幼き日の約束

 無事退院してからも、十代は休みの度に家まで顔を出しに来る。
「おじゃましまーす」
「あら、いらっしゃい。紅葉ならリビングでごろごろしているわ。お茶の用意しておくから、先にいってらっしゃい」
「はーい!」
 玄関で姉と十代のやりとりが聞こえてくる。それからぱたぱた走ってくる音がして、明るい声と一緒にドアが開けられる。
「紅葉さん!」
 走り寄ってくると、いつものように隣に腰を下ろす。自分の中では少し前まで小さかった気がして、目線の違いにまだ違和感があるけど、それもほとんどなくなってきた。
 まだ自宅療養中な為、交わされる話題の中心は彼女の学校生活だ。のびのびとした身振りを交えての話に、こちらまで楽しそうになってくる。
「…ちょっと寝てただけだったのに、すっごい勢いで殴られて。ほら、こぶまで」
「十代は昔からよく寝てたもんなあ」
「これでも昔よりちゃんとしてるよ」
「どうだか」
「…ちょっとは信用してくれたっていいのに」
 膝を抱えて拗ねる。小さい頃と変わらない仕草だが、その時との違いは彼女がスカートをはいているという事。
「…十代。スカートの中が見えそうだから、足を下ろしなさい」
「別に見えてもいいんだけど」
「俺が気にするんだ。そんなんじゃお嫁にいけないぞ」
 言った途端、十代が大人しく足を下ろした。色恋沙汰だとか興味がなさそうだったから、正直驚きだ。
 でも、彼女もお年頃だ。恋愛を意識したっておかしくない。成長を喜びつつも少し寂しく思って、紛らわすようにからかった。
「なんだ、十代は誰か好きな人でもいるのか?」
「…うん」
 軽く頬を染めて出されたその答えに再び驚く。そうだよな、お年頃だしな、と思いつつ内心面白くない。娘を嫁に出す父親の心境と言おうか。
「へえ、それで相手は誰なんだ?」
 彼女との会話には何人か異性の名前が出てきている。その中にいるのだろうか。応援するつもりではあるが、相手はちゃんと見定めなければ。十代を泣かすような奴なら許さない。
「えっと、それが…」
 彼女にしては珍しく歯切れが悪い。しばらく逡巡した後、こちらを指さして言った。
「紅葉さん」
「へえ、俺なんだ…って俺!?」
 今日一番の衝撃だ。その拍子にふと思い出した。倒れる少し前の話だ。


 その日、十代はいつになく真剣な表情で言った。
「紅葉さん、オレと結婚して!」
 その頃の十代はいつも自分の後をとことこついて来て、まるで妹が出来たようだった。
可愛い頼みを断る理由は自分にはなかった。
「ああ、十代が大きくなったらな」
「本当!約束だよ」
 そう言って指切りをしたのを、今になって思い出した。
 他愛もないものだ。ほとんどの人間は忘れてしまうであろう、そんな事を彼女はずっと覚えてくれていたのだ。
「なんだ、忘れてたのか。オレはずっと…」
 俯いた十代の頭を撫でる。素直に謝罪の言葉が出た。
「悪かったな」
 顔を上げようとしない十代をあやしながら、話しかけた。
「なあ、十代。いつか、俺がプロに復帰したら…」
 身体を満足に動かせるようになり、新しいデッキを作ってまでどれ程の時間がかかるのか、自分でも分からないけど。
「そうしたら、お嫁にもらってやるよ」
「本当!」
 弾かれたように浮かぶ顔には満面の笑み。昔からこれだけは変わらない。
「紅葉さん、大好き!」
 思いっきり抱きつかれてバランスを崩して倒れこむ。直後に何かが砕ける音。音がした方向を見ると、
「紅葉…アンタ」
 姉が立っていた。床には落としたらしいお盆とカップの残骸。中身がカーペットに染み込むのを放って、こっちにやって来ると、声の限りに叫んだ。
「浮いた話の一つもないと思っていたら、ロリコンだったなんて!確かに十代ちゃんは可愛いけど、それとこれとは話が別よ!」
「いや、ちょっとこれには訳が…」
「言い訳なんて必要ない!ほら、十代ちゃんも離れて」
「でも、オレが悪いんだし」
 確かに今の状況は十代が勢いあまって抱きついたせいなのだが、さすがの姉上様もそんな事は分からない。
「十代ちゃん…。紅葉、何誑かしてるのよ!」
 胸ぐらをつかまれ揺さぶられる、それを十代が止めようとしている中で思った。
 ひょっとして、大変な事を約束してしまったのかもしれない。






いつものように魔が差しました。

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