石造りの建物は、高く取られた天井のせいもあってか、靴音が良く響く。
長い廊下にはゆらゆらと灯りが揺れて、その下で金髪の子供がこちらをみて小さく息を呑んだ。
そんなにも恐ろしい形相をしているだろうか。
普段ならいくら不器用な自分でも、詫びの言葉位は掛ける所だが、今はそんな余裕はない。
部屋と部屋を繋ぐ廊下は、ときおり壁も天井もない、橋のような造りを持つ。
そんなふとした切れ間から、墨を塗った様な空が見える。
暗雲。不意に浮かんだ言葉に強く首を振る。
まだ何も始まっていない。
何の努力も、行動さえもしていない。
ここからだ。全てはこれからだ。
そう強く思って、アイクは自室であり、彼の部屋でもある端部屋のドアに手を掛けた。
 
『幕開け』
 
「お前バカだろ」
あっさりきっぱりはっきりと言い放たれた言葉に、アイクはしばし言葉を失った。
「なんだいきなり」
失礼だと告げると、相手はフンと鼻で笑う。
「失礼はどっちだ、せっかく協力してやったのにこのバカめ」
食事の時間にはまだ早過ぎる、誰も居ない食堂。
壁際のテーブルで強めの酒をショットでやりながら、スネークは大きく溜息をついた。
いるか?と奨められたが、さほど酒好きという訳でもない。
軽い酒なら皆で呑む事も有る。
だが。
ご愛用のグラスに揺らめく濃い琥珀色の液体が、宴会や何かで呑む代物とは違う事くらい、鈍いアイクにも解った。
「俺はそんなに酒好きじゃない。勿体ないからアンタが飲め」
「そうか、まだまだガキだな」
確かにどう見繕っても親子に近い年齢差に見える相手だ。
しかし、一般的なその年頃の青年がそうである様に、アイクもまた突然の子供扱いに不満を浮かべた。
「何なんださっきから…失礼だぞ」
「事実を言ったまでだ。早合点して想い人を泣かせた挙げ句、勝手にフラれたと落ち込むとは…揃いも揃ってバカなガキだ」
言いながら一息にグラスを煽る。
残った滴が天井のシャンデリアの光を受けて、木目調の机に飴色の影を落とした。
「早合点…って、どういう事だ?俺はただマルスに…」
「釣られやすいな団長殿。相手が誰とは言ってないぞ?」
ククッっと笑うと、アイクの顔はさぁっと赤みが差した。
それでも無謀に言い返す程愚かではない。
ぐっと堪えて、視線を落として。
足りない知識と経験値を総動員して悩む幼い傭兵を、同じ職に付く玄人は満足そうに眺めた。
食事の時間が来て皆が周りを歩いても、美味しそうな肉の匂いが漂っても、アイクは微動だにせずただ立ち尽していた。
幾人かはそんな彼を案じて声を掛けたが、反応が無いのでどうすることも出来ない。
「色々あるのよ」とゼルダに諭されて、渋々と引き下がった。
やがて、食堂の中央に陣取る巨大な地球儀がきっちり四半分回転し、皆が仁王立ちのアイクを残して部屋に引き上げきった頃。
突然くるりと身を翻し、アイクは乱暴にドアを開けて食堂を出て行った。
 
石造りの壁に取り付けられたドアノブを捻る。
自分の部屋だ、ノックの必要はない。
「…おかえり」
弱々しい声に、一瞬自分の探り当てた解答が信じられなくなるが、それでも。
アイクは大きな歩幅でベッドに座るマルスに近づいた。
「ど…うしたの?」
青く澄んでいた瞳は彩度を失くし、微かに腫れた目もとは明らかな涙の痕を示していた。
先程迄のアイクなら、その泣き顔だけで怖じ気付き、掛ける言葉を見失っていただろう。
だが、今は違う。
泣かせたから、哀しませたからと話を止めてしまうのは、必ずしも良いことではない事を知った。
泣かせてでも、伝えなければならない事を知った。
誰とは言ってない。
そうスネークに言われて、初めて気付いた。
自分も、誰が好きかを言ってない。
彼が自分の告白相手を、誰と思っているかも聞いてない。
ようやく、それに気付けた。 だから。
「マルス、好きだ」
きっぱりと、怒鳴りつける様な強さで。
アイクはマルスにそう告げた。
 
アイクが帰る音を聞いて、ようやくご飯を食べ損ねた事を思い出した。
おかえりと告げた声が、思った以上に弱くて驚く。
また困らせてしまったのではないか。
そう思って見上げたアイクの目には、朝の試合前と同じ決意の色が見えた。
「ど…うしたの?」
戸惑いながら尋ねると、不意に力強い腕で、肩を掴まれた。
驚く間も無く間近に彼の顔がある。同じ青い目。青い髪。
マルスの青は空の色の様だと言われた事がある。それでいくなら、彼の青は海の様に深い。
泣きはらした無様な顔など、見られたくないのに。顔をそらして隠れてしまいたいのに。
深海の淵を覗き込んだみたいに、その青に深く引き込まれる。
瞬きも出来ずに見詰め合うと、驚くほど強い声で、驚くような言葉が聞こえた。
「マルス、好きだ」
「は…?」
脅かされた仔猫みたいな顔になっていただろう。
そう思い返せるほどに、目を見開いて驚いた。
「好きだ。好きだ。俺はあんたを愛してる」
一息に強く愛を囁かれて、思わず自分の頬を叩いた。
「…痛…」
「…何やってるんだあんた」
当たり前の様にやってくる痛みに顔をしかめると、呆れた声とともに叩いた場所に手が触れる。
ごつごつとした、武骨な手。長く剣を振るっていたことが解る、硬くなった皮膚。
なんだか酷く恥ずかしくなって、マルスは慌てて目をそらした。
「夢…かなって…。て、いうか…兎に角座って!」
真っ赤な顔で慌てて腰掛けていたベッドの上で少し場所を詰める。
前までは何となく理由をつけて座りたがらなかったアイクが、今日は素直に隣に座った。
驚くほど近く、抱きしめる様な距離に。
「夢だった方が良かったなら謝るが、断じて夢じゃない」
真面目な顔で再び「好きだ」と告げられて、もうまともに顔も見られない。
「ほ、んとに…?本当に、君が好きなのは…」
「あんただ、マルス」
弱々しく向けられた質問を遮って言われた言葉に、漸くマルスは顔を上げた。
「本当に…?」
「ああ。俺はあんたが好きだ、マルス」
「誰かと、間違えたりしてない?」
「間違えない。俺が好きなのは今目の前に居るあんただ」
真っ直ぐな目で真摯に告げられた言葉を、疑う必要は最早無かった。
思い切り手を伸ばして、力いっぱい腕を回して抱きしめる。
腕に、肩に、頭に込められる圧力が、抱き返された事を教えてくれた。
「ごめんね…何度も言わせて」
耳に寄せた唇で小さく呟くと、アイクが笑うのが解る。
「いや、俺が何度も言いたかったんだ」
ぽんぽんと、叩くように撫でられる髪が心地良い。
泣いているうちに足し忘れたランプの油が、シュッと云う音を立てて燃え尽き、部屋は漆黒に包まれた。
視界を奪われた室内に、お互いの呼吸音だけが響く。
と、急に腕を離されたかと思うと、肩を抱き寄せられて唇をアイクのそれで塞がれた。
触れるだけの、あわせるだけの、一瞬のキス。
幼いそれが、より一層気持ちを高ぶらせる。
灯りが消えていて良かった。きっと今は茹で上がったみたいに真っ赤だろう。
そう思って次を待って居ると、アイクが躊躇う様に言った。
「…マルス、すまんが…その…答えをくれないか?」
「答え…?」
「だから…告白の」
キスまでしておいて今更、と思いもしたが、そういえばキチンと言葉にしていなかったと気付き、小さく咳払いして口を開く。
「僕も君が好きだよアイク。君さえ良ければ、恋人になって欲しい」
そう告げると、暗闇の中で深く頷くのが気配でわかった。
どちらからとも無くもう一度抱き合う。真っ暗闇の中、探り合う様に唇を合わせる。
お互いそういった経験は無いが、だからこそ次の行為を二人で探す楽しみがある事を知った。
触れる以上に深いキス。舌を入れる事や、甘く噛み合う事を覚える。
やがてそれ以上の快楽を求めて、アイクの手はマルスの服の止め具に掛かった。
「アイク…?」
急に止められた手を不思議に思い、マルスが声を上げる。
「なぁ…マルス…」
「うん…どうしたの?」
諭すように撫でた肩から緊張と共に伝わるのは困惑。
嫌な予感がして慌てて尋ねると、アイクは心底真面目な声で言った。
「…すまないが、男同士のやり方と云う物を、教えてはくれないか?」
 
その言葉で我に返ったマルスが、「今度調べとく!」という言い訳で逃げ出したのは云うまでも無い。

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なんだかんだで我慢を強いられるアイク(笑)
とりあえず告白→両想い=あれ?このままだとアイクほもじゃね!?っていう展開です。
この展開は寮生活シリーズを描き始めた当初からやりかったモノなので、漸く当初の予定に戻ってきたという感じです。

それにしてもスネークの面倒見が良すぎる…。
なんだかんだでスマブラの年長者はみんな、子供の成長を見守ってくれるタイプに見えてます。(一部除く)

もうすこしで終わる予定です。どうぞ海より広い御心でお付き合い下さいませ。