自己完結した物語




「ビビが好きよ」

 明日の仕込みを終わらせて、午後からやっていた行く先々で手に入れた新たな料理の調理法、アレンジを加え我流に味付けしたものなどの走り書きのメモを、レシピノートに写し返す作業を再開するべく、必要道具をテーブル一杯に広げて。
 忙しない航海ではここまで手が回ることがなかなか無いため溜まりに溜まっている上に、クソゴムがメシだのなんだの騒ぎ立て散々邪魔してくれたおかげで午後の作業は一向に進んでおらず、紙切れはたんと残っていて。
 あーだこーだ呟きながらペンを走らせるなか、分針が日付が変わる時刻を指して数分が過ぎた頃、ナミさんがラウンジに入ってきて。
 わーこんな深夜にナミさんにお会い出来るなんて感激どうしたの眠れないの、とか、あっいいよいいよおれが淹れるから!……いやほんとそんなこと言わないでさナミさんに飲み物淹れて差し上げるのはおれのこの上ない至上の喜びの一つなんだからでは少しばかりお待ち頂けますか、とか、いつも通りに甘い言葉を並べ立て(どんだけ軽い調子でも言ってることは本心だ)まくしたてると、ナミさんは珍しく頷いて椅子に腰掛けてくれて。
 おれは僅かでもナミさんと二人っきりの時間を得られたことに心の中でガッツポーズをとり、あぁこの程度で奥深くから染み渡ってくるような幸せに満たされるたァおれも随分と謙虚な男になったもんだよなあとかしみじみ思いながらも。確かに幸せの絶頂だったんだ。

 ”ビビちゃんのことが好きなの?”

 なにがどうなってこういう会話に発展したのかわからない。
 だがそれも無理のない話だと思う。おれが取り留めのない話題をすらすらと口にし、ナミさんが適当に相槌を打つ、昼間と変わらない普段通りのやりとり。なんてことのない言葉の応酬の掛け橋の一端。だった、はずだ。
 取り立てて特別な意味合いを含むものではなかったはず。少なくとも、表面上では。
 なのにナミさんは言葉につまった。熱い湯気を燻らせるマグカップに両手を添えてぱちりと数回瞬きをし、僅かに視線を泳がせたあと、斜め下へと定着させた。その表情は別段怒ったふうでも照れたふうでも何かを隠そうとしたふうでもなく、先程おれやカップや時計やノートなどに時たま視線を行き来させていたときのそれと何ら変わりなかったのだけれど、カップが傾けられたせいで今はその表情が読めない。
 おれは奥底で低迷していた曇り濁った何かが一気に這い上がってくるのを必死で体内に塞ぎ止め、それでも抑えつけることが出来なかった欠片として、ビビちゃんのことが好きなのという問いが再び漏れてしまったのだ。今度は苛立った心を隠しきれた自信は正直、ない。
 そしてナミさんは少しむっとした顔で、棘の刺さった声で言ったんだ。

「サンジ君だってそうでしょ?仲間なんだもの、当たり前じゃない」
 だから、ビビが、好きよ。
 今度は言葉の意味を確かめるように、一つ一つ噛み締めて、先程と同じ言葉を口にする。
 うんうんと納得するように頷くナミさんを見つめながら、出口を求めて暴れ狂っていた曇りが霧散していくと同時に、今度は自分への嫌悪に近いものが肺一杯に広がっていくのを全身で感じとる。こんな感情に襲われるのはもう何度目になるのか、数える気にもなれない。
 彼女の気持ちがほしいから、彼女の気持ちを利用している。自分の欲求を少しでも現実に近づかせるために、自覚が届かない彼女を誤魔化して。そんな卑怯な自分に腹が立つ。後々はきっと彼女の為になるんじゃないかなんて、誰に聞かれるでもない醜い自己弁護を取り繕っては、また嫌気が募る。その繰り返し。
 だけど、本当は。そうやって勝手に抱え込んで勝手に思い悩むこと自体が傲慢な考えだってことも、本当はわかっているんだ。おれが何をしようと何をしなくとも、たぶん、結果は変わらないんだろう。
 それはおれのわがままで。
 それはナミさんの世界。

 でしょ?と可愛く首を傾げられて、おれは笑顔を返した。
「ああ。すっげェ好き」




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[ 2006/02/10 ]