Kiss4

 意思をもって空間に引かれた線が、一つの点に集約される。
 頬のあたりに視線を感じた。何の気なしにフランソワーズが顔を上げると、ジョーの栗色の目とぶつかる。
 ジョーは瞬時にばっ、と視線をそらした。不思議そうな色をたたえた青から顔を背け、気まずそうな表情でリモコンを手に取る。だが、何度ボタンを押してもチャンネルは変わらない。
 「ジョー、それエアコンのリモコンよ」
 「え?うわ、あれ」
 慌てたジョーの手からリモコンは転がり落ち、派手な音を立てて床に衝突した。手が滑っただけだというのに、ジョーはあわあわとまごついているばかりだ。
 どうしちゃったのかしら…。フランソワーズはリモコンを拾おうと席を立った。
 「!」
 二人の距離が至近になる。そのとたん、がた、と椅子をひっくり返す勢いでジョーが立ち上がった。
 その顔が赤いのを見て、フランソワーズの心臓が少し跳ねる。
 (あら、あら、あらら?)
 なぜかフランソワーズにまで頬の赤みが伝染した。
 「……」
 何となく無言になってしまった。気の置けない者の間に漂う心地よい沈黙とは違う、照れの混じる無言の空気。
 「あの、さ」
 フランソワーズを包むように言葉が降りてくる。肩を覆っていた気まずさが取り払われるのと同時、また少し心臓がおかしくなる。
 「なに?」
 どうしよう、と思ってしまった。返事が少し固くなってしまうから。耳朶を打つ声が心の芯を締めつける力を持っているなんて、いつ分かったのだろう。
 ぎゅ、と強い感触。ジョーがフランソワーズの小指を握ったのだ。
 「いいかな…?その、キス…し、ても」
 言い切って、ジョーは視線を横に向けてしまう。その目もとが少し赤い。思わずフランソワーズは吹きだしてしまった。軽やかな笑い声が響く。
 「笑うところじゃないよ、そこ…」
 言いながら、ジョーは自分に身を寄せてきたフランソワーズの肩を抱いた。
 「だって…、すごく真剣な顔だったもの」
 「そんなに?」
 「ええ。もしかしたら、レースに出るときより真剣だったんじゃないかしら」
 すまして言ってやると、ジョーが子供のようにすねた顔をしたので、フランソワーズはますます笑った。くすくす笑いながら自分の肩に体を預けるその背中に、手をそっと回す。
 フランソワーズの笑いの発作がおさまる。頬に手が添えられて、フランソワーズは今度こそ間近にジョーの目を見た。
 (あ)
 そこには奥底までまっすぐ伸びるような、強い光がある。
 (見られると目に自分の顔が映るんだ……)
 そんな当たり前のことを改めて気づいてしまう。近づく呼吸の重さが、自然とまぶたを閉じさせた。
 いつもなら気にならないような、睫が肌に触れる感触がとてもリアルだ。
 額に自分のものではない髪がかかる。頬を指がなぞって、体はどうしようもなく柔らかい熱を持ったものなのだと分かってしまう
 一つ一つがはっきりと感じられる。
 なのに重なり合う唇の感触だけが、一番信じられない気がした。
 っ……、とかすかな息づいを残してジョーの顔が離れた。
 フランソワーズは思わずジョーの服を掴んだ。
「もう一度……、ね」