9*7です。劇場版UBD/DVD特典ドラマCDのネタバレを含みます、要注意。





それは戦争の終わりを記念する特別な日付の朝だった。
独房で一人ぼんやりと射し込む朝日を見ながら、篁カオル今見たばかりの夢を何度も反芻していた。
青いスーツの眼鏡の女性。顔も何もかも見覚えは無かった。
けれど、今まで通り過ぎて来たたくさんの女達とは違う、特別な何かがあった。
彼女が口を開く。なんだかとても残念そうだ。
その顔は光に溶けて上手く見えないけれど、泣いている。そんな気がした。
どうしてだか解らないけれど、彼女の泣き顔は見たくない。憂い顔だって見たくない。
そう思って。
「どうしたんだよ…泣くなよ…頼むから、泣くなよ!」
『juiz!!』
そう叫ぶ自分の声で、篁は寝床から飛び起きた。
夢見た理由は出所の日まで解らなかったけれど、その時カオルは、二度とジュイスの声が聞けないと理解した。

九月七日の事情。
 
残暑厳しい九月の初め、返されたままの服でつい向かった先はその場所だった。
季節柄とても目立つ格好だったけれど、なんとなくそのままで居たくて、気温の低い明け方を選んでやって来た。
どれくらいぶりだろう。そう思いながら懐かしい歌舞伎町に立つ。
自分の刑期は勿論覚えていたけれど、もっと短い様にも、永遠みたいに長い様にも感じた。
日が昇り始めたばかりの不夜城は、いつも通りの様相だ。
客引きを諦めて店に戻るホスト。髪も化粧も店のまま駅へ向かうキャバ嬢。
終電を逃して始発を待つ若者や、彼らを追い立てつつもどこかやる気のない警官達。
酒と生ゴミと、出所を知りたくない酸っぱい異臭が、この薄汚くも美しい町にピッタリだった。
これからどうしようか。
もう此処には居られない。それは確かだ。
自分が捕まった事で迷惑をこうむっただろう人々の顔を思い浮かべて、篁は大きくため息を吐いた。
ああいう連中は損得で動くからまだいい。だが、そのバックはそうじゃない。
損得よりも面子で動く。だから危険なのだ。
だが、今更故郷に帰るのはどうだ。帰れるだろうか。帰って、いいのだろうか。
ズボンのポケットから大ぶりな携帯を取り出す。
紫に近い青と、銀色の円盤からなるその携帯を愛おしそうに撫でて、円盤の中心を押そうとして。
篁の指は直前で止まった。
出所する時に返されてから、何度も押そうとしたそのボタンを、ついに一度も押せないでいる。
どうしても『二度と繋がらない』という事実から逃げたいのだ。
我ながら女々しい。そう思う。
けれど、『彼女』は自分が心を開けた数少ない人間だったのだ。
心を開いた相手、という所でもう一人の顔を自然と思い出す。
けれどその相手はきっともう、自分の事なんか覚えていないだろう。
否、自分だけじゃない。自分の世界の全てを、この国の為に捨ててしまっている筈だ。
馬鹿だな、と思う。反面羨ましくもある。
そんなにまでする価値が有るものが、彼には見えていたのだから。
勿論、真似したくなんか無いけれど。
コマ劇広場に立って、ぼんやり白む空を見上げて思考を巡らせて。
ふと、周囲の空気が変わったのが解った。
しまった、と心で舌打ちする。こんな時間ならと思ったのだがそんなに甘くないらしい。
見覚えのある顔もない顔も、あちらこちらから自分の顔を確認しているのが解る。
捕まったらどうなるかなんて、想像もしたくない。
なるべくコチラが気付いたと悟られないように、なるべく太い道を通って新宿駅へ向かう。
以前広場のど真ん中で傷害事件だかなんだかがあったらしく、元々多かった監視カメラはさらに増設されていた。
いくらこの時間でも、この町に人通りの無い場所などないのだ。
慎重に周囲にアンテナを広げながら、早過ぎない早足で、カオルは歌舞伎町の出口を目指した。
ドンキホーテの隣を通って、靖国通りへ。
そろそろ痺れを切らして捕まえに来る頃だろうか。そう思って身構えて。
走り出そうとしたカオルを止めたのは、目の前に止まった一台の個人タクシーだった。
「乗って!」
後部座席のドアが開いて、次いでカーキ色のモッズコートの腕がカオルの皮ジャンを引っ張った。
普段なら乗ったりしない。だが。
その声は聞き間違える筈がない物で、カオルは迷わずタクシーに転がり込んだ。
 
「危なかったね」
事情を知ってか知らずか、屈託の無い笑顔で男は言う。
その言い方がとてもさりげなくて、なんだか無性に腹が立った。
「危ないって…っ…アンタいきなり何?」
思わず本名を呼びそうになってぐっと堪えて、無難な二人称で振り向き様に怒鳴りつける。
そんな怒号も何処吹く風というように、男は笑顔のまま言った。
「いや、なんとなくだけど危ねーんじゃねぇかなって」
違った?
そう聞かれてため息を盛大に吐く。
違わない。それは誰より自分が良く解っていた。
「いや、確かに助かった。ありがとう」
もったいぶって言って見たが、「いーっていーって」と軽く流された。
 
タクシーはメーターも回さず都内を走る。
歌舞伎町から大ガードを抜けて中央公園の先から首都高へ。
銀座を回って環状線に入ったところまでは外を見ていたが、途中で無意味と気付いて止めた。
この男がする事を、自分がいちいち考えたって、何の意味も無いのだ。
かつていけ好かないオッサンと怖気の走るドライブをさせられた事を思い出している内に、車は何処かの出口で降りた。
「で?何処行くのコレ」
お金そんな無いよ?
一般道に入ってある程度の喧騒に包まれるのを確認してから、カオルは仏頂面で声を掛ける。
ちらと運転手を見たが、何処か見覚えがある気がする普通の禿げた爺さんがニコニコと笑っているだけで、何の情報も無かった。
ただ、何かの表彰状の様な物が飾られている事と、ドリンクホルダーに布が掛かっている事。
そして驚くほど運転が上手い事くらいしか解らなかったのだ。
突然の問いに男は特に驚く風でもなく答える。
「ん?ああ、まぁ着けば解るって」
あっさりとそう言われて二の句が継げない。
そりゃ、着いたら解るだろうよ!そう思うけど。
口に出すのも馬鹿馬鹿しくて、カオルは一呼吸置いて全く違う事を聞いた。
「僕の事…知ってるの?」
「う〜ん、あんまり…」
意を決して尋ねた言葉はあんまりにもな発言で返されて、思わずがくりと肩が下がる。
「なんだよそれ…」
ため息混じりに口をついた言葉は、自分でも吃驚する位寂しさが滲み出ていて、男は思わず「ごめん」と謝った。
「ごめん、俺ちょっと事情があって二回くらい記憶消しててさ…」
「はぁ!?二回?何で増えてるのさ!?」
思わず口を挟むと、相手はきょとんとして。
それから嬉しそうに笑った。
「やっぱ俺の事知ってるんだなアンタ」
「…っ!」
しまった。そう思った。迂闊だった。
あからさまに顔色を変えたカオルとは対象に、黒髪の彼はとても明るく笑いながらひとしきり頷いていた。
「やっぱなー俺何となくそんな気したんだよ」
うんうん、と頷く男に、カオルは舌打ちを一つして悪態を吐く。
「なんだよ…覚えてたんじゃん…」
「や、だから何となくなんだって。印象に残ってる事だけちょっと思い出したんだけど…」
眉を寄せて苦笑気味に言う男の顔は、嘘を吐いている風には見えなくて。
釣られて苦笑したカオルは、「なんだよそれ…」と呟いた。
 
車は晴海通りに入る。あちこちにミサイル攻撃の爪あとが残っているのに、この運転手には関係ないみたいだ。
そういえば『彼』のアジトは豊洲にあるのだったと、抜ける様な青空に映える建物を見た時思い出した。
「ねぇ」
タクシーを降りて、勢い良く閉まるドアの音を聞いてから。
カオルは目の前を歩く男に声を掛ける。
「自分の名前は、戻ってきた?」
何となく答えが解っているけれど、敢えて訊く。返った答えは予想通りだった。
「あーいや、解んねぇや…」
ほんの少しだけ見せる寂しそうな顔。
成田空港で別れる直前に、名前を捨てた方が良いと言った時と同じ顔だ。
そんな顔をする癖に、自分の事など思い出しもしない彼が、実に彼らしくて。
カオルはひとしきり笑って、それから改めて言った。
 
「僕はカオル。篁カオル。…今の、君の名前は?」

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9/7記念に書いてみました、97です。
97といったら97です。7→ジュイス+9っぽいとか、そういうのは解ってます大丈夫です。
カオル君が凄く好きすぎてうっかり書いてしまいました。
まだまだ書き足りないくらい好きですw