GUNGRAVE

14.あなたのいなくなった日

 質の良い調度品が並び、来客を威圧するような雰囲気さえあるその部屋の中で、薄汚れた身なりのその男は明らかに場違いの存在だった。
 背を丸めてコーヒーを啜っている姿は、お世辞にも品やら格の類があるとはいえない。ただ、気後れした様子などは一切感じられず、一種のふてぶてしさを撒き散らしていた。

 「待たせたな」
 ようやく、というべきか。彼のボスたるハリーが現われ、男――九頭文治は立ち上がって礼をとった。ボスの前でもサングラスを取らないその態度に、ハリーの後ろに控えていた黒服は目をむいたが、肝心のハリーは気にする様子もない。
 文治は、自分の目を見られることを嫌う。

 「報告はすでに受けている。ご苦労だった」
 「いえ。大したことじゃありません」
 「どうした?随分と機嫌悪そうじゃないか。よほど物足りない相手だったようだな」
 からかうような口調のハリーに、文治は「分かりますか」と平然と答えた。
 「でなきゃ、ボスは務まらない」
 ハリーはにやりと笑ってみせた。そうしてみると、組織を率いるボスの顔から野心をひらめかせた青年の表情がのぞく。ただ更なる高みを目指す、恐れるものなど何もなかった若者の顔。
 この人は変わっていない、ということを無意識に感じとり、文治は自覚なしに安堵する。
 事実、ハリーに大した変化など見られない。あえて言えば、激務で頬の肉が削げたくらいか。相も変わらず積極的に人々の間を歩き回り、陽気な顔で孤児院を訪れている。ときには与え、ときには奪っている。変わらない。
 「で、本題だ。一仕事終えたところ早速で悪いんだが…、二日後に五番街の倉庫で取引がある。それを潰せ。ただし、適度に生き残りが出るように」
 「ちょっと待ってください。ボス、五番街っていやあ、確かうちも噛んでいたはずじゃ…」
 「だからだよ。要するに相手を潰すきっかけを作れ。何なら、取引きと言わず組織を壊滅させてくれてもいいぞ。できるか?」
 文治もまた、ふとい笑みを浮かべる。待ちかねていたのだろう。ミレニオンにまとわりつくハエ掃除以上の、もっと大きな仕事を。
 「好きにやらせてもらいますよ」
 「よかろう。存分に暴れろ、文治」
 頷いて席を立った文治の背を、ハリーの声が追いかけた。
 「ああ、言い忘れていた。お前部下の扱いは慎重にしろよ。あれだけ死人を出されちゃ始末にも困る」
 「…別に部下なんざ要りませんや。俺一人で充分です」
 「ったく、変わらねえんだな。お前ってやつは」

 二人は気付くことがない。変わらないのではなく、失ったのだということを。

賭け

 ミレニオン七不思議。一つ。”ベア=ウォーケンの素顔を見たものはいない”

 「で、どうなんだ」
 「今のところ変わりはないようです」
 「そうか…。旦那、まさかあのままでいるつもりじゃねぇだろうな」
 「まさか!愛娘の結婚式ですよ?いくらあのベア=ウォーケンでも結婚式くらいは…」
 「いや、主賓の後ろを見てみろ」
 「オッ、オーバーキルズ?!」
 「そうだ。あの揃いも揃って年がら年中同じ格好でしか見かけないオーバーキルズがだ。ネクタイだけ白になってやがる…!」
 「あの揃いも揃って年がら年中黒づくめのオーバーキルズが…!ということは、ありえますね」
 「ああ。この勝負、もらった」

 「遅え。ちょっと長すぎやしねえか?」
 「しかたないですよ。なんつったって、我らがボスの結婚式なんですから。幹部会のお歴々も全員強制的に、いえ喜んで出席してるんです。時間がかかるのも当然でしょう。っと、出てきましたよ」
 「どうだ?!」
 「待ってください、ここからじゃ良く…」
 「くそッ、焦れってえ」
 「あああ兄貴!スナイパーライフルなんか持ち出して何するつもりなんですかッ!」
 「がたがた騒ぐんじゃねえ。見えねえから照準器使うだけじゃねえか」
 「カチコミと誤解されますって!ただでさえこそこそ隠れてるのに!!」
 「安心しろ。撃たれる前に撃ちかえす」
 「それじゃ意味ないですよ!」
 「やかましい!ちったぁ静かにできねえのか。お、何か話しはじめたぞ」
 「娘の最後の挨拶ってやつですね。パパ、いいえお父さん。今までお世話になりました。私、お父さんの娘に生まれて幸せです。っかぁーッ。泣かせますねぇ」
 「裏声なんか使うんじゃねえよ気色悪ィ」
 「あ、様子が変です。お?お?涙ぐんでるみたいですよ」
 「何い?!あ、畜生。旦那の奴後ろ向きやがった!」
 「そのまま、そのままこっち向けっ!…あ、あーあー。あちゃー、サングラスかけたまんまですねぇ」
 「チッ。こうなったら旦那のサングラス、これで弾き飛ばすか」
 「だから賭けに負けるからって、ライフル持ち出すのはやめて下さいって。ところで兄貴」
 「あンだよ」
 「兄貴はサングラス外さないんですか?」

 ミレニオン七不思議。一つ。”九頭文治の素顔を見たものはいない”

13.鏡

 ボブを見ろ。自分が鏡に映った姿だと思って。

 「はぁ?なんだそりゃ」
 「最近流行っている言い回しだそうですよ。…まずいですねこのコーヒー」
 唐突に現われたリーに勝手にポットからコーヒーを飲まれ、仕事をしている自分の横で勝手によく分からない話を聞かされ、ハリーは少し面白くない気分になる。ああ、せめて押しかけてきたのが美女だったら!
 「全部飲んでから言うなよ、そういうことは。で、なんなんだそりゃ」
 「ですから、自分を鏡に映していると思ってボブをじっくり眺めろ、と。そういう意味合いです」
 「それくらいは分かるさ」
 世にこれ以上の幸福なし、という顔でチキンをむさぼるボブは最近とみに体積を増やしつつある。さては食いすぎに注意しろ、という警句か。とあやうくつけくわえそうになったハリーは、ごまかそうと慌てて咳払いをした。リーは親友のボブへの嘲笑に本気で怒ることのできる、得がたい男なのだ。
 しかしまずいと評したばかりのコーヒーを再びカップにそそいでいるリーにはお見通しだったのか、どこか面白がっているような表情でこう言った。
 「いえ、女性の人気を集めたければ彼を見習え、と」
 「は?」
 「おや、ご存知ではなかったのですか?ボブは、ご婦人方からかなりの人気を博しているんですよ」
 ということは、何か。あれか。いやーんかわいーい!とかぷにぷにしてるぅーッとか、きゃあきゃあ黄色い悲鳴で囲まれてるってのか。どう見ても俺のほうがいい男だろうが。ああくそう。別に羨ましくはないが。いや少しは羨ましいけどよ。
 「…もてるって、俺よりもか?」
 「何を馬鹿なことを言っているんですかあなたは」
 あっさりばっさり切り捨てると、リーは苦いだけのコーヒーを口にして言った。
 「そんなことを気にする暇があれば、豆を変えたほうが良いのでは?」