26 The World








 遊動円木とすべり台だけがある、人気のない小さな公園でも桜が今まさに満開だ。
 桜庭は、昼の二時、すべり台のてっぺんで一人膝を抱えた。
 すぐ近くに、手を触れれば届く距離に薄紅をのせた枝がちらほら。
 学校からそれほど遠くない、けれども多分殆どの生徒が知らないこの公園は、車が通らないトンネルのすぐ横に申し訳程度の広さでひっそりとある。
 三週間前に桜庭はここを見つけた。帰宅途中にファンに追い回され、無我夢中で駆けたらいつのまにか辿り着いていた。静かさに驚いて、それから懐かしい遊具と、奥に生える一本だけの大きな桜が気に入って、桜庭はそれから時々息抜きに通っていた。一人になりたいとき、ふらりと足が自然にここを目指す。
 久しぶりに登ってみたすべり台は、あっけないほど低く、狭い。伸びるだけ伸びた自分の手足は、すべり台を窮屈に感じた。
 ぼんやりとする。今日は入学式で、部活は休みだった。自主練は勿論あるが、顔を出す気にはなれなかった。草のにおいを運ぶさわやかな春の風が、桜庭の頬を揺らし、鉄を掴んだ指が冷える。
 ふと、人の足音を聞き、桜庭は我に返った。
「……あ」
 走ってきた人物と目が合い、
「桜庭」
 タイミングの良さに桜庭はひとり呆れた。進のロードワークがまさかこんなところを通るなんて思わない。
「進」
 すべり台の上から、呼びかけ、声をかけた以上そこにいるわけにもいかず、桜庭はすべり台をすべっておりた。つくづく間抜けで嫌気が差す。進の目の前まで、歩く。進は立ち止まって桜庭を見ていた。
「ロードワーク?こんなところ通るんだ」
「時々」
「すごいね毎日」
 苦いものを嚥下して桜庭は笑った。
 進が、不思議そうに自分を見上げる。汗がしたたり落ちる。まだ少し荒い息。
「……桜庭」
「ううん、何でもない」
 先回りして無理して笑う。パーカから何から、進から漂う熱気。敵わない。何から何まで敵わない。
「……桜庭?」
 余計おかしい、と進が桜庭の顔を覗き込んできた。
 CMにも出て楽しそうに演技したりもしているのに、そんなに大根だろうか。天然で鈍い進が、騙されてくれないくらい。笑顔を作るよりも先に、腹に重い石が沈む。
「気分が悪いのか?」
 気づくと眉を顰めていた。それを良い方向に勘違いして、進が尋ねる。
「……」
 無言を肯定と取って、進が桜庭の額に手をあてた。
 じわりと滲む汗と自分の体温と変わらない手のあつさ。すると、桜庭の胸の内に、痛みがこみあげた。認められなくて手を振り払い背を向ける。
「桜庭?」
 声を聞いたら堪らなくなった。
 ぎゅ、と口を結んで切れるほど強く奥歯を噛み、カバンを置いている桜の木の根元まで、桜庭は走った。数歩でカバンをつかむ。
 変な行動をしている。分かっても止められない。出口へ、と首を返して背中に衝撃を感じた。腰のあたりを掴まれて桜の中へ、足を取られて倒れこむ。
 折り重なるように進に抱えられて、そのまま数秒。
「すまない」
 いつもの癖で、と進が謝罪し手を離した。
 日の当たらないそこは、吹き溜まりなのか枯葉が山と積もり、腐葉土になっていて、やわらかい。
 のろのろと、手を後ろについて桜庭は上体を起こした。視線が水平に交わる。
 手を伸ばして、進は桜庭の髪を撫でた。
「な、何するんだよ」
 何も言わず、進は手を離さない。ゆっくりと、何度も、大きな手が頭を撫でる。
「泣くな」
「……泣いてなんか」
 みっともないと思いながら、桜庭は俯き肩を数度震わせた。
 陽光はうららに照り二人に降り注ぐ。時折風が、枝を揺らしその度花が散り乱れる。若葉の鮮やかな新緑の中、心もち和らぐ進の目は静かで、やっかみも、わがたまりも、そのときだけは、桜庭は忘れた。
「進、髪に花びらついてる」
 さらさらの黒髪に手を伸ばして今度は自分から触れる。
 どことなく、しあわせになって、現金な自分に呆れ、それから、桜庭は笑った。
 桜が肩に降りかかる。土のにおい、花のにおい、進。
「眠くない?」
 空は眩しく、気も抜けて、桜庭に急激に眠気が訪れる。
「いや…」
 答えつつ、進は小さく欠伸した。
 む、と眉を顰めるところまでつぶさに見て、桜庭は目を見張った。
 進が、あくび。
 ふわあ。
 驚くと同時、つられて桜庭もあくびした。
 今度は進が驚いたようにまじまじと桜庭を見つめる。
「はは、進そろそろ行かないとさ」
 俺も帰るし。
 桜庭は立ち上がって伸びをする。進も頷き、素早く立って公園を抜けていく。
 さんきゅ。
 その背中に、聞こえるか聞こえないか、桜庭は呟いた。規則正しい足音が、遠ざかってトンネルの中で反響し、そこを抜けて聞こえなくなる。一時的なものだと知っても、悩みは嘘のように霧散した。
 ゆっくりと、軽いカバンを肩にかけ、桜庭はもう一度、木を振り返った。
 相変わらず、波のように散る花の渦。
 掠めるような、掠めるように気持ちに触れていったものの正体を、桜庭は見なかったし、進も気づいてはいない。






初書あいし。まだまだ爽やか。


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