お台場から銀座を過ぎて池袋方面まで。丸ごと見渡せる臨海地区の高層マンション。
飛ばされそうな風に逆らってベランダに立つと、敷き詰められた人工芝がチクチクと裸足の足裏に刺さる。
吹き込む空気に煽られて、バタバタと煩くわめくカーテンを無視してドアを閉めて。
真っ赤な車が手慣れた操作で地下駐車場へと走り込むのを、決して見逃さないように。
目を皿のようにして遥か遠くの地上を、結城は必死に見張っていた。
程なくして制限速度ちょうどのスピードで、目当ての車が駐車場地上入り口へ吸い込まれるのを見て。
結城はげんなりした様子で、姿見の中に写る自分の姿を見る。
淡いクリーム色の地に、上品な朱と紫で牡丹の咲く浴衣と、くしゃりと印象的に崩された濃紫の兵児帯。
髪には白と赤の花飾りがちょこんと居座って、肩までの黒髪に良く映える。
しっとりと艶やかに纏まった装いは、大和撫子もかくやという出来である。
その評価は勿論、中身が身長185pの三十路男でなければ、の物だが。
 
『夏の夜の夢』
 
その衣装がテーブルに置いてあるのに気付いたのは、今朝の事だった。
晴れ着など着たこともない結城ですら、聞き覚えがあるほど有名な呉服屋の名前が入った大きな箱。
中身も相当に値の張る逸品なのだろう。
何処の誰にプレゼントするものやらと、かすかに拗ねた気持ちでいると、突然ベッド脇の携帯電話がメールの着信を知らせた。
『今日はソレを着て出迎える事。』
簡潔かつ解りやすい文章だ。
差出人を見なくても、相手が誰かはすぐ判る。
もっとも、自分にメールを寄越す相手なんて、そう何人もいやしないのだけれど。
「ソレって…コレだよね…」
恐る恐る蓋を開く前から嫌な予感はあった。
そして。
その予感はものの見事に的中した。
 
 
「…ほぉ、中々上手く着られたじゃないか」
げんなりしながら玄関先に立つ浴衣姿の結城をじっくりと眺めて、満足げに眼鏡の男が言う。
「そりゃあ…ご丁寧に着付けDVDまで置いていってくれましたからね…」
なんとかなりましたよ。
自虐的にそう笑うと、軽く肩をすくめて見せる。
細い体が幸いして幅こそ問題なかったが、流石に丈はあまりにも足りなくて。
結局男の浴衣と同じように、端折りはせずに着流しているが、それにしたってどうにも短い。
しかも襟合わせが上手くいかず、既に弱冠着崩れかけていた。
帯結びだって、普通の帯ではとてもじゃないが結べやしなかっただろう。
それを見越してわざわざ簡単な兵児帯を用意したのだろうか。
目の前のいけ好かない顔の男を見やって、結城は小さく溜息をついた。
「とりあえず、お風呂は沸いてますよ。あとご飯も出来てます。」
どちらにしますか?
そう尋ねると、神妙な顔で「足りないな」と返される。
「もうひとつ足りないだろう。様式美という物が解らないのか君は?」
「足りないって…」
一瞬きょとんとして、それからはたと思い立って。
盛大にあてつけのような溜息をついて目を伏せた。
何を言いたいのかは解る。解るが、言うのは中々に勇気のいる行為だ。
そう思って、自然結城の視線は泳いだ。
目の前の男の仕立ての良いスーツ。磨き上げられた革靴。
大理石を敷き詰めた玄関。白いスリッパの並んだ紅色のマット。
そこから靴箱、アイボリー色の壁材まで視線を巡らせた時、とうとう軽い咳払いが聞こえた。
どうやらカケラも引く気は無いらしい。
こうなると、居候で養われる身で、挙句に惚れた弱みまで抱えている結城に勝ち目は無い。
「…それとも、僕にします?物部さん…」
言ってしまってから改めて恥ずかしくなって。
かぁ、と顔が熱くなるのが解る。
おそらくは赤く染まっているだろう頬を少しでも隠したくて、必死に目を閉じて下を向いた。
すると不意に長い指が熱を帯びた頬に触れ、顎の下に差し入れられた手が、結城の顔を強引に引き上げる。
「なっ…ん…んん…!?……んぁ…」
驚いて抗議の声を上げようとした唇を同じものでふさがれて。
荒々しい舌に口内を侵されて、思わず甘い声が漏れる。
「…ふっ…ぅ…あ、ぁん……」
結城の唇を良いだけ貪った物部がようやく体を離すと、浴衣に包まれた体がくたりとその場にへたり込んだ。
「な…何するんですか…!?」
すっかりと火照らされた体を落ち着けようと、肩で息を切らせながら。
ようやく抗議の声を上げた結城に、物部はしれっと言い返す。
「君が言ったんだろう?僕にします?ってね。私は君の提示した選択肢の一つを選んだに過ぎない」
「ちょ…!それは物部さんが様式美だって…!」
玄関先に座り込んだまま抗議する結城の横を、物部は悠々と靴を脱いで玄関を上がる。
鞄を置いて、車と家の鍵を棚に置いて、上着を掛けて。
軽くネクタイを緩めると、恨めしそうな目をした結城に満足そうに手を伸ばした。
「勿論、答えまで含めての様式美だよ」
冷静に言われて力の抜けた体を軽々と抱えられると、最早結城になすすべは無い。
背丈の変わらない男をまるで荷物か何かの様に運ぶ先は寝室である。
「ベタすぎですよ物部さん」
せめてもの報復にとそう言うと、「君が始めたんじゃないか」とやり返された。
 
**********************************************************************************
単に浴衣着せたかっただけですすごくすみません。
この続きで大人向けなのも書き中なので、出来たらこっそりここにリンク張ります(笑