とある孤独な研修医(非エロ)
シチュエーション


自分の家は貧しかった。とにかく底抜けに金が無かった。
金が無いと心も荒む、自分のいた家は地獄のような環境であった。
父は自分や母に暴力を振るい、母は他所の男と不倫をしていた。
だから自分が大人になったら、金持ちになりたいと幼いころから思っていた。
金さえあれば、どうとでもなる。金さえあれば幸せな家庭になっていた、と常に考えていた。
だから我武者羅に勉学に励んだ。友達とも遊ばずに、常に学校ではトップの成績を取り続けた。
根暗やガリ勉などと陰口を叩かれていたが、気にしないことにしていた。
その結果、一流大学の医学科に入学し、首席で卒業することができた。
医者にでもなれれば、金が手に入るだけでなく地位や名誉も得ることができる。
友人だろうが女だろうが、金や地位あがれば腐るほど手に入る。本当にくだらない存在である。
今現在、研修医である藤野修一は常々そう考えている。

研修医となって、随分と時が過ぎた。
周りの医師等の自分の評価は『極めて優秀である』とのことである。
当然のことだ。大学在学中も昔と変わらずに一時も休まずに勉学に励んできた。
ちゃらちゃらと遊び半分で医学科に来た奴らとは自分は違う。
幼少期に母親の内職の手伝いをやっていたことからか、手先も器用であり手術も難なくこなした。
問題は無い、このままこの病院に居座り続けられる。早期の出世も見えてきている。
そんなある日、担当医の仕事が舞い降りてきた。
研修医にそんな仕事を押し付けるなと反感を覚えたが、カルテを見て「ああ、なるほどな」と
手の施しようが無いのだ。この少女の命はあと数か月で尽きる。
おそらく、研修医の目に担当医として患者の死を焼き付けさせたいとでも思っているのだろう。
なかなかにエゲツないことをする場所である。

「藤野先生、患者さんは205号室ですからね」

看護師からの確認の一言、この人の名前は菊池彩菜。
勤務歴がそれなりに長い中堅どころの看護師である。他の看護師や患者からの評判は良好。
しかし、詳しい年齢は誰もしらないようである。外見だけから判断すると20代前半に見える。

「菊池さんは、この患者とはどれぐらいの付き合いなんですか?」
「確か…5年ほどだったと思います。6年前に入院されて」
「そうなんですか、随分と長いんですね。あと…」
「私の年齢に関しては指摘しないでくださいね」
「誰も、そんなこと一言も言っていませんよ」

研修医になってからは、自分でも口数が増えたと思う。
今までの陰気な性格では、この先生きのこることができないと理解したからだ。
医師や患者だけでなく看護師や他の研修医ともよく話すようになった。
利用できるものは可能な限り利用する。それが賢い生き方なのだ。

「菊池さん」
「はい、なんでしょうか」
「この病院は、昔から死にかけの患者を研修医に任せる風習があるんですか?」

失礼な発言であることは理解している。だが、患者に会う前にこの不快感を誰かにぶつけたかった。

「ん、そうですね……。北条先生ぐらいですね、こういったことを考える方は」

北条先生とは、自分の指導医のことである。ここ数年、指導医となることはなかったようである。

「北条先生のやり方は少しアブノーマルでして、他の先生方も困ってらっしゃるんですよ」

"腕は確かなんですけどね…"と、菊池さんは小さくフォローの言葉も呟いた。

「そんな先生が担当医になったってはことは…」
「今年は患者さんの数が多くて、忙しいからですね。」
「なるほど…」
「研修医さんの数も思っていたよりも多かったてこともありますね。あとは…」
「あとは…?」
「一流大学の首席君が気に入らなかったのかもしれませんね」

この女は、平気で人の癇に障ることを口に出す。なのに腹立たしく思わないのは人徳からであろうか。

そういったやり取りをしていたら、お目当ての患者の部屋に着いた。
部屋には一つだけ表札がかかっており、『皆川涼子』と書かれていた。

「皆川さーん」

と、菊池さんがノックした後に部屋に入る。自分も菊池さんに続き部屋に入る。

「あ、菊池さん!」

その少女は、菊池さんの顔を見ると微笑んだ。
しかし、その少女は見るからに衰弱しきった顔をしており、正直に言うと見るに堪えない。

「皆川さん、調子はどうですか?」
「それなりに良いです。それよりも…」

少女は自分のほうに期待を寄せた目を向ける。

「あ、紹介しますね。今日から皆川さんの担当になられる藤野先生です」
「よろしくね、皆川さん」
「よろしくお願いします、藤野先生」

軽く会釈をすると、丁寧に皆川さんは頭を下げた
菊池さんは体温を測る等、一通りの仕事を終え、自分を残して部屋を出て行った。
"仲良くなるために、二人きりで少し話してあげて"と気を遣ってくれたようだ
どちらかというと、自分よりも皆川さんに気を気を遣ったようだ。

「ねえねえ、藤野先生」
「なんだい?」
「藤野先生って研修医だよね」

胸の名札にはしっかりと研修医と書かれている。隠しようは無いが隠す気も無いものだ。

「そうだよ、僕はまだ研修医だ」
「研修医なのに、一人で担当医をやらしてもらっているの?」
「あ、ああ、そうだよ」

自分だって疑問に思っていることだ、普通は指導医がつくもんじゃないのか

「そうなんだ、藤野先生って優秀なんだね。やったぁ!」
「おいおい、普通は嫌がるところだぞ。研修医なんかに診られて不安にならないのか?」
「研修医だって立派なお医者さんでしょ。先生が弱気でどうするのよ」

確かにそうである。少し弱気になっていたことは認める。

「それにね、北条先生は治らないって言ったけど…」

北条と言う医師がアブノーマルであるということを再び理解した。

「言ったけど…?」

「藤野先生になら治してもらえそうな気がするの。気がするだけだけどね」

これが、皆川涼子と言う少女との出会いであった。
暑い夏が終わり、少し涼しくなった初秋の午後のことである。






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