―注文をお願いしたい。
―出来ればなるべく高価で、なるべく地味で。
―…それから、小さいものがいい。
―澄み渡るように透明な包装紙と、真っ黒なリボンを使って。
―今からいう言葉を添えて。
 
「歌舞伎町の真ん中に捨ててきて貰えるかな」
 
『R.I.P.』
 
その電話が掛かって来たのは、昼をかなり過ぎた頃。
日本一の歓楽街に店を構える花屋が、漸く開店時間を迎えたばかりの時である。
バレンタインから一夜明け、客の入りも鈍るその日の朝に、コマ劇広場で誰かが死んだと、なじみの客が噂半分気の毒半分に噂をしに来ていた。
何でも、この時期ありがちなホームレスの凍死や、ホスト同士の喧嘩の成れの果てではないらしい。
歌舞伎町では、朝と夜で動く人間がすっかりと入れ替わるから、夜の住人である花屋の面々も、その常連達さえも、その真相を詳しくは知らず、ただ恐ろしいだとか規制強化が心配だとか、そんな話をしていた。
店の電話が入電を知らせたのはまさにその時だった。
 
入ったばかりのアルバイトは、明朗快活に注文電話に礼をいい、店名を名乗って相手の言葉を待った。
受話器から聞こえるのは落ち着き払った男の声。
深みの中にまだ残る活力は、言葉の印象より若い相手を想像させる。
バイトはただの学生だったし、別段人を見る目が有った訳でも、ましてや経験を積んだ訳でもなかったが、ココは天下の歌舞伎町である。
すぐに相手がそれなりの社会的地位のある、恐らくは三十路半ばにもならない男だろうと推測した。
この手の人間が、この街の花屋に高圧的に頼む『華』の種類を、働き始めて数週間の彼女も、とっくに理解している。
ホステスか、それとも風俗嬢か。はたまた懇意にしている店への心付け。
そんなところだろう。
そういった場合には、より派手で、より大きいブーケが好まれる。
場合によってはブーケの中に、色々と忍ばせるものを指定されたりもする。
それなりの額の札束や、合法の域をぎりぎり出ない薬の類が持ち込まれ、ブーケに潜められて届けられる所を、既に何度も見ている。
ここは、そういう街だ。
だから店員は習慣に従って「ご注文ありがとう御座います、ブーケで宜しいですか?」と訊いた。
それに相手は答えずに、けれどもその先の条件を指定し始めたので、彼女は手元の注文用紙のブーケの欄に丸をする。
だが、そこから先がおかしかった。
色のある物は使わないで。なるべく地味で小さいブーケを。
なるべく高価に作って欲しい。
何とも不思議な注文だと思ったが、客注である以上異を唱える訳には行かない。
彼女は何度も店長と相談し、あれこれと地味で値の張る花を上げ、男は冷静な声で「それでかまわない」と言った。
支払いの方法を告げると、相手からは了承の言葉が返る。
男がメモを取る気配がして、それから。
「それを、今からいう言葉を添えて。歌舞伎町の真ん中に捨ててきて貰えるかな」
男はそう告げると、三文字のアルファベットを口にした。
 
「ねぇ物部さん」
京都駅の中の、安っぽいラウンジ。
そこにはとても似つかわしくない固そうな男と、とても似合っている童顔の男がいた。
童顔の男は、顔にこそ似合えども年令にはとても似合わないダッフルコートの背を丸め、不機嫌そうに両手でカフェオレボゥルを抱えて声を出す。
目線は少し下で、けれども目の前の相手からは外さないで、その表情を伺うのが怖いみたいな顔で、男は返事を待たずに言葉を続けた。
「聞いても、いいですか?」
「既にそれが質問だと思うがね」
対するのは丁寧に撫で付けたオールバックと、茶縁の眼鏡と、眉間に刻まれた皺のせいで歳相応より幾分か上に見える生真面目そうな男だ。
彼はガラス張りのドーム状になった駅構内に、当てもなく視線を飛ばし、あえて目の前の男を視界に入れないようにしているようだった。
攻撃的な言葉に幼顔の男が息を呑む音が響くと、眼鏡の男、物部は苛立った様に漸くまともな返答を返す。
全く、扱いが面倒だ。とでも言うように。
「…なんだ?言いたい事があるなら言いたまえ」
言われて慌てて顔を上げて。
幼顔の男、結城は意を決して目の前の男に言葉をぶつける。
「あ、の、…あの人に、何て伝えたんですか…?」
言われて初めて物部の顔に走った僅かな動揺に、残念ながら気付ける結城ではない。
ただ、どこか泣きそうで、哀しそうな顔で。
「…死んだのが僕でも、物部さんは花をくれますか…?」
震える声で、そう言った。
「…さぁ?何の事だか解らないね」
すげなくそう答えると、物部は新幹線の時間を言い訳に席を立った。
 
 
「あれから時が過ぎて、あの頃の気持ちは忘れてしまったけれど」
今なら君の死には、花ではなくて涙をあげよう。
そう告げると彼は大きな目を見開いて。
「それは、凄く貴重ですね…!」と、少しズレた事を言う。
驚きながらそれでも、嬉しそうに柔らかく笑う頬を撫でながら。
『この子にあげてしまうから、君には涙はあげないよ』
そう心で口にする。
弔いの花は届けたし、手向けの言葉は言付けた。
 
―だからまぁ、せめて少しは安らかに。
 

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14兼110という大変不思議なモノでしたが、とりあえず近藤さんのリアル命日に捧ぐ。
物部さんとか、そういう洋モノカブレな事しそうだよねっていう。(偏見