1*10前提劇場版U後捏造です。


10階にある病室の扉が叩かれたのは、リハビリへ行こうとベッドを降りた時だった。
「はい?…開いてます、けど…」
回診はもう終ったし、9ならノックと共に入ってくる。
いつまでも開かない扉を不審に思って、擦り硝子の向こうを伺いながら取っ手に手をかけた。
途端にドアが大きく開けられて、結城はバランスを崩して倒れこむ。
「…ひゃっ!?」
「おーっとぉ」
硬い地面にぶつかると思った身体はそれよりずっと手前で止まり、視界は一面紫の布地に覆われた。
知っている。僕は、この人を知っている。
細く長い指と、イマドキっぽい服装。先のとがった靴。
目を上げればきっと、あの光の無い目がこちらを向いている。
それが解っていて、どうしても顔が上げられない。
ぽつりと落とす様な言葉で、結城はその名を呟いた。
「…辻くん…」
 
『西側の楽園 Z』
 
「なぁるほど、そりゃどうりでなぁんも覚えてないワケだ」
院長室のソファにどっかりと寛ぎきって座り、元セレソン2・辻はひとしきり滝沢の話に頷いた。
組んだ足は殆どテーブルに乗り掛けているし、さすがにどうなんだと苦言の一つも言いたくなる。
が、部屋主本人が全く気にせずコチラの話に頷いているばかりなのだから、滝沢は怒る事も出来ない。
仕方なく事の顛末を、自分が見聞きした事から他人が調べた事まで、詳細に語り続けて。
最後に少し警戒する様に言った。
「で?辻さん、だっけ?あんたはどうしてここに来れたの?」
記憶、消されたんでしょ?
自分が二度にわたって記憶を失った時の事を思い出し、滝沢は最もな疑問をぶつける。
あの状態になったとしたら、余程大きなショックでもない限り、半年かそこらで他のセレソンに辿り着くとは思えない。
自分が次々にセレソンに会えたのは、単にゲームの最中だったからと。
元4・近藤刑事が接触して来てくれたから、だったのだから。
「いやぁ、オレちょっと色々あって逮捕されちゃったみたいでさぁ」
言いながらも何処か人を小馬鹿にした態度のまま、「別にそれはいいんだけど」と辻は言う。
「兎に角突然の記憶喪失でしょ?取調べも出来ないつーんでデカい病院連れてかれてさぁ…」
そこで検査した結果、真実記憶障害であると診断された。そう辻は言った。
だが、心神喪失のお墨付きで晴れて釈放されてみると、今度は自分が誰だか全く解らないという恐怖が待っていた。
突然感じる息苦しさも、手足の痺れるような感覚も。
どれも覚えがある気がするのに、解らない。
身体には記憶があるのに、頭から出てこない。そんな表現がピッタリ来る状態だった。
辻は軽い口調で話すが、彼の状態がカルテ通りなら、それはとても辛かっただろう。
さりげなく火浦が気遣う様な言葉を言うと、苦笑して「別に?」と返した。
「んで、もっかい自費で病院行ったワケ。色々治療だかなんだか解んない事されてさ」
その時、会ったんだよ。
言いながら辻は胸ポケットから自身のノブレス携帯と、病院の名前のメモと、一枚の名刺を取り出した。
『モノクローム・エージェンシー  白鳥・D・黒羽』
その名の通り白と黒のシンプルな、それで居て洗練されたデザインのプラスチックカード。
書かれた名前に滝沢は小さく息を呑んだ。
「黒羽さん…」
「そそ。その黒羽っていうイカした元モデルだかなんだかがさ、ここへ行きなさい2、ってさ」
声真似まできっちりこなし、辻はピンとカードをはじいて滝沢に渡した。
六本木で、ニューヨークで、彼女に会った事を思い出す。
警戒心の強い人だった。だからこそ、もしかしたら記憶消去を免れたのかも知れない。
「で、一応治療で少しは思い出してたけど、どうしてもこの電話の事と、2って呼び方が解らなくてさ」
だから言われたとおり来たんだけど。
そういって辻は一呼吸置いて目の前の滝沢と火浦の顔を交互に見て。
ニヤリと笑って「正解だったね」と言って、ドサリと辻は背もたせに身を委ねた。
 
会うべき人に会ってくるという辻を見送って、滝沢は躊躇いながらも火浦に声を掛ける。
「大丈夫、ですかね…会わせて」
何となく煮え切らない口調。明朗快活な滝沢には珍しい事だ。
無理もない、と火浦は思う。
火浦自身もまた、その疑問をずっと頭の中に持っているからだ。
「大丈夫って…どちらに?」
「…結城です」
解っていてわざと聞いた質問に、滝沢は殆ど迷わず答える。
もう一人は心配要らないだろう。
それもまた、火浦は目の前の若者と意見を同じくしていた。
だが、結城はどうだろうか。
今でこそ持ち直しているが、かなり精神的に衰弱状態にあったのは確かだ。
そしてその原因が、『彼』で有ることも。
「アイツに会ったら、つられて…色々考えんじゃないかなーって…」
そういいながら自信なさげに目を逸らして、滝沢はやや長い髪を耳の後ろでぐしゃりと掴む。
「…彼の事かね」
言いながら火浦の視線は机の上のPCに注がれる。
画面には二人の入院患者の情報。
一人は結城亮。病室番号1001。特筆事項には神経衰弱傾向有りと注釈が入っている。
そしてもう一人。
いまだ集中治療室のマークが消えない、彼。
物部大樹。その名前の横の特筆事項を読んで、柄にも無く火浦は苦笑ついでに溜息を吐く。
ある程度医学知識は思い出したとはいえ、元々外科医だった火浦に、精神的な話は向いていない。
勿論精神科にも研修は行ったが、そんな数十年前の短期間の知識が、一体何の役に立つだろう。
「確かに…難しい問題だねぇ…」
どう思うかね?
自問の様に言うと「火浦先生に解んねぇなら俺にはもっと解んないよ」と返された。
 
「久しぶりだね結城君。ちょっと痩せた?」
まぁもともと細いらしいけど君。
明るく話しかけられて、驚いて思わず顔を上げる。
光の入らない魚類みたいな独特の目も、面長の顔も、ニット帽も。
何一つ変わらないままで、かつての仲間、辻がそこにいた。
「な、…んで…記憶…」
「あ〜、うん。消えたけど戻ったの」
説明するのが面倒だった辻が曖昧に結果だけ言うと、途端に結城の目の色が変わる。
「戻るの!?本当に!?どうやって、ねぇ、どうやって!?」
両手で頭半分程も小さい辻の肩を掴み、懇親の力で揺さぶった。
それはこの棒っきれみたいな体の、何処にこんな力があったんだろうか?と思う程で。
「いや、痛いって…」と告げると、はたと気付いて手を離した。
「ご…ごめん…」
途端に小さくなって頭を下げる様が本当に『そのまんま』で、「変わらないね」と言ってみる。
思い出したというよりは、何となくそんな気がしているだけだけれど。
きっとこんな人間だった、そんな予感めいたものがあった。
もう一度はっとしたように顔を上げて、それからぐしゃりと顔を歪ませて。
「本当に…思い出したんだね…」
泣き出しそうに震える声で、結城は言った。
それが余りにも弱々しく響くので、辻は敢えて訂正はしない。
よく見ると入院着の下にはまだ包帯が見えて、立ち姿のバランスも何処かおかしい。
5と9の話に寄れば、栄養失調状態の上車に撥ねられたらしい。
どうしてそうなったのか全く解らないが、何となく自分のせいな気がして。
「身体に障るよ」と促すと、結城は大人しくベッドへ腰掛けた。
ベッドの脇に置かれた見舞い用の丸椅子に座り、辻は改めてこれまでの経緯を説明する。
途中何度か質問を挟みたそうにしていたが、面倒なので無視した。
「…ってワケで、ここに来たワケ。解る?」
「そ…っか…。じゃあ、ちゃんと治療すれば…記憶、戻るんだね…」
白に囲まれた明るい病室で、よりいっそう白く見える顔。
そこには喜びとも戸惑いともつかない表情が浮ぶ。
全てを思い出してはいない辻には、その真意は解らない。
だからこそ迂闊に踏み込む訳にも行かず、小さく溜息を吐いて個室の中を見渡した。
殺風景だな。最初に思ったのはそれだった。
中々に良い病院で、しかも個室で。長期入院で。
それなのに、荷物らしい荷物といえば服を入れるカラーボックスが二つ、クリーム色のタイルの床に置かれている。
たった、それだけ。
枕元には滝沢が生けているのだろう、大ぶりな花束の入った花瓶があるが、ラベルには病院名が入っていた。
視線に気付いた結城が困った様に「服、買ってもらったんだ…入れ物も」と呟いた。
「…自分の私物とかは?全部家?」
つーか家何処?
ポンポンと矢継ぎ早にされる質問に、結城はついていけずにぽかんと口を開ける。
「あ、え、ええっと…家は京都、だけど…帰ってないし…荷物も、持ってない、し」
最後の方は殆ど声にならない。唇が微かに動く程度だ。
聞いちゃ不味かったな。辻は内心で舌打ちする。
こういうウジウジとしたタイプと自分が、一時でも手を組んでいたというのがなんとも信じがたかった。
だがその反面、もしも頼って来られたら、そう思う。
そうしたらきっと自分は、仕方ないと溜息を吐きながら招き入れて世話をするだろう。
否、もしかしたら本当にそうだったのかも知れない。
集中治療室のあの人に捨てられて。路頭に迷った彼が、自分を頼ってやって来る。
その場面を想像すると、妙にしっくりと来た。
「まぁいいや…ここに居ても仕方ないし?見舞いも済んだし仕事もあるし?」
帰るね。
そういって立ち上がる。手に持ったままの黒のダウンベストをひらりと羽織って袖を通して。
歩き出した辻を、「あ…」と何ともつかない呟きと共に、細い手が追いかけてくる。
ダウンベストの裾を掴む、弱くて小さい力に、少しだけ苦笑して。
「…またね、結城君」
そう付け加えて、するりと手を逃れて、辻は病室を出て行った。
 
ガラス張りのエレベーターを、ロビーに向かって下る。
年寄りばかりの病院だ。若者は僅かな見舞い客と受付嬢だけ。
黒羽という女に教えられた情報によれば、結城は介護職が専門らしい。
じゃあ安心だ。辻は心の奥で思う。ここでなら、生きていける。
別れ際の顔を、伸びる手を思い出す。
変わらない。記憶が無くてもそれだけはなんとなく解る。
まだ駄目な奴のままなんだ、と。
気弱で、自信が無くて、守られないと生きられない。書類の情報も、会った印象もそれで一致した。
エレベーターはいくつか途中の階で止まって、最後にロビー階で扉を開ける。
出入り口に真っ直ぐ向かうはずの導線。
その上につい先程別れたばかりの男を見つけて、辻は小さく息を呑んだ。
「ちょ、何してんの!?」
柱に手を着いて絶え絶えに肩で息をする結城に慌てて駆け寄る。
他のエレベーターはどれも途中階で止まったままだ。
「まさか…走って降りてきたの!?10階から!?」
呆れと、心配からくる怒りが少し混ざった声でそういうと、声の出せない結城は小さく頷いた。
「ナニやってんの君…ひょっとしなくてもバカ?」
苛々とした溜息を吐き出して、体力を使い果たした感のある結城を横から支えて。
待合室の革張りのソファに座らせて、自分もその横に座る。
心配して見に来た看護師の女に飲み物を頼んで、受け取った水をゆっくり飲ませて。
「で?どったの?」と少し軽めに聞いた。
冷たい水を何とか喉に流し込んだ結城は、真っ青な顔で肩で息をする。
それでも、振り向いた目は真っ直ぐで、思わず辻は圧倒されそうになった。
「君…に、聞き、たいこ…とが、…あ…って…」
途切れ途切れにいうと少し咳き込んで、深呼吸を何度かして、改めて結城は辻と目を合わせてこう言った。
「君は、物部さんに、…会った?」
大きな黒い瞳が、ロビーの吹き抜けの上の蛍光灯を反射する。
その中に丸ごとすっぽり納まった辻は、なんだか吸い込まれそうで背筋が冷たくなった。
結城亮という人間がどういう人間なのか、記憶が無いなりに知識だけは仕入れてきたつもりだった。
気弱で狭視野で孤独で短絡的で、ミサイル犯。
前半部分は兎も角、会った印象からは少なくともミサイルを撃つような狂気や精神力は感じなかった。
けれど、今目の前に居る男は、なるほど撃ちかねないな。
そんな風に思わせる危険な真っ直ぐさを持っていた。
「物部さん…?」
「うん…ベスト、脱いでたから…ICU行ったのかなって…」
鋭いなと思う。と同時に、しまったと思った。
つい先程迄の弱々しい結城の様子と、その前にあった男の印象を思い比べて。
この話題はするべきではないと、辻にだって解っていたのに。
涼しい顔で作り笑顔で、さらりと逃れてしまおうか。そう思う。
頭の片隅には、以前そうやってこの男に対応した記憶が微かにあったのだ。
この男は簡単に人を信用する。だから、簡単に騙せる。誤魔化せる。そんな記憶が。
けれど、痛々しい傷跡が薄青の服の下から見えて、何故だか凄く申し訳無く思ってしまって。
「会ったよ」
辻は自分でも驚く程素直に、そう告げた。
ほんの一瞬、大きな目を更に見張って。それから小さく溜息を吐いて。
「そっ…か」と何にとも無く頷いて、目を閉じる。
次に開いた時には、見違える程強い目に変わっていた。
「教えてくれてありがとう。それだけ、聞きたかったんだ…」
「それだけって…何話したか〜とか、訊かないの?」
別人の様に穏やかに言う結城に驚きつつ、意外そうに訊くと、結城は苦笑気味に首を横に振った。
「うん…聞いちゃうと、鈍るから…」
決心が。
言いながら上げた顔は、なんだ、守られなきゃ生きられないなんて、そんな事ないじゃないか。
そう思わせるに足る顔で。
立ち上がった辻は、座ったままの結城の頭をぽんと撫でる。
「うん、まぁこれなら大丈夫かもな」
苦笑でも作り笑いでもなく笑って、「帰りはエレベーター使いなね」と言って。
ガラス戸をくぐって、寒空の中へ出て行った。

**********************************************************************************
辻君は映画版の、軽いけど色々考えてて、冷めてるけど結城君を見捨てない。
という印象をだいぶ210寄りに好解釈して書いてみました。
結果として別人だけどもう気にしない!(しろよ

259の心配を他所に、10だってちゃんと頑張っているんだよ!っていうお話でした。
予定ではあと2回…で済んだらいいな、とか。
10の幸せな未来まであと少し!の、予定!!だったらいいな!!(自信持てよ製作者