79 インソムニア |
深夜十二時をまわる頃、部屋の炬燵でうつらうつら舟を濃いでいた土方は、庭に気配を感じてはっと身を起こした。何かが近づいてくる。 しゃくしゃくと霜に侵された庭の土が鳴った。 寝起きの身体はうまく連動せず、底に重りを沈めたようだ。 土方は咄嗟に刀を手に取ったが、ビニル袋をがさごそ探る音に緊張を緩めた。誰かが夜中にコンビニにでも行ったのだろう。 足音は縁側から数歩離れたところで止んだ。 そして、しばらく経ってもそれきり何の動きもない。 不審に思い、土方は庭と室内を隔てる障子に近づいた。外の音は、冴えゆく風が荒れて聞こえる。土方はひとつ息を吸い、覚悟を決めて障子を開け放った。 寒風が堰を切ったように吹き込み、首を竦める。視界に入ったのは、庭の岩の傍に立つ、見慣れた小柄な後ろ姿だった。マフラーを巻いただけの寒々しい形は、色という色がない。 霜が白く光っている地面を背に、沖田は、ぼんやりと見える大きな瞳を此方に凝らしている。 「総悟、」 と土方は呼んだ。 徐に沖田が振り返る。土方は眉を顰めた。 「入るならさっさとしろ」 暖まっていた空気は、土方がたったそれだけを言う間に、渦を巻いて去った。 寒の内の冷えはしんしんと手足を這い登り、耳を切る。 「土方さん、寝てたんじゃないですかィ」 沖田はまるでいつもと変わらない。すたすたと近づき、白々しく真面目な顔で見上げてくる。 「んなことねェ」 「おでこに痕ついてますぜ」 一瞬視線を逸らせた隙に素早く上がり込んで、沖田は指鉄砲を土方の眉間に突きつけた。 「おい」 睨みつけると、大きな目がぱちりと見張られた。そのまま退かずに見合う。 不意に沖田の透き徹った目が濃くなった。途端に指を下ろし、沖田は土方の腕の下をくぐって炬燵にもぐりこんだ。 土方は溜息をつき、石油ストーブを点けた。 室内にストーブを入れてしばらく、その上にかけられた薬缶がしゅんしゅん沸くまで、沖田は無言だった。土方を見向きもせず、買ってきた棒アイスを大人しく舐めている。そのくせ、土方が急須に茶を淹れ湯呑を出す、そのたびに視線は痛いほど感じた。 茶を出すと、土方の左斜め前に頬杖をついた沖田との間に、余計に無言が積もった。静かだ。 静かにものおそろしい、重々しい空気が淀みたがる。 緑茶の湯気に部屋が滲んだ。 「手が冷たいな、土方さんは」 ふと、湯呑を手で囲んで暖を取っていた土方の手に、沖田の手が伸びた。 「心が温かい証拠だって言うじゃねェか」 過ぎった安堵に、あ、と思ったときには遅い。沖田は確かに、土方のそこに触れていった。 「よく言いまさァ」 触れていったはずなのに、おくびにも見せなかった。 沖田は空いた左手で、咥えていたアイスの棒を捨てた。ほんのわずか、表情が動いた。 疚しさのような戦慄きが、土方の背筋を駆け抜けた。 子供の高い体温を脱した、それでも温かな手の熱を、土方の手が奪う。 総悟が子供だということを、近藤と自分は何時如何なるときも忘れてはいけない。それが沖田を隊長にした者の務めであり、責任であると土方は思っていた。一方で、沖田にそれを知られることを恐れた。 「どうしたんだィ土方さん」 沖田が顔を覗き込む。それが、潮が引くように、土方を現実に立ち返らせた。 「そうだ、稽古つけてくだせェよ偶には」 沖田は思いついたように言い出した。 「珍しいじゃねェか」 土方は驚いて力の抜けた声が出た。 「土方さんが忙しかったんでさァ。俺はよく、道場立ってますぜ」 「あァ、じゃあ今度の非番はそうするか」 深く考えずに返事をすると、 「土方さん」 言葉にならないといった風に沖田は言葉を切り、再び継いだ。 「土方さん、約束だ」 答えるまで、間があった。 「おう」 「……本気ですかィ?」 守られるはずのない口約束だという顔をして、沖田が注視している。 瞳を合わせると、手首を押さえてキスされた。 「っ」 触れるだけの温かな唇はらしからぬ緊張を伝えていった。 「てめっ、総悟!!」 我に返った土方の手首を、沖田は必死に縛めている。 「約束手形でさ」 その手が、土方にはかからない力を篭めているせいで、震えていた。 気持ちがすうと和いだ。 そうすると発作的な笑いがこみあげ、土方はくく、と笑いを噛み殺した。 「ずるいなァ」 ぱっと手を離し、まるきり悔しそうに聞こえない声と顔で、沖田は土方を見上げた。 それが本音だと土方にはよく分かった。 「年の功ってやつだ」 「……ちぇ」 可愛らしく舌打ちをし、沖田は俯いた。 「土方さん、アンタより年上になりたいんじゃないのに」 新聞配達のスクーターが、排気音を撒き散らして割って入ったせいで、沖田の声はほとんど聞こえなかった。 「何か言ったか?」 尋ね返すと、沖田は「気持ち悪いや」と真顔で言ってのけ、立ち上がって障子を開け放った。 途端に骨を突き刺す寒風が吹きすさぶ。灯心が激しく揺らめいて影が舐めるように障子を這った。 「何しやがる!?殺す気か!?」 叫んだ土方が障子に駆け寄ると、沖田は障子を後ろ手に閉めた。 薄い紙を隔てて、沖田は拳を握りしめている。 「総悟!!」 無理やり障子を開けたときには、何も映さないような瞳が触れそうな間近で見上げていた。 沖田の色素の薄さは、冴えた月明かりの下に際立ち、白い息が絡む。 「おやすみなせェ」 言葉足らずにそれだけ言い残し、沖田は庭に降りて歩いていく。 土方の目は、その背後に凍てついたように動かない雲を見た。 やがて、ほのぼのと明るく、静かに茜色がさしてくるのだろう。 頬を刺す冷えあがる外気に、屋根瓦が光り合っていた。 |
昔のオフより。「あまあま」テーマで苦しかった…。ミツバ編前…かと思ったけど寧ろ後かもしれない。そして土沖にも見える…。 |