ずかずかずかずかずか。
平和な午後に似つかわしくない、乱暴な足音。
ずるずるずるずるずる、どがっ。…ずるずるずるずるずる。
その後ろからは、重いものを引きずるような音が聞こえる。あ、ぶつけた。
すまない、002。君の犠牲は決して忘れはしないから。
暗い部屋の片隅で、ジョーはここにはいない仲間を悼んだ。ナンバー呼びのあたり、事態の重大さと緊迫感を物語っている気がしないでもない。
それはそれとして、彼は一体何をしているのだろうか。
別に新たな敵が現れたわけでも、BGが復活したわけでも、世界の危機が訪れたわけでもない。
だがこの緊張しきった表情はどうしたことだろう。完全に気配を絶って寝台の下に隠れている姿は、防護服ではないといえど、戦闘時そのままだというのに。
ずか。
足音が、止まる。ジョーのいる部屋の前で。
ジョーは全身が粟立つのを感じた。必死で息を殺し、ただ気づかれないことを祈る。
……ずかずかずかずかずか…がすっ。
数秒か、はたまた数十秒かの後、足音は離れていった。何かが壊れたような音を残して。
「ふうっ!」
寝台から這い出て、ようやく息をつく。その様子を誰かが見れば、某家庭内害虫を想起したかもしれない。何しろ、今の彼のいでたちは燕尾服だったのだから。
「ひとまず、やりすごせたかな」
次に打つべき手を考えつつ、新鮮な空気を満喫する。隠れていた時間はそう長いものではなかったが、極度の緊張で強張った全身と脳が酸素を欲していたのだ。
今のうちに移動した方が良いだろうか。それともこのまま隠れるべきだろうか。いや、いっそのこと逃亡を図った方が良いかもしれない。この格好で外に出れば怪しまれるかもしれないが、命にはかえられない。
しかし。
「何でこんなことになったんだろう…」
ひっそりとした囁き声が漏れた。
事の発端は、どの事件でも等しく同じように、まあありふれた日常からだった。
買い物に出かけたジェットとフランソワーズが商店街の福引でカメラを当てたのである。新しい「オモチャ」を手に入れた年少組の発案で、急遽全員で写真入りカレンダーを作ることになった。
「おい、これ見ろよ。おっもしれーよなァ。こんだけで写真ができるんだぜ?」
「そうよね、形も随分変わったし。本当に撮れるのかしら」
「ああ違うよ。そこをそうやって…、これで大丈夫なはずだよ」
何でもいいから使いたがるジェット。おそるおそる触ってみて、でもやはり楽しそうなフランソワーズ。慣れているせいだろう、二人に使い方を教えているジョー。銀色の小さな「板」を囲んで、さっきから楽しそうだ。
和気あいあいの三人を横目に、ハインリヒは盛大にため息をついた。
彼が身につけているのは、普段なら絶対に着ないだろう革製の上下である。似合っているといえば似合っていたが、服の持ち主に言わせれば「麻薬密売人」。言い得て妙だと全員に笑われ、ますます憮然となる彼だった。
他の面々も常のイメージとは違った衣装で、一種の仮装という風情である。似合うか否かは別にしても、全員(約一名除く)華やいだ雰囲気を漂わせていた。
「ハインリヒー、君の番だよ」
「ほら、さっさとしろよ!」
(だから、何でこうなるんだ?)
天井を見上げて思わずうめく。できるなら参加したくないのだが。
「ハインリヒ?」
上機嫌な彼女に、意思表明ができるはずもなく。
「今行く」
ヤケクソであった。
それにしてもグレートは大丈夫だろうか。
撮影終了後のハインリヒは、イノシシもかくやという速さだった。
あっさり姿を消したフランソワーズは後回しに、最高の機動力であるジェット、および鳥に変身できるグレートを「写真屋にカメラを持って行けないような」状態にしてから、攻防を開始したのである。
加速装置でカメラを壊すわけにはいかないジョーは、フランソワーズへの支援を役割として、この追跡劇に加わっていた。
先ほど引きずられていたのは、おそらくジェットだろう。突起が多いぶん彼の方が引きずりやすい。だが、グレートはどうだ?致命傷を負っていなければいいのだが…。
「おい」
不意に後ろから声が聞こえた。
心臓の音が一気に跳ね上がる。まさか。いやそんなはずは。いくら思考に没頭していたといっても、周囲には十分気を配っていた。入ってきたなら、絶対に気付くはずだ!!
冷や汗をだらだら流しながら、ジョーは振り返られないでいた。見たくない見たくない見たくない…!
「ジョー」
声はあくまでも優しい。が、首をつかんで振り向かせる力に容赦はなかった。
「ややややややあ、ハインリヒ」
「奇遇だなあ、ジョー。さっきからお前さんを探してたんだ」
「いやいやいやいやいや僕にできることなんて何もないよだからちょっと離してくれると嬉しいんだけど」
「ああ、そんなに大したことじゃねぇよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
みしり。肩を掴む両手に力が入り、ジョーは骨の軋む、嫌な音が聞こえたような気がした。
ああどうしよう。博士にメンテナンスをしてもらったばかりなんだ。修理するはめになったら博士に申し訳ない。でもきっと離してくれないよねハインリヒは。何しろ行動がものすごく迅速だったし。そういえば今日は空が綺麗だなあ…。
「ジョー」
現実逃避しかけていた彼を、冷静な声が呼び戻す。
「フ・ラ・ン・ソ・ワ・ア・ズは、何処だ?」
みしみしみし。
言えない。それだけは絶対に言えない。彼女の居場所を隠すというのは、彼が自分自身に誓った使命であったから。例え仲間の頼みでも、ジョーは口を閉ざしていた。
そう。肩を全力で掴むハインリヒが「満面の笑みで」自分を見つめていたとしても。
(助けてくれ…)
口の中がからからに乾く。一体いつまでこの状況が続くのか。思わず助けを求めてしまったそのとき。
「あら、何してるの?ハインリヒ」
救いの女神はフランソワーズだった。廊下からの光を背負ったその姿は、今のジョーには神々しくさえ見えた。
「フランソワーズ!さっきの」
「はい」
みなまで言わさずハインリヒにカメラを手渡すフランソワーズ。
これには、ジョーもハインリヒも虚を突かれた。さっきまで彼女は逃げ回っていたのに、どうしてすんなりと渡すのだろうか。
「ハインリヒ?」
それ、嫌なのでしょう?と小首をかしげて聞くフランソワーズに、ハインリヒはなにやらもごもご呟いてカメラを受け取った。そして、はっとしたようにそれを床に叩きつけてがしがしと踏み潰す。
「ネガは中に入っているから、もう心配ないわ。あ、掃除も私がやっておくから」
にこにこ微笑んでそんなことまで言ってのける。
さっぱり事情が分からない男二人を残し、彼女はホウキを取りに歩き出した。
「何だったんだ?」
うめくハインリヒの声を背中に受けながら彼の表情を想像して、フランソワーズはくすくす笑った。
「本当に、世の中って便利になったわよね」
今頃は、ピュンマがインターネット経由で写真を送り終えているだろう。せっかくのデジタルカメラは、もったいないことをしてしまったけれど。
年が明けて、カレンダーが届いたらハインリヒがどんな顔をするか。それを思って、フランソワーズはまた少し笑った。