78 鬼ごっこ |
※ 「020:合わせ鏡」の京一視点です。 暑い。東京の暑さは湿度が高くて空気が汚くて、他のどことも違っている。龍麻のマンションに向かう途中でたまたま通りかかった公園にわずかの木蔭を見つけ、京一はしばらくそこのベンチで時間を潰すことにした。何となく龍麻に会える気がする。ここ最近、龍麻に関するこういう勘はおかしいくらい冴えている。多分龍麻が欲しくて堪らないからだろう。会いたい。 蝉が煩い。公園には雑草が伸び放題で緑に噎せ返りそうだ。光が病んでいる。今の心境にどこか似合いかもしれない。 龍麻が壬生と付き合い出した、というのを如月の口から聞くことになるとは正直京一は予想もしていなかった。つい二時間ほど前の話だ。 骨董品店の引き戸をがらりと開けると、どこか暗い店の奥から君か、と応えがあった。上がりかまちに腰を下ろすこと数分、「そんなところにいないで入って来い」と呼ばれて店の奥まで顔を出すと、如月は熱い緑茶と淹れ茶菓子を出してくれた。この店主が自分から京一に茶を勧めることなど滅多に見られるものでない。珍しいと内心驚きながら、京一はありがたく茶を啜った。熱い茶も茶菓子も文句なしに美味い。 「戻ってきたのか」 「おう、まあ今回も短期滞在だけどよ」 相変わらず愛想のない切り出しに答えると、ふと如月の気が揺らいだ。 「そうか、龍麻のところにはもう?」 「いや、まだ。これから行くつもりだぜ」 何かあったのかよ、と問うように語尾を上げると、案の定反応があった。 「そうか。それならまだ聞いていないんだな」 「どうしたよ?」 京一は興味津々に身を乗り出した。如月は何とも言えないといった表情を浮かべ、それから「アイスマン」と呼ばれていた当時のように、皮肉げな笑みの気配が過ぎった。 「龍麻のマンション、連絡しておかないともしかしたら誰かいるかもしれないよ」 「はぁ!?ひぃちゃんがマンションに上げるような女出来たのかよ!?」 龍麻はよほど気をゆるさないと自分の部屋に他人を入れなかった。京一以外で出入りしているのはほんの二、三人だったはずだ。 「女じゃないがまあそういうことだ。……君もよく知っている」 そこまでヒントを出された途端に閃くものがあった。 「男!?……壬生か?」 「……君のそういう勘のよさには驚かされるな。向こうでますます動物じみてきたと見える」 癖のような憎まれ口に、京一は納得と意外さの入り混じった声を上げた。 「余計なお世話だっつうの。……へえ、にしても壬生ねぇ。」 如月はその様子にわが意を得たり、と膝を打ち、途端に饒舌に豹変した。 「龍麻がご執心なんだ。『もうぎゅっとしたくなる』とか『甘やかしたい』とか壬生のことになると龍麻は頭のねじがばらばら抜けるみたいだな」 「……想像つかねェ」 京一は呻いて頭を抱えた。相棒のそんな姿など見たこともないし一体どんな顔でそんなことを言うのか想像するのも怖い。 「何があったか知らないが、ある日の夜に突然押しかけてきて『俺、気づいたんだけど壬生のこと好きなんだ。絶対両想いになってみせる』とか宣言してくれた。それ以来彼は散々のろけてくれるもので僕は彼が来たあと数日は甘いものは見たくもない」 如月はよほど溜め込んでいたのか一気に述べ立てると、大きく息をついた。 「けどよォ、俺がこの前帰ってきたときはあいつそんなこと一ッ言も言ってなかったってことは、この一年のことだろ」 「そう、ここ三ヶ月くらいのことだ。だから本当に盛り上がってるようだ」 三ヶ月。短いようで長い、と思った。 「へェ……。まァ、押しかけてひぃちゃんと壬生がよろしくやってたら退散するぜ」 わざと軽く言うと溜息が返ってきた。 「君は……相変わらずがさつで無神経だな。」 「俺が壬生に気ィ遣う道理もねェよ。……けど壬生にもしばらく会ってねェな。」 「元気だ。最近は龍麻が壬生を引っ張り込んでいて入り浸りのようだ。……そうだないっそ鉢合わせしてみるといい、当てられるから」 心底うんざりしたように如月は眉を顰めたが、すぐに穏やかな表情を見せた。 「まあ壬生がしあわせそうなのを見るのは悪くない。」 「おまえ可愛がってるもんなァ、壬生」 揶揄するように笑いを浮かべると、大きなお世話だ、と即座に返ってきた。が、それで終わらずに如月はふと思いついたように付け加えた。 「君の元気な姿も、時々ならば歓迎だ」 京一は不覚にも絶句してしまい、照れを隠そうとする如月にどこかおかしいんじゃないか、と悪態をつかれた。 龍麻が女を作っても、特には何を感じるというのではない。ただ、龍麻の肌を熱い吐息を、その相手は知るのだろうと思うだけだった。嫉妬ではない。本当に、焼き切れるような怒りなどどこを探しても見当たらない。これまではどう見ても龍麻が本気で恋愛しているようには見えなかったから、早く相手が見つかればいいとさえ思った。 いっしょにはいられない、は今日まで曖昧に翳してきた免罪符だ。 京一も龍麻も、どう求めても、それは求めたときからずれてゆく。一緒には暮らせないし、それを求めているわけでもない。何度かの失敗の末、一応あった嫉妬は擦れて違う色になった。というのは求めるという欲望はセックスしたいとは別だからだった。セックスは龍麻が欲しいというその一部で、その一部のなかにどろどろに抱き合いたいも含まれる。 龍麻が壬生を。 それは容易に想像のつくことだった。今まで龍麻が特別な関係になった誰とも、壬生は違う。たとえば京一は、龍麻のこれまでの相手ならば、位置を代替することができた。龍麻にとってその女は京一でも良かった。壬生は違う。壬生は龍麻の特別で、京一は決して龍麻のそれにはなれないのだ。何かを明け渡すことになるのだろうか。ちがう。龍麻の、その場所は今まで空白だった。京一が、決して恋愛のためらいで以て龍麻に触れないのと同じだ。 もし、自分たちにもう少し余裕があってお互いが幻想に雁字搦めにされるような性格だったら、龍麻との関係は分かり易い「親友」以外の何ものでもなかっただろう。それでは足りなかった。足りない。龍麻のすべてが欲しいのではない。自分たちはそんなものが介在する間柄にはなれなかった。 疼痛はある。どこかに、確かにある。龍麻のすべてが欲しい、というばかげた聞き分けのない欲望がそれは叶わないと現実に突きつけられて発する哀しみだ。そんなものを押しのけて、祝福が勝った。理由もすっ飛ばして涙が出そうだ。京一は口元を覆った。 うれしい。よかった。よかった。 この世で、龍麻がバカになるほど好きになれる相手が見つかってしかも両思いになれて、よかった。 ちょうどそう思ったとき、遠くに龍麻の気を感じ、京一は木刀の護り袋の口を開けた。もうその瞬間肌が粟立つようにすべての欲求が牙を剥いた。 気配は真っ直ぐ京一に近づいてくる。 「ひーちゃん、手合わせしようぜ」 タイミングを計りにぃ、と笑いかけると、目の前に立った龍麻は、いつもと同じように瞳の奥の渇きを隠せずに微笑った。 |
もう魔人書いて八年めくらい。 京主→主京→京主京リバ→主壬生ときて、京一と龍麻に関しては結論はこの辺かなと思います。 |