風よ翻して駆けろ

 荒野に立つ美女。
 まるでなにかのキャッチコピーのようなフレーズがピュンマの脳裏に浮かぶ。もし目の前の光景をカメラにおさめ、ポスターとして貼りだすならきっと一番ふさわしいコピーだろう。ピュンマは自らのセンスのなさを自覚しないままそう思った。
 フロントガラス越しに広がる荒野、灼けて白茶けた空間には背筋を伸ばして立つフランソワーズがいた。距離は離れていても、ピュンマには彼女がどんな表情で彼方を見すえているかまでつぶさに分かる。
 つつましやかなワンピースに伸びやかな肢体を包み、髪を覆ったスカーフが時折風に揺れている。強い陽射しにさらされた肌は白くまぶしく、いかにも観光客といったいでたちではあるが、青い瞳を見開いてしなやかに立つ姿は、バカンス目的というには意志が強すぎた。
 ピュンマは端末の画面に目を戻し、ざっと視線で撫ぜて表示されている数値をもう一度確認した。大丈夫だ、先程と変化がない――
 「ジョー、ジェット、フランソワーズ。オーケイだ。始めてくれて構わない」
 『こちらも準備はできているよ』
 『まったく、クソ暑いのにいつまで立たせる気だ?待ちくたびれたぜ…。こちとら、とっくに体勢に入ってるってのに』
 空気を震わせずにジョーとジェットの元気な声が響いた。生の声ではない。脳波通信だ。ピュンマも応えて口を開く。誰もいない車内に聞こえるのはややかすれたようなピュンマの声だけだが、それを奇異に思うものはここにはいない。
 「待たせて悪かったね。いよいよ出番だよ、二人とも。…でもコースはちゃんと頭に入ってるのかい?」
 『おいおいピュンマ先生、それを言うならジョーの方だぜ。さっき、右がどうしたー左がどうしたーとかぶつぶつ言ってやがったからな』
 『なんだって?それじゃあ、ジョーは居残り決定だな。今のままじゃきっと落第間違いなしだから』
 『ええ?!ジェットだってフォークを持つのが左手だよな、なんて言ってたじゃないか!』
 『言ってねえよ!』
 『三人とも!…かけっこじゃないんだから、もう少しまじめにやってちょうだい』
 気楽なやりとりにフランソワーズの声が割って入った。男三人はそれぞれあわてて肩をすくめる。やや荒い口調になってしまったのを照れてか、フランソワーズはまじめな表情を作って振り返り、車中のピュンマを見た。数十メートル越しに視線が合う。ピュンマはなんとなく手をふろうとして、その緊張した顔つきでやめておくことにした。
 『それで、もう構わないのよね?』
 「ああ。そちらの方は?確認、もう一度頼めるかな」
 うながすと、フランソワーズはさっとあたりを見渡した。息を鋭く吸い込む音がこちらまで伝わってくるよう。今まさに、彼女の目には辺り一帯の様子その全てが映っているのだ。
 『危険範囲に人はいないし、周囲の車両も、こちらへ進路を取っているものはない…。大丈夫、カウントに入れる』
 「了解。始めるぞ、二人とも」
 ピュンマの言葉に、ジョーとジェットの気配がスイッチを切り替えたように様変わりする。彼らの四肢に張り詰めているだろう、軽くしかしそれでいて心地よい緊張が、ピュンマにはまるで自分自身のもののように感じられた。
 「3...2...1...0 !!」
 瞬間、地上の二つの点が音を立てて爆ぜた。
 爆発が起きたかと思うと、次の瞬間には別の場所で再び土煙が上がる。よくよく見れば、爆発は無差別に起きているのではなく、一定のリズムを刻んで連続しているのが分かっただろう。まるで、地面にあらかじめ導火線が埋められていたかのように。この荒野について何も知らなければ、その様はショーかなにかのようにさえ見えたかもしれない。爆発は、それほどまでに計算された軌跡を描いていた。
 タネを明かせば、加速状態のジョーとジェットが駆け回っているのだ。だがもちろん、いくら加速しているといってもただ二人が走っただけで地面が爆発するわけがない。彼らの足下に広がるのは、地雷原だ。


 時は二十四時間ほど前にさかのぼる。

 筆舌に尽くしがたいほど何の変哲もない荒野を通る道路――そこだけタイヤに踏み固められて色が変わり、かろうじてそうだと分かる――から一台の車が離れ、道なき道を進んでいった。そこかしこに立てられた「立ち入り禁止」の標識をまるで無視して。
 やがて車は停止すると、中から四人の男女が姿を現わした。気軽な服装の若者四人、一見して観光客ご一行のようではあったが、ここがどういう場所かを知る者がいればそれこそ場違いに思えただろう。しかし、彼らの目的地はまさにありふれた荒野であるここだった。内戦中に最大規模の地雷が埋設され、終戦後数年が経つ今も手つかずのまま…という、どこにでもあるここが。
 「やっと着いたか…」
 大きく伸びをしたジェットが晴れ晴れとした面持ちで言う。じっとしているのが似合わない彼にとって、狭い車内に閉じ込められるのはきっと一番の苦痛だっただろう。その証拠に、解放されてよほど嬉しいのか、あちこち飛び跳ねている。ジョーも後を追いかけて走っていった。
 フランソワーズは彼らのそんな様子を見てくすりと微笑する。広々とした場所で開放感を味わいたい気持ちは彼女にもよく分かった。この国唯一の空港に降り立ったのは、つい数日前のこと。チャーターした四駆を交代で運転し、幾つかの騒動を経てやっと目的地に到着したのである。狭苦しい車内から飛び出して追いかけっこに興じたいのは、フランソワーズも同じだった。
 しかしちょうどそのとき、ピュンマが手を叩きながら二人の名を大声で呼びだしたので、彼女がそうする機会は失われてしまった。
 「おーい!気持ちは分かるけど危ないから戻って来い!…まったく、子供みたいだな、あいつら」
 「ええ、そうね」
 呆れた口調で同意を求められ、とっさに同意してしまったフランソワーズだった。

 戻ってきた二人は、ほんの少し不承不承といった色を顔に浮かべて準備に加わった。やることは山ほどある。車中にこれでもかと詰めこんでいた機器をあらかた運び出してしまうと、まるでそのままジャンク屋でも開けそうな具合だった。それらを一つ一つ組み立てて、ようやく下準備が整う。
 ジョーは組み上げたアンテナを素早く車上に固定し、なるべく足元の窓へは視線をやらないようにして身を乗り出す。こちらに背を向け、色とりどりの配線やら機材やらに取り囲まれているピュンマに声をかけた。
 「こっちは終わったよ」
 「ああ…、うん?おかしいな。少し位置を変えてくれないか?そう、もう少し…ストップ!ありがとう。良好だ」
 端末と機材の接続を確認したピュンマは、ぐっと腕を伸ばしてオーケーのサインを作ったが、やはり振り返ろうとはしなかった。ちょうどそのとき。
 「終わった?」
 軽やかにドアが開き、防護服を身にまとったフランソワーズがすべるように姿を現す。

 同じく防護服に着替えていたジェットが、フランソワーズを抱えて空へと翔けあがった。上空から、携帯した探知装置とフランソワーズの目で地雷原を走査し、埋設された範囲と数を確認するためだ。送られたデータを解析するのは、地上に残ったジョーとピュンマの役目である。二人は詳細な地図を作りあげると、次いで最適な「コース」を求めて議論をはじめた。もちろん、ジョーとジェットが地雷原を走り回るコースの。
 「頭では分かっていたつもりだけど、こうして実際に見るとすごいな。ここから」
 ジョーの指が画面の端に触れる。
 「ここまで」
 もう一端までなぞって止まった。表示された地図は、地雷の個数と密度に応じて青から緑、そして赤へとグラデーションで塗り分けられ、まるでサーモグラフのようだった。ジョーが見ているのはその最も濃い赤の部分、つまり地雷原の中心地帯である。
 「だから僕たちにこそできることがある」
 ピュンマが軽くキーを叩くと、瞬く間に地図が線で区分けされた。もとより広大な地雷原を、一日でたいらげられるなどと考えてはいない。場合によっては数週間かけてブロックごとに順次爆破していく。そういう予定だった。何度かの休憩をはさみつつ、彼らの作業は日が暮れるまで続いた。


 そして、翌日。昇った太陽が荒野を照らすのと同時刻に疾走が始まる。
 凄まじい勢いで土煙が生じ、連続した爆音が重なって戦争もかくやという状態だ。ジョーとジェットはその真っ只中にいる。安全のため、距離をとっているピュンマとフランソワーズもしばらく固唾を呑んで見守っていた。これまで計算に計算を重ねたし、地雷の一つや二つ、彼らの体を傷つけられはしない。それでも、これだけ大量の地雷を相手にして、不測の事態が起きても不思議ではなかった。
 爆発を食い入るように注視していたフランソワーズの肩から、少し強張りが解ける。それを見てとり、ピュンマが声をかけた。
 「お嬢様、いかがございましょう」
 上々ね、とフランソワーズは気取った声で答えた。まるで世にも珍しい光景を見にやって来た、ただの令嬢と従者のように。二人がこんな冗談めいたやりとりを交わせるのは、間断なく続いていた爆破のペースが途切れはじめてきたことに気づいたからだ。それはすなわち、このブロックの地雷がほとんど消し飛んでいることに他ならない。
 「誰も立ち入らないうちに終わりそうで、よかった…」
 「そうだね。最初はどうなることかと思ったけど」
 だいたい無茶苦茶すぎるやり方だよなぁ、とピュンマは呟いた。地雷を踏み抜いて撤去するなんて、僕らだって何が起こるか分かりゃしない。
 「あら、一番乗り気だったのはいったいどこのどなたでした?」
 ほっとした空気が二人を包んでいたころ、煙の中では別の事態が起こっていた。
 走り続けるジョーの視界に影がよぎる。目をこらす間もなくそれがジェットだと認識し、瞬時に胃が凍った。明らかに接近しすぎていた。コースに間違いがあったのか、それとも走っているうちに別の箇所を走っていたのか。
 『横を…!!』
 ジョーの叫びを正確に聞き取れたものは誰もいなかった。通常空間では奇妙に引き伸ばされた金切り声が響き渡り、ほぼ同時に空気が歪む。中空のある一点に空気が集中し、瞬時に巻き上げられた風となって猛烈な速度でエネルギーが四方に放出される。ジョーとジェットが加速状態のさなかですれ違ったのだ。二人がぎりぎりのところで身をかわし、よじれた空気が衝撃波を起こす。のべつまなしに突風が吹き荒れた。
 「っあ!」
 「きゃあぁっ?!」
 フランソワーズをかばおうと、とっさに前に出たピュンマは浮き足立ったところを風にすくわれ、思わずその場に転んだ。ピュンマが盾になったおかげか、フランソワーズはようやく踏みとどまった。が――
 『え』
 『あ』
 脳波通信に響く、間の抜けた二人の声を疑問に思う暇もない。風に巻き上げられた砂で咳き込み、目の痛みに顔をしかめている二人は、ジョーたちが立ち止まっているのにも気づいていないようだった。
 「見えた、な」
 「え?うん、まあ。って、ジェット!」
 いつの間にかジョーの近くへ移動していたジェットは、じゃれる相手を見つけた猫のようにジョーの首根っこに腕をかけ、にやにや笑った。こづきまわしてなにごとか囁けば、ジョーが猛反発する。地雷原の真ん中でごにょごにょと言い合っていると、入った通信に肩を跳ね上げる羽目になった。
 『あのね、無事なのは分かったから』
 冷ややかなフランソワーズの声。
 『そんなこと話してる暇があったら!早く作業に戻って!』
 青少年二人は慌てて加速空間に姿を消し、合わせてまた爆発が始まった。二人ともフランソワーズの声がうわずっていたことには気づかなかっただろう。
 ピュンマは立ち上がり、服についた砂埃を払った。そっとフランソワーズに視線をやると、頬を紅潮させてはいるものの、すでに平静さを取り戻している。彼は余計なことは口にせず、黙って横に控えた。

 太陽が西へ傾く気配を見せたころ、ピュンマは終了の合図を送った。予定していた範囲まで進むことができたし、なにより暗い中での作業は危険だからだ。
 ずっと続いていた爆発が徐々にその回数を少なくしていき、やがて完全に静かになった。そして、遠くから砂まみれになった二人がそれぞれ走ってくる。なぜか昼間のワンピース姿からタイトスカートへさりげなく着替えていたフランソワーズは、機材に埋もれていたクーラーボックスを引っ張り出してきた。中から冷やされたドリンクを取り出し、それぞれに配って回った。
 ピュンマはあいかわらず車内に引っこんで画面とにらめっこを続けている。一度ジョーとジェットが接触しかけたことで、コースを再度チェックしているのだ。
 「原因は分かった?」
 「おかしい、どう考えても絶対おかしいよ。どうしてこのコースで接触が起きるんだ?…あ、ありがとう」
 キーを叩きながらぶつぶつと呟き、おざなりに礼を口にしただけでかたわらに置かれたドリンクには手を伸ばそうとしない。邪魔にならぬよう、フランソワーズは静かにその場を離れた。車の陰に座りこみ、荒い息をついているジョーとジェットに歩み寄る。二人とも、ドリンクを受け取ると同時にあっという間に飲み干してしまった。一定の速度を保ったまま走り続けるという離れ業をこなしたうえ、この熱せられ砂に満ちた空気が彼らの体をからからにしてしまっていたのだ。
 「二人とも、おつかれさま」
 「フランソワーズ、もう一つ頼む。あー、喉がまだ痛ぇ」
 砂煙の中を長時間走り続けるはめになり、ジェットの声は妙なことになっていた。喉をさすって何度も咳払いをする。フランソワーズがおかわりを渡すと、自分もと言いたいのか、ジョーも手を上げた。喉を痛めたというより、初日で張り切りすぎて疲労しきったためだろう。
 「あっ!」
 らっぱ飲みでボトルを空にする二人を見守っていたフランソワーズが、突然叫び声をあげた。全員に緊張が走る。ピュンマも車内から転がり落ちる勢いで飛び出してきた。
 「どうした、フランソワーズ!」
 「やだ、ごめんなさい。気が抜けていたところに人が近づいてきたから驚いちゃって…。あれはきっと、現地の子どもたちね。爆発がおさまって、様子を見に来たんじゃないかしら」
 ずり落ちたジョー、半ばこけたピュンマを申し訳なさそうに見ながら、フランソワーズは身を縮こまらせた。疲れきった彼らにいらぬ緊張を強いてしまったことを後悔する。ジェットはやれやれと肩をすくめ、座りなおしたジョーはしかたないよと言って微笑んでいる。
 はたと気づいたピュンマは、慌ててジョーたちを立ち上がらせ、車内に押し込んだ。騒ぐ二人を無視して「さっさと着替えろ!」とどやしつける。子供たちの姿は、もう彼の目にも映っていた。不審な地雷原の爆発、その後に立つ真っ赤な服と黄色いマフラーの人間たち。いくらなんでも警戒心をあおるばかりだろう。ここが仮装パーティーの会場ならともかく。
 押しあいへしあい、ゆさゆさ揺れる四駆をはらはら見守るフランソワーズだったが、そうもばかり言っていられない。まずはわらわらと寄ってきた子供たちをどうにかしなくてはならなかった。ぐるっと遠巻きに、つまりいつでも逃げられる距離からひとかたまりになって凝視してくる彼らに向き直り、笑顔を見せる。
 「こんにちは」
 「……」
 「……」
 無言だった。フランソワーズの微笑を迎えるのは、どこまでも、ひたすらにただただ物言わぬ目がいくつもあるばかり。矢のように刺さる視線を一身に受けつつ、微笑みのフランソワーズは、しかし背中で滝のように汗をかいていた。ど、どうしよう。どうすればいいんだろう。フランソワーズがそういう動揺を少しも顔に出さなかったのは、舞台に立つものとしての意地だったのか。一歩も引けず、さりとてどうすればよいかも見当がつかず、彼らは凍りついたように相対していた。
 そのとき、蹴り破らんばかりの勢いで四駆のドアが開いた。フランソワーズは思わず小さな悲鳴をあげる。子供たちはといえば、瞬時にずざざざっと音を立てて後退していた。さて蹴り開けた張本人である車内からにょっきり突き出た足は地面の形を確かめるようにしっかりと踏みしめ、次いでざんばらの赤毛が姿を現した。愛嬌と鋭さを併せ持った双眸が辺りを見渡す。その持ち主、つまりジェットは、まるで自宅の居間からそのままやってきたかのような気の抜けた服装で立っている。狭い車内でもみ合いながら着替えたせいか、服は皺くちゃで髪もぼさぼさだ。そんな自分をじっと見つめる子供たちのところで、ジェットの視線が止まる。
 「お、なんだなんだお前ら。ここらに住んでるのか?」
 ちょっと不機嫌そうな雰囲気は、口を開いたとたんに嘘のように消え去った。大またで歩み寄り、しゃがみこんで話かける。それまで無言だった子供たちは、おずおずとではあるが代わる代わるジェットの質問に答え、次第にその声が弾むものになっていく。あっという間に子供たちの表情がほぐれ、花咲くような笑顔が光った。
 「ジョー!お前もこっちこいよ!」
 ジェットからかなり遅れて車から降りてきたジョーを指差し、ジェットが「かかれ!」と合図する。途端、子供たちはわっと歓声をあげてジョーに飛びかかった。あっという間に地面に引き倒され、いいおもちゃになる。
 「うわあああ…」
 悲鳴はすぐに埋もれて消えた。けれどもジョーの表情は、揉みくちゃにされながらも笑っている。ジェットも負けじとばかり、子供たちの山に飛びこんでいった。フランソワーズはというと、ずっとそんな彼らのやりとりを拍子抜けした面持ちで見つめていた。
 「取り繕わないのが一番、ということかな。結局」
 「あ、みんな。あっちのお兄ちゃんも仲間に入れてやれ!」
 「え?ちょっと、勘弁してよ…ってうわあああ…!」
 しみじみと口を開いたピュンマも同じく餌食になった。のしかかって叩かれたり脱がされたり髪といわず頬といわずぎゅうぎゅうに引っ張られたりでもうたいへんだ。子供の力というものはおそろしい。男三人がいいようにおもちゃにされている。
 ぽつねんとしていたフランソワーズも、ふ…とため息をつき、輪に加わろうと意を決して走り出した。だが、ちりっと皮膚を刺していった感覚に、今度こそ彼女は総毛だった。聞こえたのだ、独特の金属音が。頭をめぐらせた先に、二台のトラックがこちらへ向けて進んできているのを確認する。荷台には手に手に武器を携えた男たちが幾人も乗り込んでいた。夕陽を浴びて黒光りする銃身に目を細める。
 ああもう私ったら!自らの迂闊さに臍を噛みながらも、彼女は瞬時に思考を切り替えた。子供たちをどうする?もし戦闘になれば機材の損傷は確実、いや、そもそも彼らの目的は――並列して思考を走らせ、声を張り上げた。
 「みんな!」
 そのころにはもう、トラックはジョーたちの視界にも入りはじめていた。自分たちの体に乗りかかっていた子供たちには丁重にどいてもらい、立ち上がる。彼らのまとうただならぬ雰囲気に、不思議そうに見上げていた子供たちはあとずさった。
 「どうする?」
 「僕らだけなら、すぐに尻尾をまいて逃げ出すんだけどなあ」
 語気鋭く、短く問うジェットに対し、ピュンマにはまるで緊張の色が見えない。戦場にあって常に自然体でいる、むしろ戦場に立っている方がリラックスして見えるのがかれ、ピュンマという人物だった。
 「なにせ荷物が山ほどあるからね。あの子たちも心配だけど…」
 フランソワーズと共に子供たちを四駆の背後へ集めていたジョーも二人と並び立つ。フランソワーズはそのまま子供たちを陰に座らせ、息を潜めていた。
 「つまり…できるだけ大ごとにはしない」
 「避けられそうにないなら迅速に解決。それでいこう」
 「了解だ。あいつら何が目的かも分からねえ。ま、あれを見る限り、のんびりお話に来たわけじゃねえか」
 そのとき、トラックが停車しわらわらと男たちが降りてきた。見るからに剣呑な雰囲気をまとっている。やはり、爆発の様子を見に来たわけではない、か…。ジョーは口の中で呟いた。漂う緊張感が一気に密度を増していく。
 「…ここに子どもがいるだろう」
 初めに口を開いたのは相手側の方からだった。ではあの子たちが目的なのか?ピュンマの頬がひくりと引きつる。
 「僕たちは…」
 「黙れ!」
 表情を強張らせながらもなお、穏やかな調子で口を開いたジョーだったが、相手は聞く耳を持たないようだ。さりげなく姿勢を変える。やや前傾に、つま先が地面を踏みしめる力を強くする。ジェットは一切口を開こうとせず、ただ視線をめぐらせて彼らを油断なく観察していた。
 「さっさとあいつらを出せ。そうすれば話は終わる」
 「なんの話か、よく分からないな」
 「そこから動くな!」
 ピュンマが一歩踏み出したとたん、銃口が一斉に彼へと向けられた。当たっても問題はないだろうな、服は破れるけど…と、ピュンマはひとごとのように判断を下した。だが、もし機材に命中したらと考えると、強引に突破するのはためらわれた。調達するのにどれだけ手間ひまかけたか考えるに、それをほとんどこなした人間としては気が引けるのだ。
 発砲させずに、しかも瞬時に叩きのめすにはどうすればいいのか悩んでいたのはジョーも同じだ。だが彼らとは逆の行動を取った人物がいた。
 ぬぅ、と手近な位置にいた男に無造作に近寄ったジェットが銃身を掴む。誰も反応できないタイミングだったので、全員があっけにとられて見守るしかなかった。次の瞬間、腕を銃身ごとねじりあげられた男が宙を舞うまで。
 地面に叩きつけられた男は、うめき声一つあげず悶絶する。あの様子では頭を打っただけではない、少なくとも肩が外れたか。瞬時に怒気のこもった全ての銃口がジェットに集中した。もちろん、それを見逃すサイボーグたちではない。ずいぶん焦ったのか、一人が銃身を跳ねあげるように狙いを変えるのを、懐に飛びこんだジョーが掌底打ちをみぞおちに叩き込む。相手が白目をむいてうずくまるのにはもう構わず、次に目に入った標的をとりあえず殴り倒した。

 妙だな。
 ジェットは身を躍らせながら考える。その動きは普段よりも数段遅い。射線が機材や車へ向かないよう、注意しながらよけているので当然ではあるのだが。
 それにしても妙だった。ただの誘拐犯にしてはいやに粘る。半分ほど叩きのめせば、さすがに引くだろうと予測していたのだが、彼らは怪我を押して立ち上がろうとする。一度など、格闘の最中に気絶して転がっているとばかり思っていた男が足を掴み、さすがに危機を感じたほどだ。
 と、そのとき後方へ向かって一人が走っていったのが目に入る。
 (しまった!…前方だけに気を取られていた!)
 かなりの焦りを覚えて振り返ったが、額を銃弾がかすっていった。皮膚を裂いて散った赤い組織液が反射的に目を閉じさせる。くそッ、と毒づいてそれでも追いつこうと加速装置のスイッチを噛みかけたが、そうする前にジェットは全てを見終えていた。
 夕陽の中、車体の陰から飛び出したのは、最も意外な人物、フランソワーズだった。走りこんできた男が虚を突かれて踏みとどまった隙を逃さず、側頭部を撫でるように蹴り上げる。脳を揺らされた男は、もんどりうって倒れ――
 「とうちゃん!」
 フランソワーズの後を追って出てきた子供たちの中から悲鳴にも似た声があがった。


 「すみませんでした…」
 「いや、こちらの方こそ」
 数刻後、手当てを終えて互いに謝りあう姿があった。ジェットなど「ツバつけてりゃ治る」とかたくなに言い張ったのだが、押し切られて大きな絆創膏を額に貼られていた。それでも彼などまだいい方で、怪我が重いのはもちろん襲ってきた男たち、つまり子供たちの住む村人の方だった。ちなみに子供たちは怪我一つなく、はしゃいで元気に周りを駆け回っている。
 彼らの語ったところによると、子供たちがいつものように地雷片を拾いに行った方向で大爆発が起き、しかもいつまでも戻らないので慌てて銃を手に手に駆けつけたのだという。事情を聞いて、ジョーたちは怪我をさせたことを申し訳なく思うと同時に得心がいった。それはそうだろう、子供たちがどうなっているか気が気でないところに妙な連中がたむろしていたのだから。
 そして地雷を撤去しに来たこと、爆発は自分たちがやったことを告げると、住人も自分たちの勘違いを詫びた。そして、話すうちにまたジェットは意気投合したのか、村へ招待されている。いいよなジェットは、とピュンマはわずかな羨望をこめて肩を叩きあって笑うジェットを見た。

 とっぷり暮れた道を、先に二台のトラックが走り、後にピュンマの運転する四駆が続く。ジェットや子供たちと一緒に荷台に乗ったフランソワーズは、賑やかな面々に囲まれているのにどういうわけか憂い顔だ。
 「おい、なんだろな、あれ」
 助手席にいたジョーはそう問われたが、一瞬なんのことか判断がつかない。やれやれと肩をすくめたピュンマは、フランソワーズだよと視線で指した。
 「なんだかさっきから、ずっと元気がないんだ。どう思う?」
 「どう、って…。確かにちょっと様子がおかしいような気はするけど」
 思わず声を落として話し合う二人だったが、結論はとうとう最後まで見つからなかった。どのみち、誰にも分からなかっただろう。フランソワーズがなぜ悩んでいたのかなど。
 どうして着替えてしまったんだろう。確かに昼間の反省をこめたとはいえ、ミニスカートはまずかったと思う。いや見られてないはずだけど。たぶん。自分を見てくるみんなの様子も普通だし。そもそもトランクにスカートしか入れていなかったのは、迂闊としか言いようがない。
 誰にも知られないところで、フランソワーズの苦悩はかなりの間続いた。