チンジャオロース。

 「確か今日は新作の試食会、だったよね…?」
 おそるおそる言ったのはピュンマ。
 「そうアルのことヨー!みんな、じゃんじゃん食べるヨロシ」
 いやに上機嫌の張大人に言われ、彼らは一様に盛大なため息をついた。

 今日は楽しい昼食会である。
 そのはずだ。
 少なくとも人体実験や新たな機能テストではない。
 そのはず、だ。

 「これ…何?」
 目の前の皿を前に、ジョーは思わずうめいていた。
 「チンジャオロースよ!」
 ごーん。
 返事をしてきたのはフランソワーズである。何故かチャイナ服仕様。今日は張大人の手伝いだとかで、ジョー達よりも早くこちらへ来ていた。
 しかしこの異様なハイテンションが謎である。一体何があったというのか。
 「チンジャオロースってあれだろ?中華料理の…」
 ジェットは形良く盛られた物体(そうとしか言いようがない。むしろこれが食べ物であるという方が憚られた)を半眼で見やって呟く。ハインリヒはその隣りで頭を抱えていた。相変わらず苦悩が似合う男である。
 「は?何言うとるか。これはそんなもんとは違うネ」
 さも心外といった様子で張大人が答える。
 「いや、最初にチンジャオロースだって言ってたじゃねえか」
 「やからチンジャオロースと言うてるネ」
 「青椒肉絲…。確かこう書くんだよね?」
 もはや異次元と化した皿の上から目を逸らしつつ、ジョーはさらさらと書いて見せた。
 「ちゃうちゃう。それやのうてこちネ」
 張大人が出した白い大きな紙にはこう書かれていた。
 ”ビバ新メニュー☆狆じゃおロース”と。
 青椒肉絲。チンジャオロース。狆じゃおロース。
 がどーん。
 「はぁ?!」
 今度は疑問の声の四重奏。
 「何なんだよそのどっか間違った沖縄料理みたいな名前はよ!」
 「沖縄料理みたいだなんて、よく分かるな」
 「ヘヘン。この前行ってきたばかりだ」
 「沖縄にかい?…暇人だなあ」
 「ち、狆?」
 「食材なのか?そうなのか?中国人は四つ足以外も料理するのか?」
 「こんなもん食えるか!オレは帰る!」
 「でも残したらジェロニモが怒りそうだよ…」
 「残さず食べてね☆でないとバチが当たるわ!」
 ぼそりと呟かれたピュンマの、超笑顔のフランソワーズのそれぞれの台詞に凍りつく百戦錬磨の戦闘用サイボーグ達。
 『食べ物を粗末にしては、いけない』
 脳裏にジェロニモの姿がよぎる。
 言葉少なではあるが、ためにいっそうそれが重々しく響く彼らの仲間。
 もし彼に、食べ物を粗末にしたことがばれたとしたら?
 「知らねえぞ、おれは…」
 それまで沈黙を保っていたグレートが言った。厨房で何を見たのか、先ほどから顔面神経痛を起こしている。
 「ほら、さっさと食べないとせかくの狆じゃおロース無駄になてしまうアル」
 無駄にしたいんです。
 ほぼ全員が言った。無論口に出さずに。
 「くッ……」
 ハインリヒが、死地に赴くよりも苦渋に満ちた表情で、とうとうおもむろに箸を取った。
 「…食うのか?」
 「仕方ねえだろ!。食べ物は、粗末にできねえ…」
 「だからってよ…」
 「ねえグレート、これって…」
 「知らん」
 「いやあの」
 「おれは知らん。何も聞くな」
 見たことがないほど真剣な表情のグレートに気圧され、ジョーはがくがくと首を縦に振るしかなかった。

 がたん。
 「っ…!」
 「どうした!」
 とうとう狆じゃおロースを一口食べたハインリヒが急に口元を押さえて立ち上がる。と、見る間に顔が青ざめてきた。
 「うん。なかなかイケるよ、これ」
 なにごともないかのように、ごく普通といった様子でピュンマが感想を述べる。
 「さりげなく食ってんのかよ!ってかイケてんのかよ!これを見てそれを言うのかよ!!」
 七転八倒なハインリヒを指さし、もっともといえばもっともなことを叫ぶジェット。
 「でもちょっと味付けが濃くないかなあ、張大人」
 「そう思うカ?やぱりまだまだ改良すべき点大有りネ」
 「#$%&¥@*÷§∽……!」
 ハインリヒ、もはや人間語を喋ってはいない。
 「お、お、おいおいおいおい!」
 その上奇妙奇天烈かつ奇怪かつ奇想天外なポーズで踊りだした!
 「なななな何か様子がおかしいよ?!」
 何かどころではなく、きっぱりとおかしい。
 「てめえ一体オレ達に何食わせようとしたー!」
 ジェットは張大人に掴みかかろうと立ち上がる。しかし、それを遮ったのは意外にもハインリヒだった。

 「な」
 わなわなと海老ぞりの体勢のまま、ハインリヒは全身を震わせる。
 「何なんだこれは!」
 「落ち着け!いきなり拳を天に突き上げ勝利の決めポーズをとるな!」
 「黙れジェット!おれを止めるんじゃねえ!」
 「いや待て早まるな!ジョー、固まってる暇があったらこいつを止めろ!」
 「うわ、うわわわわ。ハインリヒ!頼むから冷静になって…!ってうわー!」
 何とか取り押さえようとする二人をなぎ倒し、ハインリヒは張大人をふん捕まえた。
 「張大人…」
 「何かハインリヒ」
 例の凶悪面をぎりぎりまで近づけて、唸るように台詞をしぼり出すハインリヒ。はっきり言ってもはやザ・悪役。トップ・オブ・ジ・ワールドに悪役である。子供が見たら確実に泣く。
 だがそんな彼を前にしても、張大人の落ち着きは毛のひとすじほども揺らぐことがない。
 「おれは」
 静かに言葉を紡ぐハインリヒ。それがかえって一種異様な迫力をかもし出している。
 ジョーとジェットは固唾を飲んで、次の言葉を待った。

 「おれは今、あまりの美味さにものすごく感動しているぞ」
 「ちょっと待てええーっ!」
 「どれくらい感動しているかというと今まさに花咲き乱れ鳥達が歌い蝶のように舞い蜂のように刺すほどだ」
 「何だそりゃあ……」
 よせばいいのに、グレートは思わずつっこんだ。次の瞬間後悔の嵐に巻き込まれたが。
 「要するにボクシングをしたくなるほどこの喜びを伝えたいということだ」
 「?って何か?ちょっと待て!頼む!落ち着け!話せば分かる!!やめろ、いややめてええええええぇぇぇぇぇ……」
 何処までも淡々とグレートをサンドバックにするハインリヒ。
 「何て拳のキレだ…」
 「言うべきことはそれじゃあないだろ…?」
 諦めきった表情で呟くジョーとジェット。
 もはや正気を保つことすら、彼らにとっては多大な疲労となりそうだった。こうなったらピュンマと共に早急に脱出した方がよさそうだ。
 だが。

 「HAHAHA!004、君もこの感動を存分に味わっているかイ?」
 「当然だ」
 既に手遅れだった。
 しかもいつの間にか皿が空になっている。どうやらピュンマが胃袋の中へと片付けたらしい。
 「助けてくれ…」
 「無理だよ…」
 ノリノリのピュンマと無意味にえらそうなハインリヒが、目の前で意気投合している。このままではこちらに矛先が向くのは時間の問題だと思われた。
 「どうする?」
 「そりゃあ…あれしかないだろう」
 自分たちの間に、言葉は要らない。視線だけがあれば十分だ。互いの眼の中に、同じ考えがあることを確認する。
 「こうなったら」
 二人顔を見合わせ、同時に叫ぶ。 
 「加速装置!!」
 加速装置。発動すれば例えサイボーグであろうと、決して捉えることなどかなわない世界へ滑り込んでいく。瞬間、甲高い金属音が空間に響き渡った―――
 キィン!
 「え゛?」
 「長い付き合いだからな…音でわかるんだ」
 と思ったら、あっさりハインリヒに捕獲されてしまっていた。
 科学の力とて、ゼロゼロナンバーズの絆の前ではあっさり打ち砕かれてしまう、ということの好例であった。
 「さあ味わおう、共にこの感動とたえなる味わいの世界を」
 二人は首根っこをむんずと掴まれ、テーブルへと引きずられて行く。
 「へーるーぷーみーっ!!おい009何落ち着いてるんだー!」
 「002…心頭滅却すれば火もまた涼し…。そう、一分の虫にも五分の魂…。赤信号、みんなで渡ればこわくない…」
 頼みの綱はもはや彼岸を見ていた。

 「張大人!お客様二名入りました~!」
 「はいよー!二人とも食べ盛りアルからね!大サービス特盛りヨ!」
 やる気満々と言った様子の張大人が厨房から現れる。
 盆の上に載っているのは、それはそれは見事な湯気を立てている狆じゃおロース。ただし先ほどとは段違いのボリュームである。数字にして約三倍。
 「さあ」
 やたらハイなピュンマ。
 「さあ」
 超笑顔のフランソワーズ。
 「さあ」
 一見普段通りながら、眼光が怪しい張大人。
 「さあ」
 ケケケケケ、と笑い出すハインリヒ。
 「「「「さあさあさあさあ」」」」

 「食うしか…ねえのか…っ!」
 「……」
 彼ら四人に一斉に詰め寄られ、ジェットは絶望したようにうめき声をあげた。一方ジョーはうつむいたまま、訳の分からないことをぶつぶつ呟いていたが、急にその眼をきらりと光らせて顔を跳ね上げた。
 「あとは、あとは勇気だけだ!」
 「そう来たかーっ!」
 常ならば見せることのない、厳しさと勇敢さを輝かせた瞳のジョーに、ジェットは最後のツッコミを入れた。
 「002、君は大切な仲間だった」
 加速装置だか歯だかは不明だが、ジョーの口元にきらーんと光が走った。
 「ああ…。オレもそう思ってる」
 にひるな笑みを浮かべ、ジェットは親指なんぞを立てて見せる。
 「僕たちはいつも戦い抜いてきたよね」
 「ああ。分かってるさ。…死ぬ時は」
 「一緒だ」

暗転。