その日が何の日なのかを思い出したのは、夕ご飯の材料を買いにスーパーへ行った時だ。
あちこちに飾られるオレンジを基調とした装飾品。
平台に並んだかぼちゃと、魔女の装いに身を包んだ試食係。
極め付けにポップの文字を見て、ああハロウィンかと納得する。
不況の時代、どんなイベントごとでも客足を稼ぐチャンスになるからか、ここ数年このイベントを前面に押し出す店が増えている気がする。
少なくとも自分が子供の頃はここまで盛んなイベントではなかった。
要は口実なんだろうな。そんな風に結城は思う。
元よりイベントごとが好きな性格ではないし、今の家主がハロウィンをありがたがるタイプにも思えない。
こういう事を好き好んでしそうなタイプといえば…。
結城の頭がどこぞのミリタリーコートの青年の顔をはじき出した時、上着のポケットで携帯が震えた。
落ち着いた緑色の、機能の多い最新機種。
使いこなせないからと断ったのに、有無を言わさず買い与えられたものだ。
結局通話とメールしか使っていないのだから、無意味だと結城は思う。思うだけで口には出さない。
サブディスプレイを確認して、ため息をひとつ吐いて。
「…はい、もしもし」
つい先ほど思い浮かべたばかりの男に向かって、結城は不機嫌な声でそう言った。
 
『1031』
 
「いやー良かったよ買い物前で。料理、たくさんあるからさ」
言いながら何か不思議な作業をする男は、振り向かなくても解るほど上機嫌だ。
予想通りこういうイベントが好きだったらしい男に呼び出され、結城は豊洲のショッピングモールに来ていた。
館内のあちこちにはすでにジャック・オ・ランタンが笑っていて、滝沢の自室には色取り取りの風船が浮かび、テーブルにはどこから持ってきたのか貸衣装の山が広がっていた。
そういえば下のバーラウンジには料理がたくさんあったな、なんて思い出しながら、不愉快さを隠しもせずに結城は言った。
「…なんで、呼んだの?」
「え?だってハロウィンだぜ?」
楽しまないと。
そういって振り返った顔には、かけらの迷いさえ無くて。
反論するのはいかにも馬鹿馬鹿しいと気付いた結城は、小さく肩を竦める。
この滝沢という男のする事は、いつだって何でもかんでも突然で。
けれども何処か抗い難いモノがある。
もしも自分が相手を少しでも好きだったなら、それは『人徳』とか『魅力』とかいう言葉で表されるのだろうけれど、幸か不幸か結城はこの男が大嫌いである。
大嫌い。その筈だ。それでも。
こうして呼び出されればノコノコとやって来る自分は、大概馬鹿だなと思う。
そんな事をうだうだと考えていた結城の背中を、誰かがつんとつついた。
「ねぇ、どれにする?」
「…え?」
驚いて振り向いて、それから結城はもう一度驚いた。
目の前には良く見知った滝沢の彼女が居たが、その服装は全く見知らぬ物だったのだ。
普段からいわゆる流行の服装の、少し清楚なものを選んでいる印象だった彼女は、ミニスカートに網タイツというなんとも刺激的な格好である。
「も、りみ、さ…何…その格好…」
慌てて少し後ずさりながら言うと、きょとんと目を見張って。
「あーこれ?滝沢君が選んでくれた魔女なんだけど…やっぱり変かな?」
少し頬を染めて、目を伏せた彼女はやっとスカート丈が気になり始めたのか裾を少し手で押さえる。
「え、ええと…とりあえず…これ羽織ったら…どうですか?」
目が泳ぐのを自覚しながら、結城はテーブルに広げられた衣装の束からマントを掴んで渡す。
ドラキュラ用らしいそのマントは、長さも十分にあって、色もちょうど合っている。
黒サテンのマントをしばらく見つめた咲は、もう一度自分の全身を見返して。
「…あ、じゃあ…そうします…」と、申し訳なさそうに言ってその布を受け取った。
「掛けてあげたらいいのに」
急に横から声がして、結城は小さく悲鳴を上げる。肩がびくりと浮くのを、二人に見られたのが恥ずかしかった。
「な、な…何言ってるのさ!出来るわけないだろそんな、…女の子に!」
「えー?何で?出来るよ。ねぇ咲?」
急に話題を振られた咲が慌てて言葉に詰まると、滝沢はさりげなくその手からマントを取って、ふわりと大きく広げた。
「だからさ、こうやって…。この方がお似合いですよ…、ってさ」
言いながら淀みない手つきでマントを彼女の背に回し、全身を包み込みように優しく肩に掛けてやり、ふっと顔を近付けて首の前でリボンを結ぶ。
「うん、確かにこっちの方が似合うね、咲。危なくもないし?」
言われて真っ赤になってマントに包まる咲の頭を撫でて。
イイ笑顔で言う滝沢に、今度こそ結城は噛み付いた。
「そんなの、恋人だから出来る事だろ!僕がしたら変態みたいじゃない!」
「いや…少なくとも絵ヅラ的にはなんの問題もなさそうだけど…」
苦笑気味に言われて「どう言う意味さ!?」と怒鳴る。
全く、この男と関わると碌な事が無い。
結城はげんなりとしてため息を吐いた。
元々相性が悪いのだ。
考え方も価値観も人生も、何もかもが180度違うし、そもそも自分にとって滝沢は敵以外の何者でも無い。
来るんじゃなかった。
そう思って目を伏せると、小さな手がそっと袖を引いた。
「あ、の…ありがとう、ございます…。これ、有った方が私も安心だし…」
変態なんて思わないですよ。
笑いながら言う咲に毒気を抜かれて、結城はなんとなく頭を下げる。
どこと無くずれている気がするけれど、滝沢の恋人になれるくらいなのだから当然といえば当然な気もした。
当の滝沢はといえば、すでに元の作業に戻っている。
何かを風船に詰め、空気を入れながら。
「良かったじゃん、変態じゃないってさ!てか、結城は咲のカッコ、可愛いと思わない?」
振り向いて笑顔でそう言われて。
思わず「思うよ!」と怒鳴りつけて。
結城は真っ赤になって更に下を向いた。
 
結局結城に宛がわれた衣装は、白い着物の『雪女』だった。
字面が似てるだとか、黒髪のほうが似合うだとか。
散々な理由をつけられてその衣装を渡された時は帰ろうかと思ったが、滝沢の友人だという三人の女性に期待に満ちた目で見られて、しぶしぶ承諾した。
そういえばこの間浴衣を着たから、なんとかこの衣装も着れそうだ、なんて。
うっかり考えて憂鬱になりながらも、着替えてロングヘアのウィッグを付けた結城が降りて行くと、バーの面々は「おぉお!」と歓声を上げる。
「これは…とても男とは思えんな…」なんて、眼鏡のミイラ男が言ったかと思えば。
「あ、新たなる可能性であります!新ジャンルであります!」なんて、顔に傷を描いた小太りの男に言われ。
果ては三人おそろいの魔女服を着た女性達からは、そろってまとわり着かれる始末だ。
「あの…そんなに変ですか…?」
まぁ性別が男なんだから変に決まっているのだけれど。そう思いながら言うと、一斉に首を横に振られる。
「全然ヘンじゃないわよぉ!似合うじゃなーい!さっすがだわ〜」
言いながら体格の良いロングスカートの魔女が笑うと、ショートパンツの小さな魔女が大きく頷いた。
「うん、流石結城だな!じゃ、これ持って!」
その場を纏める様に滝沢が言って、カラーリボンの束を結城に渡す。
ピンクや水色やオレンジの、色取り取りのそれの端には、先ほどまで滝沢が作っていた風船。
人の頭の倍くらいに膨らんだそれは、透過率が悪くて先ほど詰めていた物がなんなのか、うかがい知る事は出来ない。
「じゃあ一旦解散、って事で。館内どこ回ってもいいからさ」
そう滝沢がいうと、メンバー達はいそいそとバーを出て行く。
恐らく事前に打ち合わせが有ったのだろう。何をどうしていいか解らない結城とは違うのだ。
「え、えっと…?」
滝沢も何かの準備の為に席をはずしてしまい、途方に暮れた結城はため息を吐いてとりあえず皆の後を追った。
 
「どこ回ってもいい…って…」
何がなんだかわからない。そう思いながらも、結城は言われた通り風船つきのリボンを持って、広いモール内を宛ても無く歩いた。
あちらこちらには思い思いに仮装したニート達が、物珍しそうに結城を見ている。
最初こそ風船を見ているのかと思ったが、どうやら自分自身が見られているらしいと気付いて、何度目とも知れない『帰りたい』という言葉が頭の中に響いた。
真っ白なセパレートタイプの着物。黒地に白い雪の花の文様のある帯。
足元は赤い鼻緒の下駄を履き、かつらを被ったおかげで髪は腰近くまで伸びている。
着替えた時、鏡にに映った自分の服装は、まさに可憐で儚い雪女のそれだった。
服装だけは。
目立つのも当然だとため息を吐く。当然至極の事だ。
なぜなら結城は男なのだから。
確かに軽口をたたくどこぞのクルーザー所有者や、騒ぎたがりな東のエデンの女性達は、そろって自分を童顔だの女顔だのという。
だが、身長も男の中でも群を抜いて高く、おまけにもう三十路も超えたというのに、この格好はあんまりだろう。
そう思いながら結城は、ベンチに腰掛けてこの服を選んだ滝沢を心で呪った。
目の前の鏡面硝子には大きな風船を持て余した女が映る。
まるで自分じゃないみたいだ。
座っていればそこまで目立たないかな、なんて。
ぼんやりと思いながら小さく息を吐いた。
何をしているんだろう、こんなところで。こんな、誰も知らない場所で。
自分が入ってはいけない場所で、あんな男の言いなりになって、こんな格好までして。
目の前を好奇に満ちた目をして通り過ぎる男達の中には、自分と同じ年頃のニートも多く見かける。
けれど、自分はニートじゃない。
ここはニートの楽園で、ここに居ていいのはニートか、彼らを管理する東のエデンのメンバーだけだ。
ニートではない。今更、そんな風になりたくはない。
けれどもあの大学生のような若々しい面々の中にも、どうにもそぐわない。
自分は異物なのだ。そう深く思う。ここにいてはいけない異物。
目の前には自分かどうかさえ怪しくなる様な格好の自分。誰にもきっと、見つけてもらえない。
異物で、異常で、孤独だ。
それなら、どうしてここにいるんだろう。
結城のとりとめも無い思考が、何度目かの同じ場所に立ち戻った時、ふっとダークスーツの両腕が伸びて、結城の細い肩は後ろから強く抱き締められた。
 
「え…ぇ!?あ、あの、誰!?」
「…私以外にこうされる覚えでも?」
後ろから聞こえたのは不機嫌な声だった。
耳元で囁かれて一瞬肩が浮く。
振り返ろうとしても、抱き締める力に抗えず顔を合わせる事すら出来なかった。
「無いです!貴方しか…物部さんしか無いです!」
慌てて叫ぶ声に小さく笑って、「ならいいけれどね」と囁いて。
スーツの男は軽く眼鏡を抑えて、結城の隣に座る。
その顔には珍しく疲労の色が伺えた。
「あ、の…どうかしたんですか…?こんな所まで…」
おずおずと声をかけると、物部はちらりと結城を見遣り、小さく溜息を吐いた。
「君こそ、何故此処に?」
スーパーに買い物に行くというメールが最後だったと思うのだが?
言外に連絡の滞った結城を責める言葉に、結城は慌てて携帯を取り出す。
袂に入れた緑の機器は、確かにメール不通の文字を示していた。
「あ…すみません、送れてなかったみたいで…」
「…そうか」
そう言うと、物部は少し間を置いて。
結城の肩を抱き寄せて、長い髪の頭を自分の肩に乗せた。
 
 
「おいヴィンテージ、余計な事かも知らんが、あがぁなカッコで外出してええんか?」
最後の点検に余念が無い滝沢に、映写室の入り口から声を掛けたのは板津だった。
手には完成したシステムを入れたメモリを持っていて、振り向いた滝沢に黙って投げて寄越す。
受け取った滝沢は、「サンキュ」と小さく手を上げて。
「あんなカッコって、結城?大丈夫じゃない?」
子供じゃないんだし。
言いながら多少手間取りつつ、ノートパソコンにメモリを差し込んだ。
あまりにも他人事な様子に板津は頭を掻きつつ、「まぁ…お前がそうゆうんならそれでもええがな…」と煮え切らない。
「館内の連中、凄い目で見とったぞ…ホンマの女と思っとるんじゃないか?」
「あー…まぁアレじゃあ、そう見えてもしょうがないかもなぁ…」
苦笑しながら顔を上げて、滝沢は先程の結城の状態を思い出す。
元々綺麗な顔をしているとは思っていたが、まさかあんなに似合うとは。
そう思ったのは滝沢だけではなかったはずだ。
雪女に扮した結城の美しさは、過去のイザコザから結城達を嫌っていた板津でさえ、うっかり見蕩れていた程で。
そのまま男ばかりのニートの群れに放り出して、良からぬ事でも起きないかと心配するのは余りにも当然だった。
エデンメンバーは大抵二人以上の組で行動している。
ずいぶんときわどい格好をした咲の事は、狼耳をつけた大杉が「絶対に守る」と息巻いていたし、そもそもオネェが居ればたいていの事はなんとかなるような気がする。
だが、結城があのメンバー達と行動を共にするとは思えない。
普段の格好ならいざ知らず、あんな動きづらい、しかも妙齢の美女にしか見えない格好で送り出すなど、ライオンの群れに仔ウサギを放す様な物だ。
それが板津の意見だった。
だが、それを聞いてもなお滝沢は、「大丈夫だよ」と笑う。
「大丈夫、さっき物部さんにメールしといたから」
そういって見せた携帯の画面には、オレンジの液晶の上にこんな文字が並ぶ。
『結城は預かった。返して欲しければ豊洲のハロウィンパーティ会場まで!あ、仮装させちゃうからもしかしたらジョニー達に狙われちゃうかもよ??』
文面を三度程読み直して、板津はふっと笑って大きく息を吐いた。
「お前…ほんと性格ワルいのう…」
「さぁ?そうかもね」
苦笑気味に言われた言葉に軽いノリで返して、滝沢はマイクのスイッチを入れた。
 
 
「物部さん…どうして来てくれたんですか…?」
恋人の厚い肩に頬を摺り寄せて、小さな声で結城は言う。
いつだって自信なさげで、いつだって不安そうな癖に。
その口から出るのはいつだって、答えを知ってるんじゃないかと思うほど、甘い言葉を引き出す問いだ。
こういうところが、まだまだしてやられている気がすると、物部は一人心に思う。
「君を迎えに来たんだよ。儚い妖怪さん」
彼らの熱で、溶けてしまう前に。
そう言ってその唇にキスを落とそうとした時、館内放送のブザーが鳴った。
『あ〜テステス。ども!みんなハロウィン満喫してるかな!?滝沢です!今からみんなにお菓子をばら撒くから、係りの人は今すぐ風船を天井に向かって放して下さい!それじゃあ行くよ!!』
滝沢の声が10から始まるカウントを始めて、慌てて結城は物部を振り返る。
「あ、あの…!どうしたら…!」
「さぁ?放せというのだから放したらどうだい?」
せっかくのタイミングを邪魔されて幾分か不機嫌になる物部には気付かずに、結城は「そうですね」と素直に頷いて。
左手に持ったままだった色取り取りのリボンを、上へ向かってふわりと放す。
ガスの充満した風船はゆっくりと吹き抜けの館内を、すでにたくさんの風船が浮かぶ天井に向けて昇っていった。
ひとつ、またひとつと大きな風船があちらこちらで天井へ向かい始めたのと同じタイミングで、館内放送の声がひたすら大きく呪文を唱える。
『3…2…1…ゼロ!!トリックオアトリート!!』
その声と共に風船が爆ぜて、中から小さな包みが無数に館内に降り注いだ。
ラメの入った包み紙がキラキラと光を乱反射して、集まったニート達は突然降って来たプレゼントに歓声を上げる。
そのうちの一つを拾い上げて、結城は小さく微笑んだ。
「わ!見てください、これマシュマロですよ!」
コレなら当たっても痛くないですね。
そう言いながら目の前に降り注ぐ光の雨を眺める結城に、物部は小さく苦笑する。
この屈託の無い笑顔を向けられる存在である優越感と、こんなにも彼を喜ばせているのが自分ではない誰かだという苛立ちが、脳裏に混在しているのを自覚しているのだ。
ふと思い立って、手の中に転がり込んだ包みを開いて。
「トリックとトリートと、同時に出来る魔法を教えてやろうか」
そう言って結城の肩を引き寄せて。
マシュマロを口に放り込んだ物部は、そのまま結城の唇を深く深く塞いだ。
 
 
「滝沢、この間のハロウィン企画の反応はどうだ?」
滝沢の自室に足を運んだ平沢がそう訊ねると、この豊洲の主は少し難しい顔をして低く呻った。
「いや、凄い評判はいいんだけどさぁ…」
これ、どう思う?
言いながら示された紙の束を見て、平沢は思わず噴き出した。
手書きのアンケート用紙にはあちこち滲んだ書きなぐりの字で、『一目惚れした綺麗な女が目の前でスーツの眼鏡に奪われた』だの、『リア充ばくはつしろ!』だの、『雪女再来切に希望!』だのと、あられもない欲望が書き連ねられている。
「正体を知ったら驚くだろうな」
「驚きで済めばいいんだけどね…」
そう苦笑を交わして、二人はすっかり日の落ちた東京湾を眺めた。
 
 
無事物部の車で家に帰った結城は、自分の仮装写真が豊洲で、かつて自分が売っていた雑誌の数十倍の値段で取引されている事を、まだ知らない…。


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突発で書きたくなってつい書いた…割には長すぎました。
ちょっと反省しています。
なんていうかこう、凄く可愛いもの扱いされて。
みんなに大切にされる結城君が書きたいだけな気もします。
本編では一番、誰にも大事に思ってもらえなかったので…(涙

所で、歯の浮くような台詞をいう物部様って、かなりウザいんだなと気付きました…(笑