1*10前提劇場版U後捏造です。


2011年8月15日。
東京都渋谷区広尾の、閑静な住宅街で明け方に起きたその事故を、知っている者は実は少ない。
日本中誰もが皆自分の携帯を眺めて騒いでいるか。
はたまたリアルタイムにその事件を見られなかった悔しさで、起き抜けの頭を抱えていた。
だから、終戦を悼む空気を不穏にも切り裂いた三発の銃声の事も、大きなクラクションの事も。
結局のところ大したニュースにもならず、全てが内々に処理されてしまった。
一つにはそこが余り色々な事が表沙汰にならないと決まっている場所だった事。
もう一つは当事者である二人が担ぎこまれたのが、通報者の良く知る人物のお膝元だった事。
その二つが合わさって、互いに加害者でもあり被害者でもある二人は、見事世間の目から逃れ遂せた。
一人は車に撥ね飛ばされ、もう一人は門柱に車ごと突っ込んで。
決して軽症とはいえない二人のうち、先に目を覚ましたのは撥ねられた方の男だった。
 
『西側の楽園 T』
 
カラカラと、車輪の回る音。
実際はそんなに煩く鳴るはずも無い。
けれどそう聞こえてしまうのはきっと、神経が尖っているからだと結城は思う。
体にフィットするようにたわんだ背中と座面の布は、肘置きと同じ淡い緑の千鳥格子柄。
手入れの行き届いた車椅子は、実際完全に無音に近い性能で、傷んだ体を運んでくれる。
薄水色の入院着。右肩と右腕、左足はまだギブスが取れない。
残った左手と右足も漸く抜糸をしたばかりで、とてもじゃないが自分で動く事など出来なくて。
そんな自分をベッドから抱き上げて、車椅子に座らせて、深緑のひざ掛けを丁寧に掛けて。
「アンタ、緑好きって言ってたよね?」なんて人懐っこい笑顔を向けて。
後ろから好き勝手押して歩くのは、自分達をこの火浦総合病院に運び込んだ男。
かつて自分の渾身の作戦を台無しにして、殺したいと思う程憎んだ相手。
あの事故の少し前に、日本中に宣戦布告した男。
彼は通り掛けに見つけたからという理由だけで、自分ともう一人を介抱し、救急車まで呼んでくれた。
一度ならず敵対した相手を、彼を殺す為に全てを用意してきた自分を、助けてくれた。
今自分達が生きているのは、彼のおかげだ。
だから結城は、彼、滝沢朗に逆らえないのだ。
 
「そろそろ空が高くなってきたなあ」
廊下を真っ直ぐに進みながら、彼はそう声を掛けてきた。
象牙色の壁に嵌め殺しになった窓から、秋の空が見える。
いわし雲を見上げるようにして言う言葉は、型通りの季節の挨拶だった。
「そうだね…」
どれほど憎い男でも、命の恩人である。
結城は努めて無感動に、相槌だけを返した。
「そろそろ風も、冷たくなるよな」
今度は上着買って来るよ。
そんな風に笑いかけられて、軽々と車椅子を操られて。
屋上へ向かうエレベーターの中、何も言えずに押し黙る。
一つ、また一つと階を増やす電光表示をぼんやり眺めながら、結城はまた一つ言葉を飲み込んだ。
「ほら、着いた」
音も無く扉が開く。途端に吹き込んできた風は、爽やかな晩夏の匂いがした。
綺麗に整備された花壇と、その奥には物干し。
高いフェンスではなく強化プラスチックを使った屋上の縁は、開放感に溢れていた。
夏も終わりに近い。空の高さがそれを教える。
まともに食事も取れない結城の体はすっかりと衰え、元々肉の薄い体は風に晒されてふるっと震えた。
と、その肩に何も言わず、カーキの上着が掛けられる。
こういう事を無言でしてみせる所こそが、滝沢の滝沢たる所以なのだろう。
敵わない。何もかもが。
あの日助けられてから、一体何度、その思いに押しつぶされそうになっただろう。
ゲームを続けている時はまだ良かった。
まだ、彼と対等の参加者だったから。
彼を殺したいと言えたし、それを持って日本を良くしようと思えた。
今ならそれが間違いだったと言えるけれど、それでもあの頃はまだ、そう願う事が許されていた。
今はもう、そんな事思えない。
助けられて、全てを良いように取り計らって貰って。
こうして時々見舞いにも来て、色々と世話を焼かれて。
その度に器の違いや、人間性の違いをまざまざと見せ付けられて。
敵わないどころか、同じ土俵にすら上がれないと気付いてしまった。
今でも吐き捨ててぶつけてやりたい思いはたくさんあるのに、自分にはもうそれが許されない。
この病院を出て、彼の口利きの無い場所に行けば、自分は途端に犯罪者だ。
いや、もしもあの銃撃の事が上手く処理されていたって、金も無い、職も無い自分には入院すら出来ない。
ここで彼の機嫌を損ねたら、それこそ本当に死んでしまうのだ。
そこまで考えて小さく首を振る。
機嫌を損ねようが、何を言おうが、彼は自分達を放り出したりしない。
そんな脅しみたいな事を考える男ではない。
それが解っているのに、ついついそんな事を考えてしまう自分に、更に大きな溜息が漏れた。
 
「…あのさ」
不意に声を掛けられて、結城は滝沢の顔を仰ぎ見る。
いつになく真剣な表情で、固く唇を結んで。
真っ直ぐに遠い町を見据えて、滝沢は一つ息を吸ってから言った。
「結城、俺に言いたい事、あるだろ?」
その言い方はとても重苦しいもので。
言外にその『言いたい事』が全くもって良い物ではないと解っている事が伝わった。
言い当てられた。咄嗟にそう思う。
内容に関しては全く触れてすら居ないのに、結城は言葉を紡ぐことが出来なかった。
無言のままの結城に視線を送る事もなく、滝沢は更に続ける。
「何となくだけど、解るよ。それを言った方が良いって事も。だからさ」
言ってよ、全部。俺達以外、誰もいないから。
そう言いながら、滝沢は結城に向き直って。
車椅子に一歩近付いて、その場で膝を折って。
背の高い結城と視線を合わせるようにして、「ほら」とだけ促した。
「そ、んな…の…何も、僕は…だって…色々…お世話に…っ!」
とってつけたような言葉は、喉に張り付いてそれ以上声にならなかった。
ひゅう…と風の音だけが漏れて、それでも滝沢は目線を逸らしはしない。
真っ直ぐに見つめられて、結城の感情は段々に止められなくなった。
「君…君は…勝手だ!あんな風に僕のミサイル、落として…僕に、僕の申請に…殺されないで…」
何を言えばいいんだろう、そんな風に思いながらも言葉は後から後から溢れた。
「その癖こんな風に僕を助けて…こんなの、何も、いえなくて当然だ…!」
それでも、と心の中で誰かが叫ぶ。
どうしても、言ってやりたい事がある。ずっとずっと、言いたかった言葉がある。
最初こそ恩の為にと当たり障りの無い事を言おうとしていた筈の言葉は、段々抑えられなくなった。
「君は…君が…っ!君がミサイル撃った…なんて…そんなの、言うなんて…そんな…」
ぎゅう、と膝を掌が掴む。
抜糸が済んだばかりの腕は、ミシミシと厭な音を立てて痛みを増したが、そんな事はどうでも良かった。
魂を吐き出すように、結城はありったけの声を上げた。
「君が犯人なんて…二度というな!あれは、…っあれは僕のミサイルだったのに!!」
久しぶりに出した大声に、喉がヒリヒリ痛む。
それでも、彼が行ったというテロ宣言の言葉が、結城には今でも忘れられなかった。
『迂闊な月曜日から続くテロ活動を行った単独犯』
彼がそう名乗ったと後に人づてに聞いて、結城の頭は真っ白になった。
自分の車で人を引いても、なんのお咎めも無い。
ミサイルを撃っても、誰にも知られない。
それは捜査の手がセレソンである自分まで届かないからだと。
半ば強引にそう言い聞かせて、自分を納得させてきた。
自分が世界に関わらせて貰えない。その恐怖から逃れる為に。
だが、その言い訳はもう使えない。
自分のミサイルを、目の前の男が横取りしたからだ。
乱れた呼吸を整えようと、肩で息をする。
憎しみに燃えた目を向けると、滝沢は深く頷いて、「ごめん」と言った。
「ごめんな、俺…お前の罪貰っていこうと思って…だって、あれ以上酷い思い、させたくなくてさ」
だけど、と言葉を続ける。
相変わらず目を逸らさない。
それどころか、激昂して思わず肩から滑り落ちた上着を、再び丁寧に掛けてくれた。
痩せた肩を撫でながら、滝沢はさらに言葉を続ける。
「俺が全部背負えればって思ったんだけど、そんな思いさせてたんだな…ごめん」
真摯な物言いだ。本当にそう思って行動して、今は本気で謝っている。
それが痛いほど伝わった。
たった一度話しただけの身の上話で、彼が自分に同情して、救おうとしてくれた事。
今ならそれが痛いほど解った。
けれど、それでもそのやり方を、結城は受け入れる事が出来なかった。
「…捕まったって、良かったんだ…僕がした事だって、解って貰えれば良かった…」
世界に不参加みたいで、怖かった。
搾り出すようにそう告げると、ぽとりと涙が落ちた。
滝沢はそれを拭うでもなく、慰めるでもなく、ただずっとその泣き顔を見つめていた。
 
「冷えてきたから戻ろう」
それだけ告げる。もう元の話には戻らない。
こういう所も、彼の優しさなのだと思う。
結城は黙って頷いた。
一度だけ滝沢の手が、結城の長い髪を撫でて。
それからまたその手は、車椅子のハンドルを握って。
二人はゆっくりと、もと来た道を辿って帰った。
途中にある集中治療室の前で、不意に俯いてしまう結城を気遣うように、少しだけ歩みを速める。
まだ、会うのは無理かな…?
心の中でこっそりそう思って、滝沢は足早に車椅子を動かした。
集中治療室の入り口には患者名がいくつか並んでいて。
その一番奥の所に、結城を俯かせるその名前は書いてあった。
 
『物部 大樹』

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劇場版U後の話を、続き物で書いちゃおう第一弾でした。
まだ状況説明というか、導入部分です。
これから色々詳しい状況を書いていこうと思いますので、ゆっくりお付き合い戴けたら嬉しいです。