妙齢の女の身で有りながら、世継ぎの男子をと切実に願った父の為、紋章の王子の名を立派に背負うマルス。
だが、彼女がどれほど武勇に優れ、男の様にと振る舞う努力を重ねても。
女として逃れられない事態というものは、数多く存在する。
たとえばそれは、わざわざ深夜を選ばなければならない入浴時間だったり。
本来の性別を知られない為にと部屋に置いた衝立だったり。
 
月に一度の体調不良も、その代表的なひとつだ。
 
『月と彼女』
 
夏も近づき、日の落ちる緩やかな速さに戸惑う頃。
遠く続く茜空の下、石造りの乱闘寮の一階部分。
そこに位置する食堂からは、久方ぶりに戻ってきたマスターハンドの作る夕飯の、芳しい香りが流れる。
普段より少な目な食事を、いつもより時間を掛けて平らげたマルスに声を掛けたのは、はす向かいに座るリンクだった。
「アンタ、もう食べないのか?」
「うん、あまり食欲がないんだ」
反射的に浮かべられた心配そうな表情に、「大丈夫」と笑いながらマルスは云う。
王族で有りながら一時は追われる身であった、という経験がそうさせるのか。
マルスは食べ物を残すことを強く嫌う。
今宵の膳もそれは綺麗に完食していた。
だが、盆に残った皿を見るに、その内容は『サラダ・パン・スープ』程度の物だと解る。
それでは余りに少ないだろうと、リンクが声を掛けたくなったのも無理からぬ事だった。
「いくら何でも少なすぎるだろう。明日の試合で倒れても知らないぞ」
「明日?」
きょとんとして繰り返すマルスに、リンクは溜め息をついて壁を指さす。
灰色の石積みの壁に、大きく張られた紙。
明日の乱闘の対戦表だ。
そこには朝一番と夕方に、マルスの名前が刻まれていた。
「あ、あれ?」
理解出来ないとでも云うように首を傾げるマルスに、「対戦表くらい見とけよ」と苦笑して、リンクはその場を離れた。
 
「気になってはいたんだよ」とは、ドクターマリオの言葉である。
食堂の裏手の小さな部屋。
簡単な救急セットと簡易ベッド、それに少しの専門薬を揃えたそこは、彼が受け持つ大会医務室だ。
彼は勿論マルスの秘密を知っている。
選手の健康を預かる者として知らない訳にはいかないという言葉に、マルスも異を唱えはしなかった。
事実こうして毎月のように鎮痛剤を貰いに来ているのだから、どのみち知れるのは時間の問題だっただろう。
真っ白いシーツのベッドに腰を下ろして、薬棚に向かうマリオの背中を溜め息混じりに見遣る。
いつもなら体調不良を理由に彼に診断を出して貰い、大会を一時欠席する期間だ。
だが、今月はそれをすっかりと忘れていた。
何のことはない、もっと別の何かに気を取られていたせいなのだが、当のマルスはその対象には思い当たらない。
よもや、自分が初恋の入り口に立ったから、など。
「今からじゃ間に合わない…よね」
「無理だなぁ。せめて明後日ならなんとかなったかも知れないがね」
薬棚から綺麗な緑のカプセルを取り出して、ドクターは気の毒そうに首を振った。
「そうだよね…」
急病なら例え当日でも休みの申請は出来る。
だが、あらかじめ申し出ている場合と違い、その試合には穴が開くことになる。
責任感の強い彼女がその選択を考えていないのは明らかだ。
いつまで経っても今月の休みを願い出ないマルスに、若干の不安を覚えたのは事実だった。
だが、流石のドクターも女性に対して『今月はまだか?』と聞くわけには行かない。
そうして放置してしまったのが、矢張り不味かったらしい。
「いつもより強めの鎮痛剤は出すけれど、貧血だけはどうしようもないね」
普段なら錠剤を渡されるところだが、今回は透明に緑を色づけたカプセルだ。
それを手渡すドクターの顔はとても心配そうで、思わずマルスは笑顔を取り繕う。
「大丈夫、他の女の子は休んだりしていないし、僕も頑張るよ」
 
心配そうなマリオに礼を云って医務室を出ると、自室への階段を昇る。
食後だからと早くも飲み込んだ鎮痛剤が効き始めるには少し間があった。
その間も鉛を抱え込んだ様な鈍痛が腹の底から響く。
時折歪む視界は明らかに貧血の症状だ。
少しでも安心させられればと強がりを云っては見たが、辛い事に変わりは無い。
他の人が休むかどうかは体質に寄るという事くらい、マルスにも解っていた。
自分のそれが、明らかに休むべき体質である事も。
しかして、マルスにはそう出来ない理由があった。
冗談じゃない。戦うどころか、皆に案じられ、まともに動けもしない王なんて。
そう思ってマルスは、努めてしっかりと、力を込めて階段を踏みしめる。
他国の王がどのような存在かは知らなかったが、マルスの祖国では第一線で兵を率いて勲しを手に入れる、戦う王が必要とされる。
生まれた性別がどうであっても、マルスは王になるべく育てられた。
だからどうしても、弱くあることを自身に許せはしなかった。
「遅かったな」
ただいまを云うべき部屋にたどり着くより前に、頭上から声が降った。
同郷で同室の、アイクの声だ。それとほぼ同時に、重かった体が軽くなる。
腹を庇うように前屈みに歩いてきた体を、屈強な腕が支えていた。
「何してるんだ、アイク…」
「それはこっちのセリフだ」
殆ど抱え上げる様にマルスに手を貸しながら、困った子供でも見るように云うアイクの顔は例えるなら兄のそれに近い。
「医務室に直行する程体調が悪いなら、迎えにでも呼べば良かったんだ」
云われて反論しようとしたマルスだが、何て云って良いか解らない。
『いらない』というには、既に現状で頼ってしまっている。
『申し訳ない』といえば、気にするなと云われるだろう。
『大丈夫だ』と云ったところで、説得力が無いことは自覚していた。
何を云って良いか解らなくて、結局マルスは「ごめん」と小さく呟いた。
「迷惑を掛ける…すまない」
せめて頼りすぎない様に。寄りかかりすぎないように。
支えられる体をなるべく自分自身で立たせて云うマルスに、アイクは半ば呆れて云う。
「あんた、馬鹿だな」
「へ…?」
「迷惑なら、迎えに行かない…俺を嫌いなのは解るが、こんな時位我慢しろ」
そういって、軽々とマルスの体を支え、もう一方で扉を開き。
入って右のベッドの上、青い上掛けの上にその体を優しく横たえて。
アイクはようやく、その手を離した。
「ありがとう…」
壊れ物のように丁重に扱われて、思わず声が上ずった。
だが、アイクはそれには触れず、軽く首を振る。
「いい…それより…」
手に対戦表を持って、溜め息を一つ吐いて、「明日は棄権しろ」と一言。
朝と夕方のたった二回。
だが今のマルスにはその二回ですらかなり辛いものだろう。
そう思っての提案だったが、答えはアイクの予想通りだった。
「そういう訳にはいかないよ…試合に穴を開けてしまう」
「…云うと思った」
今日だけで幾度吐いたとも知れない溜め息を吐いて、ベッドの上に体を起こす人影を見る。
細い体。腕力も体力もそう有るとは思えないが、意地と気力は時に信じられない程だ。
血の気の引いた顔色。荒い息で肩が微かに上下する。
どんな病気とも怪我とも解らないが、彼が普段から気丈に振る舞っているのを知っている。
これほどまでに辛そうにしているのを見るのは初めてだった。
良く考えれば月に数度寝込んでいる時があったが、風邪か何かだろうと思っていた。
だが、触れてみたところ熱もなさそうだし、何か妙な病気にでもかかっているのでは?と思わせる状態だ。
そんなルームメイトを試合に出すなど、出来る筈もない。
「駄目だ、やっぱり休め」
首を強く振ってきっぱりと告げるアイクにも、マルスは泣きそうな顔をして反意する。
「っだから、試合はもう決まって…」
「代わりに俺が出ればいい。幸い試合は被らないからな」
そういって指し示す対戦表には、確かに同じ時間帯にマルスとアイクの試合は被らずに書かれている。
だが、アイクは昼から連続で五試合。午前中は兎も角、午後はずっと出ずっぱりで試合に臨む事になる。
「それこそ駄目だ。いくら君でも、もたないよ」
「今のあんたよりはマシだ。いいから休め。でないと縛り付けてでも休ませるぞ」
そこまで言われては、最早抵抗する言葉も見つからない。
小さく「ごめんなさい…」と呟くマルスの頭をそっと撫でて、「気にするな」と彼は言った。
「今度自分が悪くないときに謝ったら、晩飯のおかずを一品奪う」
大真面目にそう宣言されて、思わずマルスは笑ってしまった。
 
翌日のアイクの自爆っぷりは、それはもう歴史に名を刻めるレベルのものだった。
もともと復帰の苦手な彼が、更に頼みの綱の体力まで奪われては、自爆をするなという方が難しい。
それでも彼はなんとか最終試合まで戦い続け。
結局の所、試合終了と同時に医務室へ直行した。
幾分か具合の良くなったらしいマルスが、涙を浮かべて迎えに行って、そっとその傷を撫でて。
「ごめんなさい…」
と呟くと、ニッと笑ったアイクは「晩飯、覚悟しとけよ」と返した。
 
「なんだかな…もどかしいですよねー…」
対戦相手だったアイクを心配して駆けつけたピットが、医務室前の廊下で溜息混じりに呟く。
隣に同じ理由でやってきたルカリオは、苦笑して頷いた。
「まぁ、片想い同士というか…微笑ましいと思うが…」
「見てるこっちが恥ずかしいですよ!」
小声で怒鳴る様にいう天使の目に光るものを見つけても、ルカリオは何も言わなかった。
 
夏の近付く、清清しい夜だった。

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遂に書いちゃったよ月イチ女の子の日ネタ。
この変態めって感じですな。自重しろと。だがしない!(お止め
症状はホント多種多様だなーとか思ってます。
一応マルスさんの今回のはソース自分。
毎回死ぬの?って感じです。輸血したいレベル。
しないけど。

つーかほんと最近ピト→アイでごめんなさい。
基本アイクは総受。(ぇ?