ケンカの下地

 みょーん。
 擬音が聞こえるかのような伸びっぷりである。
 「少し伸びすぎだな」
 ぱちん、と小気味良い音を鋏が立てる。
 ハインリヒはコズミ博士の家に滞在していた。今年は全員で新年を迎えられそうだったのだが、彼自身は年末の休暇を取る前に無期限の休みをもらってしまったのである。さしあたってすることも(金も)なく、どうせ正月には全員がギルモア邸に集まるので、彼はそれまでコズミ博士に厄介になることにした。久々に訪れた博士の庭には結構な数の鉢植えやら庭木があり、碁を打つ合間に彼は手入れの方法を教わったりしていた。
 もう明日は大晦日である。博士は用事で出かけており、ハインリヒは留守番をしていた。帰ってきたら挨拶をしてギルモア邸に移ろうと思う。
 「おい、おっさん何やってんだ?…ボンサイかよ。じじむせぇな」
 ジェットは昨日来日したらしい。おおかたフランソワーズに邪魔だと追い出され、暇つぶしにこちらへ来たのだろう。じじむさいじじむさいと連呼する彼を横目に見ながら言う。
 「名は体を表すってな」
 「?なにがだよ」
 「アホほど良く伸びる」
 「だからなにが」
 「愛情表現の一環としてお前の名前を付けた」
 は?
 今なにか目の前の男(三十歳・独身。無愛想冷酷女ったらし)から聞くにはものすごく薄気味悪い言葉を聞いた気がする。ざわざわざわっと寒さでなく鳥肌をたて、ジェットは三メートルばかり後ろに引いた。嘘だ。今のは幻聴に違いねぇ。
 「ななななななななな」
 「植物ってのは」
 ぱちん。ジェットの様子に気付いているのかいないのか、淡々と鋏を入れつづけるハインリヒ。何故だろう。切るはしから伸びているような気がする。
 「毎日声をかけ、愛情を込めて接してやると」
 ぱちん。ふむ、こんなものか。
 「よく育つんだ。そんなことも知らないのか」
 「知るか!つか何で俺の名前なんだ!名は体をってどういう意味だ!」
 「どう見てもお前だろう」
 みょーん。風に揺れるジェット(ヤツガシラ)。その天に向かった茎は優に二メートル近くある。これだけの長さで何故まっすぐな姿勢を保持できるのか。やはり愛の力だろうか。
 「ああなんだそういうことかよってお前俺がアホだと言いたいのか!」
 今頃気付いたのか。
 「それより見ろ、フランソワーズ(椿)が花を咲かせた。綺麗なもんだ。やはり本人に似るんだな」
 「ごまかすすな!」
 「ジェロニモ、相変わらずでかいなぁ」
 「うお、本当だでけぇ!って何なんだよこの緑色の物体!」
 池の中の三十センチほどのマリモを指すジェット。
 「マリモだ。藻の一種でコズミ博士の教え子の北海道土産だそうだ」
 「へえ…日本にはこんなのもあるんだな。東洋の神秘ってやつか?いやそれ以前にお前俺の話を」
 マリモの不自然なまでの大きさに気付かない外国人二人。
 「ジョー(松)は相変わらず小さいな。ひなたに置いているんだが」
「全員の名前付けてんのかよ!」
 「ピュンマ(タチバナ)が少し弱ってきている…。どうにかしないと」
 「てめえのネーミングセンスをどうにかしろ!!」
 「グレート(アロエ)は本当に手がかからないな。初心者には助かる」
 「人の話を聞けえぇぇぇぇ!!!」
 「ああうるせぇ。お前ちょっと手伝え」
 「どぅわーくぅわーるぅわあぁぁー」
 のし。
 「うをを?」
 「張大人(竹)だ。言っても無駄だと思うが慎重に扱えよ」
 「何で竹なんかあんだよ!?」
 「隣りの竹林が見えんのか」
 「勝手に切ったのか!?犯罪じゃねえか!」
 「あちらさんがわざわざ地下を通ってこっちに生えてきてくれたんだ」
 「だからっていいのかよ…」
 「知らん」
 「あのな。アンタも相当常識が、いえなんでもありませんのでナイフをしまってください。それで一体何なんだこの竹は。あと俺の話を」
 「ちょっとやってみただけだ……冗談だ。竹を振り回すなよ」
 「きーさーまー」
 「日本の正月飾りに竹は必要なんだとよ」
 フランソワーズが喜ぶだろう。
 「へ?」
 「先に持って行ってくれ」
 にやり、笑う。