫く待ったが、何も言わず顔も上げない彼女を置いて俺は帰宅した。 ――ここで話が終わるはずも無い。俺は最初に俺の日常は消滅したと言った。 その言葉に嘘は無い。ヒントは乙女チック暴走パワー。話は翌朝の事だ。 「先に行くからな!」 と返事も待たず玄関に向かって勝手に声を掛け、俺は家の門扉を閉めた。 「おはようございます」 落ち着いた柔らかい声が背後から掛かり、俺は仰け反った。 瞬間、殺しに来たのではないかと思い振り向いたが、包丁・ナイフ及び刃物の類 は一切手に持っているようには見えなかった。 「……おはよう」 相川鈴音は淡く微笑んでいた。 更に俺は、実は付き合うことになってしまったのではないのか、と昨日の行動を 振り返ってみたが、昨日はっきり断ったことは絶対的過去の事実だ。 「何の用だ?」 出来るだけ警戒心をありありと見せて俺は尋ねた。 今だってその鞄の隙間に、カッターを隠し持っている可能性は否定出来ない。 「はい。一緒に登校しようと思ったので。ご一緒させて頂いて構いませんか」 どっちにしろ学校へは行かなくてはならんのだから、断ろうにも断れん。 「俺は昨日告白を断ったはずだが」 「はい」 それがどうかしたのか、というような顔をされた。今度はこっちが面食らう。 「藤沼くんは昨日私に言いました。私のことをよく知らない、と。だったら私の事を 知って頂いてからでもいいのではないかと思いまして」 良くある話だ。知らなきゃ知ればいい。 そういって2人の仲は接近する。 あっていいのか?断るのは無しなのか? 「じゃあ昨日までの件はどうなる」 「私と藤沼くんが出会うきっかけだと思えば」 「痴女呼ばわりした事は」 「昨日藤沼くんは、キスした事について責めませんでした。私に振り向いてくれ れば、それも無効になります」 確かに俺はいきなりキスするような奴は嫌だとは言ったが、キスした事に関して は何も抗議していない。物は考えようだ。 「取り敢えず行きましょう。遅刻してしまいます」 彼女は身を翻すと、先に駅へ向かって歩き始めた。 こうなると誰が予想したであろうか。 日の光に透かされて茶色に艶めく髪は、波打ち揺れる。 細く引き締まった腰に、今時短過ぎない膝よりやや上丈のプリーツスカートがよ く映える。 何だか縦に並んですぐ後ろを歩いていると、ストーカーみたいじゃないか。 「相川。並んで歩こう」 「はい」 彼女が嬉しそうに目を細める。 俺は朝っぱらからストーカーしているように見られるのが御免なだけだ。 横に並ぶと今度は緊張した面持ちで一言も発さないので、話題を振ってみる。 「俺のどこが良かったんだ?」 取り敢えず一番聞きたい事は置いといて、まずは無難なところから聞いてみる。 告白はされたものの、何がどう好きなのかを知らなかった。 それに俺は所謂どこにでも埋もれていそうな高校生で、とてもじゃないが彼女の 視界に入るとは思えない。 「……一目惚れです」 これは彼女を変人認定しても良いということだろうか。 「――去年の体育祭、リレーに出られましたよね」 くじ運の悪かった俺は、去年の体育祭で最も揉めに揉めた4×100mの選手に 選出された。思い出して頷く。 「あの時です。眼差しがとても真剣で……――ちょうど私の目の前がバトンの受 け渡す地点だったんですよ。それであの時走者一人ひとりの顔がよく見えて、中 でも藤沼くんが一番、…一番格好良かったです」 「…それはどうも」 いつもは険しく見える顔が今日は柔和だ。 しかし、そういう時って所謂マジックが掛かってるって言うよな。3割増くらいカッ コよく見えるという。 駅に続く道を歩いてある地点まで行くと、各々の学校へ会社へと向かう人々と 合流していく。 皆一様に彼女を振り返っていくのは、やはりと言うか何と言うか。 「そういえば、相川はどこに住んでるんだ。同じ市内という訳じゃないだろう」 近くに住んでいたら噂ぐらいは聞こえてきそうだ。 「ええ、桜ヶ森町です。ここの最寄駅へは学校までの通り道なので、来る分には 問題ありませんでした」 「へー桜ヶ森か……」 ってさらりと言うが、由緒正しきお屋敷が立ち並ぶ住宅地じゃないか。 何でそんなお嬢様が普通の私立高校に通ってるんだ。 色々それなりに歴史があって格のある高校は他にあると言うのに。 訳有りかもしれないので、取り敢えず次の疑問。 「ここまではどうやって来たんだ?」 俺は電車通いだが、車で通ってるんじゃないのだろうか。 「電車通学です。だからこうしてお迎えに来ました」 何だか誇らしげに胸を張る。 と言うことはやはり、車で送迎をされていた時期もあるんだろう。 そこまで聞いて、根本的な疑問が頭に浮かんだ。 「と言うか相川」 「何でしょう」 「どうして俺の自宅を知っていたんだ」 考えてみれば、である。 俺と彼女が初めて話したのは8日前、彼女が俺を知ったのは去年の体育祭と推 定すれば、昨秋。 まさかその間に、俺の身辺調査をしていたのではあるまいな。住所から考えると お嬢様だろうし、何だかそういうことをやっていそうだ。 ストーカーしたという可能性も選択肢に挙げられる。 俺は恐々彼女を見る。 彼女は俺を見返すと、はにかんだとしか形容しようが無い笑顔を見せ、 「調べました」 とだけ言った。 この「調べました」には、いつ、誰が、どのようにしてという情報が明示されてい ない。 不安だ。恐ろしくて踏み込んで聞けない。 やがて駅に着き人込みに揉まれ始めると、俺と彼女の会話は自然と途切れが ちになった。 「新聞部の逆襲」――心の中の状況を目次タイトルにして表すとこんな感じだ と思う。 最寄り駅に到着する頃には同じ制服を着た奴らから針の筵の如き視線に曝さ れ、学校への道は殺意のオーラに満ち、それでも校門を潜ったと思ったらこの 仕打ち。何故こんなにも大量の視線に曝されても平気な顔してるんだ、相川。 棒立ちになってしまった足がぴくりとも動かない。 そこの男。明らかに俺を見てどこかに電話を掛けるな。新聞部。得意げに校内 新聞をばら撒くな。お前は俺を殺したいのか。 「一部貰ってきました」 嬉しそうに微笑むな、相川。 「でも、振られたって書いてあります。事実と言えば事実ですけど……」 見出しを読んだ声のトーンが段々と弱くなっているが、フォローはしないぞ。と言 うか、何も言う気になれない。 「……この元画像欲しいな」 そこには、俺と彼女がキスし彼女の腰に手を掛けている瞬間の、極彩色の写真 が表面に大きく載っていた。 誰だ、写メを新聞部に横流ししたのは。最近の携帯カメラが高画質化はどう なっている。 ……俺の今日はどっちだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |