シチュエーション
![]() 「――君にはこの子を担当してもらおう」 意地悪そうな白髪の医者に頼まれたのが全ての始まりだった。 その医者が言うにはその子は自分よりも年上とはこちらからの質問以外で会話をしようとしないらしい。 ただ、病状が急変することはないので新参者の君にも出来る楽な仕事だとも。もし、急変した場合―――― 科学技術や医療技術の発達した今なお残っている不治の病に罹った少女を任されることになった。 綺麗な黒髪の、人形のように表情のない美人、といった第一印象だった。 それが――数日で崩れた。 「……あんた、誰?あの白髪のジジイは?」 今更気付いたといわんばかりの表情で担当して三日目に訊ねてきた。自己紹介は初日にしたのに聞いていなかったようだ。 「……一ヶ月前から貴女の担当になっている唯のしがない医者ですよ。前の担当の先生は退職しました」 担当をすることになったのは三日前のことだし、白髪の医者は相変わらずここで働いている。 そんな真っ赤な嘘を言っていると、彼女は真剣に名札を見ていた。こちらの名前は漢字がむずかしくて読めないらしく。 軽く首を傾げて、表情に出さないように努めながらも頑張って読もうとしている。 「へえ?そうなんだ」 納得されてしまった。名札を外して胸ポケットにしまうとやや残念そうな顔をしながら読むのを諦めてしまった。 私に教えてもらう積もりは毛頭ないらしい。綺麗な顔に似合わず意地っ張りだ。 「じゃあ、よろしく、『先生』」 名前が分からないことを少しだけ悔しそうな表情でそっぽを向きながら、心底どうでも良さそうに、そう言われた。 この少女のことをよく観察していない人は態度に腹を立てるかもしれないが、私は少し、笑ってしまった。 そっぽを向いている彼女はそれに気付かない。 「……ああ、よろしく」 医者になって初めての患者は、面白い子だった。 数ヶ月観察していて分かったことだが。 自分よりも年上とは会話を成立させるつするつもりがないのではなく医者に関心がほどんど無い、ということらしい。 その証拠にお使いやお願いを頼まれると嫌だといえなくて困っている看護師さんなどと話していたり、少し年上の友達がいたりする。 (あの漫画はいったい何なのだろうか?前に回診以外で診に行った時その場に鉢合わせてしまい。 顔を紅潮させ、耳まで赤くして「え、遠慮しておくよ――ちゃん」と言っていたけど) この子は医者を病院の調度品や機材と同じだととらえている節がある。 つまり、医者をそこら辺に置いてある花瓶や椅子と同じ、或いはそれ以下の扱いをしているというのがことの真相のようだ。 古いか新しいかの違いや姿かたちを意識していないく、変わったことに気付くのが遅れたのだろうか? 前に読んだ本にはそういったことに女性は敏感だと書かれていたがこの患者には当てはまらないのか。 だがもしも、この考えが間違っていて、最悪の想像が的中している場合は、どうすれば良いのだろうか? 名札を取り外して、 「こんにちは、回診に来ましたよ」 個室の扉を開けると――は鈍器として使えそうなほど分厚くて大きい本を読んでいた。 おそらく、件の看護師が何であんないじめみたいな重いやつを図書館から借りてこなくちゃならないんだ、 と愚痴っていた指輪物語のハードカバー版(縦と横の長さが通常の1.5倍以上のもの)だろう。 「……」 当然のように無視される。いや、これだと語弊がある。当然無視された。これが適切だろう。 いつものように椅子を取り出して座り、今回は自分からは絶対に手を付けずに腐らせてしまうこともある定期的に支給される見舞いからリンゴを取り、 パチンと音を立ててナイフから鞘を取り出して剥く。 ウサギの形に一つだけして、綺麗に剥いたものの中心に飾る。 その時に断面の酸化防止のために以前内緒で拝借した生理食塩水に別の容器を使い浸しておくのも忘れない。 剣を模した爪楊枝を二本刺して、完成。 ――15分後―― こちらが脈を測るために手を取ってようやく私の存在に気付いたらしい。本から視線を外してこちらの方向を見る。 「こんにちは、先生」 何故そのような遠回しな表現するのか、それはやや目が濁っている上に無表情なので私を見ていると断言できないからだ。 「ええ、こんにちは。このリンゴ、もらっても良いですか?」 不思議そうに先程まで読んでいた本の隣に置いたリンゴ(一つだけウサギの形)の乗った皿を見つめている。 「しんでも良いならどうぞ」 毒物が混入されているとでも考えているのか。軽い冗談なのか。無表情なので判別が付かない。 「じゃあ、遠慮なく」 美味しい。おそらく一度も顔を見せたことのない親か何かからの贈り物なのだろう。 「……大丈夫なの?」 しばらくこちら側を見つめ、ようやく顔に表情が灯る。意外だ、といった表情。 「ええ、別に腐っていませんし美味しいですよ。どうかしましたか?」 「……別に、何でもないわ」 こちらに合わせる為になのかはさておき、リンゴを食べてくれたのでなによりだ。 「これで今日の回診は終わりです。何か質問や要望はありますか」 そう訊くと少し、戸惑いながら口を開いた。何故か目線はリンゴで作られたウサギに釘付けで。 「……リンゴが剥いてあったり、こんな風に綺麗に梳かして髪形が変えられていたりと最近不思議なことがよく起こるわ。何故かしら?」 ツインテールになっている片方を持ち上げてこちらに見せる。以前はポニーテール、その前は後ろで簡単に縛っただけ。 その全ての犯人はモチロン私だ。けど、この子はそれに気付くことができない。不思議そうに首を傾げている。 「怖いですか?」 「いいえ」 淀みなく即答された。おそらく本心だろう。 「じゃあ、きっと大丈夫ですよ」 質問には答えないで立ち上がり、カルテを持っていない方の手で頭を撫でる。 「それでは、また、回診の時に」 「……はい、先生」 頭を撫でられていることにたいしての羞恥の所為か少しだけ顔が赤くなる。 扉を閉める。 「ふう……」 ため息まじりの苦笑をする。さて、今度は三つ編みにでも挑戦してみようか。 あの質問に今は答えることは出来ない。 それはまた、――後ほど。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |