61 飛行機雲








 屯所に戻る途中だった。万事屋連中の住んでいるやかましい界隈とは反対の、静かな住宅街を土方と沖田は歩いていた。市中見廻りといえど、この辺りは人が少ない。随分と平和だ。昼の住宅街には、人の影が見えない。
「あ、」
 土方の左手数歩先を歩いていた総悟が、ふとふらふらと土方の前を横切った。
「おい」
 どうした、と声をかけたころにはもう、沖田の目的地が分かった。住宅街のど真ん中の一区画が、公園になっていた。
 ツツジですぜ、と呟いて沖田は道にはみ出た茂みから真っ赤な花を首から折り取った。丁寧におしべめしべを抜き取って、ちゅう、と音を立てて蜜を吸う。
「土方さんもどうですかィ?」
何の面白みもないという風な、大きな目で見上げてくる沖田をすげなくあしらい、
「いらねえよ」
甘いものは好きじゃねえ、と土方は胸元を探ったが、生憎と残りの煙草は一本きりだった。屯所に戻る途中で買うか、と最後の一本に火を点ける。
「一服してくか」
言い終わる前に、沖田は公園の真ん中に向かって背を向けていた。
 煙を肺まで吸いこみ、青い花の匂いに、土方は軽く眉を寄せた。
 四方を躑躅で取り囲まれた公園のベンチで、沖田は土方から人ひとり分空けた左に座っている。手持ち無沙汰そうに、咥えていた躑躅の花を噛拉いで、あさっての方向を見ている。土方のことなど眼中にないようだ。
 その右手がバズーカを撫でていることに気づき、土方は眉間の皺を増やした。
 最近沖田はバズーカを好んで持ち歩く。元々好奇心だけで出来ているような沖田のことだから、興味の対象が今はバズーカなのだろうと思い納得したが、何やら気に食わなかった。原因は知れない。
「土方さん、ほら飛行機雲ですぜ」
指差し、沖田は立ち上がってバズーカを空に向けた。
「撃ったら届きやすかねぇ」
遠くを見る、ガラス玉のような目だった。
江戸で飛行機雲といったら七割程度は天人の乗る船だ。
「総悟、」
ひやりとした。
沖田は微笑って、
「冗談でさァ」
戯れのように「ばーん」と効果音をつけ、すぐにバズーカを下げた。
そしてこの子供は、土方が何も言えないだろうことも知っているのだ。
 頭上で白い筋が青を分けていく。噛んで色の透けた花を棄て、沖田は今度は公園の奥で白い躑躅を折った。
「……行くか」
 その辺に放置されてあった缶で火を消し、煙草をゴミ箱に投げ捨てる。
 土方は、わざと沖田より先に公園の出口を目指した。見られている。凝視だ。息を吸えば無意識にこちらの肩がぴくりと反応してしまうに違いない。
 不意に今までやわらかく頬をなぶっていた風が、消えた。瞬間背を貫く視線が消失した。束の間、沖田を見失う。
 緊張を深め足を止めた土方のすぐ目の前に、まるで軽やかに沖田が立ちはだかった。と見えたのは僅かな間で、沖田は意趣返しのように潔く身を翻し、右手にバズーカ左手に白い躑躅の花を提げそのまま歩いていく。
 土方はその場を動けなかった。
「どうしたんですかィ土方さん、早く来なせぇ」
 土方が歩き出そうとしないのに気付き、振り返って沖田が呼ぶ。子供だと思う。ひどく子供だと思う。
「……今、行く」
 沖田の背後で赤い躑躅が満開だと思った。急激に重くなった身体を引きずり公園の端までたどり着く、それを見計らって沖田がくるりと向き直り膝で土方の鳩尾を狙った。咄嗟のことで直撃は避けたが、躑躅の茂みの中に土方は思い切り突き倒された。体重でばきばきと枝が折れる音がして、背中が尖った枝の裂け目やら節やらに刺される。それを擦って更に引っかき傷ができるのが分かった。痛みを噛み殺す。呻いて起き上がろうとする土方の耳に、バズーカを静かに置く音。
 刀の柄に伸ばそうとした右手は、沖田の身体が入り込んで届かない。しかもその動きのせいで沖田の左膝に押さえられてしまった。
「総悟、てめえ何しやがる!?」
答えず沖田は無言で土方を引き起こし髪に触れた。
何かが挿し込まれる微かな異物感がして、沖田と目が合った。背中が痛い。
「ああ、あんたやっぱり白なんざ似合いやしねぇ」
 ぐしゃりと花を潰し、沖田が傷んだ花弁を放り棄てる。花粉がその手に残った。土方の襟首をつかんだまま沖田は新しく赤い花をちぎり、流れるような動きでそれを土方の髪に挿した。
ぱ、と土方に圧しかかっていた身体が退かれる。土方は少しよろめいて躑躅の茂みで再度ふくらはぎを打った。
黄色くなった右手を払い、距離をおいて土方を眺めた沖田は満足そうに笑った。
「ほら、赤が似合いまさァ」
「……総悟」
 赤が血の色か、などと聞くのはそれこそ莫迦がすることだ。
 土方の警戒をかいくぐり、胸元に沖田が入り込む。
「土方さん」
 密やかな、低い声にいつも驚く間に、口を塞がれる。
 ほんの少し、青臭い蜜の味がした。





初書き沖土。懐かしい。

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