『鶴が恩を返したり返さなかったり』
 
昔々有る山の麓に、アイクという猟師が住んでいました。
猟師とは云うものの、小さいながらも畑も持っていた為、自分が食べる分以上の獲物を穫る事はありませんでした。
雄大な山々がその姿を白い化粧で覆う頃。
干し肉の備蓄に不安を覚えたアイクは、家の裏山に獣用の罠を仕掛けました。
いつもなら愛銃ラグネルでしか獲物をしとめない彼ですが、この時は勝手が違います。
例年に無く長引く冬には、銃で穫れる分には限界があるのです。
「鉄砲と違って長く苦しませるからな…なるべく早く見に行こう…」
心優しいアイクはなるべく早く獲物を殺してやろうと決め、雪の中へ罠を埋めて帰りました。
 
氷の薄く張った湖に、一群の鶴が集まっていました。
その中心には一羽の美しい鶴。赤いはずの頭の模様はなく、全体的に薄青い羽根をしていました。
『というわけで、貴方にはこの群れを出て貰います』
一羽だけ違うその鶴に向かい合って、ひときわ大きなくちばしの鶴が云いました。
『この群れはもう、お父上が治めていた群れではないのです。貴方のような見た目の違うものを、受け入れる訳にはいきません』
そういわれた青い鶴は、黙って頭を下げてその場を飛び立ちました。
雪原に紛れる白い羽根は、鶴達を守る天然の砦の一つ。それを生まれつき持たないものは、群にとって迷惑な存在です。
鶴はそのことを最初から知っていました。
皆が受け入れてくれていたのは、群れの長が父であったからに過ぎない事も。長が変わった今、群れを出なければならないことも。
それでも、鶴は群れを愛していたし、色は違えども仲間だと思っていました。
鶴は飛びながら、泣いて、泣いて。泣きつかれるまで飛んで、雪化粧の山に降り立ちました。
『これからどうしよう…』
途方に暮れて、鶴はあたりを歩き回りました。
と、その時、足下から不意に金属音がして、脚に鈍い痛みが走りました。
『…っ痛!!な…なに…!?』
それは鋭利な噛み合わせ歯のついた、狩猟用の罠でした。
鶴は頭が良かったので、それが何なのかを知っていましたし、これからどうなるかも解っていました。
ですが、もう逃げようが有りません。
細い脚はしっかりと罠に食いつかれ、暴れたくらいで抜ける気配は微塵もないのです。
『いいや…どうせ行くところもないんだし…』
鶴は諦めてその場にうずくまりました。
せめて眠ろうとしましたが、脚の痛みで眠ることも出来ませんでした。
 
明くる朝。早すぎるほど早く、アイクは家を後にしました。
初めて仕掛けた罠の事を思うと、妙に後ろ暗くて満足に眠れなかったのです。
「いっそなにも掛かってなければいいが…」
こんな想いをするならばと空の罠を早々に回収して、アイクは進みました。
一つ、また一つと、旧式の罠を回収するたびに、それを避けて走る足跡にほっとします。
最後の罠に近付いて、そっと耳をそばだてました。
何の音もしない罠に獲物はいないと思ったアイクは、安堵して茂みを掻き分けました。
と、果たしてそこには、一羽の青白い鶴が、ぐったりとして掛かっていました。
周りにも暴れた後は有りません。
全てを諦めたように、鶴は綺麗な真っ青な瞳で、虚ろにアイクを見上げました。
今にも消えてしまいそうなほど、儚い目をしていました。
「…すまん…」
言葉にした途端にものすごく悪い事をした気がして、アイクはその鶴を罠から外しました。
そうして優しく抱き抱えて、アイクは鶴を家に連れ帰りました。
丁寧に食い込んだ歯を外し、傷ついた脚に添え木をしてやります。
幸い、骨には異常は無いようでした。
『どうして手当てなんかするんだろう』
食べられるとばかり思っていた鶴は、不思議そうに目の前の猟師を見つめます。
そんな視線を受けたアイクは、少し照れた様な顔をして云いました。
「…鶴は細くて食いでがないからな…」
彼はとてもとても素直ではない青年だったのです。
すりつぶした魚のご飯を貰い、そっと頭を撫でられて。漸く鶴にも、それが解りました。
 
やがて冬も更にその厳しさを増す頃、鶴はとても元気になりました。
庭に出ては土を掘り返して餌を探したり、アイクの作った団子を一緒に食べたりしました。
彼もそんな鶴の様子を見て、微笑ましく思っていました。
罠を仕掛けることにすっかり嫌気がさした彼は、その後二度と罠を使いませんでした。
ですが、冬はまだまだ長く、獲物の少なさも続きます。
三度のメシには肉が好き!なアイクも、もう何日も愛する肉を口にしていません。
共に暮らしながらも鶴は、非常食になる日も近いのではと思っていました。
そんなある朝、アイクは鶴を山に放してしまいました。
「今度は捕まるなよ」
そういって手を振るアイクに、なんとか恩返しがしたい。
何処にも行くべき場所も無く、ひっそりと死んでいくだけだと思っていた鶴。
そんな鶴にとってアイクと過ごした時間は、かけがえのないものになっていたのです。
罠を仕掛けられない猟師と同じくらい優しい鶴は、山の奥でこっそりと人に化けました。
野生の動物の殆どは、人に化ける事が出来ました。
といっても、用心深い動物達は正体を表す事は無いので、人間に知られる事はありません。
精々ハメを外しすぎた狐狸の類が、シッポを出して騒がれる程度です。
何処にも行くところがないのなら、せめて食いでのある姿で、優しい彼の糧になろう。
それが群れを追われ、生きる場所を失った若い鶴の決断でした。
 
空色の髪と青い瞳、薄青い衣を纏った美しい女性が、その晩アイクの家に訪ねて来ました。
「こんばんは…お久しぶり…じゃなかった、初めまして。君に食べてもらいに来ました」
彼女はそういうと、玄関で美しい顔を伏せて三つ指をつきました。
困ったのはアイクです。
何しろ全く見覚えのない物凄い美人が、一人暮らしの男に食べてくれと現れたのです。
据え膳と云えば据え膳なのかも知れない、ともちらりと思いましたが。
男一人でそんな欲を向ける相手も無い若い肉体に、不自由が無い筈もありませんでしたが。
正直に云うなら物凄く好みでしたが。
それでも、余りにも唐突すぎてどうして良いか解りません。
「いや、ちょっと待て…人違いじゃないか?」
努めて冷静さを保ちながら、アイクは彼女に問いかけます。
ですが、土間に頭をこすりつけるほど頭を下げた女性は、そのまま頭を横に振りました。
「ううん、君に食べて欲しいんだ…アイク」
名前も間違っていないと解り、いよいよもってアイクの混乱も深まります。
何しろ名前も顔も知らない女性に、しかも美人に言い寄られるような覚えなんて。
そんなもの、何度脳味噌をフル回転させてもあり得ません。
兎に角いつまでも土間に土下座をさせる訳にもいきません。
何しろここは冬の雪山で、しかも彼女は薄い着物一枚なのですから。
「…取り敢えず、一度上がれ」
細い腕を掴んで強引に立たせた女性は、長身のかなり細い体をした女でした。
青色同士の目が合って、思わず顔を逸らしたアイクは、ふと手の中の異常に気付きました。
掴んだ彼女の腕は、物凄い熱でした。
考えてみればこんな雪の日に、こんな薄着で外を歩いていて、無事な訳がありません。
彼女が何処の誰で何の目的であんな事を云ったのか、なんてことは一瞬で忘れて。
アイクは思わず彼女を叱りつけました。
「馬鹿野郎!こんな熱でふらふら出歩く奴があるか!!」
「え?でもこれ平熱…」
「そんな訳があるか!40℃はあるぞ!?」
「だって鳥類とニンゲンとは平熱が違う…」
訳の解らない事を言い出した彼女を制して、半ば無理矢理に部屋に連れ込みます。
決して綺麗とは言えない部屋ですが、元々物が少なく殺風景なので、特に躊躇はありません。
敷きっぱなしの煎餅布団にねじ込む様に寝かすと、初めてふぅと息を吐きました。
「あんた一体何なんだ?何故俺を知っている?」
枕元に座って額の熱を確かめながら、一応病人だからと気を使って、なるべく優しい口調で尋ねました。
「それから…その、なんで食べてくれなんて云った?」
「それは…君が罠を仕掛けるのを止めちゃって…あんまりお肉を食べていなかったから…」
彼女は自分の気持ちをぽつりぽつりと語ります。
が、まさか鶴が人に化けるなどと、想像も付きません。
「よく解らんが、行くところがないのならここに居ればいい。だがもう少し自分を大事にしろ」
完全に勘違いしたアイクは、戸惑う彼女の髪を梳く様に撫でて、微笑みました。
 
空色の髪の女性は、マルスと名乗りました。
雪解けを待つ山の麓の掘っ立て小屋で、マルスとアイクは仲良く暮らしました。
マルスの熱は全く引かず、アイクはいつも心配そうです。
が、とても元気そうなので家から出ないよう言って、留守を任せて狩りに出る様になりました。
最初は料理も掃除も苦手だったマルスですが、すぐにとても上手になりました。
米の研ぎ方も知らなかった彼女も、今では美味しい料理を作ります。
生魚を丸のまま出す事も無くなり、昆虫がおかずの皿に乗る事も無くなりました。
元々物覚えの良い聡明な女性で有ったのです。
彼女がちゃんとした料理を覚え、食卓を見たアイクが驚愕する事がなくなった頃。
遂にアイクの家の備蓄は、底をついてしまいました。
やむなく狩りに出かけようとするアイクですが、折しも外は季節はずれの吹雪が舞っています。
「危険だよアイク…行っては駄目だ」
小紋の袖に縋りついてふるふると首を振るマルスに、アイクはそっと手を重ねます。
「解っているが、いつまでこの吹雪が続くかも解らない…お前に不自由はさせたくないんだ」
思えばいきなり転がり込んで来た、押しかけ女房の様な彼女。
一体いつからかと云われれば、最初から一目惚れだったのかもしれません。
兎に角物凄く、アイクはマルスを好きになっていました。
吹雪の中に、狩りに飛び出せてしまう位に。
けれどそれは、マルスにとっても同じでした。
「駄目だよ…ご飯ならなんとかするから…」
そういうと彼女は、暖を取る為にと焚かれた囲炉裏に近寄りました。
「なんとかって…もう食材はないんだぞ」
アイクの言葉に耳も貸さず、マルスはふぅ…と息を吐いて目を閉じました。
薄青い着物は見事な羽毛へ。
細い足は更に細く、長く伸びたくちばしと同じ黒へと変わります。
あまりの事に目を見張るアイクが見たのは、囲炉裏の火に飛び込もうとする、一羽の美しい鶴の姿でした。
 
『食い出がない』
そう云われた時、ヒトに化ければ肉の量も増えると思ったが、どうやらヒトは共食いはしないらしい。
だから今度は鶴に戻って、今度こそ食べてもらおう。
青い瞳を見開いて、囲炉裏の火を見つめる。赤い炎。
熱いんだろうな。そんな風に思う。思うだけだ。
羽ばたいたらホンの一歩だけ。それだけで、彼の飢えは少しは収まるだろう。それでいい。
たったそれだけで、少なくとも彼が飢え死にする事はないのだ。
マルスにとってはそれが、何よりの幸福の様に思えました。
 
「何やってるんだお前は!?」
いきなり火の中に飛び込もうとした大きな鳥を、アイクは寸での所で抱きとめました。
目の前で何が起こったのかは、実はさっぱり解りません。
ただ、見間違いで無い限り、どういうわけかこの鳥がマルスらしい事だけは解りました。
何が起こったのかより、マルスが火に飛び込もうとした事の方が、アイクには重要だったのです。
ヒトの言葉が解らないのか、それとも解っても話せないからなのか、鳥になったマルスはきょとんとしてこちらを見上げてきます。
そんな様子すら可愛らしくて、思わず溜息を吐いて、「兎に角元に戻ってくれ」と告げました。
 
「で、食料になりに来た…と?」
人型に戻ったマルスの言葉を聞いて、盛大な溜息を交えてアイクが云うと、彼女はコクリと頷きました。
羽毛の色のせいで異端扱いだった事。守ってくれた父が死んだ事。群を追われて死を待つだけだった事。
アイクの罠に掛かった話をした時だけ、黙って聞いていたアイクが小さく「ごめん」と呟きました。
小さく首を振って、その後彼に拾われて永らえ、その恩を返すために肉好きの彼の為に食料になりに来た事。
そこまで話したときに云われた言葉が、先程のそれでした。
「最初から食べて貰いに来たって云ったじゃないか…」
ちょっと不機嫌そうにマルスがいいますが、アイクは何故か真っ赤な顔で怒ります。
「いや確かにそうだが言い方を考えろ!もう少しでお前に妙な事をするところだ!!」
思わず本音を口走ったアイクに、マルスはきょとんと純真なまなざしを向けて来ました。
どうやら『食べる』の別の意味は知らない様です。
口篭ったのを咳払いで誤魔化して、「兎に角、だ」とアイクは話を続けます。
「そんなどこぞの焚き火に飛び込んだウサギみたいな真似されても喜べん」
俺は仏陀じゃないからな。
その話で仏陀が喜んだのかは定かでは有りませんが、自分が彼女の死を喜ばないのは確かです。
なんとかそれを解らせる為、囲炉裏のそばに差し向かって言葉を紡ぎます。
「俺はお前が好きだし、お前が居てくれて嬉しい」
「僕もだよ…僕も君が好きだ…だから君の糧になりたかったんだけど…」
お役に、立てなかったね…。
ぎゅっと握った手は小さく震えていて、今にも泣きそうだと伝えます。
アイクはそんなマルスの手に手を重ねて、そっと身を寄せました。
「役になら、立ってる」
「え?」
驚いて見上げると、澄んだ青い眼が優しくマルスを見つめていました。
「お前が居てくれるだけで良い。食料なんかになるより、ずっと一緒に居てくれないか?」
小さな手を包み込んで、細い肩を抱き寄せて、唇が重なる程近付いて。
アイクはマルスに告げました。
「俺の嫁になって欲しい」
 
 
優しい狩人の言葉に美しい鶴の娘がなんと応えたのか。
その答えは山の麓の小屋へ行けば、勿論もう尋ねるまでもありません。
冬に耐え春を迎えた彼達の小屋には、沢山の子供達の声が、何度冬を越えても響いていました。


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拍手ログだったのですが長すぎるので独立させました。
一応手直しもして有ります。

取り敢えず長すぎると思います。本当にすみません。
今度またこういうパロするならもっと短いのにしたいと思います。