1*10前提劇場版U後捏造です。


ベッドの縁に腰掛けて。
久々に両足揃って履いたスニーカータイプの安全靴が、少しだけ重く感じた。
昔は簡単に履いて歩いていたのに。
そう思いながら足を押し込むと、最後に抜糸した膝が少し痛んだ。
僅かにしかめた顔を目ざとく見つけて、半分開いたドアから声がする。
「大丈夫?」
ここに入院してからずっと、自分を気遣ってくれた声。
答えるのがなんだか悔しくて、結城は黙って小さく頷いた。
 
『西側の楽園 V』
 
「退院したら、この病院で働くんだって?」
「うん、入院代はお給料から返せばいいって…院長にも許可、貰えたから…」
ぼそぼそとうつむき加減で返す口調は変わらないが、声は確かに強さを増していて。
そんな様子を見て、滝沢は心底嬉しそうに、優しく笑う。
病室の外ではリハビリ担当の医師が、屋外リハビリ施設の予約を持って待っている。
年の瀬も近付く寒空の下へと向かうべく、結城は立ち上がった。
自分に道を示してくれた、数日前の出来事を思い出しながら。
 
 
それは季節がゆっくりと巡って、世間が聖誕祭ムード一色だった頃。
街のあちこちに色とりどりのモールが張り巡らされ、駅前には飾り立てられたモミの木が立ち。
浮かれきった恋人達の会話と、真摯な賛美歌が混ざりあって聞こえる。
街角の教会では厳粛に主の生誕を祝っているのかもしれない。
が、宗教の事などさっぱり解らない結城にとっては、ただ煩いだけの季節だった。
若いウチは浮ついた恋愛記事に苛立ちもしたが、三十路も過ぎた今では特に気にならない。
せいぜい今年は寒さを凌がなくていいのが有り難いな、と思う程度だ。
時折ちらつく様になった粉雪を玄関扉越しに眺めながら、結城は一人ソファに腰掛けた。
深夜のロビーには人影はない。
否、顔馴染みの掃除夫が一人、悪態をつきながら床にこびり付いたガムに悪戦苦闘していた。
「マスコミの若い連中だな!全く、神聖な病院を何だと思ってる!」
独り言なのだろうか、深夜らしからぬ音量でガムに向かって話しかける老人に、結城はそっと近付いた。
「あの…氷で、冷やしたら…」
松葉杖の音にも気付かないほどに熱中していたのだろうか、老人は「ひゃあ!」と叫んで飛び上がった。
「脅かすな若いの!心臓が飛び出るわ!」
「ご、…ごめんなさ…っ!」
怒鳴られてビクリと肩を縮こまらせて、途切れ途切れに謝る結城に老人はきょとんとして言った。
「なんだ、お前さんか。相変わらず不景気そうな顔しておるな」
ひゃっひゃっひゃっと笑う老人に、結城は小さく溜息を吐いた。
名も知らぬこの掃除夫の、くしゃくしゃの笑顔が結城は好きだった。
年齢相応の苦労とか、酸い甘いとか、苦楽とか、禍福とか。
沢山の人生そのものが、その皺に刻み込まれているみたいだったから。
大した話をする訳ではないが、ロビーに行く時間がかち合い易く、自然と世間話をするようになった。
老人は元院長である火浦を尊敬しているのだという。
この病院を作った彼の手腕を、心から評価しているそうだ。
彼が元セレソンで、この病院を作ったのがノブレス携帯とジュイスであることは、結城も知っている。
与えられた100億を、誰かを生かす為に使った彼を尊敬しているのは結城も同じだ。
自分は他人を恨んで、他人を攻撃する為にしか使えなかった金だ。
今更それが間違っていたとは思わない。
けれど、少なくとも自分の使い方より、火浦の使い方が立派だと思える程度の冷静さは持っていた。
「不景気って…まぁ…確かにそうかも知れないですけど…」
むぅとむくれる結城に、老人はカラカラと明るい笑顔を返す。
「若いモンが情け無い顔するもんじゃあない!ナニ?氷?とりあえず持ってこんか!」
言い出した手前、なんで僕が…と言う訳にもいかない。
どうせリハビリも兼ねているんだしと、松葉杖を付いて給湯室に向かう。
冷凍庫には製氷装置が付いていて、ゴロゴロとした大きな氷が二時間ごとに作られる。
適当な大きさの氷を二三選んで袋に詰め、結城はロビーに戻った。
人気の無いロビーでは、まだ老人がガムと格闘している。
袋を手渡しながら、結城は言った。
「…氷で、冷やして…固めれば取れ易いって、昔…」
「ほぅほぅ、そりゃあ知らなかった。良く知ってるな、若いの」
感心したようにそう言って、老人は器用にガムを剥がし取った。
冷やされて硬く固まったガムは、前とは比べ物にならない程綺麗に取れる。
老人は満足そうに取れたガムの付いたコテを眺めた。
「ほほぅ?これは中々…」
よほど嬉しかったのか、コテを高々と掲げ上げた老人の顔は、結城の好きなくしゃくしゃ笑顔で。
結城まで釣られてついつい笑ってしまった。
そんな結城を見て、老人は驚いた様な安心したような不思議な顔で。
「そんな顔も出来たんだな、お前さん」と、とても満足そうに呟いた。
言葉の意図が掴めない結城が困惑した顔をしていると、老人は一人でうんうんと納得する。
そうかそうか、と一人頷く老人を前に、結城は何がなんだかさっぱり解らない。
解らないなりに褒められている気がして、ほんの少し嬉しくて。
掃除を手伝おうと手を伸ばすと、老人の皺だらけの手に静止された。
「傷に響くだろう」といわれて、それもそうだと素直にソファに座る。
空調の効いたロビーは適度な暖かさで、外の雪がまるで嘘の様だ。
薄く積もる雪。しんしんと、コンクリートを埋めていく。
人影一つ無い夜の闇に舞う白さが、かつての播磨を思い出させて、微かに懐かしい気持ちになった。
あの寒さと辛さと惨めさを、こんなにも冷静に思い出せるなんて、まさか思わなかった。
ましてや懐かしく思うなんて。
まだ一年も経っていないのに、だ。
これも彼のお陰だろうか、なんてぼんやり考えていると、「ホイ」と横から熱が差し出される。
振り返ると、ホット缶コーヒーを持った老人が、いつのまにか掃除を終えて隣に座っていた。
「あ、りがとう…ございます…」
小さく会釈して受け取ると、思いのほか熱くて自然に苦笑が浮かんだ。
「…こんな時間までお掃除なんて、大変ですね」
礼のついでに話しかけると、「そりゃあお前さんが夜しか外に出ないから…」と言いかけて。
老人は大慌てで咳払いで誤魔化した。
「え…?」
聞き取れなかった部分を再度聞き返すと、老人は大きく首を振って言う。
「いやいや、コッチの話だ…夜間清掃も大事な仕事だからな…」
冷や汗を浮かべながら弁明するが、当の結城はそれに気付かず「そうですか」と頷いてコーヒーを飲む。
その様子に安堵して、老人は逆に結城に質問を返した。
「お前さんこそ夜も遅くに出歩じゃあないか…何か理由でもあったのか?」
「特にないですけど…人がいなければ、練習しても邪魔じゃないかな?…って…」
言いながら両手足を動かしてみせる。
リハビリは当の昔に始まったとはいえ、体力の回復に重点を置くというのが医師の方針だ。
秋の終わりに彼に言われて以来、出されたご飯は全て食べるようにしている。
初めの頃こそ食べるたびに体調を崩していたが、ようやく食べきる事も出来る様になった。
体力的にはどうか解らないが、体格的にはだいぶん元に戻ってきた様に思う。
もっとも、元々かなり細いのだから、一般的な水準に照らして十分かは別問題だが。
「ふむ…熱心だな。中々肉付きも良くなったと見える」
「そう…ですか?あんまり…その、まだ細いって…」
苦笑しつつ無意識に左腕の袖を捲る。
肩口から車のフロントガラスに突っ込んだ右腕とは違い、その腕にはそこまで大きな傷は無かった。
僅かに見える傷痕を隠しながら晒した骨の浮いた腕を見て、それでも老人は満足げに頷いた。
「十分とは言わんが、秋頃に比べれば上々だろう」
苦笑して「そうですか…」と曖昧に答えると、「時に若いの」と言葉を重ねられる。
「そんなに早くリハビリして、退院して…そうしたら火浦センセイは大助かりだな」
「え…?」
いきなりの言葉に体が固まる。心臓は早鐘の様に鳴って、息が詰まった。
この病院で働けたら、そう思ったことが無いわけじゃない。
否、院内では無理だとしても、この地域で働けたら。
借金してまで取った資格も生かせる。今までやっていた経験も生かせる。
何より身元が不確かな自分に優しくしてくれた、院長や看護師達や、この老人が好きだった。
けれど、余りにも大それていてそんな事、思ってはいけないと思っていた。
そんな結城の様子に構わず、老人は更に話を進める。
「だってそうだろう、お前さん言ってたじゃないか、介護の仕事をしとるって」
いっそ大げさ過ぎるほどに豪快に笑いながら、掃除夫は「名案だ」と一人はしゃいだ。
細い肩を叩く強さは、とても老人とは思えない。
「そう…かな?…僕に出来るかな…」
自信なさげに苦笑する結城に、禿げ上がった皺だらけの顔を更に皺々にして、老人は言った。
「当たり前だ!考えてもみろ、長く入院してた分だけこの病院に慣れとるだろうが!」
 
 
「ちゃんと言ってくれたんだ」
屋外の公園のベンチで休んでいると、後ろから聞き慣れた声がする。
クリスマスを間近に控えたあの日、原宿の路上で不覚にも自分を捕まえた男の声だ。
振り向く必要もないだろうと勝手に結論付けて、亜東才蔵は「まぁな」とだけ答える。
「良かった〜ホント助かったよ。俺から言っても聞いてくれないだろうしさ」
苦労して探した甲斐があった、と言いたげに、滝沢はご満悦だ。
「フン!本当ならもう小僧共に関わる予定ではなかったところだ、感謝せぃ」
憮然として言う老人の顔も、しかしてとても満足そうだ。
「なーに言ってんの。ジーサン結構結城の申請気に入ってたでしょ?」
俺にはちょ〜っと合わなかったけどさ。
苦笑気味に、それでも相手の意見を決して否定しない言い方に、さしもの亜東も反論出来ない。
「まぁワシとしても話し相手がいなくなるのは、些か寂しいものがあるからな…」
言いながら揃って思い返すのは、日増しに光を取り戻していく青年の顔。
運び込まれて意識を取り戻してすぐは、口も聞けない程の精神状態だった。
夏の終わりごろに少しだけ快方に向かった病状は、その後の冷静な状況分析のせいで更に悪化し。
何とか栄養を摂らせて騙し騙しやってきた状況だったが、根本から解決しない限り変わらない。
これから物部との再会という重大懸案が待っている結城の負担を、少しでも軽くしなければ。
そう思った滝沢は今まで以上にOUTSIDE探しに力を入れた。
結城の心にのしかかる経済的な不安を解消してやる力は、滝沢には無かったからだ。
冬を迎えてなお暫くまで掛かった作業だったが、結果は上々だったと言える。
今日久しぶりに見舞いに行った結城は、早くも退院の準備をしていて。
未来を話す声には今までに無い力が有った。
それがどれほど滝沢にとって嬉しい事なのかを、説明するのは中々に難しいだろう。
「しっかし、こんな近くに居るとは思わなかったよ…」
散々探したのにさ。
溜息混じりに滝沢が言う。
『まさか火浦さんの病院の掃除夫だったなんて、すごい盲点だったな〜』
原宿ラフォーレ前で自分を探し出したあの日も。
青山通りをタクシーで走りながら、滝沢は捜し求めたOUTSIDEにそう言った。
木枯らしの中颯爽と立ち上がると、嬉しそうに笑う掃除夫の老人は、その時と全く同じ言葉を返した。
「まだまだ、小僧共に遅れをとるワシではないわ!」
 
夏のあの日から密かに見守っていた二人のうちの一人が、めでたく退院するのはもうすぐの事である。

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劇場版U後捏造第三弾って事で、じいちゃんとあわせてみました。
12番は4話からずっと、時々掃除夫やってると個人的に思ってます(笑
結城君は介護士だし、ご老人と話すの好きそうだなーと勝手に思ってます。落ち着きそう…。
ただ、12番の口調に物凄く苦労しました。じいちゃんの喋り方なんて解りません…。
ぶっちゃけ結城君みたいな人が一番気にするのは経済面だと思いまして。
一番経済面で頼りになりそうな人に出張って貰いました。
劇場版でいう『色々頼みたい事』の一つに、結城君と物部さんのその後があったらいいな、という妄想でした。

二人の再会まで…うーん…もう少し…かなぁ…??