魚の舌

 僕はゲリラだった。いや過去形ではなく、ゲリラである、と言ったほうがいいかもしれない。強大な敵に対して、わずかな仲間たちと共に戦っていることに変わりはないからだ。
 違いといえば、数年前まで故国の独立を求めていたのが、いまではブラックゴーストの残党、つけくわえると世界の異変を相手にしているということだろう。

 さてブラックゴーストから逃げ出し、ドルフィン号で共同生活を送っていたころ、ぼくら十人の胃袋を支えていたのは006こと張々湖だった。見張りやドルフィン号の操縦同様、本当なら交代でつとめるところを、かれはどうしても自分がやりたいのだと主張して栄えある厨房主任の地位におさまった。
 もっとも、十人分の食事を用意するのはなかなか骨の折れる仕事である(うち一名は粉ミルクだけど)。ひとりずつ交代で手伝いをすることになった。
 この仕事が、ぼくはあまり好きではなかった。
 なにしろ追っ手との戦いを繰り返しながらの生活だ、ろくな食料も手に入らないことだって多いのに、006はできうる限り丁寧に調理を続けるのだ。
 あのころ、ぼくらがほとんど毎日温かいスープを口に入れられたのは、そのような事情による。
 しかしぼくに言わせれば、あんなの非効率的でしかない。下ごしらえに余念のない張々湖の隣で、野菜の皮をむき、生地をこねているとわけもなく苛立った。だいたい、サイボーグ兵士はある程度食べなくても平気なんじゃなかったか。
 後で聞いたところによると、ジェットも同じようなことを思ったらしい。そんなぼくの努力の結晶を満足気に眺める張々湖が、不平をたたえた内心に気づいていたかどうか。

 張々湖の「道楽」をぼくが受け容れようとつとめていたのと同じく、こと料理となると不器用さを発揮するぼくの手を、あちらも見守っていてくれたのは間違いない。しかし偏食となると話は別だった。
 「食べられないんだよ」
 魚のソテーが鎮座ます皿を押しのける。このとき食堂兼ミーティングルームに居合わせたのは、006のほかに007がいた。今日の主菜はふたりが釣り上げた成果らしい。
 その場にいなかったことを、つまり釣りに加わらなくてよかったと本当に思う。ぼくは魚が嫌いだ。ぞっとする。
 「我が輩の釣果が口に合わぬとな?!」
 「…そんなんじゃないよ」
 仰々しくのけぞり、悲嘆ぶる007から目をそらす…ふりをして、魚を視界から外した。焼かれて白くなった目が、僕をじっと見つめていたからだ。
 魚は嫌いだ。トカゲでも虫でも、ほかのメンバーが一瞬眉をひそめようが抵抗なく口に運べるけど魚だけは無理だ。
 「素材は新鮮そのもの、料理人は天下の張大人だぜ?舌の上に乗せれば天国を味わえるってもんだ」
 ぺらぺらとソテーの美味なることを謳いあげる007とは対照的に、006はじっと僕を見ている。
 「実は、僕が暮らしていたところでは、魚は食べないものなんだ」
 どうにか魚を味わわずにすむよう、僕は考え考え話を始めた。まるきりの嘘ではない。ゲリラとして各地に身を潜めていた際、立ち寄った地方に住む部族は魚を口に入れないという風習を持っていた。そこで一時暮らしていたのは、本当の話だ。
 ただ、あのぴちぴちと跳ねる姿を見ると、どうしようもない嫌悪感がにじみでてくる。ぞっとするような感触が肌を粟立せた。
 (しびびっ、しびびっ)
 人間の体は、電流を通すとまるで魚のように跳ねることを知っているだろうか。開いた唇からだらりと垂れ下がった白い舌が脳裏をよぎり、ぼくは胃がむかむかするのを感じた。
 「食べられないなら、仕方ないアル」
 006の手が、拳をそっと包んでいた。指を一本ずつ開かせていく。
 「でもネ、いつかワテの料理食べてくれると嬉しいヨ。今すぐでなくていい、いつかネ」
 見抜かれている。ぼくをじっと見る006の目で、直感的にそう理解する。苦しまぎれの「嘘」に006は気づいたのだ。わけもなく舌がからからに乾いた。
 「分かったよ006。いつかは、いつかは食べる…」
 「約束ネ。ああ、今日はワテ誕生日アル。この約束、誕生日の贈り物に貰ってもいいカ」
 頷くと、張々湖は笑った。こんなに嬉しい贈り物はないヨ、と言って。