シチュエーション
![]() オフシーズンとはいえ、会社に仕事がないわけではなかった。 いや、正確には仕事がないと経営が危ういので、何かしらの仕事はせねばならない。 スローライフの島とはいえ、生活というものを営むのに努力と苦労がつきものなのは日本と変わりはなかった。 「サルベージ業ですか?」 乾が聞き返した。 ここは都市の外れに位置する観光用の港にほど近い、こじんまりとした古い酒蔵を改築した事務所。 リサイクルショップで購入した年季の入った木製デスクで、午前中の事務仕事をしていたところだ。 社長の利根 真一郎が気乗りしない様子で応じる。 「ああ、まあな。俺としてはそんな副業的なことはしたくないんだが……」 社長の机の上には、アヌエヌエ公国の国立大学や文化庁などの公機関からの書類が積まれていた。 乾はそれが先日のシーラカンス調査の際に見つけた金貨などと関係があることに気付いていた。 古来からこの島の近海には難破船や、先住民たちの遺跡、更には眉唾ものの海賊の隠した財宝話などがある。 国としては、貴重な文化遺産や金銀の類を国外へ流出させないためにも、 その回収活動を行いたいという話は前々から持ち上がっていたのだ。 むしろ、その話が直々に回ってきたのは、信用するに値する企業として見られている証拠であり、喜ぶべきことといえた。 「副業じゃないですよ、多角化経営と考えればいいんじゃないですか?」 社長は「ううむ」と年齢不相応に逞しい腕を組んで唸った。 彼が海上自衛隊のフロッグマン上がりだけあって、あまり浮ついたことが好きでないことは乾も承知している。 『宝探し』という博打的な要素の強い仕事で会社の経営やブランドイメージを傾けたくないと思っているのだろう。 「何でしたら、僕一人でやってもいいですよ」 「この間言ってた金貨みたいにか?」 「通常業務に支障がない程度にですが」 「……ふうむ、しかしなぁ」 と、なおも逡巡を見せる社長の前に、麦茶の入ったコップが置かれた。 「鈍いわねアナタ。乾くんはお小遣い稼ぎがしたいって言ってるのよ」 「む」 会話に割って入ったのは、ベリィショートの髪をした妙齢の女性。社長の妻の舞子だった。 社長が思わず押し黙る。 社長の妻というだけでなく、この会社のブレーンとも言える立場にある彼女の発言力はなかなか侮れないものがあった。 このサルベージの仕事を取ってきたのも彼女であることは想像に難くなかった。 「い、いえそんな小遣い稼ぎだなんて……」 「いいのよ、遠慮しなくて。まともなボーナスもなしに働かせちゃってるんだもの」 舞子は乾に少し申し訳なさそうな表情で麦茶を渡した。 乾は特に浪費家ではないので、ボーナスなしでも物価がそこそこに安く、 自炊すれば食費もほとんどかからないこの島では不自由はしていなかった。 だが、それでもやはり贅沢ができない給与水準でないのは確かだった。 あの金貨の臨時収入がなければ、フィオナを抱くこともできなかっただろう。 と、そこまで考えて、それまでの彼なら想像もしなかった考えがふと思い浮かぶ。 (そうだ……少しでも稼げればもっと彼女の所に通うことも……?) からん、と麦茶の氷が溶ける音で彼は我に返った。 社長が大きくため息をついた。 「……あまり俺から力を貸したりはしないが、やってみるか?」 「は、はい。是非」 ただの生真面目さからくる返事ではないことを気付かれていないか、彼は不安だった。 ◇ 夜の帳が降りることで、昼よりも一層華やかに輝く場所。 売春宿マーメイド≠フ門を、彼はくぐっていた。 少し顔を覚えられたのか、一階の売春婦の数人が「ハァイ」と挨拶してくれる。 中には安くしておくわよ、と誘いをかけてくれる者もいるが、彼の足は自然と最上階へと向かっていた。 「あぁんイヌイくん、また来てくれたのね!」 今日はフィオナが宿にいる日だった。 あの砂浜の帰りに、紙の切れ端に急いで彼女が勤務日程を書いて渡してくれたのだ。 (常連、って思ってくれてるのかな……?) 「さ、入って」 今まではドアの前で金額交渉などをしていたはずだが、ここのところすんなりと部屋へ通してくれるようになった。 彼女は彼を信頼しているのか、プレイに至ることを前提に部屋へ通しているようだった。 金払いの良い客、と思っているのだろうかと彼は少し複雑な気持ちになる。 だが、同時に何かしら特別視されるのは悪くはない気もする。 「今日は仕事帰りなのぉ?」 私服ではなくその日はスーツ姿だったため、隣に腰掛ける彼女が尋ねてくる。 スーツなのは文化財のサルベージ業を請け負うための書類提出などのためにあちこち官公庁を回ってきたからだった。 慣れない堅苦しい雰囲気の仕事がしばらく続いているためか、気分転換がしたくて彼女を訪ねてしまった。 金貨を換金して得た金はかなり余裕があるので、フィオナに多少通ったところでしばらくは大丈夫だったせいもある。 「うん、まあね」 「うふふ、お疲れ様」 頬にキスされる。 甘い彼女の香りが心地良い。 仕事疲れが吹き飛ぶような気がした。 「今日はどうしよっか?」 ◇ 「ア……アア……」 薄暗い照明の室内で、互いに裸になって身を寄せ合う。 彼女の裸体は、暗い中でもなお、その銀髪と共に白く浮かび上がっているように見えた。 二つの膨らみを揉みながら、舌で彼女の首筋を舐める。 片手を彼女の下腹部へ伸ばし、その秘部を入念に刺激していく。 受け身ばかりではなく、最近ではこうして彼女を愛撫できる程度には彼も性技を覚えてきていた。 元々、手先は器用な方だったせいもある。 彼女の股間からぬめったラブジュースが漏れてくるのを確認できた。 売春婦を抱くことにそんな手間をかけるのは彼らしいともいえた。 「あ……いぃ……入ってくるぅ……」 慎重に指を入れると、彼女が潤んだ瞳で彼を見つめた。 整った顔に濃いめの化粧。男の情欲をそそるためだけに特化した姿だ。 男に媚びた表情で熱い吐息をつく彼女に、彼の興奮は徐々に高まっていく。 「ああ、フィオナさん」 「ん……ちゅ」 彼女の上に覆い被さると、唇を重ねて舌を侵入させる。 互いに舌を絡ませあいながら、指は彼女の膣内を愛撫し続ける。 愛撫は男性側に直接的な快楽は少ないが、フィオナが相手なら苦になどならない。 濃密に絡み合うだけで、情欲以外も満たされるような気がした。 春を売る女……売春婦を一時の恋人と考えるなら、これくらいは許されてもいいはずだ、と彼は思った。 「はぁ……はぁ……ね、ねえ、そろそろ欲しいわぁ……」 入念に彼女を愛撫し、十分に彼女の秘所に潤いが出た頃、 彼女はいやらしく男のものを手にすると、誘うように両手でしごきながら促した。 「お……おぉ」 「アハァン! やっぱりイヌイくんのペニス、とっても堅いわぁ……」 単に両手で包み込んでしごいているのではなく、 強弱を巧みに使い分けた手コキに声を漏らしてしまう。 「だからコレもとっても着けやすいのよねぇ」 フィオナは十分に彼のものを勃起させたのを確認し、 枕元から手早くコンドームを取り出し、片手で男のものをシゴき続けながら、 コンドームを口にくわえると片手だけで封を切って中身を取り出した。 乾は彼女が装着しやすいように腰を差し出す。 「アン、ありがとぉ」 彼女はそのネイルアートの入った扇情的な指先のどこにそんな器用さがあったのか、 という正確さでゴム膜を彼のものに被せてしまう。 「さ……きて……」 フィオナは紅い唇をぺろりと舌なめずりし、彼を自身の中へと誘った。 ◇ 薄暗い室内に、激しくベッドが軋む音が響いている。 二人の若い男女がそこで交わっていた。 しっとりと汗をその白い肌に浮かび上がらせ、組み敷かれるように女が責められている。 フィオナはより密着感を求めて彼を抱き寄せ、その肉感的な脚を腰に絡ませる。 乾が麻薬のように心地良い彼女の肉体の感触に、遂に限界を迎えた。 「うっ!!」 「あぅんっ!」 彼は爆発するような快楽を下半身に感じる。 フィオナの膣奥へ向け、腰を痙攣させるように精を放つ。 彼女を抱きしめ、ぶちまけるというより、注ぎ込むといった感じの絶頂を味わった。 温かな精液の感触に彼女の膣内が反応するのも収まり、互いに身体を弛緩させる。 「はぁ……はぁ……う……」 絶頂後の敏感になったペニスと、男性を放すまいとする彼女の膣壁を遊ばせながら、 今回もコンドームの先端が満タンになるほどの量が出たはずだと彼は思う。 正常位のオーソドックな行為だったが、彼にはとても満足のいくものだった。 「んー……くちゅ」 なぜなら、この体位なら射精後に彼女とキスがしやすい。 こうして事後に甘く唇を交わすのは、それが擬似的な感覚であろうとも、 彼女がまるで恋人のような気がして好きだったのだ。 「ふふ……イヌイ君、汗びっしょり」 「あ、ご、ごめん。気持ち悪かった?」 「そんなことないわぁ。でも、なんだか頑張ってもらっちゃって申し訳なくって……」 「あはは、ちょっと調子に乗っちゃったよ」 彼は多少高くなるのは承知で、いつも長めに時間をとっていた。 そうしないと、こんなピロートークはできない。 単に欲望を吐き出すだけでは、なぜか満足できないでいた。 それが、客として迷惑極まりない感情であることも頭では分かっていた。 そう、金で身体を交わしているだけの彼女に、惹かれているということを…… 「また来てね、約束よ!」 「う、うん」 フィオナの笑みに見送られ、その夜は複雑ながらも、 どこか満ち足りた気持ちで帰途につくことができた。 ◇ 彼はその週はひたすらに営業に追われた。 外国とはいえ、お役所相手だとあちこちをたらい回しにされるのは日本と変わらないらしかった。 粘り強く、時としてはやや強引にアポイントメントを取り、関係各所へと働きかける。 「分かりました。それでは、契約成立ということで」 「ありがとうございます!」 そして週末、努力の成果もあってか、かなり良い結果を得ることができた。 海底に眠る歴史遺産のサルベージ業務の権利獲得である。 「ではそちらの書類をよく読んで作業に当たってください。 なお、サルベージ品の審査に関してはその規定を厳守して頂きますので……」 いくらか譲歩せねばならない点もあったが、零細企業としては上々といえた。 会社事務所へ戻って報告すると、社長が少し複雑そうな顔で喜び、その妻は諸手を挙げて彼を褒め称えた。 「観光客がしばらく入ってない日が続くわ。来週早速試しに海域調査をしてみましょう」 「はい! 僕も大学なんかで文化財が沈んでいそうば場所を調べてみます」 「……経費、ほどほどにしてくれよ?」 にわかに会社が活気づいてきていた。 ◇ 会社でしばらく残業した後はすっかり夜になっていた。 週末の夜、調べ物もあるものの、明日は一応休みだ。 そういえば、今日はフィオナはどうしているだろう、 と彼は愛車のピックアップトラックを転がしながら不意に思った。 確か今日は娼館・マーメイドではなく、路地で立ちんぼをしているはずだ。 自分の仕事が上手くいった反面、彼女のあまり順調とはいえなさそうな生活が気にかかる。 営業スマイルかもしれないが、あの笑顔が曇るようなことになって欲しくない。 「あらぁ! イヌイ君、アタシの日程覚えててくれたのぉ?」 「ああ、まあね……」 だが、自分が彼女にできる最大の思いやりは、結局彼女を買う≠アとでしかないのが悔しかった。 「ね、今日はもう遅いし、どこかしっぽりとイケそうな所に連れていってくれないかしらぁ?」 助手席に座る彼女。 太股の露わな際どいスリットの入ったミニスカートがいやらしい。 「りょーかい」 彼は努めて気の良い常連客≠装った。 結局、それが彼女のためだと思ったからだ。 金を渡す限り、彼女は自分に身体まで許してくれる恋人になってくれるのだ。 それ以上、何を望むというのか。 詭弁だったが、そう納得するしかなかった。車を運転しながら、彼はそんなことを考えた。 皮肉にも、ラジオでは週末の恋人たちを歌ったラブソングが流れていた。 ふと、助手席が随分静かなことに気づいた。 「フィオナさん?」 「すぅ……すぅ……」 車に乗って座ってそう時間は経っていないはずだったが、 彼女はまるで安心したかのように寝息を立てていた。 彼はその寝顔の無防備さに目を見張った。 まだ町中の明かりがある。 ネオンの光にうっすらと照らされる彼女の顔は、はっとするほど美しかった。 男に媚びた表情を常に浮かべている彼女を見慣れていたからだろうか。 素の彼女を垣間見た気がして、自分自身意味も分からず胸が高鳴った。 「綺麗だ……」 「っ! え?」 日本語で呟いた瞬間、彼女が目を覚ました。 聞き慣れない言葉に、彼女の耳が反応したのだろうか。 「あ、あらぁ……ごめんなさいちょっと疲れてたみたいで」 彼女は居眠りしたことで客の気分を害したのかと焦ったようだ。 と、 ぐー 「あっ!? 嫌っ!」 車内に空腹のサインが大きく響いた。 他でもない、臍だしのチューブトップの下にある、適度に締まった彼女のお腹からである。 「夕食まだだったんですか?」 「あはは……最近ちょっとダイエットしてて」 嘘だ、と彼といえども分かった。 彼女はこんなになるまで身体を酷使し、更には食費まで削っているのだ。 「……僕も夕食まだだったんです。安くておいしい店、知ってるんで、先にそこへ行ってもいいですか?」 「え……」 彼女がそのアンバーカラーの目を丸くする中、彼はハンドルを切っていた。 アヌエヌエ公国の本島であるここブルースノー島は、 都内でも近年の観光開発で発展している場所とそうでない場所の落差が激しい。 同時に、地元民しか知らない下町的な風情ある店も多く存在した。 彼がフィオナを連れて入った店は、そんな店の一つである古いステーキハウスだった。 アメリカ人である彼女には馴染み深い料理だし、また安く、ボリュームも凄い。 トレーラーを改造した西部開拓時代調の店構えに、フィオナも故郷を思い出したのか目を丸くしていた。 「へいらっしゃい! 何にしやすか?」 陽気なカントリーミュージックが流れ、 デカデカと南軍旗が掲げられた男らしい店内の作りはいかにもアメリカンだが、 店長の堂々とした口髭もそれに劣らず男らしい。 彼の南部訛りがおかしかったのか懐かしかったのか、フィオナが乾を見て笑みを浮かべる。 失礼とも思える行為かもしれなかったが、店長はにっこりとして気分を損ねた様子はない。 若い女性なら多少のことは気にしないのだろう。 以前、ちらりと聞いた噂では、店長はベトナム帰還兵ではないか、と言われていたが、 無骨ながらも愛想は良いので暗いイメージは受けない。 自分の勤める会社の社長同様、さすがは軍隊上がりといったところだろうか。 「ここのお勧めってなぁに?」 席に着くと、メニューを一瞥してフィオナが尋ねてくる。 彼は手短に答えた。 「肉の好みよりますけど、僕はヒレステーキセットがおいしいと思いましたね」 ヒレは牛の肉の中でも最も柔らかいこともあり、 豪快なアメリカンステーキでも日本人好みの味をしていた。 「じゃぁ、それでぇ」 「ご注文お決まりですかい?」 店長がその初老のものとは思えない筋骨隆々の体躯を揺らしながらやってくる。 だが口髭の下から発せられる重低音は、不思議と威圧的には聞こえない。 この店が長年親しまれている理由が垣間見える気がした。 乾とフィオナはそれぞれ焼き方まで指定して注文を終えた。 店長が厨房に戻ると、肉を焼く香ばしい良い匂いが漂ってくる。 「そういえば柔らかい肉好きなんですか?」 「ええ、そうなのよぉ」 一瞬、自分に合わせたのかと邪推したが、 いくらフィオナでもそんな気遣いをするほど細かくはないだろう。 フィオナは彼の心配を見抜いたのか、その紅い唇を妖艶にペロリと一舐めした。 「ふふ、男の人のアソコは堅いのが好みダ・ケ・ド」 「もう、食事前に!」 「あはは」 乾は平静を装っていたが、冗談とはいえ彼女のその表情は男の情欲を酷くくすぐった。 「そうそう、おごってもらっちゃっていいのぉ?」 「ここは安いですから遠慮しなくていいですよ」 こうしてフィオナとあまり時間を気にせず談笑するのは初めてのことだった。 それだけでも新鮮な気持ちになれる。 「ダイエット中にはちょっと高カロリーですけどね」 「あはは」 フィオナが苦笑する。 そして、ウェーブがかった銀髪を指先で弄びながら、少し伏せった目でぽつりと呟いた。 「ありがとうね……色々と良くしてくれて」 営業的な口調ではない、素の彼女の言葉だった。少なくとも、彼にはそう聞こえた。 彼は若干戸惑いを覚えながらも首を横に振る。 「いいんですよ。僕だってこの島に来た時は頼れる人なんて誰もいなくて苦労しましたから」 「ええ……そうよねぇ。初めての土地のことって、何も分からないものだもの」 彼女は頬杖をついてため息をつく。 自分の愚痴のようなものを彼女が口にするのは、初めてのことだ。 彼は平静を装いながらも、つい彼女のことを知りたい一心で疑問を投げかけてしまう。 「……仕事の方、あんまり上手くいってないんですか?」 「んー……それがねぇ……」 彼女は少し困ったような表情を浮かべた。 客≠フ男に冷めるようなプライベートを明かすのを躊躇ったのだろうか。 しばし思案するように髪の毛先を弄う。だが、ややあってそっと口を開いた。 「ここって観光地でしょ。立ちんぼするのに良い場所ってやっぱりあるんだけど、 そういうところに新参のアタシは立てないからぁ……」 前にもそれを匂わせるようなことは言っていたが、やはりそうだったようだ。 それこそ人気が全くない、客を取るのに不向きな場所にいつも彼女はいる。 彼のようにわざわざ探すようなことをしなければ、彼女に出会うのは難しいことだろう。 「マーメイドの方はどうなんです? あそこなら場所は固定ですし……」 乾が疑問に思ったことを率直に尋ねる。 立ちんぼと異なり、店なら立ち寄る客も少なくないはずだ。 惚れた贔屓目を除いても、フィオナを美人でないという男はそういないだろう。 新入り故に宿の最上階という悪条件はあるものの、見かけたなら男は放ってはおかないはずだ。 自分以外の男に抱かれることを心配するとは、どこかおかしな話だったが。 「それなのよぉ」 フィオナはすがるように彼を見た。 「何か問題が?」 「大有りよぉ! 私ね、お客さんからも先輩からも何て言われてるか知ってるぅ?」 「え?」 フィオナは社交的で愛想も良いし、売春婦としての色気も十分だろう。 彼にとっては問題がありそうな要素は探しても見つからないくらいだった。 「何て言われてるんです?」 「お高い潔癖性≠ゥヤバい病気持ち≠謔ァ。失礼しちゃうわぁ」 「は、はぁ?」 潔癖性と病気持ちという相反する言葉に乾は理解に苦しむ。 「なんでまたそんなことを?」 「私が前にいた公営売春宿と違ってねぇ、この島の売春宿ってゴム着けないのが普通なのよぉ」 突然出た生々しい話に、彼は一瞬周囲に聞かれていないかとヒヤリとする。 狼狽えたのが顔に出たのか、彼女はクスっと笑った。 夕食時は過ぎている夜遅い時間帯なので、客は自分たちだけだ。 それにしても、グロサリーのカイルが言っていた公営売春宿の出身なのは驚いた。 ということは、彼女は売春合法で公営宿のあるラスベガスを離れてここまでやってきたことになる。 どういう経緯かは、さすがに分からなかったが。 「でね、プレイの交渉の段階でノースキンNGだって言うとそれだけで帰られちゃったりするの……」 フィオナはその時のことを思い出したのか、目を伏せがちに窓の外を見やる。 乾はこの島の観光地としての影の部分を知った思いだった。 南の島のリゾート地では、きちんとした観光客向けのホテルのフロントにも、 コンドームが無料でバスケットに入れられて置かれていたりする。 一夏のアバンチュールやパートナーとの熱い思いで作りの末の、無責任な結果を防ぐための配慮である。 どうしても俗世間を離れた南国の開放感と熱気に浮かれ、衛生と避妊に関して男女ともにルーズになってしまうのだ。 そして、特に男性は旅先の情熱を売春婦に求めることもある。 そこで大真面目にゴムを着けて欲しいと言うフィオナは彼らの需要に合っていないのだ。 「で、でもそれなら病気持ちなんて悪評立つわけが……」 「他の人がナマでバンバンやってる中で私だけゴム着きでしょ? 逆に病気持ってるからナマができないんだって思われてるのよぉ」 「そんなことって……!」 乾が生真面目な彼らしい憤りを露わにしそうになった時、 彼女がピンクのマニキュアに彩られた人差し指をそっと彼の唇に当てた。 「ありがと……だから、イヌイくんみたいなお客さんは凄く助かるの」 「う、うん……」 「それにしても酷いわよぅ…… 店側はコンドーム着けるのを義務化してるって話だったんだけど、 実際はそんなもの守ってる人なんてほとんどいなかったわけよぉ。 まぁ……下半身の仕事なんてそんなものなのは分かってるつもりだったんだけどぉ」 結局、それが場末の売春宿の現実だったのだろう。 日本でさえ、就職してみるまでその会社の実情など分からない場合が多い。 彼女の落胆は彼にも理解できた。 自分の場合は、人に恵まれた職場なのでそこまで苦ではないが、 彼女はこの島へ一人でやってきて、頼れる人もなく、 明日の食事さえ心配な過酷な生活を強いられているのだ。 「新天地に来れば何かが変わるって思ってたけど、うまくいかないものよねぇ……」 彼女が苦笑いする。 それは彼が知っている中で最も悲しそうな表情だった。 「! ……イヌイくん?」 彼は彼女の白魚のように繊細な指を包み込むようにして、手を握っていた。 「僕で良ければ、力になりますよ」 「え……」 「いきなりこの島で一人でやっていくのは大変なことですから、遠慮はいらないです」 「そう、なのかしら……?」 「はい! 僕だって最初は色んな人に助けてもらって何とか生活を軌道に乗せたんです。 フィオナさんだってそれでいいんですよ。フィオナさんには僕がついてます」 彼女はその澄んだ目を見開いて彼を凝視する。 心なしか、驚きと困惑の色が見て取れる。 同時に、少しだけ頬が赤く染まったような気もした。 大人びた濃い目の化粧の中、不釣り合いでさえある。 「イヌイくん……」 フィオナが何か言おうとしたときだった。 「はいはい、ちょいと失礼するよお二人さん」 店長の野太い声が頭上から降ってくる。 「わっ!?」 乾は慌てて彼女の手を放す。 空いたテーブルにすかさず鉄板の上でジュウジュウと焼ける音を立てているステーキが差し込まれた。 「悪いねお客さん、お熱いは結構なんだが、ステーキの方が冷めちゃ困るんでね!」 「あ、い、いえ、その……」 がはは、と店長が大笑いする。 どうやら、彼らのことを大学生のカップルか何かだと思っているようだ。 いや、もしかしたら彼女が売春婦であることを分かった上で、気を遣っているのかもしれなかった。 それを考え、彼はあえて何も言わないでおくことにした。 目の前にナイフとフォークが並べられ、更にセットメニューのサラダがボールごと置かれる。 「あらぁ! おいしそうだわぁ」 「おうさ! しっかり食っていってくだせえや」 少しだけ彼女との会話が途切れたことが悔しかったが、 今は遅めの食事を楽しむことにしたのだった。 ◇ 「ごちそうさま、おいしかったわ」 店を出て駐車場に歩いて行く途中、彼女はそう礼を言った。 「いえ、僕の方もなんだか店外デートみたいになっちゃって……」 「あらぁ、いいわよぉ。今日は立ちんぼしてる日だし」 彼女はそっと彼の隣に寄り添った。 甘い香水の香りが、スパイス臭に満ちた店から出たせいかより心地よく感じられる。 「それに、日本はこれくらいで店外デートって言うのかしらぁ……?」 「あはは……」 女遊びの経験に浅いことを見透かされているのに、恥ずかしさがこみ上げてくる。 取り繕うのは止めにして、もう半分やけになって言い返す。 「じゃあ、改めてデートさせてくださいよ」 きっと、やんわりと営業トークで傷つかない程度に断られるだろうと思った。 「うーん……」 しかし、予想に反して彼女はどこか思案顔になった。 街中でも煌々としている南国の星空を見上げるように、唇に人差し指を添えて考え込んでいる。 気まずい沈黙が漂った。彼は慌てて両手を振った。 「あ、その、冗談ですから……」 彼が言い終わらない内に、彼女が彼に視線を移した。 「うん、いいよ、イヌイ君となら」 「え」 「でも、アタシあんまりお金使えないけどぉ……」 「あ、いやいや! それは気にしなくていいですよ!」 彼にしては珍しいほどの変わり身の早さだった。 今なぜ彼女がOKしてくれたのかを考えるよりも、 彼女とプライベートな関係を持てるかどうかの方が重要であることくらい彼とて分かる。 「ごめんなさいねぇ今日といい」 「気にしないでください! 僕もここのところ忙しかったから遊びに行きたいとこだったんです」 「んふふ……じゃあ、いつにする?」 彼女は車に乗り込みながら、笑みを浮かべてそんなことを尋ねてきた。 ◇ 翌日 彼の今日の予定は本来、島の大学や図書館でサルベージ業務のリサーチだった。 しかし、彼女の「いつでもいい」という言葉に、勢い任せに今日にデートの日時を設定してしまったのだ。 天気が来週は曇りや雨が多くなる可能性があったし、 猫のように掴み所のない性格の彼女が何か思い直してキャンセルを入れてこないいとも限らない。 そういったことを踏まえれば、翌日である今日土曜日の指定もそれほど誤りではなかったのかもしれない。 (でもちょっと急過ぎたかも……) そう思わないでもない。 彼は時計を気にしながら、待ち合わせ場所の都市中央の教会前の公園広場に立っていた。 時刻は現在午前10時前。既に太陽は高く昇り、周囲は観光客以外にも地元の人々も行き交っている。 入植時代の頃から存在する教会は街の人々にとって憩いの場である。 欧米の都市の多くにみられるように、街が作られる際に真っ先に建てられるのが教会だ。 そのため、こうした島の都市でもかなり中央部に存在するため、ランドマークとしてよく用いられるし、 土地に詳しくないフィオナでも容易に見つけられるだろう。 「待った?」 「もう、遅いわよ!」 何もフィオナと彼に限った話ではなく、彼がいる噴水の周辺には既に何組もの若者のカップルが寄り添って談笑していた。 歴史建造物として観光用に周辺整備されている上、やはり神聖な場所で愛を語らうことを無意識に皆望んでいるのだろう。 ロマンチックだな、と彼も目を細める。南国の日差しに、噴水から漂う水飛沫に綺麗な虹がかかっていた。 待ち合わせの時刻はそろそろなのだが、彼はもう三十分前からそこに陣取っていた。 しかも、プライベートで律儀に定刻きっかりに待ち合わせ場所に現れるのは日本人くらいなもので、 十分や二十分の遅刻はざらであるため、フィオナの時間感覚いかんによってはもっと待つだろう。 「あらぁ〜」 そんな少し気が滅入る予想をしていると、間延びした女性の声が聞こえた。 「すごいわぁ、やっぱりジャパニーズは時間に正確なのねぇ」 振り返ると、太陽の強い光に照らされて輝く豊かなプラチナブロンドが彼の目に飛び込んできた。 ワイシャツを大胆にたくし上げて結んだヘソ出しルック。大きく開いた胸元からは赤い見せブラがのぞいている。 ブルーデニム生地のホットパンツを履いた、その肉感的な美脚を露わにした活動的なスタイルの女性。 かけていたサングラスを外してこちらを見つめるその目は、忘れるはずもないアンバーアイだ。 「フィオナさん!」 「ハァイ」 彼女はハイヒールタイプのサンダルを鳴らしながら歩み寄ってきた。 形の良い尻を揺らすその歩き姿に、周囲のカップルの中で男の視線が集まった。 そして、すぐにそれぞれの彼女から白い目を向けられたり耳を引っ張られたりして我に返っている。 それは乾も同様で、白日の下で見るプライベートの彼女の姿は、彼の期待をいささかも裏切らないものだった。 「そういうフィオナさんだって時間きっかりじゃないですか?」 「ええ、なんだか遊びに行くのにワクワクしちゃって早起きだったから」 にっこりと彼女が笑う。 楽しみにしてくれていることが分かり、彼もほっと胸をなで下ろす。 「それでぇ、昨日言ってたことなんだけどぉ……」 「分かってますよ。買い物、行きましょう。もうデパートなんかも開いてる時間ですし」 とりあえず、今日の最初のデートコースは彼女の欲しい物などを一通り揃えるショッピングだ。 売春婦という職業柄、なかなか一緒に遊びに行く友達というものができないらしく、遠ざかっていたらしい。 知り合いの全くいない場所へ移住してきたという要因もあるのだろう。 そしてなにより、ショッピングに必要な予算がなかったのだ。 とにかく、乾は単に貢ぎ男として利用されているとしても、少しでも彼女と仲良くなれるなら、それでよしとしていた。 「やーん、これカワイイと思わない?」 「え、ええ、良いと思います」 しかし、デパートへ向かい買い物を始めてしばらく経った頃、彼は少しだけ後悔していた。 「んふふー、じゃあちょっと試着してみようかしらぁ」 シャッと試着室のカーテンを閉める音と共に、彼女の姿が消える。 彼女は乾にとってなかなかコメントが難しい買い物をしているのだった。 そう、露出の大きな服や、派手な下着類、そして今はTバックタイプの水着である。 彼女が身につけて似合わないエログッズはないといっていいのだから、 自分に喜々として同意や意見を求めてこられる度に彼は困惑するよりなかった。 「どーぉ?」 「わ!?」 再びシャッとカーテンの音がすると、そこには紫色の極小ビキニを身につけた彼女がポーズを取っていた。 彼女の豊満そのものの肉体を隠すにはあまりにもその面積は頼りないもので、 胸は乳首をなんとか覆っているに過ぎず、下乳が見えている状態だ。 くるりとポーズを変えて背中を見せると、尻に際どく食い込んだTバックが裸よりもエロい雰囲気を醸し出していた。 「に、似合ってますよ」 「ホント!? じゃあこれにしようかしらぁ。あ、でもこっちも捨てがたいわぁ……」 「……全部買っちゃいましょう」 「いいのぉ?! ありがとうー!」 彼の胸に飛び込んでいくフィオナ。 女性の買い物が時間と金をかけるものだと、改めて実感として彼は理解したのだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |