シチュエーション
![]() その日の午前中のこと。 授業合間にある5分休みの暇を惜しむように、委員長と飛鳥はつるんできゃっきゃ騒いでいた。 クラスに響き渡る騒音の約3分の1はコイツらの声かもしれない。 かといって、だれも気に止めているわけでもない。そんなものか。 「…ねえ、委員長…、水上さん…」 太田がひっそりとその中にやってきた。委員長は軽くあいづちををし、飛鳥は予想通りしかとをしていた。 あのね、太田さあ、そんな仕打ちをされるくらいなら、ヤツらに近寄るな…じゃあ終わらないのがわたしの企み。 女子二人は、いつものように食べ物の話ばかりをしている。 パフェだのケーキだの、よく朝っぱらからそんな話が出来るな。感心するよ、先生は。 聞いているだけでもうおなか一杯。胃がもたれてきた。 無理に二人の間に入ろうとする太田。これもわたしの企み。 「そういえば…委員長、知ってる?」 と、太田が口を挟むが飛鳥は無視をするが、次の言葉で委員長は口を閉ざす。 「この間のクレープ屋に新しいメニューが出来たんだって…」 「太田…!」 委員長は少し顔が曇る 「何?何よ、『この間の』クレープって?」 「うん。先生とね…」 「より子先生?より子先生となの??」 飛鳥が釣り針に引っかかる。 友達である委員長から仲間はずれにされて、大好きなわたしからハブられ そしておまけにクレープを食べに行ったことが飛鳥には重要な問題だった。 飛鳥の粘着的な性格なんぞ、わたしゃお見通しだよ。ふっ。 しかも、太田までもがその恩恵に与っているのを知ったとなりゃ、腹をすかせた山猫の目の前に、 手のひらに野ねずみを乗せてちらつかせるくらい、この発言が危険な事は誰にだって分かる事。 太田は左手に野ねずみと、右手にキャットフード大盛りの皿を持って、山猫にちらつかせていた。 もっとも、太田に野ねずみとキャットフードを持たせたのは……このわたし。 「『この間』は、美味しかったよね…、委員長…」 「う、うん!ほら、太田もさあ…もうすぐ授業が始まるから、急いで…」 「ふーん、委員長も太田もさぞかし美味しいクレープ食べたんでしょうね」 思った通り飛鳥は少し不機嫌な顔をしていた。 昼休み、何事もなかったように委員長と飛鳥は二人で話していた。 しかし、内心飛鳥は悔しい思いをしているんだろうな。表面上ではにこやかな飛鳥だが 委員長に悟られまいといつもの様に笑っている。笑っているのも今のうち。 放課後、女子二人と太田はわたしの元に集まってきた。 飛鳥はわたしの前で喋り、委員長は横で相槌をし、太田は脇で黙って見ていた。 わたしは愛想を振りながら、この子たちの話を聞いてあげる。この時は『みんなのお姉さん先生』なんだから、 優しく話を聞くのもお仕事のうち、と割り切っているのだ。しかしまあ、飛鳥は良く喋る。 あまりも喋りすぎて、自分の薄黒い物をさらけ出してしまわないか、こっちは聞いててヒヤヒヤだ。 まあ、そうでもなりゃこちとら万々歳なんだけどね。 「そういえば、委員長さ。リップつけた?」 「う、うん。さすが飛鳥は気が利くねえ」 「太田もこのくらい気付いてやりなさいよね」 油断していた太田は思わぬキラーパスに動揺している。大丈夫、わたしがついているから 太田は何も心配しなくていい。オオカミさんよ、君の出番を待っていてくれ。 「このリップ、どこで買ったの?」 「え、えっとお……お店」 「あたりまえじゃん!あはははは」 「あたりまえだよ、委員長!」 「あたりまえじゃん…」 「太田、うるさいっ」 飛鳥の突っ込みは無慈悲だ。 ところが、わたしにこっそり鯛焼きの事を教えてくれたお礼なので、飛鳥の前では 大っぴらに『より子先生から塗ってもらった』と言えないのだ。 この場でこんな事を言ったら、勘繰り深い飛鳥の餌食になってしまう。 しかも、クレープの一件がある為に、もう飛鳥を仲間はずれにするわけにいかない委員長。 いつもと違う潤んだくちびるをつぐみ、もじもじと俯いている委員長に飛鳥は少し嫉妬していた。 きっと『わたしの方が似合うんだから!』とでも思っているんだろう。バーカ。 どうでもいいくだらない話がひと段落すると、わたしは太田に目で合図を送る。 女子二人に割り込むように、太田がぼそぼそ何か言い出す。 「ねえ…委員長って、彼氏ができたんだって?」 「太田、何言ってるの?委員長はフリーなんです!」 「だって…どう見ても…」 「太田ってバカ?どうしてそうやって決め付けるの?」 この間の仲間はずれの件で、飛鳥は太田のどんなに小さな言葉でも過敏になっていた。 いつもだったら聞き流すくせに、こういうときは山猫の耳の様な聴覚を発揮する。 「ウソを言うのはやめてよ…。わたしは…彼氏なんかいません!」 「だって…だって…見たんだ」 「あれれ、恥ずかしい事じゃないよ。いいなあ、委員長もモテモテさんだね。 この間一緒に彼とソフトクリーム食べてる所、わたし見ちゃったよ」 「うん。先生も見たんだって言ってるじゃん…」 わたしはさりげなくフォローを入れた(つもり)。もちろん、太田の発言はうそっぱちだ。 ラブラブソフトクリームを食べている委員長を見たというのももちろんうそっぱち。 委員長には彼氏なんぞいない。そのくらいは、これだけなあなあの関係をしていれば、 この子たちのプライベートも把握は出来るもの。当の委員長の顔が紅くなってゆく。 飛鳥も太田ならともかく、わたしが言うならきっと本当だろうと信じきっているに違いない。 そっちが信頼していても気に食わない相手には、こちらは叛旗を降ることもあるんですう。 「さあさあ!みんな帰った帰った!宿題はちゃんとするのよお」 これにてお開き。わたしはこっそり委員長と飛鳥の後をつけて、会話を盗み聞き。 太田、きょうも良く働いた。君の働きを誇りに思う。 廊下を歩きながら、女子二人は静かにお喋りをしていた。 さっきのような華々しさはこれっぽっちもない、お年頃の子としては地味なものだ。 地味と言うより、飛鳥の薄暗い何かが委員長にまとわり付いている感じ。 わたしは職員室に向かうために、ここでさよなら。 後の会話は、こっそり付いて行った太田の話によるもの。じっくり聞いて欲しい。 「飛鳥、太田の言う事なんか気にしないでね」 「気にしてないよ!」 「うん…だって、わたしたちは友達だもんね」 「友達が友達を置いてクレープ食べに行っちゃうんだあ」 「…ごめん」 飛鳥の追撃が委員長に襲い掛かる。委員長は友達の不信感に耐えられるだろうか。 女子二人が、下駄箱から各々靴を取り出そうとふたを開けたとき、委員長の靴箱から 一通の封書が落っこちた。水色でいかにも清純そうな一通のふみ。遠くかえら見ても分かる。 ご丁寧にハートのシールで封をしており、十中八九恋文だと分かる物だった。 「これって、ラブレターじゃん。委員長」 「………」 「ふーん。お勉強も出来て、ちょっと美人で彼氏もいる女の子はモテモテなんですぅ、ってね」 「知らないよ…こんな子」 「『この子の為に背伸びして、わたしリップを付けてみましたぁ』って感じ?」 後ろ向きで委員長に話しかける飛鳥の表情は、想像が容易に出来る。 この恋文は、もちろんわたしが捏造した物。 読み人知らずとなっているこの恋文は、飛鳥に視覚的衝撃を与える為だけに意味を成す。 恥ずかしそうに委員長は封筒をカバンに隠し、自分の靴を取り出した。 「あーあ。わたしもラブレター欲しいなあ」 飛鳥の氷よりも冷たい一言が、委員長の胸に突き刺さる。委員長から見えない血がにじみ出る。 スタスタと二人は学校を後にしたが、飛鳥はその後何も委員長に話しかけない。 太田から聞いた話は、これで以上。 わたしは職員室でお茶を飲みながら、太田からその話を聞いていた。 ごめんね、委員長。でも、わたしはわたしを本気に好いてくれた太田を悲しませる子が、だいっキライなんだ。 そんな簡単な事は、いずれあなたたちにも分かる事だろうね。おこちゃまは分からないか。 だから、わたしは満面の笑みを浮かべながら、山猫を追い詰める弓矢をぶっ放しているんだね。 でも、直接心臓は狙わないよ。だって、だって……かわいそうだからね…。 わたしだって、無慈悲なケモノなんかじゃないよ。きっと心臓に弓矢が突き刺さったら痛いんだろうなと思って、 山猫の尖がった耳たぶ狙い、ひょいと弓矢を放ち込んだんだ。やさしいね、わたし。 そして山猫に復讐の剣でとどめの一撃を斬り付けるべく、わたしと太田は朝早く学校にやってきた。 「…わたしの上靴がないんだけど…」 「また、ベタな方法だねえ。委員長のマニアでもいるんでしょ『委員長の匂い、萌えー』って」 「飛鳥!ひどい!」 お察しの通り、委員長の上靴を隠したのはわたしと太田だ。 この為だけに早起きしてきた、体の弱い太田は賞賛に値する。 犯人はわたしたちなので、当然隠し場所も知っている。もちろん教えるもんか。 その日の朝は、珍しく委員長がチャイムと同時に教室に飛び込んできた。 朝のホームルームの時間ぎりぎりまで、委員長は自分の上靴を探していたんだろう。きっと。 紺の靴下のまま、ぺたぺたと歩く少女が一人。足を汚さぬ様に踵を上げて歩く姿は、なんとも痛々しい。 クラス中の前でこんな姿を見せているので、この事件はすぐにクラス中の話題独占となるのは当然だった。 お祭り大好きな飛鳥は、意外にもこの事を冷静に流していた。 わたしは来客用のスリッパを委員長に渡し、わたしも探すからと安心させる。 昼休み、いつもの様にわたしに群れている女子二人。 地味でぶかぶかのスリッパで歩きにくそうにしている委員長と、 それを平然と見ている飛鳥のそばに、太田が委員長の上靴を持ってやってきた。 さあ。太田くんよ、君の出番がやってきた。 「…みつけた。委員長…」 「わたしの!!」 「植え込みの中…だったよ」 この事件の結末は、太田が昼休み中、委員長の上靴を探し回っていた…と言う、 企画・脚本・演出・プロデュース…わたし、の茶番。観客は委員長と飛鳥。 主演の太田は頭に葉っぱを付けて、恥ずかしそうにしている。小道具は劇の演出効果を高める。 委員長は自分の上靴を履きながら、照れくさそうに呟く。 「太田…あんたさ。けっこう、いいやつじゃん」 「………」 「ありがと」 さあさあ、お客さん。いい感じの展開になってまいり……、なってたまるか。 かわいいわたしの太田を散々コケにしておいて、自分の為に身を削ってくれたら英雄扱いってさ。 思ったとおり飛鳥が、がおーっと牙を剥く。非常に分かりやすい子だ。いい子いい子。 「ねえ、これ…太田がかくしたんじゃね?」 「せっかく見つけてくれて、その言葉はないでしょ。飛鳥」 「だって、あやしいもん!」 「太田、気にしないでね。この子、ちょっとおかしいから」 さあ、委員長と飛鳥の間になにかギクシャクと音がしてきたぞ。 あんまりわたしが口を挟むと、悪いなあって言うオトナの事情でわざと黙っていると、 さっきまでうるさかった飛鳥は黙り込んでしまった。 太田くん。見たかい、二人の友情ってもんを。 「わたし…おかしいんだ…。委員長はそうやって、わたしをずっと見てたんだ」 「……ごめん、飛鳥…」 委員長よ、いい子ちゃんを演じるのは苦しいかい。 委員長の事件から数日後の朝、職員室で書き物をしていると委員長が一人でやってきた。 この間言っていた鯛焼きをもっているもの、顔は浮かない顔をしている。 雨降り前のぐずりそうな顔の委員長は、太田にそっくりだった。 「より子先生…わたし、飛鳥と…ケンカしちゃった…」 「あらあら。ケンカなんか、みんなするよ」 「いや!もうダメかもしれないの!!せっかくの友達だったのに…!!」 そりゃ、ケンカするだろうな。 大切な友達だと思っていたのに、(くだらない意地悪な)仲間だと思ってたのに寝返られ、 (わたしが作ったウソだけど)恋人が出来たのを隠していたりしていると思われちゃあ、 さすがの飛鳥も一人ぼっちにされた!と思うだろう。 でも、その位でケンカして泣くような二人なんだろうか? 「飛鳥にちょっと意地悪しようと思って、インチキのラブレターを作って飛鳥の下駄箱に 入れようとしたんです。あまりにも、飛鳥の言葉にムカついたから…。で、朝早く学校に 来て飛鳥の下駄箱を開けて、インチキなラブレターを入れようとしてたら…」 「したたら?」 「…来ちゃったんです、飛鳥が。そしたら、飛鳥『ふーん、この間さ。自分の下駄箱に ラブレターがあって有頂天だったじゃん』って言うの…」 その事は、わたしは知らない(事になっている)。しかし、つるっと喋ってしまう委員長は、 きっとかなり動揺しているに違いない。彼女の性格からして、ぜったいそうだ。 委員長は続ける。 「でね…、飛鳥が言うの。『自分の下駄箱に自分で書いたラブレター入れて、わたしに 自慢しようと思ってたんじゃないの?わたし、もて子でーすってね。い・い・ん・ちょう・さん?』って」 「………」 「『なんでそんなこと言うの?』って反論したら、 『じゃあさ、わたしの困る顔が見たいから、そんな事してるんでしょ?』 って…。ホントの事突かれちゃって…。ほんっとにムカついたから、怒鳴ったら…」 もういいよ、これ以上言わなくて…。頂いた鯛焼きをひとつ委員長に勧めて慰める。 いつもより大人しい委員長と一緒に教室に向かうと、廊下で一人ぼっちの飛鳥に出会う。 勇気を絞って委員長は飛鳥に再び放しかけようとするが…。 「ねえ!飛鳥!!」 「………」 「飛鳥ってば!!」 「……わたしの事、これから『水上さん』って呼んでくれませんか?委員長さん」 飛鳥は一人で教室に入っていった。 ―――旅人の剣で一匹の山猫は血溜まりの中で斃れた。 もっとも、怪我を負っていたのにも関わらず激しく動こうとした為、かえって 己の傷を深くしたように見える。仲間だったもう一匹は、森の中に逃げていく。 その後姿を君は見たのか。その後姿は寂しかったか。斃れた山猫は答えない。 もういいや。旅人は余命幾ばくも無い山猫を静かに見守ろうとすると、一匹のオオカミが ひょいとやってくる。その瞳は蒼いが、鋭さは微塵も無い。むしろ、優しい人間の目。 「太田くん、おはよう」 「おはようございます、先生。委員長」 委員長の瞳から、かすかにこぼれ光るものを見た太田は、そっと自分のポケットから ティッシュを取り出し、彼女に手渡す…。何も言わずに太田は通り過ぎる。 君は、女の子に一生騙される子なんだろうな。太田くん。 ―――夏休みに入った青空の眩しいある日。わたしは心弾むデートに出かける。 お相手はもちろん…太田くん。かわいいやつだ。待ち合わせの時間の1時間前から待っていたらしい。 教室以外で太田とこの様に一緒になると、わたしを無垢だった小さい頃に帰らせてくれるし、 一生懸命な太田を見ていると『わたし、いつからヘンな子になったんだろう』と反省させられるのだ。 「より姉は、より姉でいいと思うよ」 太田がわたしを見て『より姉』と呼ぶ。そう、『より子先生』は今日はお休み。 世間様の目もあることなので、休日に太田と街を歩く時はわたしの事を『より姉』と 呼ばせるようにしている。 きっと名も無き市井の人々からは、わたしたちの事は姉弟にしか見えないんだろうな。 世間の目と夏の日差しが重なって見える。しかし、太田はわたしの腕にきゅっと捕まり、 どうでもいい事を忘れさせてくれるのだ。 夏休みでわたしに会えない太田は、この日はきゃんきゃんと跳ねまくる。もー、かわいい。 二人して歩いていると、新しく出来ている店を太田が発見する。 そこには委員長が一人で列に並んでいるのが見える。一人っきりの委員長は静かであった。 「あ!より姉、新しいクレープ屋みたいだよ!」 「へへへ、太田くんは甘いもの大好きなんだね。まだまだお子ちゃま舌だからねえ」 「ひどい!罰として、ぼくへ甘い物を提供することを要求しますよ」 どこかで聞いたフレーズを太田が叫ぶ。 「学校が始まったら、寄り道のレパートリーにするんでしょ?太るぞお」 「この間、買い食いはダメってって言ってたじゃないですか! そんな事をいわれたら、ぼくはここでクレープ食べなきゃいけないじゃないですか!」 太田は、まるっきり委員長の考え方がコピーされてしまった。 ホント、飛鳥といい委員長といい、そして太田といい…わたしの教え子たちってば。 太田がこっそり委員長の背後に近づき、ひょいと委員長のメガネをひったくる。 驚いた委員長は、わたしたちに気付いた。怒った委員長は太田からメガネを奪い返す。 しかし、夏がやって来るまであった元気さは委員長には無い。そっとわたしは二人に近づく。 「やれやれ、ホントに君たちは。わたしがあなたたちに奢ってあげようではないか。心して頂きなさい」 「…ありがとうございます…」 「より子先生が少ないお給料で奢ってくれるんだから、もっと喜びなさい!委員長」 わたしのオオカミは一人で歩き始めた山猫にかぷっと噛み付いた。 生意気な太田をきゃんと言わせようと、わたしは委員長の目の前で 「がおー」 と、太田の頭を甘噛みするのであった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |