由梨と上原先生
-7-
シチュエーション


「…先生」

高坂みるりが口を開く。

「先生、さっきから全然証拠がないね。机上の空論もいい加減にしなよ」

冷たく僕の言葉を突き放す。

「大体よく『影で操っていた』なんて発想が浮かぶね。
普通は『動揺して通報が遅れた』で終わるんじゃない?」

高坂はいつの間にか、いつもの舌足らずな喋り方を止めていた。
それが彼女の、元の喋り方だったのだろうか。

そして僕は、高坂の問いに答える。

「…僕は疑ったんだ」

そう、僕は初めて人を、悪意を持って疑ってかかった。
これまでの僕ならば、通報の時間がおかしかろうが、
高坂の言葉に違和感を感じようが、そもそも君が現れた事自体に疑問なんて抱かなかった。
この妙に出来の良い勧善懲悪に、脳天気なハッピーエンドを描くだけだった。

「だけど現実は僕の期待するような世界じゃない、やっと気が付いたんだ」

おかしいと思うなら、それは確かにおかしい事なのだ。
独善的なフィルターで綺麗なものばかりを見つめ、
その『おかしさ』に目を背け続けていた。

僕は自らを痛めつけるように、言葉を放った。

「純粋は無知で、悪だ」
「……」

高坂の眉が顰められた。

「…私が様子を見て通報した?圭君の後に家を出たのに間に合う訳がないじゃん」

高坂は、僕の述懐を嘲笑うように言葉を紡ぐ。

「……」

僕は、何も反論する事が出来ない。
高坂の言う通りなのだ。
この推論は、高坂が自白しなければ成り立つ事はない。
そもそもが圧倒的に不利な状況だ。
だが、この期に及んで僕はどこかで期待をしていたのだ。
高坂みるりは微笑む。


「まあ確かに、自転車使って、別の道から歩美ちゃんに追い付いたけどね」

高坂は、僕にだけは喋ってくれるのではないかと。


「高坂……」
「はは」

高坂みるりは穏やかに笑った。
それはあの無邪気な笑顔でなく、目の奥に澱みを抱えた乾いた笑みだった。



「高坂…やっぱり」
「先生、もしかしてアレもおかしいと思ってた?
歩美ちゃんの部屋に青柳の資料があったの」
「!」

僕が思わず表情を変えると、高坂はペロリと舌を出す。

「だよね。あの歩美ちゃんが、資料の隠蔽なんて思い付く訳なし…よく考えれば意味の無い事だもんね」
「…高坂があの部屋に置いたのか?」
「うん。歩美ちゃんの部屋に青柳の死体や証拠がないのは分かってたから。
調査を打ち切られでもしたらいけないと思って」

一応桜井の死体はあったけど、あれが青柳だと勘違いされたら大変だから
、屍体探ってネームプレート見つけるの大変だったんだよ?

高坂は涼しい顔で、とんでもない事を言う。
つまり高坂は、あの蛆這う死体を素手で物色し、腐った屍肉の中からネームプレートを見つけ出したのだ。
高坂の侵入から悲鳴が上がるまでの、妙なタイムラグ。
それは、こういう事だったのか。


「中に侵入する事は分かってたけど…まさか小窓からなんて。
資料を服の下に隠し持ってたから、中に入るの大変だったよ」
「えっじゃあ、あのブラジャーは」
「只のカモフラージュだよ。『みるり』の貧乳を舐めないでくれるかな?」

…変な所で叱られた。

「やはり君は…青柳先生殺害の犯人が歩美先生と平塚先生だと、知っていたんだね」
「うん。だって由梨ちゃんを家に連れて行った後、
もう一回学校に戻って、2人が青柳を埋める現場を見たから」

当たり前と言えば当たり前の答えを高坂は返す。

「戻ったって…、藤本に聞いたのか?」
「聞かなくても、何かとんでもない事が起こったのは分かるよ」

だって由梨ちゃんが気絶して、圭君に運ばれてるんだよ?

「臆病でお人好しな圭君は家で震えてる事しか出来なかったみたいだけど、私は違う」

学校に戻って、私は見た。
平塚と中島が何かを埋めてる所を。

「翌日何を埋めたのか、青柳の欠席が証明してくれた」

だから私は、あの証拠を使って復讐しようと思った。

「中島を、平塚を追いつめて罪を償わせよう。由梨ちゃんの仇を討とうって」

高坂みるりは冷たい声音で、告白を始めた。




「これってさ」

不意に高坂は、教室の黒板に目を向けた。

「え?」

黒板には卒業式当日らしく、中央には白チョークで大きく『夢』と書かれ、
周りは生徒たちのメッセージで埋められていた。

『大学で彼氏つくりたい』
『絶対幼稚園の先生になる!』
『3−B最高!ずっと友達』

たわいもないけれど、将来への希望に溢れた寄せ書き。

「これってさ」

「ホント、気持ち悪いよね」

ガリ、ガリ!

高坂は赤いチョークを手に取り、『夢』の字の上に、大きく×を描いた。

「高坂…?」
「ぬくぬく何不自由なく育って、
幸福が約束されているのが当たり前に未来を語って」

高坂みるりは親指に付いた粉を、真っ赤な舌で舐めとった。

「由梨ちゃんにも私にも、親は居ない」

私達はすぐに似た者同士だって気が付いて、すぐに仲良くなった。
周りは辛い事や嫌な事ばかりで、私達は泣いてばかりだった。

「由梨ちゃんはあんなに頭がいいのに、
先生に会うまでは大学進学すら諦めてたんだよ」

高坂は静かに語り続ける。

「それでも私達、それなりに楽しく暮らしてたの」

あの番組が面白いとか、あの子が気になるとか、下らない事で笑いあって。
些細だけどちゃんと幸せだった。
それなのに、ある日平塚がその幸せを壊した。

「……」
「由梨ちゃんは心を壊されて、暴走してしまった」

許せなかった。私達の幸せを壊した平塚が。

「だけど平塚を訴えれば、由梨ちゃんの犯罪も露見してしまう」

だから私は、平塚に制裁を与えられる機会を待った。
そうしていると、青柳の事件が起きて、チャンスだと思った。
動かぬ証拠が埋まってるのだから、後はいかに平塚達を陥れるか。

「そしたら、お人好し全開で扱いやすそうな、上原先生が赴任してきて」
「酷い言いようだな」
「だってそうじゃない。人を疑わない、真面目で誠実、これ程利用出来る物件はなかった」

案の定由梨ちゃんも先生に目を付けて、うまくこの事件に巻き込む事が出来た。
私が何もしなくても先生は由梨ちゃんの真意に気付き、
私の情報や、資料隠蔽の撒き餌で、先生は青柳洋介に辿り着いた。

「圭君も期待どおりのお節介を焼いてくれて、ますます事態は都合の良い方向に動いていた」
「…歩美先生の事はどうするつもりだったんだ?」
「中島も予想通り、いつもの病気を出して先生に接近してきた」

元々、攻めるなら中島歩美からだと思ってた。
平塚は慎重で立ち回りが上手くて、なかなか尻尾を見せない。
だけどあの中島なら、男が話に持ち込めば
頭のネジを外す事が出来ると思った。

家に行くのは予想外だったけど、思わぬ所で桜井の死体も見つけられた。

「案の定先生に尋ねられたら、中島は喜々として青柳の居場所を吐いて」

先生は、私が誘導するまでもなく平塚が待つ花壇へと向かった。

「待て、なぜ平塚が花壇に居る事を知っていたんだ?」
「神経質な平塚が、花壇が荒れる嵐の日に居ない訳がないし。それに」

アイツ、殆ど毎晩花壇を植え込みから見張ってるの。

「――」
「異常だよね」

情景が浮かぶ。
深夜、人一人居ない中庭で一人、シャベルを握り締める平塚雅夫。
血走った目が爛々と輝き、花壇を一心不乱に見つめ続ける。
それは血の気が引くような。

「本当なら、由梨ちゃんをあんな危険な目に合わせる予定じゃなかった」
でも由梨ちゃんが自分から行くって言い出した時、気付いたの。

「今が生まれ変わる時だ、って」
「生まれ変わる?」

「上原先生言ったんでしょ?『この事件を解決出来たら、きっと君は変わる事が出来る』って」
「それは」
「その通りだよ。幾ら由梨ちゃんを社会的に救っても、
由梨ちゃんの心が救われないままなら意味がない」

だから危険を承知で、先に2人を行かせた。
リスクがあっても、由梨ちゃんの中で事件を終わらせるチャンスだった。
心を溶かす最後のチャンスだと思ったから。

「それに上原先生ならきっと」

「由梨ちゃんを庇って死んでくれたでしょ?」
「――」

つまり高坂みるりは1人、人よりも一段上の視点から物事を見ていたのだ。
確かに殆どの情報を手にしていれば、人間を動かす事が簡単なのかもしれない。
しかし。


「要は、いかに由梨ちゃんの犯罪がバレないように2人を陥れるか。だった」

「……」
「だから、平塚と中島を圧倒的な加害者にする必要があった。
由梨ちゃんを庇う人間も複数居ないと駄目だった。
由梨ちゃんを只の『可哀想な被害者』に仕立て上げなければならなかった」

しかし彼女が行った事は常人では到底不可能な…
頭も精神力も尋常でなく働かせなければ、成功出来ない事だ。

柔らかな日差しが、教室に淡い陰影を生む。

「………」
「ねぇ先生。聞きたいならまだまだ教えてあげるけど、
先生はそんな事を聞きたいんじゃないでしょう?」

高坂みるりのふわふわした髪が、春風になびいた。
茶けた瞳が揺れ、睫毛が光を受けてキラキラと輝く。
高坂みるりは幼いけれど、とても美しい少女だった。


「ああ。言ったろ?これはただの『確認』だ」
「最後にスッキリさせたかったの?」
「いや、君に伝えたい事があったんだ」
「?」

その言葉に、高坂は愛らしく小首を傾げる。
僕は高坂の肩にそっと手を触れる。

「ん」

高坂はくすぐったそうに目を細めた。
僕は屈んで、彼女の背に目線を合わせ。

「高坂、君は襟沢の友達なだけでなくて、僕の大切な生徒だ」

「偉そうな事を言うかもしれないけど、僕は君が心配だ」
「心配…?」
「君は強いから、きっと大丈夫なんだろう。だけど知っていて欲しかったんだ」
「何を」
「君は1人じゃないって事をさ」

いいか、君は1人じゃない。
襟沢も居るし、藤本も居るし、僕も居る。
誰にも言えなくても、僕だけは君の秘密をちゃんと知っている。

「だから僕達が居なくなっても、1人で抱え込むな」

困った事があったらすぐに連絡しろ。
辛い事があったら相談に乗る。
寂しかったら襟沢と駆けつけてやる。

「だから、安心して卒業するんだ」
「……」

僕の言葉に高坂は。

「まだだよ」

何かを堪えるように、奥歯を噛みしめて僕を見上げた。

「先生、まだ私誰にも言ってない事があるよ」


高坂は小さな子供のようにしゃくりを上げ、瞳から大粒の涙を零した。

「私も平塚に抗議しに行った時に、アイツにヤられちゃった。凄く、怖かった……嫌だった…」


高坂は俯き、僕の服の裾を握り締めた。
それはきっと、高坂の精一杯の甘えだった。

暫くして、高坂は照れくさそうに僕に言った。

「やっぱり上原先生は純粋な、良い人だね」
「え?」
「上原先生、『純粋は悪だ』なんて言っちゃ駄目だよ」
「何で…」
「上原先生が純粋だったから、由梨ちゃんは恋をしたんだよ?」

皆にないものを持ってる上原先生は、とっても眩しくて、私は憧れる。

「由梨ちゃんがまた性格悪い事考えてたら、
先生の純真オーラで浄化してあげてね」
「おい何だよ純真オーラって」
「ははは」

僕の憤慨ぶりに高坂は楽しそうに笑う。
まるで出会った頃に戻ったかのような、無邪気な微笑みが目に焼き付いた。



彼女は教壇を降り、僕に向き直った。

「行きなよ先生、由梨ちゃんが待ってるよ」
「ああ」
「私なら大丈夫。圭君とおんなじ大学だし、1人じゃないよ」
「…ああ」

高坂は考えるように一瞬目を伏せ、また僕を見つめた。

「こういうのを『おめでとう』っていうのか分からないけど」
「え?」

「退職おめでとう、上原先生」

ガラリ。
高坂みるりは、とびきりの笑顔で別れを告げ、教室を後にした。
そして教室には、清々するほど大きな×が付けられた
『夢』と、間抜けな僕だけが残された。



高坂みるりが立ち去った教室で。
感慨を持って、僕は彼女の凛とした後ろ姿を思い返す。
最後の役者が舞台を後にしたのだ。

そして……。
今は…
で、そういえば

「……ん?」

今、何時だ?

「ああああ!?」

時計の時刻を見て、僕は絶叫した。


「あっ上原先生!一緒に写真撮って〜!」
「上っち何で学校辞めちゃうのー?」
「ちょっと逃げないでよ!!」
「ゴメン、本当ゴメン!急いでるんだ!」

生徒で溢れかえる廊下を必死でかいくぐり、僕は全力疾走で職員室に向かう。
あと何分だ!?

ガラッ

「あっ上原先生」
「お疲れ様です!今までありがとうございました!」

僕は殆ど叫びながら、机の側に放置していたキャリーバッグを引き、職員室を飛び出す。


そして。

ガラガラガラガラ!

「あああもう!」

学校を出て僅か3分。
キャリーバッグの動きの鈍さに痺れを切らし、バッグを小脇に抱えて僕は走り出していた。

数分程走り続けると、漸く最寄りの駅に辿り着き、タクシー乗り場に直行する。
適当なタクシーを捕まえ、運転手に行き先を口早に叫んだ。

「東北空港まで!」




『…空港経由の便は、2時14分より…』

滑舌のよいアナウンスが耳をすり抜け、僕は床を見つめていた。

「うっ…はあ、はあ…はあっ」
「遅い」
「げほっ」
「一体何やってたの?」
「いっ色々と…」

閑散とした空港の椅子に座る襟沢由梨は、少し怒った顔で僕を見上げていた。

襟沢はすっかり制服を着替え、真っ白なワンピースを着ていた。
荷物は殆ど送ってしまっているのか、膝には小さな鞄が一つ、チョコンと乗っているだけだった。

「ほら、もう行かないと。言い訳は後で聞くよ」
「あっうん」

息を付かせるまもなく襟沢は、僕の手とバッグを引き、
ずんずんとゲートに向かい出す。

僕は慌ててキャリーバッグを掴み、自分で転がしていく。

「ごめんな襟沢、遅れて」
「間に合ったからいいよ」

襟沢は先程までの仏頂面が嘘のように、優しい微笑みを浮かべていた。
スカートの裾が揺れる。

僕は誰にともなく呟いた。
「何だかおかしいな。東京から逃げ出した筈の僕が、
帰るのを心から楽しみにしてるなんて」

「私と一緒だからでしょ?」

襟沢の悪戯っぽい微笑みに、僕も思わず笑みを零す。

「ああ、襟沢が東京の大学に受かったおかげだ」
「先生も、次の学校が決まって良かったね」

東京に行けば、また排気ガスと人混みと現実にまみれた、灰色の生活が始まる。
だけどこれからは襟沢が、僕の側に居る。

「…変なの。あんなに遠いと思ってた場所に、数時間で行けちゃうなんて」

チケットに目を落としながら、襟沢は呟く。

「遠いなんて思うから、行けなかったんだよ」

手を伸ばせば届くなら、それは掴めるものなのだ。

現実逃避の幻想を見るのは止めた。
でも自分を、人を、希望を諦める事は出来ない。
これが馬鹿で、間抜けな僕の出した結論なのだ。

キャスターがガラガラと回る。
同じ歩幅で僕達は目的地に向かう。

手を伸ばせば届く距離に、襟沢の白い手があった。
僕はその手を握り、囁いた。

「由梨」

襟沢由梨は少し瞳を見開き。

「うん」

はにかんだ笑みを浮かべて僕の手を握り返した。





飛行機が地上を離れる頃、僕は彼女に聞く。

「やっと、109に行けるな」
「……実はね、109って、私の着るような服があるお店じゃないんだ」
「へ?」

ポカンとした僕を見て、襟沢由梨は幸せそうに笑う。

「だから、まずは先生の好きなご飯屋さんに連れて行ってね」


デザートをつつく2人の姿が、脳裏に浮かんだ。






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