暑い。いやむしろ、熱い。
壁に掛けられた温度計の目盛りは、正確には読み取れないまでもかなり高いところを指しているのがわかった。
あたり一面は蒸気に包まれ、暑さで白濁する意識と同様に視界も白く曇って飲み込まれてしまう。
がっしゃんこがっしゃんこ。
彼らを乗せたフライパンがリズミカルに揺れている。
(これからどうなるんだろう)
サイボーグ達は、朦朧とした頭でなすがままにされていた。
フライパンは揺れるだけではなく、時おり上方へ跳ね上げられる。だが不思議なことに、どれほど高く放り投げられてもきちんと着地できる。落下するたび、鉄板は体を柔らかく受け止めてくれた。やはりBG特製巨大フライパンの威力なのだろうか。
そしてどういうわけか、彼らは全身を妙な匂いのする、黒い液体でくまなく覆われていた。石油かとも思ったが、どうやら違うらしい。油にしては、絡みつく重さも胸の焼けるような匂いもない。それでも、嗅ぎなれない不快感だけは残る。
熱せられたたため、液体の匂いはますます強くなる一方だ。
「鼻が曲がりそうだぜ」
002は思わずうめいたが、ちょうどフライパンが跳ね上がって飛んでいったために「ふひゃひゃらふー」という、意味不明の叫びとしか聞こえなかった。
その液体の名は醤油といった。むろん、彼らの知らぬことではあったが。
しかし、どうしてここに001がいないのだろう。002も003も004もいるというのに、彼だけがいないとは珍しい。
むしろこのときの彼らの心情を、より正確に言い表わすと「奴だけがこんな目に合わないのはずるい」といったところだろう。
ちょうどそのとき、当然抱かれる疑問に答えるべく、頭上に一つの影が現われた。
「ヤア。皆、ホドヨクシアガッタヨウダネ」
001だった。
フライパンのはるか上でこちらを悠々と見物している。立ち込める蒸気など、ものともしていないような表情がまた腹立たしい。
「私たちをどうするつもり!」
鋭く003は叫んだ。ほとんど直感的に、この事態が001によるものだと気付いたのだ。黒い液体でぬめるフライパンに足を取られながらも、懸命に立ち上がろうとしている。
「てめえ、そんなとこで浮いてねえで俺たちと転がれ!!」
筋が通っているようでいないようなことを002は言う。そう思いながら、004は黙ってごろごろしていた。何か行動に起こすことはもちろん、愚痴の一つも口にすることさえ面倒だったのだ。
「フフフ。ふらいぱんヲ使ッテスルコトトイッタラ、決マッテイルジャアナイカ。ソウジャナイカ、006?」
「そうアル。フライパンの使い方くらい分からないと困るヨ。ワテは哀しいアル」
涙を拭き拭き、巨大フライパンを揺すりながら006は言った。巨大フライパンを支障なく扱えるよう、006もやはり巨大になっている。
「何やってんだよあんた!すぐフライパン止むうぇをっわあっ!」
006は手を止めるどころか、ますます激しくフライパンを揺さぶり始めた。なんという手首のスナップ。なんという手際の鮮やかさ。さすが006だ。
「うっうっうっ。むごいようやけど、これも運命ネ」
こみ上げる嗚咽をこらえながら、006は火力を上げた。003と002は悲鳴をあげて飛び上がり、004は転がりながら体の錆が落ちるのを感じた。
「006、ソロソロ時間ダ」
指を鳴らす乾いた音とともに、フライパンの振動が止まる。すると一息つく間もなく黒い紙切れのようなものが舞い降り、あっという間に体を巻き取ってしまった。
「君タチハコレカラ、新ラシイ年ヲ迎エル供物トナルノダヨ」
厳かな001のテレパシーにこたえるかのように、今度は鋭利な棒が頭上から降りてきた。きっと自分たちを突き刺すつもりに違いない。
002は思わず身を竦ませたが、すぐにその場から飛びのく。しかし棒の動きの方が速い。一瞬の隙を突いて、たちまち002はつまみ上げられた。だが、そのまま彼方に投げ飛ばしてしまう。悲鳴が尾を引き、やがてかき消えた。きっと不味そうだったのだろう。
次の標的は003だった。棒がいまにも彼女をつまもうとしたとき、003は果敢にも追い詰められたフライパンの縁から外へ跳んだ。それでこそ003だ。
004は無気力に向かってくる棒を見つめた。よくよく見れば、その棒は木製だった。やはり突き刺すのだろうか。だとしても、木製では刺さる前に折れてしまうのではないだろうか。
「…リヒ、ハインリヒ?」
揺さぶられて目が覚めた。どうやら夢を見ていたらしいことに気付き、覚醒直後の奇妙な浮遊感と、視覚をすりあわせるのに苦労する。
ソファから体を起こしてまず気がついたのは、部屋に充満する匂いだった。首をかしげていると、モチという食べ物を焼いたのだと説明を受けた。聞けば、新年に捧げるものだという。
テーブルの上には、奇妙な形の白い物が山積みになっていた。その横には、まるで白いモチと対比するかのように黒い切れ端――ノリが重ねられていた。
悪夢だ。