『なりたくて』
-2-
シチュエーション


「あなたは本当に……」
「ごめん、そろそろ限界」

私の言葉を唇で塞ぎ、彼は動き始めました。
爪を切りそろえた綺麗な手が、私の胸に伸びました。
服の上からそっと、押し上げられるように触られます。
嫌悪はありません。恥ずかしさと軽い高揚に、ちょっとまばたきが多くなります。

「すっごいやわらかい」
「えっと、そんなに大きくありませんけど、その……どうですか?」
「夢みたい」

ずいぶん大げさなことを言われました。

「女の子のおっぱいって、どうしてこんなに触りたくなるんだろう」
「真面目な口調で何言ってるんですか」
「いや、逆に男の胸って触りたくなる?」
「……」

私は彼の胸に無造作に触れました。
彼は驚いたように体をびくりと強張らせましたが、私は離しません。
ぺたぺたと。壁に絵の具を塗り込めるように触ります。

「あなたの胸、こんなに硬いんですね」
「な、なんか恥ずかしいな……」
「ふふ、こういうのいいですね」

彼は気まずそうに顔を逸らしました。
男の人の胸は、女の子のそれとは違って、厚く硬いものでした。一見細身の彼でもそう
なのですから、女と男ではやっぱり質や構造が違うのでしょう。
でも、こうして彼の胸に触れていると、なんだかドキドキします。
この人が特別だからそう感じるのでしょうか。

「ひゃっ」

不意に彼の手に力がこもりました。
胸を強く揉まれたことにびっくりして声を上げると、彼の手がますます動きを滑らかにして
いきます。

「な、なんですか急に」
「ちょっと悔しくて」
「何が」
「やられっぱなしはイヤなんだ」

宣言どおり、彼の手が逆襲に転じます。
強くといっても力任せではなく、感触を楽しむように根元から先のほうまで全体的に指を
這わせていくやり方で、まるで蛇のようなしつこさがあります。
一言でいうなら、いやらしいです。
でも、そうして正面から繰り返し揉まれていると、羞恥を超えてどこか陶酔するような、
奇妙な感覚に襲われました。
ドキドキが止まらなくて、でもそれがあまり苦しくないような。

「あ、あの、胸ばかり……」

ずっと胸だけ触っていて、彼は飽きないのでしょうか。

「飽きはしないけど、そろそろ他の場所も触りたいかな」
「あ、う」

他の場所と言われて、私は目が回りそうになりました。
いえ、もちろんそういうことをしているのですから、いろんな場所を触るのは当たり前
なんですけど、でもその言葉が、私の頭を沸き立たせます。
まだ服も脱いでいないのに。

「スカートめくっていい?」

うまく返事ができません。
めくるだけでは済まないのがわかっているから、うなずくこともままなりません。間近に
ある彼の顔をまともに見ることができず、うつむいてしまいます。
一分くらい逡巡して、ようやく私は答えました。

「ど、どう、ぞ」

辛抱強く待っていた彼が、少しだけ微笑んでうなずき返しました。
したいことをしていいと言ったにもかかわらず、私はこんな体たらくです。それでも彼は
特に呆れもせず、私に合わせてくれます。
きちんと応えたいと、強く思いました。

家に戻った時に着替えてきた薄い水色のワンピース越しに、彼の体の感触に馴染む
ように、ぎゅっとしがみつきました。
彼の左手が腰に回ります。そして、右手がスカートに。
裾の下から、大きな手が内側に滑り込んできました。
指先が内腿に触れます。
普段ならまず人に触られることのない場所です。慣れないくすぐったさに私は身をよじり
ました。

「ふ……」

緊張から、堅い吐息が洩れます。
彼は動きを止めることなく、指を大胆に這わせます。
決して乱暴にはせず、かといって遠慮も少なく、私の脚を撫で回してきます。
左手が腰から背中に移り、密着するように抱き寄せられました。
近づいた顔がさらに迫り、またキスをされました。
それで、私は少しだけリラックスできました。彼のキスは優しく、落ち着きます。さっき
まではキスだけでもあんなにあがっていたのに、何度か回数を重ねたためでしょうか、
不思議と安心できました。
目をつむり、その安心感に身を委ねます。
唇だけ触れていたかと思うと、不意に舌を入れられました。戸惑いながらも、私も舌を
伸ばします。
ひどくいやらしいことをしている。そんな自覚がないわけではありませんが、しかし痺れる
ような感覚に、羞恥心が呑み込まれてしまいます。
彼の右手が私の大事なところに触れました。
ショーツの上から指で掬うようになぞられます。

「だ、だめです、そんなところ、」

唇を離して訴えると、彼は私の首元に噛み付くようにキスをしました。なんだかそれが
妙にいやらしくて、私は身じろぎました。

「ふ……あ……」

掠れ声が、喉の奥から絞られるように洩れ出ました。

「したいこと、するから」

囁き声に、反論できません。確かにそう言ったのは私ですけど、でも実際にやられると、
どうしても体が反応してしまいます。

「できればお手柔らかに……ん」

キスで言葉を封じられました。
下の方をショーツの上からしつこく弄られて、私は酩酊感に襲われました。自分で触った
ことは、恥ずかしながらありますけど、それでもこんな風にふわふわと浮き立つような感覚に
陥ったことはありませんでした。
血流が激しくなり、心臓がばくばくと音を立てます。きっと今の私は、一時的に高血圧に
なっているでしょう。

はっきりと快感を覚えました。
愛撫するその手つきは優しくて、私はもう抵抗しません。
彼はそんな私に、まるで幼子を褒めるように、頬に柔らかく口付けをしました。
ショーツをずらされ、直に秘所をなぶられます。
恥ずかしくてまともに見ることはできませんが、きっとその部分はすっかり濡れすぼって
いると思います。透明な液が彼の指に絡む光景を想像して、咄嗟にそれを打ち消しました。
そんな余計な思考が、次の瞬間には強烈な刺激に吹き飛ばされました。
彼の指が私の中に侵入してきて、内側をひっかくようにこすり上げたのです。

「ああっ!」

私の口が短い嬌声を上げました。
自分でもびっくりするほどの甲高い声に、彼も驚いて指を止めます。しかしすぐにまた動かし
始めました。押し開くように奥まで入ろうとしてくる指の感触を、私はただただ受け入れること
しかできません。
声を抑えようとしてもうまくいかず、敏感な部分をこすられるたびに、喉が震えます。

「へ、変です、いま、わたし」
「変じゃない」
「で、も」
「かわいい」

そんなことを言われても。
彼の体にしがみついて、びりびりと麻痺するような刺激に懸命に耐えました。
しばらくして、体中から波が引いていきました。
高まった熱を放出するように、口から熱い吐息がこぼれます。彼の指が私の中から抜かれて、
しかし高ぶった気持ちはすぐには下がりそうにありません。
ぼんやりとする意識の中で、視界に彼の顔を捉えました。
額に汗が浮いているのを見て、私はおかしくなりました。
そんなにも彼が夢中になってくれたことが、なんだかくすぐったいような、でもどこか嬉しい
ような。
求められることは、やはり嬉しいのです。
もちろん誰でもというわけではありません。
あなただから。
私が本当に愛しているあなただから。
あなたのものになりたい。

「服……脱ぎますね」

そっと囁くと、彼はぎこちなく頷きました。

◇◇◇

彼女の裸身をこの目で見たとき、興奮よりも先に感動を覚えた。
お互いに背中を向けながら服を脱ぎ、確認してから同時に向き直ると、そこには両手で
体を隠す彼女の姿があった。
恥ずかしいのだろう、顔が紅潮している。白い肌もうっすらと上気して、色づいている。
それが彼女の美しさを際立たせているように思った。磁器のような硬質さと滑らかさを併せ
持っているかのように、素肌はきめが細かく、しかしその色づいた肌が生命力を感じさせて、
どんな芸術品よりも美しく輝いていた。
ぼくは、そんな彼女におもむろに近づく。

「そ、そんなに、まじまじと見ないでください」

彼女が焦りの混じった声で訴える。
ぼくは視線を外さなかった。
包み込むように抱きしめると、彼女は恥ずかしさをごまかすように顔を僕の胸に埋めた。
温かい。
直接触れ合う素肌から、湯たんぽのように温かさが伝わってくる。男のぼくにはない
柔らかい肌触りに、興奮が呼び起こされる。

「すごく、綺麗だ」

素直に思ったままのことをつぶやくと、彼女は顔を胸に押し付けたまま、くぐもった声を
出した。

「……あなたも、素敵ですよ」
「そうかな」
「私だってドキドキしてるんですから」

彼女の形のいい胸に触れて、その音を聴きたいと思った。
ぼくは彼女の肩に手を置き、顔を上げさせた。
赤く染まった頬を間近に認めて、唇を寄せる。
今日だけでもう何度、彼女とキスを交わしただろう。
こんなにたくさんしているのに、少しも飽きない。できるのなら何回でもしたい。
ひょっとしたらしつこく思われているかもしれない。だけど彼女とのキスは、やめろと
言われてやめられるものじゃない。ぼくはすっかり虜になっている。
その柔らかい感触は、ぼくを興奮させ、同時に落ち着かせ、幸せな気持ちにさせるんだ。
まるで起きぬけに味わう温かいミルクのようだ。
けれど、ミルクだけじゃ足りない。
ぼくは、彼女のすべてが欲しい。

「ん……」

唇の端からこぼれる吐息を、頬の辺りに感じながら、ぼくらはベッドの上で重なり合う。
抱きしめる腕に力がこもりそうになるけど、なんとか抑えて体を離した。
仰向けの体勢で、彼女がぼくを見上げている。
まだ両手で胸と下腹部を隠していたので、やんわりとその腕を取った。
眼前に、真っ白な乳房と股の茂みが現れる。
ようやく彼女のすべてを、この目に映すことができた。

「今から……いい?」

何度か短いまばたきを繰り返し、それから視線を上下させて、それからようやく彼女は
頷いた。

「これで……あなたのものになれますか?」

今度はぼくがまばたきをする方だった。

「えっと、君は君だよ。ぼくのものじゃない」
「そういうことじゃありません」

その真剣な目に、ぼくは少し気圧された。

「あなたと出会えたことが、私は本当に嬉しいんです。こうして恋人になって、抱きとめて
くれるあなたがいることが、言い表せないくらい嬉しくて……そんなあなたに、私はすべてを
あげたいんです。私を幸せな気持ちにしてくれるあなたに、全部あげたい。だから、私は……」

言葉が途切れる。
彼女の気持ちはわかる。ぼくにも、少なからずそういう気持ちはあるから。
だけど、一方通行じゃ駄目なんだ。

「じゃあ、ぼくも」
「え?」
「君のものになりたい。ぼくを、君のものにして」

素敵な時間を、幸せな気持ちをくれた君に、ぼくのすべてをあげたい。
ぼくはきちんと受け止めたい。だから、君もしっかり受け止めてほしい。
彼女はしばらく呆然としていたけど、やがて小さく微笑んで、こくんと頷いた。
目が少し潤んでいるのを尻目に、額に優しくキスをする。

「愛してる」

短く発した言葉に、彼女の目から涙が一筋こぼれた。

「私も……愛してます」

避妊具を着けて、彼女の両脚の間に体を入れる。
ゴムに包まれた先端を入り口にあてがうと、彼女の体がびくりと反応した。
ぼくは彼女の髪を一度撫でて、それからゆっくりと押し入った。

「ん……」

呼気を洩らす彼女の表情は、それほど歪んではいない。
まだ先の方しか入っていないせいだろうか。苦痛ではなさそうだった。
様子を見ながら、ぼくは慎重に腰を前へと押し進めていく。

「痛い?」

彼女は不思議そうに首をかしげた。

「いえ、今のところは……少し圧迫感はありますけど。それより、どうですか?」
「何が?」
「気持ちいいですか?」

ぼくは思わず押し黙った。
気持ちはいい。なんというか、落ち着く。ただ、まだ先の方しか入っていないので、
思ったほどの快感は得られていない。入れた瞬間放出してしまうんじゃないかとさえ
思っていたのだけど、そんなことはなかった。
とはいえ、奥に突き入れて好き勝手に腰を振れば、簡単に射精してしまいそうな
気がする。

「気持ちいいよ。今はちょっと心地いい感じ」
「そう、ですか」

よかった、と息をつく。
ぼくは彼女の腰を抱え込んで、もう一段深く逸物を沈めた。
狭い膣内はそれなりにぬかるんでいて、案外スムーズに進むことができた。それでも
抵抗は強く、次第に彼女の顔が苦しげに歪み始める。
ぼくは動きを止めない。乱暴な真似は絶対にしないけど、確実に奥へと入っていく。
泣き言を言わない彼女のことを思うと、ここで止めることなんてできなかった。
彼女の手がシーツをぎゅっと掴んでいる。
細い指が、調えられた白い布をぐちゃぐちゃに乱すように掴んで離さない。
それでも、やめてとは言わなかった。
ぼくはできる限り優しく、彼女の中へと進んでいった。

しっかりと埋め込むまで、五分はかかっただろうか。
彼女にそっと呼びかけると、とても深いため息が返ってきた。

「……おつかれさまです」
「いや、まだ終わってないけど」
「でも一段落は迎えましたよ」
「うん。感動してる」

目を丸くする彼女がおかしい。
愛しさが膨れ上がって、胸がいっぱいになっていた。彼女とつながっただけで、こんなにも
気持ちが抑えられなくなるなんて。
彼女の顔に小さな笑みが生まれた。

「これって、なんなんでしょう」

胸に手をやり、祈るように目をつぶる。
眠るように穏やかな顔で、内側にめぐる想いに浸っている。

「きっと、愛しさに限りはないんですね」
「うん」

数値化もできなければ、限界もない。ときにあやふやになることさえあって、愛情とは
必ずしも確かなものではないかもしれない。
それでもぼくらは何かをはっきりと感じていて、それはきっとお互いじゃなければ駄目
なんだ。
君じゃなければ、駄目なんだ。

「どうぞ、動いてください」

彼女に促されて、ゆっくりと動き始める。
中は潤っていて、動かすのに支障はない。腰を引いて、それから前に押し入って、短い
往復を開始した。
強い締め付けに、ぼくはあまり激しく動かすことができない。刺激が強くて、動きを速めると
あっという間に達してしまいそうになる。
彼女は呼吸を乱しながら、しかし声を上げないようにしている。
奥を突くと、痛そうに眉をしかめた。
できれば奥まで突き入れて、大きく腰を動かしたい。中をかき回すように蹂躙したい。でも
それはさすがにはばかられる。ぼくは自制して、中の浅い部分を動き続けた。
しばらくすると、彼女がぼくの手を握ってきた。

「ん……体、火照っちゃいますね」

少し余裕が出てきたのか、口調は軽い。
彼女の手は温かかった。
つながって、いろんなところが触れ合って、互いの温もりを感じ取って。
動き続けると汗がにじみ出てくる。腰の奥から痺れるような快感がせり上がってくる。
一方彼女は、最初に比べたらだいぶ慣れてきたみたいだけど、やはり快楽を得るには
到っていないようだ。
今のぼくでは彼女をきちんと気持ちよくさせることはできない。せめて痛みを与えない
ように心掛けた。

「大丈夫?」
「あ、はい……なんだか、不思議な気分です」
「不思議?」
「満たされていくような、そんな感じです」

充足感ということだろうか。なんだか嬉しくなる。

「気持ちいいの?」
「それは……あんまり」
「……」

わかってはいたけど、直接言われると結構堪える。

「あ、で、でも、すごく優しくしてくれてるから、もうそんなに痛くないんですよ」

それってフォローになるのかな?
まあ、ぼくもまだまだ頑張らないといけないんだろう。

「ちょっとずつレベルアップしていかないといけないかな」
「レベル、アップ?」
「これから何度もこういうことするんだから、慣れていかないとね」

彼女の顔が真っ赤になった。
精神的な充足も大事だけど、男としては肉体的な充足も与えたい。
今回は仕方ないけど、次からはもっと。

「わ……わ、私も……頑張ります、ね」

たどたどしく宣言する彼女がかわいくて、つい彼女を抱きしめてしまう。

「んんっ、いた……」

深く奥を突いてしまって、彼女が苦痛の声を上げた。

「ごめん。でも」
「ん……平気です」

彼女が応えるようにぼくの体を抱きしめた。
そのままキスをして、舌を絡ませ合って、体を少しだけ強く動かして。
性感を刺激されて頭が茹っていく。放熱をするように中から何かがこみ上がってくる。
高まる欲に突き動かされて、ぼくは彼女をひたすら抱いた。
快楽の波に流されて、そのまま少しも我慢することなく絶頂を迎える。

「や、ああ、い……、んっ……」

彼女が痛み混じりの嬌声を上げてしがみついてくる。背中に爪を立てられて痛みが
走った。
ぼくは膨れ上がった欲望をすべて吐き出すように断続的に射精して、ゴムの内側を
白濁液で満たしていく。
痛みにも似た快感は、射精を終えると急速に薄れていった。
ただ、心地良い疲労感が絶頂の余韻とともに残っていて、彼女の体を抱きしめながら
それに浸るのがたまらなく気持ちよかった。こうしてつながったまま、一緒に眠りたいとも
思う。
しかしそういうわけにもいかないだろう。避妊具から精液が洩れてしまうかもしれないし、
お互いに汗もかいている。部屋には匂いが充満していて、シーツは乱れてぐしゃぐしゃだ。
ぼくは名残惜しくも彼女の中から逸物を引き抜いた。
彼女が仰向けのまま、体を隠しもせずにぼうっと放心している。

心配になって声をかけた。

「大丈夫?」

彼女はぼくの顔をぼんやり眺めて、小さく小首をかしげた。それからゆっくりと息を吐き出す。
不意に今の自分の状態を自覚したのか、慌てて体を起こそうとした。しかし力が入らずに
手が滑ってしまう。背中に腕を入れて抱き起こすと、彼女は小さな声でありがとうございますと
言った。

「あ、あの」
「ちょっと待って。外すから」

液がこぼれないように避妊具を取り外し、口を縛ってゴミ箱に捨てる。小さくなった性器を
ティッシュで拭いて、それも捨てた。
改めて向き直る。
目が合うと、彼女が恥ずかしそうにうつむいた。ぼくの方もつられて照れてしまう。

「……あの」
「うん」

何か彼女は言いたいようで、ぼくは落ち着くまで辛抱強く待った。
やがて顔を上げると、彼女は上目遣いにこちらを見つめてきた。

「……私、今すごく幸せです」

率直な発言にぼくは咄嗟に返事ができない。
深呼吸をして、彼女の言葉を反芻する。
そんなの、ぼくだって、

「ぼくの方こそ、今すごく幸せだ」

その言葉に、彼女ははにかんだ。

「これからも、こんな幸せが続くんでしょうか」
「続かせたいなあ。君がよければだけど」
「……そんなの、答えなんて決まってます」

そう言うと、彼女はぐっと顔を寄せてきた。
ちょん、と。
掠るように一瞬だけ唇を重ねて、そっと体を離す。

「一緒に、続けていくんです。いつまでも」
「……うん」

同意して頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。


◇◇◇

夜空に大輪の花が咲きました。
鈍く大きな音が夜の街に響き、地上にいる私たちの胸にもずしりと重い衝撃が届きます。
大きな一発を皮切りに、次々と色鮮やかな花が咲き乱れ、光跡をうっすらと残して闇に
吸い込まれるように消えていきます。
私は今、商店街の通りにいます。
周りにはたくさんの出店が並び、たくさんの人が行き交っています。
今日は夏祭り。
隣にはもちろん私の大切な人がいて、ともに浴衣姿です。ちょうど一ヶ月前、縁日の夜に
着たのと同じものです。

「綺麗ですね、花火!」

私は柄にもなく興奮していました。花火なんて、ずいぶん久しぶりなものですから。

「去年もやったんだけど、見なかった?」
「去年は部屋に引き篭もっていましたし」
「……あの家ちょっと離れてるしなあ」

彼は納得したようにつぶやきますが、ちょっと呆れられているかもしれません。

「いいじゃないですか。こうして今年、見ることができたんですから」

彼の手を握り、にっこり笑いかけます。

「あなたと一緒に見ないと、意味ありませんしね」
「……そうだね」

彼もきゅっと握り返してきます。
この人の本当の彼女になりたいと、ずっと思っていました。
でも、とっくに私は彼のものになっていました。あの初めての夜より前から、ずっと私たちは
想い合っていたのですから。
大事なのは行為ではなく、想い。
それに気づいたのは、ごく最近のことです。
私は彼に抱かれることで、本当の彼女になれると思っていました。逆にいうと、そうしないと
なれないと思っていました。
そんなわけありません。確かに契りを交わすのは特別なことかもしれませんけど、あくまで
一行為です。多くのふれあいの中の一つにすぎません。
ちゃんと向き合って、想いが通じ合えば、それでもう十分なのです。
それよりも、その想いを断たないように、継続していかないといけません。それはとても
難しいことです。想いはあやふやで、数値化できるものでもありませんから。
だけど、同時に想いに限界はありません。
これから私は彼のことをもっともっと好きになっていくでしょう。いろんな面を見つけて、その
中には気に入らないものもあると思いますけど、それも含めて好きになっていくでしょう。
限りない愛情がどこまで膨らんでいくか、見当もつきません。でも私は今、彼の隣にいて、
同じ景色を見ることができ、そのことを嬉しく感じています。
ともに歩める位置にいます。
私は彼の彼女です。でも、それだけでしょうか。
他になりたいものは?

「……くん」

小さく、喧騒にまぎれるように彼の名前をつぶやきます。
彼が顔を上げました。今の声が聞こえたのでしょうか。
夜空に何度目かの花火が上がりました。
私は顔を伏せ、遅れて届いた音にまぎれてつぶやきます。
彼が目をしばたかせました。
聞こえたでしょうか。きっと聞こえなかったと思います。
いいのです。これは別に聞かせるつもりで言ったわけではありません。
その思いを確固としたものにするために、口にしただけです。
私の心に深く刻み込んで、いつの日かそれが叶いますように――



「ぼくも君と結婚したい」



瞬間、私はびっくりして、彼の顔を凝視してしまいました。

「き、聞こえたんですか?今のつぶやきが」

彼は小さく微笑みます。

「自信はなかったけど、ひょっとしたらと思って」
「……あてずっぽうで変なこと言わないでください」
「外れてた?」

私は言葉に詰まり、無言で首を振りました。
彼は嬉しそうに口元を緩めて、

「よかった。すごく嬉しい」
「私たち、まだ高校生ですよ?」

自分で言っておきながら、そんなことを口にします。

「じゃあ婚約ってことで」
「いつになるかわかりませんけど」
「ぼくは構わない」
「……気持ちが離れたりするかも」

彼は肩をすくめました。

「確かに可能性はあるけどね」
「……」
「でも、君はもうぼくのものだから」

心臓が一際大きく跳ねました。

「絶対に離さない」

彼の手に力がこもります。
痛いくらいに強く握りしめてきて、私は苦しくなります。なんだか心臓を直接絞られている
ような、そんな苦しさが胸に渦巻きました。

負けないように歯をぐっと噛みしめて、手に力を込めます。

「私も、離れません。離しません」

あなたは私のものだから。
いつまでも一緒に。

「私、なりたいものがたくさんあります」
「うん」
「あなたと家族になりたいです」
「うん」
「パートナーに」
「うん」
「夫婦に」
「うん」

一つ一つ頷いてくれる彼は、きっと私の一番の願いがわかっているのでしょう。その一言を
待っているようでした。
私は大きく深呼吸をしました。

「あなたと一緒じゃないと、なれないんです」
「うん」
「だから、これからも――ともに歩んでくれますか?」

彼は私の顔をじっと見つめ、私の大好きな笑顔で答えました。

「喜んで」



「……ところで、今日は泊まっていきますよね?」

私が訊ねると、彼は目に見えて動揺しました。

「えっと……いいの?」
「今日はずっと一緒にいたい気分なんです」

ほどよい高揚とともに、私は言葉を重ねます。
彼は虚空を見上げてため息をつきました。

「女の子ってすごいね……」
「なんですか、それ」

つないだ手をそっと組み替えて、指を絡めます。
それだけで、ドキドキが強くなりました。

「今夜はいっぱい愛してくださいね」
「……頑張ります」

彼のため息混じりの返事に、私は小さく笑いました。






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