人は体にしるしを持って生まれてくるのだという。目には見えないそれに、強い想いが刻みこまれているのだという。
「だからキスは、その想いを伝えるためにするのよ」
手のひらならば懇願のしるし、頬なら友愛のしるし。そして――唇ならば恋のしるし。
歌うように言って、フランソワーズはジョーを上目遣いに見た。
「ねえ、ジョー。額へのキスの意味は知ってる?」
ん、と生真面目にジョーは考え込んだ。
「分からない、かな…」
そう言うジョーの声音は、困惑の色をにじませている。もともと、そういうやりとりが得手というわけではない。軽く肩口に被さった、亜麻色の髪を撫でた。
「君はときどき、本当に意地の悪いことをするね」
「誰かさんよりは、ましじゃない?」
困らせて楽しんででもいるのか、と言いたげなジョーに、そう切り返してやる。ふと、フランソワーズは目を伏せた。けぶる睫が、陶磁器の肌に濃い翳りを落とした。
「あのとき、私にキスをしてくれたでしょう。嫌だったんじゃないの。ただ…」
あのとき、というのはジョーにも覚えがあった。過日の戦闘で、フランソワーズが負傷したときのことだ。
よぎる記憶のせいなのか、フランソワーズの手を握る力が、少し強くなる。
酷い傷だった。命に別状はなかったが、ただそれだけのことだ。
強化された骨格と筋組織、人工皮膚に守られた体とはいえ、より複雑化された彼女の神経系は、わずかなダメージ一つで大きな障害を生むことがある。それもあって、博士と合流するまで休んでいるべきだ、と皆が考えたのも当然だろう。しかしフランソワーズは頑なに拒み、傷を押して前へ立とうとした。
「私は大丈夫だから。状況は?」
入り口にジョーの姿を見て取ると、フランソワーズは起き上がろうとした。それを制し、急造の寝台の傍らに腰掛ける。室内に漂う消毒薬と人工血液が、ジョーの嗅覚を刺激する。フランソワーズを見つめる表情は、どことなく苦い。
「問題はないよ。だから今は眠っているんだ」
「そんな…!私に何もするなって言うの?」
「なぜ、君が意地を張っているのかは理解できる。だけど君が今やるべきことは、眠ることだ。違うかい?」
抗議しようとして、フランソワーズは激痛に顔をゆがめた。体を力なく横たえる。その額は、じっとりと汗で湿っていた。
ジョーは知らず唇を噛んだが、何も口に出さない。感情を心中へ沈殿させるに任せる。
「薬、持ってきたから。飲みなよ」
手を貸してフランソワーズを起き上がらせ、ジョーは薬を差し出した。フランソワーズの蒼白な顔から強情さは消えていなかったが、さすがに薬は拒まず、おとなしく受け取る。嚥下する様を、ジョーはじっと見守っていた。飲みこんでしまうと、もう一度横になるのに手を貸す。
「さあ眠って。博士達と合流するまで、そんなにかからない」
なだめるように、しかしきっぱりとした口調で言い切って、毛布をかけなおしてやる。フランソワーズはまだ何か言いたげだったが、視線から逃れるようにするりと目を閉じた。ひょっとしたら、これまで喋っていたのも辛かったのかもしれない。
ジョーはすいと顔を寄せ、フランソワーズの額にくちづけた。わずか開いた唇から息が漏れるのを聞き、立ち上がる。
「…おいていかないで」
ジョーは閉まる扉越しに、そんな声を聞いたと思った。
「少し辛かったの。一人にされるような気がして」
フランソワーズは耳をぴたりとくっつける。膚の向こう、ごうごうと力強い音が聞こえる。
血の流れる音だ。生きている音だ
「僕は、君を一人にはしないよ。けして」
空気を震わせて届く声と、皮膚を伝わって届く声、二つが同時に耳の中で響く。
(ああ)
この人の声は、いつも私の心を平らかにする。
耳で聞き、体に響いた言葉を大事にしようとフランソワーズは思う。これが約束や誓いの類ではなく、ジョーの決意だと分かっているから。
ジョーの指がフランソワーズの額をあらわにする。あのときとは違う感情をこめて、ジョーは同じ場所にくちづけた。