おされておさまる

 「じゃーなー、迅」
 「オツカレー」
 「うおーい、また明日なー」
 おう、とそれらに返事してオレはペダルをこぐ足に力をこめた。
 すぐに熱くなってきたので上着を脱ぐ。チャリの前かごにはスポーツバッグがもう入っていたから、上着は腰に巻いた。しわになるけどしょうがない。
 つか、衣替えなんて誰が決めたんだ?六月からは夏服、十月からは冬服、なんて意味ねーと思うんだけど。服くらい好きに着させろよな。暑くなったり寒くなったりすんだから。

 なんてことを考えてたら、前の方によく知っている坊主頭を発見した。うおっしゃ!気合を入れてスピードを上げる。
 「まーえーチーン!」
 「どぅおわぁ!」
 やべチャリに追突しちゃった。
 「迅てめ何すんだいきなり!」
 「ごめんごめんごめんごめんってば」
 「ごめんで済んだら警察いらないよ、っていうかオレ大事なところ打っちゃって痛いんだけどマジどうしてくれるんだよああマジ痛てぇ」
 「そこは笑って済ませよう、前チン」
 「だから前チンはやめろって言ってるだろ。前さんもしくは俊彦さんと呼べ」
 「逆に呼びづらいもん。だいたい俊彦さんってナニモノですか」
 「オレだよオレ、オレオレ」
 「古いっす、それ」
 そんなことをだらだらと話しながら並んでチャリをこぐ。そういや、前チンとこうやって喋んのはかなり久しぶりだ。やっぱ三年生って忙しいんだろうな。再来年はこんな感じになんのかな、オレも。
 「あーあ、とうとう前チン呼びやめさせられねーの」
 「へへ。でもうちみたいに、先輩を名前で呼ぶのって珍しいよね。今更だけど」
 「ホントに今更だなー…。まあ、オレも最初はびっくりしたわ、あれは。まだ慣れてないとか言うなよ?」
 「違うって。野球部じゃないのと話してたら『え?』って顔されること多くてさ」
 「それもそうか」
 「あ、そういえば最初、ヤマサンのこと山ノ井先輩って言ったら顔引っ張られた」
 「うわ、ヤマちゃんやりそー!」
 「もうそれからは一発で慣れたもん。…っていうかね、えっとね、オレも迅さん、なんて呼ばれんのかなー…って思っちゃったら、やっぱ、こう、ね?!」
 「ね?じゃねーよ。つかお前にさん付けなんて百年早いよ。お前なんか柴チンで充分だって」
 「前チンとかぶってるから却下」
 「先輩の言うことは聞けよ。体育会系の恐ろしさ思い知らせるぞオイ」
 「恐ろしさ、ってたとえばどんな」
 「オレん家にある昔の写真を暴露する」
 ぎゃああああ。かなり本気の叫びが道に響いた。
 前チンとオレの兄貴は幼稚園のころからの付き合いだけあって、どっちの家にもハナミズ垂らしてるような写真が山ほどある。もちろんオレが写ってるのもだ。
 「マジ怖ぇー!あれ、でもそれじゃ前チンの過去も暴露されちゃわない?」
 「おう、これぞ決死の犠牲フライだ」
 「違うよソレ絶対意味違う」
 「気にするな。先輩の愛を受け取れ、この大いなる愛を」
 「いりませんいりません却下却下」
 「全力否定するなー…。オレはこんなに迅に感謝してんのにさ」
 いきなり前チンが真面目な顔をするので、オレはびくッとした。
 (ありがとな)
 そうだ、あのときもいっぱい言われたんだ。もちろん前チンだけじゃなくて、和さんとか、レギュラーでもそうじゃなくても、三年生全員があのとき言ってくれた。
 「お前らとできた野球は良かったよ」という言葉は嬉しいし、かっこよかったし、でもまだオレにはちょっときつい。思い出したらずきずきしてくる。
 「だってお前が入ってくれたから…、オレはライトの八番から脱出できたんだもん」
 「はぁ?!」
 「いや迅が入る前オレの打順八番固定でさー。監督なんか怒るとき、ライパチライパチってめちゃくちゃ怒鳴るんだよ。それで落ち込んでたらヤマちゃんが『じゃあ今度からライパチンって呼ぼうか』なんて言い出すし。タケもあれだからすぐ上に行っちゃったから、迅入ってくれて助かったんだってば」
 迅はミートがうまいから上位だもんなー。おかげで繰り下がったよ、とべらべら喋る前チンをオレはぽかんと見ていた。これ、オレ一応ほめられてんだよね?全然そんな気しないんだけど。
 「しかもヤマちゃん、んなこと言ってたら自分が八番になったんだよな。でも、オレ今度からセンパチーって自分から言いだして、しかえしさせてくれないんだ」
 「…オレもライパチンって呼ぼうかな」
 「残念でしたー。引退したからもう無効ー」
 ぐ、と詰まる。やっぱオレ、こだわってんのかな。でも顔には出せないから、ああもうハイハイ、と流すことにする。

 家に着き、兄貴によろしくな、と言う前チンに手を振って別れようとした、ら。
 「迅!」
 すごい強い声で呼ばれて、オレはびっくりした顔で振り向いた。
 「レギュラー譲んなよ!」
 うわ。前チンは握った手を空へとまっすぐに伸ばしていた。そこで何かもうオレはぐわっときたっていうか、わけわかんなくなって。
 「あス!」
 拳を突き上げた。それを見た前チンは、にかっと笑って今度こそ手を振った。

シロコさんよりいただきました
 「なぜ真柴と前川が幼なじみ?」
 →迅が前チンと呼んでるのは幼なじみだからでは、と考えてらっしゃるサイトさんを見かけました(どちらかは失念)。ウヒョりました。すいません。
 「去年の桐青の八番は青木では?」
 →夏大で去年の三年生が引退してから青木は四番になりました。嘘です本当は書いてから気がつきました。すいません。
 「エイプリルフール」のシロコさんが幼なじみ設定で描かれたイラストに「どわああ」となって書きました。調子に乗りすぎました。すいません。すいません!
 でもシロコさんから二人の可愛い「写真」いただけたので幸せです。フヒッ。とりあえず二人まとめてムニらせてください。