短文ログ1

 回転する円盤にコズミの目は釘付けだった。
 目にも頼りない棒一本を軸にして、白い皿は驚くほどの安定感をもって回りつづける。
 それでいて、時おり危なっかしくバランスを崩すので、うつりぎな観客さえ否応なしに視線を引き止められるのだ。
 まったく見事な芸達者ぶり。
 コズミは思わず、ほーっとため息をついた。
 「どうってことないよ!」
 最前列に陣取ったコズミにウィンクを一つして、ギルモアは皿をひょいひょい増やしていった。
 右手に三つ、左手に四つ。
 それぞれ鮮やかな弧を描く手際に、まわりじゅうから歓声が上がる。
 日ごろ小難しい話ばかりしている彼らとて、白衣を脱げば馬鹿騒ぎが好きな若者たちなのだ。
 「ギルモア君、きっとそれで立派に食べていけるよ」
 どこか的外れな友人の賛辞を、ギルモアはにっこり受け取ったのだった。

 息を肺いっぱいに吸い込む。煙が行き渡ったころを見計らってゆっくりと息をはく。至福のひとときを惜しむように力を抜いて。
 煙が染み込んでいくそのたびごとに、細胞一つ一つが真っ黒くなっていく様を想像するが、もはや病み付きでやめられない。
 そういえば吸いだした時分は、煙にむせかけるのを必死で取り繕っていたのだったか。可愛いものだ。
 「…人が一服しているときに何か用かね」
 「見てわからないか。一本よこせ」
 「紳士たるもの、内ポケットに煙草の一箱くらいしのばせておくものだ」
 「悪いがおれは紳士じゃないんでね。あんたがあんまりうまそうに吸うもんで、欲しくなったんだ」
 やれやれ、と言われるがまま箱を向ける。まさか箱ごと持っていくんじゃないかと疑いながら。

 昔々、ある所に一組の夫婦者が住んでおりました。夫は死神ハイン、妻はロボリヒといいました。二人の仲むつまじさは有名で、夫婦喧嘩の折には誰も近寄ることができないほどでした。なにせ巻き込まれた一帯が壊滅するくらいのものだったので。
 二人の間に子どもはいませんでしたが、貧しくとも幸せな日々を送っていました。

 ある日のことです。死神は山へ柴刈りに、ロボリヒは川へ洗濯に行きました。すると、二人はそれぞれ不思議なものに出会ったのです。
 「何だ?」
 死神は竹やぶの前で立ち止まりました。いつも見ている竹やぶとは、様子がおかしいようなのです。訝しく思って中に入ってみると、何とそこには黄金色に光る一本の竹が生えていました。他のものよりひときわ太く、立派な竹です。
 死神は驚くよりも先に思いました。
 「売り飛ばせば金になるに違いない」
 彼は現実主義者だったのです。さっそく左手を振りかざし、真ん中あたりで竹をすっぱりと切り倒しました。すると!死神は驚くべき光景に出くわしました。竹の中には小さなお姫さまが座っていたのです。
 対応に困った死神は、ひとまず家に連れて帰ることにしました。

 一方そのころ、一所懸命に川で洗濯をしていたロボリヒの前に、大きな桃が流れてきました。桃は、どんぶらこ、どんぶらこ、とまるで吸い寄せられるようにロボリヒの前でぴたりと止まりました。
 「………」
 ロボリヒは黙って首をかしげました。ロボリヒは喋ることができなかったのです。しばらく思案するポーズをとったあと、ぽんと手を打ってタライの上に桃を載せました。持って帰れば死神が喜ぶと思ったのです。

 ロボリヒが家に着くと、ちょうど死神ハインも帰ってきました。死神は尋ねました。
 「洗濯物はどうした」
 「………」
 「またか。またかよ。…いや、もういい。お前に家事を任せたおれが馬鹿だった」
 がっくり落ちた死神の肩を、ロボリヒは慰めるように軽く叩きました。そして早く中に入って、桃を食べろという仕草をしてみせました。ロボリヒはものを食べることはできませんでしたが、死神においしいものを食べてほしかったのです。いそいそとまな板を出してきました。
 「ちょっと待て。おれが切る。お前にやらせるとろくなことがない」
 言って死神は、今日二度目の必殺の構えをとりました。えいやっと振り下ろされた左手が触れた瞬間、桃はひとりでにぱっくり割れました。
 「おんぎゃー!!」
 何と不思議なことでしょう。真っ赤な髪をした男の赤ちゃんが桃から飛び出したのです。二人はとても驚きましたが、「きっとこの二人は、神様からの授かりものなのだろう」と、自分たちの子どもとして育てることに決めました。
 桃から生まれた男の子はジェット、竹の中から現れたお姫さまはジョーと名付けられることになりました。

 ご機嫌良う。目覚めた気分はいかがかな?
 そして俺は、戦場に放り出された。

 銃声。響く銃声。銃声。耳をつんざく。どこまで逃げても追いかけてくる銃声。当たり前だ。俺を狙っているのだから!!
 重機関砲は己の本領をここぞと発揮し、無尽蔵かと思われるほどの弾丸を吐き出し続ける。撃ち込まれえぐられた地面からは、土煙が舞い上がる。
 「くそったれ!!」
 あらん限りの声で喚いても、自分の声さえ満足に聞きとれない。そのうえ、口の中に容赦なく土が飛び込んできた。吐き捨てても吐き捨てても、口内の土埃はまとわりついて取れることがない。むせた拍子に滲み出た涙が視界をゆがめて邪魔をする。

 きゅいぃん。

 「!」

 …気付いたときにはもう手遅れ。
 日光を反射し、鈍く真珠色に光るランチャーの切っ先を、確かにこの目で見た。

 間近での爆風に吹っ飛ばされ、無様に急斜面を転がり落ちる。と、斜面の終わりは急に地面が途切れており、何メートルか下へまともに背中から落下した。衝撃に肺が耐え切れず呼吸が止まる。その間も、転がった際に岩で打ちつけた頭蓋が悲鳴をあげ続けた。
 ちくしょう、何で俺がこんな目にあわなきゃならねえんだ。よう、神様よう、これもあんたの降した罰だってぇのかよ!ここが、ここが似合いの場所だって笑ってやがるのかよ!
 だが感傷に浸る時間など、一瞬たりとも与えられてはいない。思うに任せられない呼吸を取り戻して、ようやく立ち上がろうとしたその瞬間。何十発もの銃弾を背中に受け、悲鳴をあげる間もなく吹っ飛ばされた。今度こそ駄目かと思ったが、あいにくと人工骨格が嫌な音を立てただけだった。悪趣味を極めたようなこの服は、大層な名前のわりに役に立ったためしがないような気がする。試作品には試作品を。試作サイボーグにはお似合いの不完全な防護服。

 しかし、確実に痣になってるなこれは。どこか擦り剥けているんじゃないか?シャワーを浴びたら打った箇所が痛むんだ。
 もっとも、生き残ってシャワーに入れたらの話だが。
 再度立ち上がろうとして、体が全く動かないのに慄然とする。
 まさか、もうここで終わりなのか?このまま何十発何百発の弾を全身に浴びて死ぬっていうのか?おれが。
 くそっ。歩け。生き残るんだ!おれは死ぬためにここにいるんじゃねえ。誰が望んでいようが関係ねえ。死んでたまるか!生きてやる!

 岩にすがって立ち上がり、よろける足で一歩を踏み出す。一歩。一歩。また一歩。歩く。
 時間内に立っていられたら俺の勝ち。そうでなかったら負けだ。死んだものが負け。それがここだ。

 Combat open.

 闘いの始まりだ。
 血がざわざわと騒ぎ、体中がたぎるように燃えるのを感じる。
 奥底に眠っていたものがようやく出てくる場所を見つけたのだ。
 やあ、はじめまして。最も古くそして新しいおれ。

 シンクの中で食器たちがぶつかってやかましい。それに混じって放たれた毒づきが耳に入り、張々湖は顔をしかめた。
 「うるさいヨ。今度は何ネー!」
 中華鍋の中で賑やかな野菜たちに負けじと、こっちも声を張り上げる。
 「こっちのことさね。気にしないで結構!」
 「気にするな言うなら、もっと小さな声にしとくアルヨ!」
 「人にはなっ、と!胸に秘めるべき思いを、声に出せずにゃいられないときもあるってことだ」
 洗い終えた大皿を5枚、片手で持ち上げる。ここの手伝いをしはじめてから、腕力がついたかもしれない。少なくとも最初よりは、皿を多くもてるようになった。
 「声に出す場をわきまえるのが大人、とか言ってたのは誰アルかー!」
 がちゃ。痛いところを突かれたのか、流し台から不穏な音が聞こえた。割れていないといいのだが。食器の運命が心配された。
 「ああ、悲しきかな!年をくえば誰からも顧みられないのだ!」
 そんなに年齢の変わらない相手に対して、年寄りだのどうだの何を言っているのか。さすがに呆れて張々湖は無視を決め込んだ。
 「おーい。我輩の話、聞いてくれよー」
 水音を越えて遠慮がちな声が届いた。どうせまた、若者組にちょっかいでもかけて返り討ちに合ったのだろう。容赦のない連中が多いから、いいかげんに学習すればいいのだ。
 「だから言いたいことあるならはっきりするネ!」
 「ハインリヒにな、まぁた煙草を取られたんだ!一服しようと思ったんだが!」
 「また?吸いすぎは毒なのヨ。ちょっとは控えるヨロシ」
 「そっちもそう思うかい。まったくやっこさんときたら人の物を何だと…」
 「控えるのはアンタの方ヨ」
 「うへ。こりゃまた一本取られたね」
 「だいたい、いつも取った取られた言てるけど、一本二本の話。ちょっとは大目に見るヨロシ」
 「それが毎度のことだから、こっちも腹が立つんだよっ、と一丁上がり!」
 しかももらってる立場で、銘柄にまで文句をつけてきやがるんだ。グレートはぼやきながら、積み上げた食器を拭こうと布巾を手に取った。
 「ひょっとしたらやっこさん、煙草を買ったことがないのかもしれないぞ」
 「まさか。幾らハインリヒでもそこまでしないヨ」
 「いいーや。我輩はハインリヒが自前の煙草を持っているのを見たことがない」
 「はぁ。しかしそんなにいいものアルかねぇ」
 「ふふん。よろしいか。煙草というものは、ときに人生の苦味を体現し、ときに…」
 「そんなこと知らんヨ。舌が鈍ると困るアル」
 「ははぁ、さようで」
 「アンタもそんなもの吸うてるから、頭がハゲたんと違うか」
 途端に流し場から盛大な音がした。
 あ、割れた。

 特徴ある足音が、廊下を鳴らして進んでゆく。貧乏学生の特権、綿製の平靴は冷える上に、気が抜けるような音がするのだ。
 ぺたし。
 音の主――アイザック・ギルモアはとある部屋の前で歩みを止めた。控えめに扉を叩くと、ややあって応えがある。緊張しながら入室すると、老年に差しかかった男がギルモアを出迎えた。
 「研究室長。ご用とうかがいましたが」
 「うむ。まあかけたまえ」
 研究室長、すなわちギルモアの師であり、また上司でもある。彼の心象如何で、アカデミーでの研究生活を含め、これからの人生が決まると言っても過言ではない。
 創立以来の秀才と名高いギルモアでも、声に硬さが混じるのはしかたのないことだった。
 「ギルモア君、党の同志諸君がアカデミーの視察を行なうことは知っているだろう」
 「ええ」
 「その際、ぜひとも君に立ち会ってほしいのだ」
 「僕、いえ私がですか?しかし私はまだ入学してまもなく、たいした研究など…」
 「いや。成果を見せてほしいわけではない」
 「…は?」
 言うに事欠いてどういう意味だてめえ。
 ギルモアは額に青筋を立てた。
 「つまり……皿回しをしてくれないか」
 「は?」
 「実はだな。歓迎の意を表して、同志幹部を余興でもてなすというしきたりでな。今年は我が研究室が代々伝わる秘技中の秘技、皿回しを見せねばならぬのだ」
 「申し訳ありません。ちょっと急用を思い出したので失礼を」
 「まあ待ちたまえよ」
 さりげなく足を踏んで邪魔をする室長。ちなみに履いているのは上等の革靴だ。
 「なにしろ、視察まであまり時間がない。それまで研究生たち総出で君の特訓に付き合ってくれる。他に手の空いているものがおらんのだ。期待しているぞ、ギルモア君」

 その後、ギルモアは行く先々で見事な芸を披露することになるらしい。
芸は身を助く。

 部屋に置かれた段ボールが、さっきからがたがたと揺れている。

 中に入っているのはハインリヒだ。ハインリヒは、なにか嫌なことがあるとすぐにこの中に入ってしまうのだ。
 はじめこそ段ボールから彼を引きずり出そうと、寄ってたかって宥めすかしたりおだてたりしまいには怒ってもみたが、結局ハインリヒを段ボールから引き剥がすことは叶わなかった。
 箱を捨てたのも一度や二度の話ではない。汚いし、目に付くし、かさばるし、なにより掃除の邪魔になる。
 だが、捨てても捨てても、ハインリヒはまたどこからか気に入りの箱を見つけてきては部屋の隅に根付いてしまうのだ。
 今では全員が呆れ、もしくは諦めてひっそり疲れた色をしたため息を吐き出して、段ボール箱の存在を無視している。
 いつの間にか――段ボールを視界に入れないようにしたり、小刻みに揺れる音を聞こえないようにするわざを見につけてしまった。
 いつか良くなる日が来るかも、と淡々と呟いて。

 だが不思議な、どうしても分からないことが一つだけある。
 最初、ハインリヒが拾ってきた箱は確かに人ひとり十分に入られる大きさをしていた。だが、今見下ろしているこの箱は。

 「どう見ても、みかん箱より大きいということはない」

 そう一人ごちて、はてと考える。さっきからこの箱を揺らしているのは何ものなのだろうか。カタカタ、カタカタとまるで鼠が走り回っているようだ。
 そういえば、箱に入っていないハインリヒを見かけたのは、いったいいつのことだったろう。昨日だろうか?先月だろうか?それとも、10年前だったろうか?
 もしかしたら、ここにいるのはハインリヒではないかもしれない。見ないように、聞かないようにしているうちに、ハインリヒはどこへ行ってしまったのか。
 だけれども、ハインリヒは矢張りここに入っているという確信があるのだ。
 ハインリヒが、鼠のように走っている様はきっと面白いことだろう。そう考えて、気付かれないよう、そっと箱を開けてみる。
 カタカタ、カタカタ…。誰もいない部屋で、相変わらず小刻みに揺れた箱が誰も聞こうとしない音を立てている。