プールには奴の心だけが浮かんでいた。
 
 一応は健全な扶養生活を送っている俺としては、これ以上頭を使う必要の無い方向に回させられるのは眉根のためにも勘弁願いたい。  その辺の配慮はできている奴だと思っていただけにがっかりだ。失望だ。
 
(僕としたことがうかつでした。申し訳ありません)
 黙れーい。言い訳無用だ。
「とりあえずあがってこい」
(それがどうやら身動きもとれないようで。お手上げです)
 ああそうかいそうかい、じゃあ一生次亜塩素酸ナトリウム液と仲良くしてな!
 
 ただでさえ暑くてたまらない、泳ぎたいのは俺のほうだ。目を凝らすと熱射病のせいではなく、プールサイドが果てしなく見える。見えるというか、果てしない。
 ……ひょっとしてこれは出られない、のか。えー。
「お前今日プール見学してただろ。それのせいだ」
(そうなんですか)
「そうだ」
「俗称サラシ粉は副生成物トリハロメタン等の有害物質が問題となっている」
「わっ」
 横に沸いたのはいきなり手すりに興味津々の長門だ。恥ずかしいのは承知だが生足はしらうおさんのものである。
(あまり浸っているという感覚ではありませんが)
「なら、いい」
(え、いいんですか?)
「いい」
 長門は水面をぱしゃりと蹴り上げる。銀環が、跳ねる。
「うーん。なんかだるくなってきたな」
(えええ)
「あ、あのう、アイスがありましたぁ」
「おお、ありがとうございます」
 さすが朝比奈さんである。どんな環境下でも朝比奈さんたることができる!
 くちばしピンでゆるくアップな髪型は、なんともうなじがマンダムだ。好意に甘えた俺は、ごっそりと夏の製菓が詰め込まれた怪しいビニール袋から、60円のソーダのアレを選んだ。ところでこれは食い終わるときかけらが落ちそうになるんだがみんなはどうやって回避しているんだろうか。今更聞けない。
 ちなみに長門はツンドラ地帯在住先住民族の会社の6個入りのアレ(かわいい)、朝比奈さんはチューしてペットのアレ(……歪んだ心で見ると少々卑猥!)を選んだようだ。
 頃合を見計らったかのように一塵の風がすり抜ける。りんりんりん、と、この世の向こう側で俺達を飲み込む風鈴が鳴き始めた。なんていい夏の日。
 
(僕はパピコがいいです、パピコ)
「ないな」
「ない」
「な、ないですね」
(え、えええ……)
「はーいあんたら金魚すくいしたいわよね! しましょう! 今すぐしましょう」
「ハルヒー、お前何食うよ、アイス」
「玄人は黙って氷! 早くポイ持ちなさいよ、ぽいぽーい」
「食えってか?」
 モナカの時点ですくえる気がしない。
「大体どこにいるんだよ」
「そのへん」
 はいはいと見ると、なるほど、確かにプールには赤い斑点がぞわぞわしている。あえて気味の悪い表現を選んでみた。
「ありがたみが足らん」
「あー入れ物が無いわ! 空箱でいいかしら」
「モナカ……最中の月。食用」
「長門、金魚すくい初めてか?」
「おいしい」
「こらこらほんとに食べないの」
「ひゃああ、キョン君、ブルーライオンヘッドがいますうコブがありますう」
「ひ、品種詳しいですね」
(あのう、できれば僕も救出してほしいんですが……)
「うーん……古泉君ちょうど真ん中にいるものねえ」
「遠いな」
「仮生状態の古泉一樹まで目算約4.5mの距離。このスイミング・プールの横幅は10.0m。贅言だがスイミング・プールというミステリー作品が実在する」
(ええと、そこをなんとかお願いしたいのです、が)
「お、デメキンとーった」
「ふっふん、あたしのほうが大きいわね」
「何だ? 器の話か?」
「むかっ!」
(あのう……)
 
 そんなこんなで、俺達は打ち放された最果てで夏を満喫した。氷オニもトランプも花火もした。最後に見たまっさらな砂はよく覚えていないが、きっと俺達は本当はそんな風にさらさらと崩れてしまう危うい楼上に粋がっているのだと、俺は夢の中でだけそれをよく理解できていた。それなのに、それでも深呼吸の間だけの美しいごっこを求めてしまうのだが、誰にだって咎められるはずもない。だって結局は、あいつの心も笑っていたのだから。一等長く光ったのはあいつの線香花火だった。(GOOD DREAMS)