欠席裁判

 それは、お前の荷ではない。
 お前が背負う必要はない。

 眠りづらい夜が来ることがある。戦いが終わったあとは特にそうだ。具体的に「いつ」やって来るのかは人によってさまざまだが、全員が承知していることで、また覚えがあることでもあった。だから、深夜に出歩く影をふとした拍子に見かけたとしても、いちいち詮索しないのが普通のことだ。
 だが同じ相手と連日同じ場所で出くわせば、双方多少は「思うところ」ができても当然だったのかもしれない。

 トラブルの渦中に身を置きやすい彼らゼロゼロナンバーにしても、全員揃っての行動は稀なことである。九人全てが顔を合わせる機会があったとしても、戦いや事件の影が姿を現したときばかりなのは、皮肉というより必然なのだろうか。
 そんなこともあって、張々湖は全員が揃っているときなどは、可能な限り時間を割いてギルモア邸の厨房で腕を振るっている。
 彼は普段、もっぱら自分の城たる張々湖飯店で寝泊りしているのだが、「こんなことでもなかったら、全員で食事を取る機会もないアルヨ」と笑って言った。
 そういうふうにして、しばらく疲れた体を休めていた面々も、いつの間にか一人、また一人と帰ってゆくのだ。それにつれて、束の間ギルモア邸にたゆたっていた、常ならぬ賑やかさも霧散していく。

 その晩、ジェットがずるずると台所に居座っていたのは、いかにも暇を持て余しています、という顔でいれば張々湖が夜食でも作ってくれるだろうという魂胆からだ。経験上、時機を間違いさえしなければ、少なくとも三回に一回は希望が叶えられることを、ジェットは知っていた。
 彼としては、貧しい食生活をせめてこの時くらいは改善したいのである。
 しかし、今夜ばかりはその目論見を後悔する必要がありそうだった。

 「腹が立つのよ」
 フランソワーズはカップの中身を一気に飲み干すと、いささかならず手荒にカップを置いた。陶器どうしがぶつかって、ソーサが乱暴な扱いに不平を鳴らす。
 隣り合って座る張々湖とジェットは、つかの間視線を合わせると、互いの目に同じ思いを読み取った。結局、両者とも聞こえなかったふりをする。
 「は・ら・が・た・つ・の・よ」
 「誇張しなくても聞こえてるアル」
 微量のあきらめを声に滲ませ、張々湖もカップを置いた。こちらはフランソワーズとは違って、落ち着いたものである。ジェットはというと、カップを口につけたまま、黙って二人の様子をうかがっている。
 「だったら返事してくれてもいいじゃない」
 「いきなり言われても答えようのない台詞ヨ」
 張々湖の切り返しに、フランソワーズはむくれてそっぽを向いた。人差し指の爪でカップをはじく様子を見ながら、(むちゃくちゃ機嫌悪ィな)とジェットは思った。なんとなく気まずくなって、所在なげにもてあそんでいたカップを置く。なるべく目立たないように気を遣って。
 しかしジェットの細心の注意にもかかわらず、生じた音は小さくはないものだった。案の定、隣のフランソワーズの目が素早くジェットに向けられ、思わずジェットはぎくりと身をすくませた。
 「わ、悪ィ」
 責めるような視線でもなかったが、反射的に謝罪の言葉が口から出てしまう。直後、二人は同時に互いに聞こえないように呟いたようだった。ジェットは、なんで俺が謝るんだよ、とか何とか。フランソワーズは、別に謝らなくたって、とか何とか。
 張々湖はおもむろに席を立つと、居心地の悪い沈黙を背後にキッチンカウンターの向こうへ回った。ジェットがフォローを求めている気配には、気付いているのかいないのか。
 せめてジョーがいてくれたら、とジェットは痛切に思ったが、彼はしばらくメンテナンスの手伝いに追われていたため、博士と同様早々に自室へ引っ込んでいた。
 頬杖をついていたフランソワーズが、ほう、と息をもらす。
 「…腹が立つの」
 これだけ同じ台詞を繰り返せば、いくらジェットでも分かろうというものだ。
 「あのときのことか」
 フランソワーズは頷くかわりに盛大なため息をついた。伏せられた睫が目元にかすかな影を落し、彼女の表情を曇りあるものにしていた。
 「だって、あの人…。どうしていつも無茶な真似ばかりするんだか」
 適当な言葉が見つからなかったのだろう。苛立たしげに言葉を切る。発せられる一つ一つの端々からささくれだったものが放たれるのを感じ、ジェットは眉をしかめた。
 むしろ彼女の苛立ちは――自分自身にこそ向けられているのではないか?
 空になったカップの底を見ながら、ジェットはことさらのんびりとした口調で言ってのけた。
 「無茶の度合いで言うなら、おれの方が上だと思うがなあ」
 それを聞き、フランソワーズは唇を引き結ぶ。怒りを堪えるかのように。
 事実、戦場で一番突っ走りがちなのはジェットである。もし選ぶとするなら後方の罠よりも前方の罠。それが彼の信条だった。ついでに、先陣を切りたがるジェットをたしなめるのは、戦場では専ら彼と行動を共にすることの多いハインリヒだと、相場が決まっていた。
 フランソワーズの言う「無茶」がそういう類のものではないことは、もちろんジェットにも分かっている。
 ジェットが改造された時期は、メンバー中最初期に位置する。サイボーグ計画が軌道に乗るまで、様々な人間が改造し改造され、彼の目の前を通り過ぎていった。
 ジェットは生き残るために、ずっと前へ進みつづけてきた人間なのだ。迷いや逡巡よりも決断を好むのは、それゆえのことだろう。
 フランソワーズはそう考えていたし、だからこそジェットに同意を求めていたのかもしれない。ハインリヒが、ときに周りを巻き込むような「無茶」をするということを。
 「私が言いたいのはね。あのときもそうだけど、ハインリヒは全て一人で背負い込もうとしてるような気がするってこと」
 彼女の言うことも分からないではない。先だってハインリヒがしでかしたのは、ここしばらくの内では最大級の馬鹿な真似だった(少なくとも、ジェットにとってはそうとしか言いようがない)。
 いくらイワンと博士を人質にされていたとはいえ、どうしてほいほい敵に捕まりになど行けるのだ。しかも、誰にも断りなく。
 「だけどよ、ハインリヒもちゃんと分かってると思うぜ?大ゴケしそうになったって、引き止める人間がいることくらいは」
 「なら、どうして何も言わなかったの?捕まったらどうなるか、分からないわけじゃないでしょう?他にもっといい方法が、きっとあったはずなのに」
 ジェットの噛んで含めるような口調に反発するように、幾分か早口になって、フランソワーズは言った。
 (あの野郎も大概気が短いからな…)
 確かにあの時点で一番手っ取り早く、しかも確実な方法はハインリヒがおとりとなることだった。よほど「004」にご執心だったのだろうか。敵の注意が捕獲したハインリヒに向けられている間、サイボーグたちは驚くほどたやすく行動できた。
 「それに…それに、博士とイワンが捕まっていたのよ」
 唇がわななく。

 私がもっとしっかりしていたら、あんなことにはならなかったのに!

 震えるそれから読み取った思いは、はたしてジェットの気のせいだったろうか。けして紡がれることのない、彼女の叫び。
 なればこそ、責は彼ら全員にあるというのに。あのとき二人が人質に取られたのも。ハインリヒが黙って捕らえられたのも。
 全て彼らが共に背負わなければならない荷なのだ。けして一人で負いきれるものではない、重い重い荷。
 「あいつらの狙いはハインリヒだったんだろ。だったら、もし博士たちをさらうのに失敗しても、また別の手段を考えたんじゃないか」
 「そんなの後からつけた屁理屈じゃないの」
 フランソワーズはなおも言いつのる。だが先ほどまでの影は、もう見られなかった。ジェットはさりげなく緊張を解いたが、ふと気が付いた。
 これでは、まるで駄々っ子だ。
 「お前さあ、なんでそんなに怒ってるんだ」
 「怒ってません」
 「さっきから怒ってるだろ」
 「怒ってないって言ってるでしょう」
 「何で認めねえんだよ。自分から言い出したくせに」
 「だから怒ってません。腹が立ってるんです」
 「どう違うんだよ!!」
 「二人とも、いいかげんにするヨロシ」
 ずい、と湯気を吹く大きなヤカンが現われた。ちょうど、向かい合う二人の間を割って入るような形になる。
 だが、ぐらぐらと煮え立ったお湯ごときで、意地っ張り同士の言い争いが止まるわけでもない。渦巻いていた深刻な空気も消し飛ばし、立ち上がって審判にクレームをつけた。
 「だってジェットが」
 「だってフランソワーズが」
 「ケンカするほどのことアルカ?違うネ」
 きっぱりとした口調で言われ、若者二人は渋々といった風に腰をおろす。
 「ハインリヒが心配なのは分かるヨ?でもここでケンカしてどうするネ」
 「おれは別に心配なんかしてねえよ」
 「なら、どして二人一緒になっていらいらしてるアル。胸に手当ててよーく考えてみるヨロシ」
 ずい、と寄ってきた張々湖の迫力に気圧され、思わず二人は言われるまま胸に手を押し当てた。すると張々湖は満足そうにヤカンを取り上げ、少し冷めてしまったそれを再びコンロにかける。
 「ハインリヒもネ、ちゃんと知ってるのコト」
 どうしようもないときに、どうすればいいのか。ここに来れば誰がいるのか。
 ギルモア邸がどういう場所なのか。
 ヤカンが笛を吹き、張々湖は手のひらを打ち鳴らしながら言った。
 「さあさあ、お湯が沸いたアル。ジェロニモも呼んで来るヨロシ」