シチュエーション
「という訳で、二十歳になった祝いに東公園と西公園の雪を全部集めて、全長4.5mの雪像を作ったまでは良かったんだがな」 「作業に熱中しすぎて雪像から落ちて運び込まれた……と」 足を骨折したというのに、友人――木村晶の様子は概ね予想通りのものだった。 桐沢孝之はそんな晶に呆れた様子で溜息を付き、電話で頼まれていた物を詰めたカバンを面倒臭そうに差し出した。 「つーか、『二十歳の記念』にアニメキャラの雪像は無いだろうよ?」 晶が入院している雨上玄海病院に来る道中、話題の”ソレ”を実際に目にした孝之は溜息混じりに言う。 「別にいいんじゃないの?一夜城ならぬ一夜雪像は既にこの街じゃちょっとした名物だから、いまさらアニメキャラの雪像の一つや二つで近所の住民が混乱する事は無いだろ」 「確かに、良い意味でも悪い意味でも有名だからな……」 自分の皮肉に対して豪快な馬鹿笑いで返してくる晶に、孝之はもう一度溜息を付いた。 (もとより、成人したくらいでコイツが変わるとは思っていなかったが……) 孝之は晶の寝ているベッド脇の椅子に腰を下ろし、ガチガチに固定されている晶の足を見た。 晶のギプスは特別だ。普通のギプスでは晶が病室を抜け出して安静にせずに回復が遅れる為、ワザと鉛だか鉄板だかを入れて重くしてある特別製なのだそうだ。 お陰で膝まで覆われたギプスは丸太のように膨れ上がり、見ただけでは重症なのか軽傷なのかすら分からない。 「……で、今年は全治どの位だ?」 「3週間だそうだが、2週間程で退院できるらしい」 「そうか、今年は軽めだな」 去年は左手と両足をポッキリとやったせいで予想以上に退院が伸びてしまい、復学するまでに時間がかかって留年しかけた事を思い出す。 晶が冬になると3m越えの巨大雪像を作るのは毎年の恒例である。そして作成途中や完成させた際の油断から、ソレから落ちて骨折なり捻挫なりをするのもまた、恒例だ。 この病院も最早慣れたもので、この季節になると、いつ晶が運び込まれてもいいようにベッドを確保するくらいなのだ。 孝之はというと、晶に入院中の荷物を届ける事が毎年の恒例となっており、コレをする事で初めて冬を実感するまでになってしまっている。 「さて、俺は帰るよ」 頼まれた仕事を終えた孝之は晶にそう告げて立ち上がった。 「ん、悪いな」 「そう思うなら、毎年馬鹿みたいに骨折するな」 「今年は捻挫だぜ?それに、ココの看護士さんを見ないと最早年を越せない体になってしまってなぁ……」 「見るだけなら、別に入院しなくても……もういい――」 ドッと疲れた気がして、孝之は手をヒラヒラと振って病室から出た。背後から「ありがとなー」と晶の軽い声が追ってきたが、あえて返事はしない。返事するのも面倒だったというのが本音である。 年が明けたばかりの、朝もまだ早い時間。病院内は想像以上に静かで、人通りが少ない。 リノウムの床を歩く度にスニーカーが響かせるキュッキュという足音が嫌に大きく響く気がした。 孝之は玄関ホールへと向かう廊下を歩きながら、新雪を踏みしめて白い息を吐きながら病院に来た事を思い出す。 (帰りがけにラーメンでも食べるか……) そんな事を考えながら中庭に面した廊下に出た所で孝之は足を止めた。 「……」 何か聞こえた気がして孝之は無言で振り返った。廊下には人影が無い。更に辺りを見回してみるも、近くに人影はおろか病室も無かった。 気のせいかと思いかけ、ふと雪の積もる中庭の風景に目が止まる。 「中庭……か?」 中庭には一晩かけて降った雪が、処理される事も無いまま分厚く積もっていた。日はまだ低く、息が真っ白になる程気温は低い。こんな中、中庭にでる患者など居るとは思えなかった。 だが、もしかすると……。 そう思い、孝之は中庭を注視しながら廊下を歩きだした。 程なくして、先ほどの位置からは見えない場所に車椅子が横倒しになっているのが目に付く。 確かあの辺りには小さな池があった。雪が降ると簡単に水面に氷が張り、その上に雪が積もって池の存在に気付きにくくなっている。 その為に、去年入院していた晶が池に足を取られた事を思い出し、孝之は眉を顰めた。 もしさっきの声が、あの車椅子に関係あるとしたら? 「まずい!」 孝之は自分の考えに背筋が冷えるのを感じた。 咄嗟に窓を開けてそこから中庭へと飛び出し、急いで車椅子まで駆け寄る。倒れた車椅子の傍には小さな女の子が新雪に突っ伏してもがいていた。 孝之は慌てて少女を抱き起こそうと手を体の下に差し込み、顔を顰めた。差し込んだ手は池の水にまで到達し、鋭い痛みが走ったのだ。 「無事か!」 「――ッぷぁ!」 孝之が抱き起こすなり、少女は苦しそうに息を吐いた。 幸いな事に、手で体を支える事で顔が池に沈むという事態は避けられたらしい。しかし池の中に手をついた為に、服は肘上までグッショリと水が滴り、雪の中に長時間倒れ込んで居たせいで全身が濡れて冷たくなっている。 孝之は驚くほど軽い少女を抱きながら車椅子を立たせ、ソコに座らせた。 荒く息をついていた少女はソコで落ち着きを取り戻し、始めて孝之を見た。 「あ、ありがとうございます」 寒さに震えながら、少女は頭を下げる。 「大丈夫か?」 「は、はい……」 少女は自分の安全を確かめるように自身を抱いて深呼吸をし、思い出したようにあっと声を上げた。 「け、携帯!私の携帯電話は?」 「携帯?……あった、コレだな?」 孝之は少女の剣幕に少し戸惑いながらも、車椅子の傍に落ちていた少しばかり型の古い携帯を拾い上げ、少女に差し出した。 「そ、ソレです!――良かった壊れてない」 女の子は孝之からソレをひったくる様に受け取り、無事を確かめて安堵の様子を見せる。 携帯を抱きしめて溜息を付く姿からして、彼女にとってよほど大切なものらしい。 もしかすると、落としてしまった携帯を拾おうとして転んでしまったのかもしれない。 「あ、ゴメンなさい。その、ありがとうございます」 孝之の視線に気付き、少女は慌てて頭を下げた。 「気にしなくていいけど……病室まで送ろうか?服も濡れてるし、この雪の中、車椅子じゃあ病院に戻るだけでも大変だろう?」 そもそも、よくココまで車椅子で来れたものだと孝之は感心した。 「でも、コレ以上迷惑かける訳にはっ……くち!」 「ほら、寒いんだろ?病室までは押しかけないから、せめて院内までは車椅子を押すからね」 「ご、ごめんなさい」 真っ赤になって恥かしそうに俯く彼女に「いいからいいから」と答え、孝之は少女を乗せた車椅子を押す。数分も掛からぬうちに、二人は無事に病院内へと帰還した。 先程はあんな風に言ったが、やはり病室かナースステーションまで自分が押してあげるべきだろう。そんな事を孝之が考えていると、看護士が数名、物凄い勢いで駆け寄ってきた。 「優希ちゃん!今まで何処に居たの!」 「こんなに濡れちゃって、風邪を引いたら大変じゃない!」 「アレだけ無茶したら駄目っていったのに!」 余りの勢いに看護士達は孝之を突き飛ばし、一斉に少女を囲んでそれぞれ言葉をかける。 その勢いに少女が戸惑って返答できずに居ると、看護士達の視線が孝之へと移った。 (これは……不味いかもしれない) そう思った時には既に遅く、看護士達の興奮の矛先は孝之へと向けられた。 「貴方ね、優希ちゃんを連れまわしていたのは!」 「い、いや、違います」 「違う?だったら何で貴方は優希ちゃんと一緒に居るの?」 ソレは……と、孝之が説明をしようとするのを無視し、看護士達は再び少女に向き直る。 「優希ちゃん、この人に変な事されていない?」 「そうよ、何かされたんだったら正直に言って」 「そ、そんな、逆です!」 「逆?まさか、何か強要されたの?」 「ちょ、ちょっと待ってください、違います!俺がそんな事する訳――」 「貴方は黙っていなさい!」 看護士は口々にまくし立てて、孝之の言葉を聞かないまま少女を連れて行ってしまった。 そのすがら、少女が必死に孝之に何もされていないと弁護してくれたおかげでお咎めは無かったが、嵐のようなそれらの様子に俺は何も反論する事が出来ず、孝之はただポカンと立ち尽くすだけで彼女を見送っていた。 「……どうなってんだ?」 釈然としないながらも冤罪を負わずに済んだ事に少しばかりの安堵を覚えながら、孝之はそのまま黙って帰宅するしか出来なかった。 ――タンタターンタタタターン ――タンタターンタタタターン 「……ん」 孝之は携帯の着信音で目を覚ました。 目覚まし時計を見ると既に昼を過ぎている。そういえば昨日の一件のせいか、変な夢を見て夜中に目を覚ましてしまい、寝付けそうに無かった為に明け方まで本を読んでいたのだった。 携帯をとり発信者名を見る。見知らぬ番号が表示されていた。 電話に出るべきか一瞬悩むも、間違い電話なら睡眠を邪魔された文句の一つでも言ってやろうと考え、孝之は通話ボタンを押した。 「もしもし」 『あ、えと、その、桐沢さんのお電話ですか……?』 電話の相手は予想外なことに、若い女の子の声だった。 知り合いの声ではないが、相手が自分の名前を知っている事が気になった。 「はい、そうですが……どちら様ですか」 『良かった……。あ、いえ、突然電話をかけてしまってゴメンなさい! えと、えと……私、昨日桐沢さんに助けてもらった者で、西野優希といいます』 「昨日……?」 昨日は看護士の群れに取って食われそうになった記憶しかない。 ぼんやりとそんな事を考え、ようやく電話の相手がその件の原因の少女だと気付く。 「ああ、中庭の……」 『はい。あの、昨日はお礼もちゃんと出来ないまま……』 「あー、その事か。別に気にしないで良かったのに」 『で、でも、そんな訳には……。それにあの時、看護士さん達に酷い事を言われたままだったし……』 「いいんだよ。特に被害も無かったから」 『でもぉ……うぅ〜』 孝之の反応があっさりし過ぎているせいか、少女――優希はどうしても御礼をしなければいけないと思っているのか、困った様子で唸っている。 「ところで、どうして俺の番号を?」 お礼の話から遠ざける意味も兼ねて、孝之は最初から感じていた疑問を優希にぶつけてみた。 『あ、そうでした!どうしてもお礼が言いたかったから、あの後看護士さん達に私の事を助けてくれた人の事を知って居る人がいないか尋ねたんです。 そうしたら、もしかしたら桐沢さんの事じゃないかって話になって、桐沢さんと親しい人を知っているって看護士さんが何人か居て……』 「……ああ、成る程」 あの時間、院内をうろついている人は少なかったし、ましてや昨日は晶が入院したのだ。院内ではちょっとした有名人の晶が入院したとなると、孝之の名が出てくるのも容易なのかもしれない。 いろんな意味で俺も有名人な訳か。孝之は複雑な思いで嘆息した。 あいつ絶対、面白がって二つ返事でOKして、番号を教えたんだろうな……。優希に携帯の番号を教えている晶の姿を想像し、孝之は苦い顔をする。 次に会う時はこの事でからかって来るに違いない。 「それで晶から番号を聞いたと?」 『ごめんなさい。直接お礼を言いたくて』 「謝る事は無いよ、うん。俺もあの後、優希ちゃんの事が気になってたのも……まぁ、事実だし」 『……ぇ?』 孝之の言葉に優希が口篭る。 変なことを口走ったか?孝之は首をかしげた。 「優希ちゃん?」 『あ、いえ、なんでもないです』 「そう?ソレよりも、風邪引かなかったかい?」 『はい、大丈夫です。直ぐに暖かい部屋に運ばれて着替えましたから』 「そうか。うん、安心した」 ソレから30分ほど、孝之達は他愛の無い会話を続けた。 この電話が切欠で、孝之と優希の交流はゆっくりと始まりを迎える。 後に気付く事になるのだが、孝之はこの時から優希の事を大きく勘違いしていた。 その勘違いに気付かされるのはもっと後……、二人が今のように純粋な笑顔で話が出来なくなってしまった頃なのだが――。 SS一覧に戻る メインページに戻る |