シチュエーション
![]() 夜光虫が張り付いている日本に居ると忘れがちな事。 夜空というものは本領を発揮すると、手の施しようが無く美しい。 ダイヤモンドを砕いて一面に散りばめたような、闇に燦々と輝く夜空。 僕は眼前の美しさに、ただ圧倒されていた。 【御令嬢と長沢青年】 同級生達が寝静まった頃、目が冴えてしまった僕は、懐中電灯片手に1人テントを抜け出した。 案の定夜は静かに最高潮を迎えていて、僕は興奮を抑えながら、慎重に歩を進める。 空を見上げながら歩いていると、光の粒が目にどんどんと飛び込んでくる。 生乾きの緑、異国の風の匂いが闇に溶け込む。 すると、まるで自分がこの情景の一部として溶け込んでしまっている様な、奇妙な感覚に襲われた。 僕は状況に酔い、更に歩を進めていく。 すると、何やら光の灯っている箇所があった。 そしてその輝きの中に、人影のようなものが見て取れた。 …原住民だろうか? 僕は気持ちの赴くまま、光の元へ向かっていく。 ガサリ、ガサリ。 そして、その距離が縮まるにつれ、僕は次第に先程とは違う高揚を感じていた。 ガサリ。 人影が振り返る。 其処に立っていたのは、世にも綺麗な少女だった。 少女はランプ型の電灯を地面に置いて、星を観賞していたようだった。 「き、君は」 「……」 僕は驚愕すると共に、胸の躍動が押さえられなかった。 顔付きから見て、どうやらアジア圏の人間のようだった。 こんな海外の森の果てで、同じ人種に出会う事自体驚くべき事である。 「うわ」 なのに彼女と来たら東洋一、いや世界一と断言してよい位の美しさを持ち合わせていたのだ。 肩で切りそろえられた黒髪が風に揺れる。 少女の大きな黒い瞳が僕を射抜く。 「……」 彼女は僕を見つめるばかりで、何も言おうとしない。 僕が、話しかけなければ。 この計算し尽くされたかのような、幻想的シチュエーションに相応な言葉。 僕は口を開けたまま必死で頭を働かせ、今掛けられる最上級の美辞麗句を投げかけた。 「こ、こんばんは。今日は良い夜ですね」 「貴方は一体どなたですか?人を呼びますよ?」 そして玉砕した。 「すいませんでした」 「何故、謝るのですか?」 一瞬にして幻想的なムードが霧散する。 後に残ったのは少女の疑いの眼差しと、22歳の青二才。 というか彼女、日本人だったのか。 「…貴方の身分と5W1Hを述べて下さい」 そして少女は無表情のまま、ピシリと指を突きつけた。 「えっ?え、と」 僕は挙動不審になりながらも、言われるがままに質問に答えていく。 「長沢嘉人22歳、大学生です。昨日からこの地域に、 ゼミの仲間と、研究を兼ねた卒業旅行を、フラフラとやっております」 答えた。 愚直なまでに忠実に要望に応えたが、彼女の反応は今一つだった。 「ふぅん」 「あの、君は?」 「私はカナコ」 カナコ。やはり日本人のようだ。 「今年で11歳です。お父様と一緒に来ました」 「お父さん?お父さんはどうしたの?」 「近くの施設に居ます。私は夜空が見たくて、コッソリ」 成程。父親の単身赴任か何かで一緒に付いてきたんだな。 少女は僕の間抜けな所作に毒気を抜かれたのか、 小さく溜息を吐くと徐に地面に寝転がった。 「服が、君汚れて」 「良いのです。長沢さんもどうぞ」 カナコの奇妙な薦めに僕は言われるがまま、彼女の隣に寝そべった。 「わあ」 「星が綺麗でしょう」 夜闇がトロリと流れ込み、チカチカと光の砂粒が眼球で弾ける。 「うん」 僕らは暫く黙って空を眺めていた。 「…しかしこんな密林の側に施設なんて、あるのかい?」 「はい。内外には極秘で立てられた軍事兵器開発研究所ですから。この様な場所になってしまったようです」 「ん?ぐんじかいは…?」 「いえ、忘れて下さい」 カナコは強張った顔で呟くと、視線を夜空に戻す。 僕は何の気なしに、質問を投げかける。 「何故君は、僕を誘ってくれたんだい?」 「ハイ。私は長沢さんがロリコンの変質者と見込んで、貴方に変態行為をされるのを待っているからです」 「へぇそうなんだ…ってえええええええええええええ!!!!!??」 余りにも衝撃的な言葉に、僕は静寂をぶち破り奇声を上げた。 ああ言われて見ればカナコさん、 只寝そべっているというより、まな板の鯉のような決意溢れる眼差しをしている! 「なっ、ななななっ」 「大丈夫です。貴方が手を出した瞬間。此方の『犯殺ブザー』が火を噴き、 貴方は駆けつけたセキュリティーに捕縛されますから」 「全然大丈夫じゃないよ!何だって襲われる為に居るんだい!」 「……私の性格が悪いからです」 ぷい、とカナコは僕から視線を逸らす。 「性格なんて。君は素敵な子じゃないか」 「性的な意味で、ですか?」 「誰が君にそんな言葉を教えたんだ」 カナコは妙に大人ぶった仕草で、髪をかきあげた。 その表情は強ばっている。 「私は性格が悪いから、お父様はこんな事でもしない限り…構ってくれません」 「……何で君は、自分の性格が悪いと思うんだい?」 「見ず知らずの他人を利用して自分の目的を達成しようとしている時点で、腹黒くはありませんか?」 「いやそれは君がお父さんを思う一心で」 「自らの明晰さを誇り、周りのクラスメイトを小馬鹿にしていてもですか?」 「いやいや」 「この前ボディーガードのジェリーに悪戯を仕掛けて、熱々のお汁粉まみれにさせていても?」 「…う、…うん」 何ちゅう事をしているんだ彼女は。 不意に風が吹いた。 草木がざわめき、うねる。 「思うのです。何故私にはこんな醜い感情があるのだろう。人に優しくなれないのだろう、と」 いつの間にかカナコは、星空を見つめながら涙を零していた。 それを見て僕は思った。 「君は良い子だね」 「……ロリコン変質者さん。今の私の話を聞いていましたか?」 「まずその不名誉な称号を取り去ってもらいたい所だが、カナコちゃん。 はっきり言ってお父さんは君のことが大好きだ」 僕の言葉に、カナコは余程ビックリしたのか、目をしばたかせた。 「何も知らない癖に、何を根拠に」 余裕なくカナコは、矢継ぎ早に発言の意図を追及してくる。 「うん、君を見ていたら分かるよ。きっと良いお父さんなんだろう」 「そんな非科学的な…」 「一度自分から言ってみなよ。『休みを取って、遊んで』って」 「……」 僕の言葉に彼女は黙り込む。 「言った事がないんだろう?」 「でも性格は」 「君は良い奴だよ。現に『犯殺ブザー』も押されていない」 「でも私は悪い人間だから…」 カナコは小さな己の体をぎゅっと抱き締める。 「あのさ」 僕は、そっとカナコの頭を撫でた。 「物事の善し悪しは、他人や社会が決める事じゃない」 「じゃあ」 「自分で決める事だ」 「……っ」 「自分に対して抱いている嫌悪感が、君を『悪人』にしている訳だろ?」 星が巡る。光が瞬く。 「自分の中に『理想』があるのなら、それを実践してみればいい。 それがダメだったら、自分の本当の気持ちを塞がずに、理想に沿う自分なりの方法を見つけ出せばいい」 カナコは口を開けて、まじまじと僕を見つめる。 僕もそれに負けじと見つめ返す。 「自分の『正しさ』に納得がいくように生きるだけだ。それだけなんだよ」 話終えると、カナコは静かに立ち上がった。 「…超ロリコン変質者さん。ありがとうございました」 「君、頼むから名称に改良の余地を」 「変質者さんが言ってくれた言葉、実践してみます」 カナコの顔は心なしか明るかった。 「健闘を祈る」 僕が笑って答えると、不意にカナコはニコリと微笑んだ。 「じゃあ、早速実践してみますね」 その笑みは本当に魅力的で、僕はうっかり見とれて。 ちゅ その間隙を突いて、カナコは僕の頬にキスをした。 「なっ!!!??」 「早速自分の正しさに正直になって、嫌がらせしてみました。これで本当の犯罪者ですね」 コロコロと笑いながら、カナコは駆けていく。 「ちょ、待っ」 「さよなら長沢さん!また必ず会いましょうね!カナコをお嫁さんにして下さいね」 「君!」 とんでもない発言を繰り出しながら、カナコは一瞬で森林の中へ姿を消した。 ちょっと何処へ行くんだ! このままだと僕は犯罪者に!君! カナコ…カナコちゃん…かな… ガバッ 「カナコちゃん!」 「はい」 目が覚めると、其処はいつもの薄汚れた研究室の天井。 慌てて振り返ると、待ち構えていたかのように香奈子嬢が冷えたアイスティーを僕に差し出していた。 「よく眠られていましたね。この学会が迫っているクソ忙しい中、流石教授ですわ」 「ああ…昔の夢を見ていたようだ」 遥か昔の出来事。 夢の中ではあんなに鮮明な情景だったのに、こうして目覚めてみると、あの少女の名前さえも思い出せない自分が居た。 「何て名前だっけな…確かカ行なイメージだったんだが」 「夢で何方かに会われたのですか?」 「ああ、昔会った綺麗な女の子でね…名前が…カ…キ…」 「あら、そうなんですか」 「ケ…ケイコ…?そう本当に綺麗な子で…あ!勿論香奈子嬢の美しさには到底及ばないがね」 「綺麗な女の子って…教授、ロリコンですね」 「だから僕はロリコン変質者じゃない!…ってあれ…これも昔何処かで」 すると深刻に悩み始めた僕が余程おかしかったのか、 香奈子嬢は堪えきれないといったように笑い出してしまった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |