キツネの面(非エロ)
シチュエーション


花火大会を前に、友人から突然キャンセルの電話。

「悪ぃ、急に用事が出来て行けなくなっちまってよ」

仕方なく俺一人で出店などをぼんやり見ながら、公園を歩くことにした。
さすがにこんなイベントだ。夕方だが人は既に随分と集まっている。
周囲には浴衣姿もちらほら見受けられる。当然だが、大抵は男連れのカップル。
適当に遊んで、人が込む前に場所でも確保しようかと思っていた。
が、一人でそんなに必死になるのも馬鹿らしい。
俺は外れにあるベンチに腰を掛けた。
一人身は辛いな――なんて思いながら、俺は煙草を吹かす。
と、隣に誰かが座ってきた。

中学生くらいだろうか。可愛らしい白地に桃色の花模様が入った浴衣姿だ。
そしてそんな格好でも分かる、ほっそりとした体つき。髪は後で結んでいる。
で、顔にはお面だ。
キャラクターものの類ではない。キツネの面。
俺は煙草を吸殻入れに押し込むと、すぐに立ち上がった。
煙草と陰気で臭い大人が近くにいては悪かろう。
その場を立ち去ろうとすると、彼女もベンチを下りて俺の後を付いて来る。

「?」

言っとくが、俺は何も怪しくない。
知らない人に着いて行っちゃいかんのだよ、君。

心配を他所に、彼女は一定の距離を置いて俺を追って来る。
人ごみに紛れようか、どうしようか。
彼女がもし妖怪なら、御用は差し詰め「あぶらげ頂戴」ってとこか?
恐らくこの近くにお稲荷さんがあって、お供えが足りないから食い物を貰いに――ってここはそれなりの都会だ。
そんな昔話みたいなことが許されるのは相当の奥里までだな。
冗談はこの程度にして、しかしこんな場所でキツネの面ってのも珍しい。
見ているとどこか、不思議な感じがするのも頷ける。何たってオキツネ様ですからね。
それに終始無言ってのもどこか怖い。
そんなことを考えながら歩いていると、奴さん、いつの間にやら姿が消えていた。

……一体全体何だったんだ?

唐突だがいなり寿司が食いたくなった。
俺は躊躇なく公園を出て、近くのスーパーに足を伸ばしていた。
焼きそば、フランクフルト、わたあめ、リンゴ飴なんかの出店も確かに並び、美味しそうではある。
だが何だ、悪戯だか何だか分からんがキツネさんに出会ったのも、何かのお導きだろう。
普段食べない、という意味では同様に悪くないし。
適当に選んだいなり寿司のパックとペットボトルのお茶、ついでに夜用にビール一缶を、レジに。
そういや昔、母が行事の際によく作っていたっけ。
バリエーションはないが、あれが我が家の弁当だ――って感じがして好きだった。
会計を済ませ、俺はまた公園に戻る。
せっかく買ったんだ。外で食べて帰ろう。

今し方座っていたベンチまで来て、俺は腰を下ろした。
辺りは随分と暗くなってきたし、人も増え始めている。
花火見物に絶好な場所――丘の上は、もう既に満員御礼といったところだろうか。

「いただきます」

割り箸を割って、いなり寿司を一個口に運ぶ。
こういうのって手で食べるのもなかなか乙なんだよな。洗えないからやめとくが。

「ん…?」

気配を感じ視線を上げると、目の前にはあのキツネの面の少女。
まだいたのか。てか、見られていると凄く食い辛いんだが。
頼むから何か喋ってくれ。このまま逃げ出す訳にもいかんし。

少女は相変わらず無言のまま、また俺の隣に座った。
気まずいよぅ。何だってんだ。

「……食う?」

仕方なく空気に従って、彼女の目の前にパックを差し出してみた。
彼女は面のまま、俺の方を向いた。

……何も言わないんだなこれが。

冗談にしちゃあ性質が悪いし、真面目だとしたらこれもこれで結構あれだわ。
すると彼女はベンチから立ち上がり、いなり寿司を一つ手に取った。
そして公園の雑木林の中に、紛れるように消えて行った。
何もあんな所に入って行かなくたって、なぁ…。

気になった俺は、その姿を追って林に入ってみた。
既にそれらしい姿は見えないが、何気なく辺りを散策しながら、奥まで進む。
何せ、この公園は近くの丘と隣接しており、やたらと広い。
普通は舗装された道を登って上に出るのだが、こちらも確かに上には通じそうだとしても、正規のルートではない。
変に迷い込みやしないかと少し心配になってきた時、場所が開けた。

「……!」

驚いた。もう僅かだが木漏れ日が集束し、スポットライトのように一箇所を照らしている。
そこには小さな詰み石と、跪いて頭を垂れる少女の姿があった。
お稲荷さんじゃない。これは墓。
そして供えるように置かれている、俺がやったいなり寿司。

俺はしばらく、その様子を見つめていた。
お祈りが終わったのか、キツネの面が仰向いた。
途端に、顔が合う。

「……」

多少は警戒したようだが、彼女は何も言ってこない。
その場でじっと、俺の様子を窺っている。

「…俺も一緒に、良いか?」

判断は仰ぐまい。いなり寿司の代わりに、祈らせておくれよ?
俺は彼女の隣に膝を突き、黙祷を捧げた。
空はもう、紫に染まり始めていた。

極めて簡素な、それこそ詰み石だ。
だが、僅かな野花といなり寿司と、そして小石が何個か置いてある。
三つ。恐らく、亡くなって三年を意味するのだろうか。
そうだ。せっかく買ったが、ついでだ――。
俺はビールを開けて、いなり寿司の隣に置いた。
こんなことだが、今出来るせめてもの振る舞いだ。

「……よし」

では、立ち去るかね。
すると彼女が目の前で、小石を一つ加えた。
そうか。今日が命日なのか。

ここでは毎年この月この日に花火大会がある。
例えば彼女が本当に妖怪とか物の怪の類だったとしても、認識は可能だ。
一年で唯一と言って良い、人が大勢集まる日。
夜に大きな音が鳴り響き、空に花火が上がる日。
それが唯一彼女にだけ、この墓の主の命日を教えてくれる。
何つーか、凄く切ないな。

「どこの誰だか知らんが、ありがとな」

俺はやや感傷に浸りつつも、改めて立ち上がる。
元来た道を帰らねば、真っ暗になったらやばい。
と、背後から俺の服が引っ張られた。

「何だ?」

お礼でも言ってくれるのだろうか?
いや、違った。彼女は振り向いた俺の手を握ると、真逆の方向に歩き始めたのだ。
そっちってもっと道が暗いんだけど……それでも付いて来い、ってこと?
俺は仕方なく、彼女の後を歩いた。
手が柔らかい。妖怪――じゃないよなやっぱり。
よく化けギツネなんかはこう、人の姿をしていつつも耳や尻尾が覗いていたりする。
だが、彼女は外見どう見たって普通の人間。
ただキツネの面で素顔が分からず、全く喋らない為に不気味っつーか、不思議っつーか。
暗い道なき道を、僅かな視覚と彼女の手だけを頼りに、俺は進んだ。

ぼんやりと明るい場所が見えた。
草木を抜けて出てみると、そこは頭上が開けた丘の中腹だった。
当然、誰も居ない。
まあ、道としては険しくはなかったが、こんな場所にまで来て普通は誰も何もしないよな。
彼女の足も止まる。そして、その場に膝を抱えるようにして、腰を下ろす。

「浴衣が汚れるだろ」

俺は気休めにしかならないが、とりあえず下にハンカチを敷いてやった。
そして、ビニール袋からパックを出す。あのまま突っ込んで来てしまった。

「食うならやる」

そう言って差し出すと、彼女は両手で受け取った。

無言のままパックの中の、いなり寿司を見つめている彼女。
まあ、面越しなんだが。
俺はお茶も足元に置いてやると、下に空になったビニール袋を敷き、それに座った。

「お茶も飲むならやるから。冷たくないが」

彼女はお茶に顔を向け、そして俺に顔を向けた。
そして、再びパックに顔を向けたかと思うと、それを足元に置いた。
今度はその両手をゆっくりと持ち上げて、自らのキツネの面に置く。

「……!」

面が外れ、膝の中に落ちる。
世闇に青白く映え、透き通るような顔が、目に飛び込んできた。

俺は思わず息を飲んだ。
横顔だけでもはっきりと断言出来る、見たこともないほどの美少女だった。
暗がりでは何割り増し――なんてことも言うが、正直そんな競争台に上げる必要すらない。
その顔が、徐に俺の方を向く。

「…!」

俺は恐らく、目を丸くしているに違いない。
美しさの中にも、中学生らしい幼さが確かにある。だが、それが逆に良い。
何つーか、見惚れるのも仕方ないわ。
年齢差は随分なものだと思うが、そんなこと全く気にならないほどに魅力的だ。
こんな年下属性、俺は持っていなかったはずなんだが。

「……」

しかし彼女は面を取っても相変わらず無言、そして無表情だった。
ただ、深い漆黒の瞳が片時も視線を逸らすことなく、俺の目を見ていた。
目は口ほどに語る。

「……あ、あー…驚き、ましたわ」

驚くしかないよなそりゃ。
すると彼女はゆっくりと視線を戻し、そして落とす。
手を伸ばし、足元のいなり寿司を取る。
あ、食った。
そして黙々と頬張る。

間を取りたい。
見つめたまんまってのも何か気恥ずかしいです。
しかし煙草を吸うのも良くないし、困った困った。
これが所謂手持ち無沙汰って奴か。
いなり寿司を食べ終えた彼女は、口周りをぺろりと舐めた。
その辺で調達したつまらない物の割には美味しかったようだ。
そしてお茶を手に取る。

「……?」

彼女は俺を見た。どうやって飲むの?と訊かんばかりに。
段々と硬質でクールなイメージが崩れていく。

俺は蓋を開けて見せ、そして一旦締めて飲む真似をした。
彼女は受け取ると、同じように蓋を開けて口を近づけた。
そして、恐る恐るが功を奏したのか、溢すこともなく飲み始める。
一体何なんだかさっぱり分からん。
人間にしちゃ世間ズレが激し過ぎるよなあ……。
しかも、こんな場所に連れて来て一体何を――。

「!?」

その時、目の前に壮観とも言うべき光景が広がった。
どん――と大きな音と共に、空一面に広がる色鮮やかな花火。

…なるほど、これを見せたかったのか。

隣で彼女も花火を見ていた。だがやはり無表情だった。
俺も黙って、花火を見ることにした。
話しかけるのは野暮だ。この際、もう深く考えるめえ。

「……」

しかし、文字通り穴場だなここは。
こんなに静かな場所で、花火を見たのは初めてだ。
火が螺旋を描いたり、色を変えたりしながら、濃紺の空を賑わせる。
ガキの頃はより大きな花火が見たくて、最初から最後まで釘付けになっていた。
そして今日、場所が近いせいもあるのか、これまでのどんな花火よりも大きく見える。
見ずに帰ろうかと思っていたが、ここに来れて良かった。

休憩を挟んで何百発が上がっただろうか、やがて空に静けさが戻ってきた。
さて、すっかり暗くなった訳だが、ここからどうやって帰ろうか。
と、彼女を見ると再び面を付け直していた。
花火と同じような名残惜しさが残る中、彼女はキツネの顔に戻る。
そうして立ち上がったので、俺もどっこいしょと腰を上げ、周囲のゴミを拾う。
彼女は来た時と同じように俺の手を握ってきた。
そして、来た道を戻る。
大丈夫か?とは思っても、俺は耳なし法一状態で、その手を頼りに歩くだけ。
柔らかくて温かい手が、唯一の道標だ。
キツネに摘まれた、なんてことだけは勘弁。

やがて公園に出た。戻って来られたという訳だ。
人込みが帰って行く中、道外れから出て来た俺と彼女。
目撃されたら、変に思われないかどうか。
と、手を引く彼女が立ち止まる。そして、その手が離れる。
そうか。短い間だったが、これでお別れか。

「改めて、色々とありがとな」

面と向かって言うのは照れ臭いはずだが、”面”相手には意外とそういう気にならない。
相手の顔が見えないからだろうか。
そして面の中は、やっぱり無表情なのかね。

「じゃあ、またな」

”またな”。

流れで出た言葉だが、帰り道々考えてみた。
また会いたい――そう思って口にしたのだろうか。

…やれやれ。良い大人を演じてきたつもりが、綺麗に別れられないもんだな。

俺はまたスーパーに寄り、ビールを一缶買った。
今日はこれを飲んで、ぐっすりと眠ろう。
てか、少し早いが良い夢を見せてもらったと、そう思うことにするか。

……彼女の最後に見た姿が、ふと頭を過ぎる。

俺に背を向け、人込みに紛れて消えてしまった彼女。
その存在の虚ろさ、儚さはキツネが化けたそれだと思っても違和感はないし、寧ろその方が……。

次の日の朝、俺は何気なく公園を散歩していた。
出店はすっかり片付いて、どこか祭の後の寂しさと静けさを感じる。
携帯電話が鳴る。友人からだ。
俺は昨日と同じ、外れのベンチに寄りかかりながら、電話に出た。

「俺だ。昨日はドタキャン悪かったな。辰之丞が蜂に刺されてよ、てんやわんやの大騒ぎだったんだ」
「あいつん家、古屋だからな。スズメバチでも出てくるんじゃないかと思ってたが」
「ご名答。仕方ねーってんであの後、ご近所総出で蜂退治ときたもんだ。そいで俺も手伝わされちまった」
「…ま、おかげ様で面白いもんが見れたんで。それよりお大事に、だな」
「ああ、とりあえず埋め合わせはすっからよ。見舞いってことで、後で辰之丞ん家まで来てくれや」
「OK」

さて、じゃあボチボチ行くか。

「……ん?」

人の気配に振り向くと、そこに少女が立っていた。
見覚えのある綺麗な顔。髪を下ろし、服装もラフだったが、確かに――。

「あのう…」

澄んだ声だった。ん、声?声が出せる?

「……昨日は、ありがとうございました。狐も、喜んでいます」
「え、ちょっと…訳が分からない」
「あ、ごめんなさい。座って、話をしますね」

そして、あのキツネの面がどこにもない。

彼女の口から、全て説明された。
平たく言う。信じられないことに彼女は昨日、狐憑きに遭っていたのだという。
つまり俺は結局、心霊現象に遭遇していたことになる。
悪い意味で納得がいった。しかし、真相は意外なものだった。
彼女は自らそのキツネに、体を貸していた。

「お母さんの命日だけ――って約束なんです」

そしてそれが知り合いに悟られぬよう、キツネの面を被っていたと。

「でも、何でキツネさんは俺に興味なんて持ったんだ?」
「あ、えと……優しそうだったから、って」

何故に顔を真っ赤にして俯かれにゃならんのでしょうか?

「とても嬉しかったから、あの場所に連れて行った、って。私以外には、初めてでした」
「そうか。何か、嬉しいな」
「あの、私にも何となく、記憶が残るんです。喋ったりは出来ないですけど……それで、私――」

どうしてそんな瞳で、俺を見つめるの?畜生、ドキドキする。

「……その、狐が、また来年会いたい、って……それまで、私……」

そうか、キツネを通して彼女は俺を見て、そして好意を持ってくれたのか。

「……ありがとな。俺で良ければ、これから――」

彼女の表情が、パッと明るくなった。
そして握り締めてくる、その柔らかな手を…俺は正直に受け止めた。
”また”会えた。そして”また”会う為に――来年の花火大会まで、長い付き合いになりそうだ。


おしまい






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