Kiss3

 うっそうとしたジャングルの奥深く、年若い一組の男女が進んでいた。
 伝説によれば、緑濃い闇の果てに幻の神殿が眠っているという…。

 「やっぱりおかしいわ。このあたりだけ計器が何も反応しない」
 表示される数値を確認し、そのたびに眉をしかめてチェックしなおす。もうどれだけ、そんな手順を繰り返しただろうか。フランソワーズはとうとう音をあげた。
 「さっきから確かめてるんだけど、あの山から半径一キロの範囲にわたって反応が消失してしまうの。だからここから一歩でもずれたら…ほら」
 向かいに立つジョーにも見えるよう、計器を掲げたまま一歩前へ踏み出す。と、瞬時に全ての数値はゼロを示した。だが再び前へ踏み出した途端、甲高い電子音とともに画面の数字はめまぐるしく変化を始める。ジョーは思わずうめいた。
 「壊れてるってことはないだろうし――ということは、近いと考えていいだろうね」
 「現象としては古文書と変わらないわ。ただ、これが働かないとなると本当に手さぐりになってしまう」
 「だとしたら急ぐべきだ。日が暮れても、ここじゃキャンプも張れない」
 緊張からだろうか。フランソワーズは強い視線を前に向ける。彼らがずっと目指してきた山まで、ほんのわずかな距離しかない。

 「うわぁっ?!」
 ずるり、といやに滑りやすい下草に足を取られた次の瞬間、ジョーは踏みしめるべき地面を失った。フランソワーズは慌ててかき消えた彼を探す。
 「フランソワーズ、来るんじゃない!そこに穴があるんだ」
 下方からの声に立ち止まる。おそるおそる地面を探っていると、それらしい取っ掛かりがあった。自分も落ちてしまわないよう、慎重に覆い被さる茂みを払う。姿を現わした暗い穴を覗き込むと、こちらに手を振るジョーが見えた。無事な様子にほっとする。どうやらそれほど深い穴ではなかったらしい。
 「ジョー、大丈夫?怪我はない?」
 「うん、大きな怪我はしていないみたいだ。あちこち打ちはしたけどね」
 「待ってて。今ロープを投げ入れるから」
 バックパックを降ろし、フランソワーズはポールを地面に打ち込む。
 「いや、待ってくれ。ちょっと面白いことになったよ」
 「…どういうこと?」
 「ああ、ロープはそのままで。ちょっと君もこっちに来るといい」
 ジョーの言葉を不思議に思いながらも、フランソワーズは彼の言葉に従った。ポールにしっかりとロープを結び付けて、ゆっくりと穴の中へ降りていく。

 ジョーに受け止められて着地し、フランソワーズは辺りを見渡した。そこは意外なほど広い空間で、ちょっとした洞窟といったところだった。後方には先が見えないほど道が続いており、どこまで繋がっているのか見当もつかない。
 逆に前方は、つまりそれまで彼らが目指していた山のある方角には出口らしき光が見えた。
 「こんなところがあったなんて…」
 「どうも、遺跡に通じている地下通路らしいね」
 ライトで辺りを照らしながらジョーが言った。洞窟の壁面は磨かれたようになめらかで、自然のものとは思えない。ところどころに燭台が設けられている。埃が積もっている。一体誰が使っていた通路なのだろう。
 二人は、そのまま前に進むことにした。洞窟を抜けのに、それほど時間はかからない。外へ出れば、闇に慣れた目にはまぶしいまでに鮮やかな色彩が飛び込んできた。そこには。
 「おいでませ☆秘境の大神殿~ドキッ!遺跡だらけの古代文明~最終兵器もあるよ!」と書かれた横断幕があった。

 帰ろう。
 あさってに飛び去った意識が、明朗に結論を導き出す。陽光を反射してきらめく石像も、威風堂々たる姿でそびえる大神殿も二人の目には入らなかった。
 だがとうとう発見し(てしまっ)た遺跡は、二人を逃避させてくれなかった。
 「ふっふっふっふっふ。そ~こ~にいるの~は誰だ~!」
 妙に芝居がかった調子で問い掛けてきたのは、誰あろう横断幕の下に鎮座していた石像だった。ジョーもフランソワーズも、予想だにできなかった事態におののく。
 「な、何ということだ!こんな石像が存在していたなんて!」
 「うんうん、我輩のみめ麗しさに感動するのはよく分かる」
 「猫の体にタコの頭なんて!この遺跡の人々は海もないのにタコの存在を知っていたのね。大発見よ!!」
 「ちょっと待てえぃっ!」
 どんがらがっしゃん。石像が雷を落とし、二人は目を回してひっくり返った。
 「あー、えー、ごほんごほん。おぬしらはこの栄光ある神殿に何を求めて訪れたのだ?」
 「いえ、なんでもありません。僕らはただの通りすがりのアフロダンサーです」
 「そうです。世界の平和を求めて究極の腰ミノを探しているんです」
 「アフロダンサーだとう?おもしろい、踊って見せろ。我輩を満足させたらここを通して進ぜよう」
 そう来たか。無論ダンサー云々は口からでまかせである。踊れるはずもない。ただじりじりとにらみ合うのに業を煮やし、石像は怒り出した。
 「ええい、貴様らなぞこうしてくれる!」
 ああ、何ということだろう。足元がぱかっと口を開いたかと思うと、彼らは闇の中へ吸い込まれていった。石像の眼鏡に敵わない侵入者はたちどころに退けてしまう、まさに匠の心遣いが生きた遺跡である。
 (離れちゃだめだ!)
 二人が落とされたのは、狭い縦穴だった。ここではパラシュートも使えない。
 (離れちゃだめだ!離れちゃだめだ!離れちゃだめだ!)
 だが恐怖よりも何よりも、ジョーは己の直感のままに行動した。空中でもがきながらも必死で手を伸ばし、フランソワーズの体をしっかりと抱きしめる。そうと悟ったフランソワーズもまた、彼に身を寄せてきた。と、唇に柔らかな感触がはしる。ひどく近いところにある、柔らかな曲線で形作られた頬を直視しながら、ジョーは何だか場違いな思いに囚われていた。
 二人は抱き合ったまま、長い長い暗闇を落下していく。

 「ム…」
 どこからか声が聞こえてきたかと思うと、不意に体を暖かいものが包んだ。落下速度は緩まり、二人を優しく着地させる。出迎えたのは、白い装束に身を包んだ大男だった。
 「あ、ありがとうございます。あなたは一体…?」
 「ここにきたということは、地上の石像に不合格を出されたな」
 フランソワーズの問いを無視し、大男は語りかけてきた。その身にまとう装束は汚れ一つなく、さながら神殿に住まう大神官のごとく厳粛な空気を持っていた。
 「そうなんです。しかし、ここはどこなんでしょう?僕たちは、随分長く落ちていたと思うんですが」
 「地下の間『選択の門』を叩く者よ、お前たちは二つの道を選ぶことができる。進むがいい」
 聞いちゃいねえ。
 大神官(モドキ)は二人の背後を示した。振り返ると、言葉通り地下に似つかわしくない、豪奢な扉が二つある。
 「ドキドキ♪転がる大岩と追いかけっこv」「大変☆トゲトゲ天井が落ちてくる!」と書かれた扉が。
 正直、どっちも嫌だ。
  「さ、三番目はないんですか?」
 ジョーは勇気を振り絞って尋ねた。
 「イイ質問ダ」
 今度は宙に浮かんだ赤ん坊が、光とともに現れた。…もう何が来ても驚かない自信がある。
 「ソンナ勇気アル君ノタメニ、三番目ノ扉ヲ用意シヨウ」
 赤ん坊の目がぎらりと光る。
 ぱかっ。
 「いやあああああっ!」
 「またああああああっ?!」
 ああ、何ということだろう。足元がぱかっと口を開き、二人は抱き合ったまま(以下同文)。こんな心遣い、一体どこの匠の仕業なのだろうか。

 それはともかくまたもや二人は落下しつづけていた。もはや今日だけで何度目になるのだろう。
 今度は誰の助けも借りない!むしろ助けてもらうものか!ジョーは決意を固めた。
 ベルトに仕込まれたワイヤー射出装置のスイッチを押す。上方へ跳ね上がった鋼糸は、見事先端の鉤を壁に食い込ませた。二人分の体重を受け、ワイヤーが嫌な音を立てて軋む。
 「ジョ、ジョー…。あれを見て」
 「え?」
 青い顔のフランソワーズの視線を辿ると、あからさまに怪しい石板がはめ込まれていた。怪しい。ものすごく怪しい。だって他のところは苔むした灰色の石で覆われているのに、そこだけ極彩色で「さわっちゃヤ♪」とか書いてあるんだもの。
 「……」
 「……」
 しばし視線が交錯する。彼らはため息をついた。どうしようもない。本当にどうしようもないのだ。しっかりと頷きあい、二人同時に石板に触れる。
 『イヤ~ン』
 それが合図だった。重々しい響きとともに石板がずれこみ、壁面に新たな横穴が姿を見せた。二人とも、言いようのない脱力感に支配されていたが、どうにかこうにか横穴に入りこむことに成功する。

 内部は広々とした円形状の部屋になっていた。幸いにも、今度は床が抜ける仕掛けはなかったようで、二人はそれまでより余裕を持って部屋を観察できた。床に注意しながらではあったが。
 ふと、部屋の中央でそそり立つ柱に目が止まる。細かな文様がびっしりと刻まれている以外、何も装飾はなかったが、部屋は他のどの部分もなめらかな材質でできているせいで、余計にそれが際立っていた。
 見つめるうち、文様は不思議と何かの影を成しているように感じられる。――いや、違う。事実影が映っているのだ。薄っすらと透き通った柱の中に、何かがいる。いまや内部にあるものをはっきりと認め、フランソワーズは息を呑んだ。押し殺した悲鳴が口の中ではじける。
 柱の中には人間がいた。姿形は明瞭でこそないが、間違いなく人間だった。
 『奥の奥、秘所の秘所。忘るるなかれ、かれはそこにいる』
 ジョーの脳裏で古文書の一文がフラッシュバックする。まさか、そうなのか。かれ、が。あの?
 「こんな…こんなことが……」
 震える声で呟きながら、ジョーはふらふらと柱に歩み寄る。一瞬間呆然としていたフランソワーズが気付いたときには、もう遅かった。そう、柱に刻み込まれた「これは伝説の最終兵器です。触るなキケン!」の古代文字を読み取ったのが、もう少し早ければ間に合ったかもしれない。
 ジョーの手が柱を撫でる。
 『アハ~ン』
 またかよ。
 柱が轟音を立てて崩れ落ちる。だが、おかげでどこまでも緊張感のない眺めとなっていた。柱の中にいた人物も、無論外気にその姿を晒している。人間と寸分たがわぬ「彼」は、いまゆっくりとまぶたを開いた。
 「何てことしてくれたんだお前らはっ!」
 その口から最初に飛び出したのは罵声だった。クエスチョンマークを浮かべる侵入者を睨みつけ、再度柱から出てきた男が怒鳴る。
 「この柱はなぁ、神殿の大黒柱なんだぞ!それを割っちまってどうするつもりだああああっ!!」
 「え」
 「っていうことは…」
 「崩れる。間違いなくな」
 「えええええええっ!?」
 「いやあっ!まだ死にたくないわー!」
 悲鳴をあげて右往左往する二人をよそに、柱(中略)男はのんきに屈伸をはじめた。
 「よっ、と。さすがになまってるな。だが、まあ行けるか。…ってくっつくな!」
 「だだだってえー!」
 「どう見たってあからさまに逃げそうなんだものー!」
 「あああああ、あー、もー分かった。分かったから騒ぐな。大人しくしろ」
 呆れ果てた口調で呟くと、柱(中略)男は不承不承、荷物を二つぶらさげることを受け入れた。一呼吸置くと、早くも崩れだした床に深くしゃがみこむ。次の瞬間、柱(中略)男の膝からミサイルが発射され、その勢いで遺跡を突き破りつつ、三人は天高く飛んでいった。

 数分後。崩壊した神殿を前に、ジョーとフランソワーズは呼吸も荒く座り込んでいた。柱(中略)男は嘆くフランソワーズを慰めている様子を興味深そうに見やっている。
 「ああ、神殿が…」
 「また探せばいいさ」
 「そうね。遺跡は世界に山ほどあるものね。もうこれで壊したの百個目だけど」
 遺跡クラッシャーかよ。
 (おれ、明日からどこで寝りゃいいんだ)
 朝日を前に誓いを新たにする二人を見ながら、柱(中略)男が考えていたのはそのことだけだった。