彼女の心は宇宙の深遠(非エロ)
シチュエーション


不思議なことなんて世界にはない。十四年も生きていれば、そのくらいの分別はつく。


「祐樹サーン!」

夏休みも終わったというのに、未だ暑さが和らぐ気配のない9月。休み明けの月曜日。
その放課後。芦屋法子は奇妙な光景を目にした。
部活へと向かう友人たちに別れを告げながら昇降口を出ると、校門の辺りで手を振る女の子と
おぼしき影が、こちらに向かって叫んできていた。
まあ、これだけならさほど奇妙というわけではない。
問題は、その少女の肌が紫だということだ。

いや、正確には違う――よく目をこらして見ると、顔は普通の肌色のようだ。あと、両手の指も。
それ以外は、明らかに丈が足りていないTシャツ(胸が遠目から分かるほど大きすぎるせいだ)を
着ているため露わになっている腹部も、短パンから伸びる脚も、全部紫だ。
靴を履いていないようだが、手と違って、こちらは足先までド紫だった。

(なに、あれ……)

ぽかんと口を開けて、呆然とする。足を動かす余裕などはない。
そのため、自然と少女を観察していた。脳天気に手を振り続ける少女。髪は銀髪のようで、
やけに長い。
自分と同じように、法子の視界にいる人間全てが足を止めて少女を見ていたが、彼女は気にしない。

「こっちデースよーゥ!」

少女は先ほどから、誰かに向かって呼びかけているようだが、かなりの声量だ。
だというのに、特に苦しそうな様子はない。むしろ楽しげだった。
一度目をこすってみたが、少女は消えない。逆に、彼女に向かって走っていく黒い影が現れた。
うちの学生服を来た男子だ。
彼は少女のもとに到達すると、嬉しそうにまた声をあげようとした彼女の口を抑え、
なにごとか叫ぶと、相手の手をつかんでぐんぐんと逃げるように走り去っていった。
しばし、凍ったままの時が過ぎて、やっと金縛りがとけた生徒たちは頭を捻りながら各々歩き出す。
しかし、法子の足は未だ動けなかった。

(今の男子って……)

「……祐樹?」

少女を連れ去った男子に、法子は見覚えがあった。よく知っている。幼なじみだ。にしても……

「なにあれ……」

今度は声に出して呟く。すると、

「へー、あれが宇宙人か」
「ほんとに紫タイツだな」
「でもけっこう可愛いんだろ?」
「だからってあの格好はねーよ」

後ろから笑い声がして、振り返ると、祐樹と同じくクラスメイトの男子たちがいた。
どうやら何か知っているようだが。

「ねえ、今のなに?」
「あ、委員長」

もう帰り?今日は早いね、などとどうでもいいことを聞いてくる男子ども。
それを適当にあしらいながらも、なんとか欲しい答えは手には入った。

「宇宙人。一昨日会ったんだってよ。UFO探してくれって頼まれたらしい」
「へぇ……」

礼を言って男子たちから離れる。つまりは――

(いつものことか……相手が電波だけど)

◆◇◆◇◆

向島祐樹に対する女子の評価は一貫している。いい人≠烽オくは便利≠セ。
頼めば何でもやってくれて、断られることはありえない。
それは彼が優しいからというよりは、優柔不断だからだろう。彼は今、副学級委員をしているが、
自ら立候補をして学級委員に名乗りをあげた法子とは違い、押しつけられて断れなかったせいだ。
そして、彼にはそれ以外に特徴と呼べるところはなにもない。全てが平々凡々、良くも悪くもない。
そんな彼が唯一誇っていることがあるとすれば、あの木内健人≠フ親友ということくらいか。
まあとにかく、彼はいつも貧乏くじを引かされている。とはいえ。

(宇宙人ねえ……)

宇宙人。だから紫タイツか。バカじゃないの。騙されるほうも。騙すほうも。
机に向かいながら、いらいらと法子はノートに書き込んでいた。

(可愛けりゃそれでいいのか――電波でも)

バカ男子どもの発言を思い出し、改めて記憶を漁ってみる。
あの自称・宇宙人娘が可愛いのかどうかは知らないが、胸は大きかった――我知らず、視線が自らの胸元にいく。
馬鹿馬鹿しい。これだから男子は。
その時、小さな弾ける音ともに、持っていたシャーペンの芯が折れた。
ため息をつく。今日で何度目だ?シャーペンをノックすると、出てきた芯はすぐに尽きてしまった。
筆入れを漁ると、出てきたのは空っぽの芯入れだった。

「ああっ!もう!」

増していくばかりのいらいらを八つ当たりするように椅子を押しのけ、法子は立ち上がった。

一番近所のコンビニには、自転車なら一分だ。
夜十時過ぎとはいえ、こう灯りがこうこうとしていれば、変質者もないだろう。
何事もなく買い物を済ませ店から出ると、思いがけないものを見かけた。
通りの向こう、薄暗い道を歩くバカとバカ電波。
未だ学生服姿の彼は、補導されたいのだろうか?

(無視、無視)

それが一番だ。それ以外の選択肢などありえない。
自分からバカに近づいていくほどバカなことはない――だが、自分は思ったよりバカだったらしい。

「向島くん!」

声をかけた理由は、単なる好奇心としか言いようがない。少なくとも、この時はそう思った。
びくっと、大げさに驚いてきょろきょろと辺りを見回す祐樹。
先生にでも見つかったかと思ったのだろうか?
やっとこちらを見つけて、安堵の顔してから彼は電波を連れ立って近づいてきた。
よく見ると、手をつないでいる――もしかして、放課後からずっと手を繋いでいたのか?
愚にもつかないことが思い浮かび、引きつりそうになる顔に
なんとか普段の笑顔≠張り付かせ、彼らを待った。

「こんばんは、芦屋さん」
「こんばんはアシヤサン」

彼が挨拶するのをちらっと見てから、ついて来た女が全く同じことを繰り返してきたが、
発音がおかしかった。

「こんばんは。えーっと、彼女は?」

祐樹に目配せをしてから、女を見やる。
女の格好は先ほどと変わっていた。といっても、紫の全身タイツはそのままだ。
Tシャツと短パンを脱いでいる。
近くで見れば、女は確かに可愛かった。日本人離れした目鼻立ちをしている。
ただしどことなく――雰囲気というべきか――、バカっぽい。

「う、うーん。彼女はソラって言って……」
「祐樹サン、言ったじゃないデスか。アナタたちに発音できるノガそこダケデあって、ワタシの名前は――」

途端に、よくわからない、嗚咽とも取れるような音を発しはじめる女。その中で、
確かに『ソラ』と聞こえる部分があったかもしれないが、呆気にとられた法子にはどうでもいいことだった。

「そ、それで彼女は――」
「……宇宙人?」

ばたばたと身振り混じりで取り繕おうとする彼に、助け船をだしてやる。
早くここから離れたい一心で。

「そっ!そうなんだ!今は一緒に彼女の宇宙船を探してて!」
「へーぇ、そうなんだー。でも、さすがに帰らないとまずいと思うよ?じゃ、がんばって」
「う、うん、ありがとう。あ!もうこんな時間か。帰らないと!ほら、ソラ」
「ばいバーイ」

こちらに手を振りながら、襟首を掴まれ引きずられていく、ソラとかいう女。

法子は手を振り返してやりながら自転車を押して進んだ。角を曲がり――自転車に飛び乗った法子は、
もう後ろを振り返らなかった。
やはり、選択肢は間違いだった。そう思う。
間違いなく、あれ≠ヘ、電波だ。

◆◇◆◇◆

次の日登校すると、祐樹が生徒に囲まれていた。滅多にない光景だ。

「――で、宇宙人ちゃんは――」

わいわいと質問責めしている彼らは、どうやらあの宇宙人≠フことが聞きたいらしい。
ふっと嘲るような笑みが浮かぶのを押さえきれず、それが誰かに見られてないことを確認していると、
祐樹の周りにいた男子の一人がこちらに気づいた。

「あ、委員長おはよー。なあ、委員長は昨日の宇宙人、どう思う?」

どう思うもなにも、答えなど一つに決まってるだろ――しかし、その内心は決して表には出さない。

「うーん、夢のある話だと思うけど……」

曖昧な笑顔と言葉で濁し、法子はそれ以上のことは言わない。代わりに、チャイムがそろそろ鳴る時間だと告げると、
クラスメイトたちは解散していった。
法子自身も自らの席に着いたが、ふと気配を感じた。座ったまま振り向く。そこには祐樹がいた。

「あ、あの……昨日のことなんだけど……」
「もうすぐ先生が来るわよ?向島くん」

やんわりと、笑顔で言ってやる。拒絶を。

「ご、ごめん。じゃあ、あとで――」

同時にチャイムが鳴った。そして、

「おっはよう!諸君!」

担任の岡崎が、今日も暑苦しい笑顔を浮かべ、暑苦しい挨拶をしながら、暑苦しく教室に入ってきた。
体感温度が数度上がった気がする。
さすがに祐樹はあきらめたようで、名残惜しむように去っていったが、
法子は彼のほうを見てはやらなかった。


休み時間、女子トイレにて。用を済ませた法子は、個室から出ようとしたら、
話し声がしたので思いとどまった。

「宇宙人って、マジかな?」
「えぇ、ないでしょ」

きゃははと笑いながら喋る彼女たちの声には聞き覚えがある。うちのクラスの女子だ。

「いや、そうじゃなくてさ。向島がマジで信じてるかどうかってこと」
「あー、あいつならありえるー」

バカの馬鹿話をするバカ。ため息をついてから扉を開ける。バカに付き合うつもりはない。

「い、委員長?」

驚いた顔でこちらを見るバカ二人。彼女らを無視して手を洗い流し、出入り口に向かう。
扉を開ける一瞬前、

「あんまり声大きいと、木内くんにも聞かれるよ」

その言葉を残して、法子はトイレを後にした。

法子の父親は市長だ。だからといって、何か優遇された記憶は彼女にはない。しかし、周りの反応はあからさまだった。
法子と同年代の子供たちは、法子に逆らったら本気で島流しにされると、
少なくとも小学校までは信じていたようだし――まったく、バカばかりだ――、
大人は大人で、法子が文武ともに優れているのは父の教育の賜物だといい、
リーダーシップを発揮すればさすがは父の子だとほめちぎった。
法子の努力など、見ようともしないで。
そして、大人が彼女を誉めれば誉めるほど、子供たちが――特に女子が、
彼女を疎んじていたことに、法子は気づいていた。


放課後、帰ろうとした法子は、祐樹とともに、担任の岡崎に呼び止められた。
資料の作成をしてほしいらしい。

「じゃあ、頼んだぞ。二人とも」
「あ、あの、先生!僕――」
「これも学級委員の仕事だからさ、頼むよ。な?」
「は、はあ」

落ちた。祐樹はもう言い返せないはずだ。
わかりました――と法子は返事をしようとしたが、その機先を制して、

「でも、どうしても用事が――」

祐樹が食い下がった。軽い驚きとともに、祐樹の顔を見る。必死だ。

「頼むよ、先生も忙しくて。なんなら他の奴らに手伝わせていいから」
「……わかりました」

今度こそ祐樹は落ちた。それから岡崎は、さも忙しそうに教室を出て行った。

「早く終わらせましょ」

落胆する彼に告げる。早く帰りたいなら、さっさと頭を切り替えればいい。

「うん……」

だが、彼の動きはのろかった。


ぱちん、ぱちん。ホッチキスの音がやけに大きく聞こえるのは、自分も相手も無言だからだろうか。
普段ならば、こういう状況で法子は、できるだけ会話をする努力をする。
正直に言えば、黙々と作業に没頭したい質だったが、暗い奴だとは思われたくない。
それに、同じ作業をしながら雑談をしていると、仲間意識というのが芽生えるらしく、
普段は聞けないようなことをぽろっと漏らしてくれることがあるのだ。
だが、今一緒にいるのは祐樹だ。疎遠になっていたが、今年同じクラスになってからは何度も話している。
結果、特に変わったことはないようだから、今さら気になることはない。
彼のほうは、今の法子の本性を知らないだろうが。
祐樹は、今の法子をどう思っているのだろうか。
小学三年生の時に引っ越した祐樹。もっとも、市内であったため中学校でまた同じになった。
だが、再会してからはお互い名前で呼ばなくなり、話をすることも遊ぶこともなくなった。

「あの……芦屋さん」
「なに?」

作業を続けながら返事だけを返す。話しかけるなという意味なのだが、祐樹には伝わらなかったようだ。

「昨日の――ソラのことなんだけど……」

こっちは聞きたくないんだけど。しかし祐樹はもごもごと歯切れ悪く話し続けた。

「あんなことで、彼女のことを誤解しないで欲しいんだ。ソラは、嘘をついてる、わけじゃあ……」

説得力の無さに気づいたのだろうか。彼の言葉は尻すぼみに消えていった。

「祐樹は信じてるわけ?」

目線だけを彼に向けると、祐樹が俯いていた顔をあげるところだった。
そこには少なからぬ喜色が見えた。

「うん。きっと法子ちゃんも――」
「ばっかじゃないの」
「え……?」

祐樹の表情が、一転して間抜け面としか言いようのない形で凍った。
そんな彼に、ちゃんと向き直る。

「本物のわけないでしょ。本物だとすれば、あれは本物の電波よ」
「でん……ぱ……?」
「頭がおかしいってこと」

さっと、祐樹の表情が朱に染まる。ころころと先ほどからよく変わる。それは彼が、
自分の感情にさえ素直だからだろう。

「違う!ソラは本物≠ネんだ!証拠だってある!」
「紫のタイツのこと?それとも、彼女の名前?」

あんなものを信じる人間がほんとにいるとは。

「どうしようもないバカね」
「違う、ほんとなんだ!もう一度ソラと会えば、そうすれば――」
「嫌よ。あんな子」

もう、法子は祐樹を見ていなかった。あともう少しで自分の分の作業は終わる。
終わらせればもうここに用はない。
しかし祐樹は、まだこちらを見ていた。視線を感じる。

「法子ちゃん、どうして……」
「その呼び方はやめて。私はもう法子ちゃん≠カゃない」

そう。もう自分は、祐樹の知っている、幼い法子ではない。


夜も更けて。

法子はいつものように机に向かってノートを開いていたが、
なにも書かずにその上に突っ伏していた。

(なんであんなこと……)

作業は結局終わらなかった。あの後すぐに岡崎がやってきて、帰るように言われた。
なんでも、最近この界隈で変質者――着ぐるみを着ているらしい――だかが現れるので、
生徒をなるべく早く帰らせるように指示されたらしい。まあ、それはともかく。

法子は突っ伏してはいるが、泣いてはいなかった。自分はそんなに弱くない。
それに、そこまで素直でもない。
でも、泣いたら楽になるだろうか?感情を涙とともに吐き出せば。
そして、その泣きはらした顔で登校して、祐樹に謝るのか?
彼は間違いなく許すだろう。許されたら、あの女に会うことになるのか?
ぎゅっと、手を握りしめる力が増した。そんなこと、絶対にするものか。
もう一度会えば本物≠セと分かる、だと?
どんな手品を見せられたのか知らないが、祐樹はすっかり信じ込んでいた。

「宇宙人……だって……?」

忌々しく呟く。

(そうだ、あの女だ)

頭のおかしい電波女。あいつが祐樹をもおかしくしたのだ。

「そうだ、私は悪くない」

自分に言い聞かす。
自分は悪くない。
自分は当然のことを言ったまでだ。

(あいつの化けの皮を剥がせば、祐樹だって)

顔を上げる。机の横、右斜め前に窓があり、そこから空が見えた。
空と、心なしか赤く染まったように見える満月が。

(そうだ……簡単なことよ)

法子は月に笑いかけた。

◆◇◆◇◆

翌日、法子は昨日と同じ時間に登校した。
今朝は祐樹の周りには、人だかりはできていない。木内健人と話している。
法子が席に着くと、昨日と同じように祐樹が話しかけてきたが、今日は無視した。
彼が話しかけてきてすぐに、昨日と同じように岡崎が暑苦しくやってきて――
昨日と代わり映えのしないまま放課後となった。
放課後、頼まれ事をされなかったのは、数少ない昨日とは違う点だ。
ちらちらとこちらを見てくる祐樹を、クラスメイトの女子と話して無視していると、
やがてあきらめたのか教室を出て行った。
慌てないように、怪しく見えないようにクラスメイトとの話を打ち切り、法子も続く。
祐樹には気づかれないように。
階段を下り、昇降口を抜ける。校門見やると、昨日と同じように紫ずくめの女がいた。
一昨日のように祐樹に呼びかけてこないのは、何か言われたのか。
祐樹は電波女と合流すると、彼の家路とはまるで違う方向へと歩き出した。
その後を、法子は見つからないように追いかけた。


ひょっとして、今の自分は相当馬鹿馬鹿しいことをしているのではないか。
それは、もう一時間も前に浮かんでいた疑問だった。すぐに答えは出たが、法子はそれを黙殺した。
というか、自分はなぜこんなことをしているんだろう。
橋の上から、川縁で遊んでいるようにしか見えない二人を覗きこんでいると、つくづくそう思う。

(なにがUFO探しよ……)

遊んでいるだけじゃない。

(もう帰ろうかな……)

果てしなく時間を無駄にしているのは疑いようもない。
空しい気持ちで、ぼーっと二人を――いや、祐樹を見ていると、昔の思い出が浮かび上がってきた。
昔はよく二人で遊んだものだ。あの頃、法子にとって祐樹は兄のようなものだった。同い年だが。
幼い頃の祐樹は、今では考えられないほどしっかりしていたように思う。その頃から、
みんなの手助けばかりしていた――ふっと笑みが漏れる。

(話しかけてみようか)

今ならそれもありかもしれない。しかし。
夢想が突然打ち切られ、現実の映像が流れ込んできた。いつの間にか、女が祐樹のすぐそばにいる。
急に二人がスローモーションになって――
女の唇が。祐樹に――

「いや――」

それは最初、小さな波紋だった。水面を揺らす小さなさざ波。だがそれは、気づけば
すべてを飲み込む渦潮になっていた。

「いやあああああああああ――」

その瞬間、法子の世界が大きく歪み、法子自身も変質していた。

◆◇◆◇◆

悲鳴が聞こえて、祐樹はとっさに身構えた。悲鳴がどこから聞こえたのかは分からない。
焦るように辺りを見回すと、橋の上に異形の存在が立っていた――予め知らされていたこととはいえ、
明確な殺意をこちらに向けている化け物と対峙すれば、後ずさりしてしまったのは仕方がない。はずだ。

「出ましたネ」

予想した張本人、ソラは極めて冷静だった。コスモゴーストの正確な出現時間も、
相手の姿や能力も、そして、霊媒が誰であるかも分からない不確かな予想だと言っていたが、
まったく焦っていない。至極当然といった様子である。
ソラに頷くと、彼女は左手を差し出してきた。
祐樹も手を伸ばした。その手を握るためではない。その左手の手首を撫でさするためだ。
すると、撫でた後に光る記号――ソラたちの文字が浮かびあがり、ソラの身体は
不定形の紫の物体と化した。それは、広がりながら祐樹を包み込んだ。

◆◇◆◇◆

「――ちゃん、法子ちゃん」

誰かが、優しく私を呼ぶ声が聞こえる……

(でも……だれ……?)

「だれ……?」

心に浮かんだ疑問は、我知らず小さな呟きとなって、口から出て行った。
目を開けると、答えは容易だった。声の主は、声と同様の優しい微笑を浮かべていた。

「ゆう……き……?」
「おはよう、法子ちゃん」
「びっくりしたよ、急に寝ちゃうからさ」
「あ、あはは」

私もよ。まさか、気になる男の子を自室にあげて、部屋どころかこの家自体で二人きりの
状況だというのに、あろうことかその男の子の隣で眠りこけるとは。驚きを通り越して呆れてしまう。
まさか本当に、他人に思われているほど、自分は鈍い性格ではないと思っていたのだが。

(でも――)

ちらっと横を見る。祐樹君と目が合い、恥ずかしさで赤くなっていた顔に、
更に血が上るのを感じた。

(ほんとこれでよく寝られたわ)

ベッドに隣り合って座り、肌が密着しそうなほど近くに祐樹君がいる状況で。

「僕は、そんなに無害に見える?」
「へ?」

彼の顔から、景色は目まぐるしく変わり、気づけば仰向けにされた私は、天井を見ていた。

「寝てる間に、こんなことの一つでもしたかもしれないよ」

倒れた私の顔を、覆い被さるようにして見ている祐樹君。表情はいつものように
優しげなのに、瞳にぎらぎらとした光が見えた。
何も言えない。心臓がうるさすぎて、何も考えられない。

「いいよね?」

この状況では、正常な判断を望むことなどできない。
それでも、私は頷いた。

◆◇◆◇◆

気がつくと、辺り一面真っ暗闇だった。

「これが……法子ちゃんの理想の世界?」
〈イエ、違いマス。彼女の精神カラ切り離された部分デスね〉

その声は、頭の中から響いている。今、自分と声の主は一心同体だ。

「切り離した?」
〈エエ。たぶん、精神世界に彼女を定着サセル時に、邪魔だったンでショウ〉
「ふーん……」

きょろきょろと辺りを見回すが、暗闇しかない。どこへ向かえばいいのやら。

「彼女はどこにいるの?」
〈さあ?勘デ進んでクダさい〉

あまりといえばあんまりな答えに、途方にくれて裕樹は言い返した。

「そんな適当な……」
〈心の中デハ、方向も距離も意味ヲなしまセン。裕樹サンの気持ち次第デス〉

だからファイト!と、無意味に言ってくるソラ。
さらに何か言い返そうとしたが、

〈うっきゃあ!〉
「どうしたの!?」
〈だいじょぶデス。戦闘に集中しマス〉
「う、うん。気をつけて」

通信が途切れ、また辺りを見回す。深い深い闇。しかし、

「……光?とりあえず、あっちに行ってみようかな」

夜空に輝く星のように。だが儚い。見つけたわずかな光に向かって、祐樹は歩き出した。






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