走って逃げろ、今のうち。

 「おい!」
 「何だ!」
 「今回はあんたに貸し一つだからな!」
 「おれのせいだって言うのか!?」
 「当たり前だ!もとはといえばそっちが持ち込んだんだろうが!」
 「おれは受けるつもりはなかった!乗り気だったのはお前の方だったじゃねえか!」
 「人のせいにする気かよ!?」
 「今はそんな事気にしてる場合じゃない!とにかく走れ馬鹿野郎!!」
 ストリートを大声で叫びながら全力疾走する二人組。
 空き缶を蹴り転がし、出会いがしらの配達夫を慌てさせ、賑やかに応酬を繰り返しながらも軽快に進む足だけは止めない。
 そんな彼らに何事かと目を向ければ、次の瞬間更に驚きに目を見開いただろう。
 「待ちやがれ――!!」
 「止まらねえとぶっ殺すぞてめえら!!」
 見るからに堅気ではない集団が、血相変えて二人の後を追いかけていたのだから。

 「やれやれ、どうしてああいった連中は台詞がワンパターンなんだかね?」
 「知るかンなもん!何だったらお前が代わりに斬新な台詞でも考えて教えてやれ!その間におれは逃げる!」
 「あ!またそういう薄情な事言いやがる!ちったあ優しさってもんを身に付けたらどうなんだ!」
 「優しさ?野郎相手に優しくしたってサムいだけじゃねえか!っと!」
 露天商のオレンジの籠を、すんでのところでよけて、また走る。
 「こらーあんた達ぃ!商売品に傷付ける気かい?!」
 「ごめんねおねえさん!今度全部買うからさ!」
 「とりあえず今日はそいつらに払ってもらってくれー!」
 威勢のいい老婦人に別れを告げ、まずは一時の足止めに成功。
 「婆さん、どいてくれ!」
 「誰が婆さんだって?あたしはまだまだ十分若いよ!さあ、あんた達が駄目にした商売品、一体全体どうしてくれるつもりだね!?」
 「すみません、こいつが払いますから」
 「そりゃ俺の財布じゃねえか!てめえ何時抜き取った!」
 「くそ、何て周到な奴らだ」
 「関係ねえだろ!」
 「どっちでもいいから早く追え!」
 後ろから罵声が聞こえるが、気にするな、今は走れ!

 「あらあ、またヘマしたのお?」
 「メアリィ!そうなんだよまたこいつが」
 「こっちにいたぞ!」
 「絶対逃がすな、捕まえろ!」
 「クソッ見つかったか!お前もくだらねえ法螺こいてる暇があったら足動かせ足ぃ!」
 「レディーに話しかけられたらきちんと応対するのが男のスジだってな!」
 「お前の場合はただのカッコつけと言うんだ!」
 「お取り込み中みたいねえ」
 「バイバイハニー。残念だけどお別れだ。ところで今夜空いてるかい?」
 「考えとくわぁ。でもお連れさん、もう行っちゃったわよ?」
 「ああっ!こら待て裏切りモノー!」
 いちいちかかずらってられっか、この馬鹿。
 背中が雄弁にそう語っていた。

 「っにしてもしつこいな、奴らも。何処まで行ってもついてくる」
 「だから早めに撒くべきだったんだ」
 「あんた、自分が撒くの下手だって分かって言ってんの?」
 なんで振り切ったばかりの相手と正面からぶつかったりするんだよ。どういう才能の持ち主だ。
 「……悪かったな」
 自覚はしているらしい。
 「やっぱりここは手っ取り早く」
 「ぶっとばすのはナシだ」
 「何でだよ!つか俺の提案却下ばかりされてねえ?」
 「もし上の方を敵に回せば本格的にヤバイ。それとお前の提案はいつも行き当たりばったりだからだ!」
 「待てと言ってるのが聞こえんのか貴様ら!」
 「今止まれば半殺しを三分の二殺しに割り引いてやるかもしれんぞー!」
 「財布の恨みはらさでおくべきか――!!」
 「…もうすでに理不尽な恨みをかってるような気がするぜ」
 「Schisse!」
 おおコワ。
 毒づく男を横目に、走りながら器用にも肩をすくめる。

 「畜生、見失った」
 「何つー逃げ足の速い…!」
 「おーれーのーさーいーふー」
 「なあ、お前さん段々目的が変わってないか?」
 「見つけたらただじゃおかねえ…。ぎったんぎったんの、ずるむけぐちょに…」
 「こいつこんな性格だったっけか?」
 「お前がこいつの財布を抜き取ったせいだろうが!!」
 「過去の話より、今は奴らだ!」
 「……」
 こいつらとつるむよりも、故郷(くに)へ帰った方がいいかもしれない。真剣に悩んでみた。
 「そこの路地に入っていったのは見たんだ。お前らはあっちを頼む!」
 「おう!!」

 …。
 ……。
 ………。

 ずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずる。

 追っ手が去ったあと、二人が壁をまるで別の生き物のように這いずり落ちてくる。思わず駆除したくなるほど不気味だ。
 「やばかった…」
 「鼻痛てえ…」
 「鍛えろよ」
 「無茶言うな!お前みてえな特別天然危険物人外鼻と一緒にするな」
 「あァ?おもしれえ、やるか」
 「そうだな。今回ばかりは決着つけにゃ腹の虫が収まらねえよ」
 じり。
 路地裏に危険な空気が漂う。立ち昇る殺気を敏感に察知し、野良猫が姿を消し始めた。
 互いにゆるゆると体勢を変え、わずかに呼吸を整える。
 「だいったい最初から断る気だったんだ。こんな仕事」
 腰を落とし、両の拳を握り締め。
 「ハン!金欠でぴーぴー言ってた人間のお言葉とは思えねえな…」
 半身になって重心を移動させる。
 それぞれの脳裏に蘇るのは。
 家賃滞納、食費欠乏、水道停止、光熱皆無、日々倹約。
 虚しい。あまりにも虚しすぎる。相手を叩きのめさねば気が済まない!

 「いたぞぉ!こっちだぁ!!」
 「ここで会ったが百年目!覚悟しやがれ!!」
 「半殺しじゃねえ、四分の三殺しに特別割増しだてめえら!」
 「いい加減に大人しく捕まれ!」
 「おい」
 「何だ」
 「やっぱり、今回はあんたに貸し一つだ」
 「おれのせいか?」
 「多分な」
 とにかく。

 「逃げろ!」