鬼灯 3 |
どさり。 地面で身体を打って高杉は正気に返った。背を預けて座っていたはずが、いつのまにかずるずると滑って倒れていた。 頭ががんがん鳴る。心臓は半鐘のように速く打ち、高杉は息を詰めた。少し温んだ鉄格子は、もう心地よさは与えない。指で弾くと低い振動が頭に響いた。増した節々の痛みは歩行を許さず、高杉はくたくたと蚯蚓のように這ってようやくせんべい布団に潜り込んだ。薄い掛け布団を顔の辺りまで引っ張りあげると、熱の繭に包まれるようだ。夢が現に溶解しているのが分かった。 休息を全身が求めている中で、熱に浮かされた頭だけが記憶を引っ張り出して擦り切れたテープのように再生し、眩む頭では寝ているのか立っているのかも定かでない。 十日ほど前、高杉は幕府高官を狙ったテロを起こし、斬られて戻った。 左肩をやられた。深く肉が抉られ、見た者は息を呑んだ。包帯には固まった血が赤黒く盛り上がり、更に高杉は途中から返り血を浴びるに任せていた。自棄のような血で、ずたずたの単衣は地色の判別ができない。 山門の直前で飛び出してきた仲間に囲まれ、朦朧としながらも高杉は得意げに笑って見せた。 激痛が苛む所為で、動きに幾分ぎこちなさが出た。 数週間前に新しい拠点として逃れてきた山奥の廃寺は、夕暮れだった。早い秋を感じさせる涼しい風が血まみれの身体を吹き抜けていく。 足元からは仲間たちの影が山門の方に長く伸びていた。 帰ってきた。 感慨はなく、ただそう思った瞬間歩こうとして制御が切れた。鉛のような手足が言うことを聞かない。 重力に引かれ地に沈む心地がしたと同時に不意に目の高さが変わった。膝をついたのだと気づいたときには、高杉は前のめりに倒れしたたかに身体を打った。 「酷い熱だ、早く」 意味を成さないざわめきが吐き気を催す。支え起こそうとする手の熱が煩わしい。伸びてくる手と手の中を見回し、高杉は不意ににぃと笑った。 輪の一番外に、銀時が佇んでいた。 「やっただろうが」 ざまぁみろ。 嬉しそうに悪態をついて、高杉は血相を変えて乱入してきた桂に肩を貸され強制連行された。 あの頃、高杉は銀時を見るたび煮える苛立ちを覚えそれを隠そうともしなくなっていたし、銀時は、さて、何を考えていただろうか。日々不機嫌になってゆく銀時を確かめるたび、高杉の内に、歪な喜びが顔を出しては引っ込んだ。 くくく、呻くのか笑うのか高杉は喉を鳴らした。左肩もあのときの銀時に半ば見せ付けた。子供じみた残酷さは、見せる独り芝居が銀時を蝕んでいると知るたび爆発するような歓喜を知り、同時に高杉は、砂時計の砂が落下していくのを眺めるように決定的な断絶が近づいてくるのを傍観していた。 テロに向かう数刻前だった。幕府軍と一戦交えた後のどさくさに紛れ、高杉は山の中腹で人を殺していた。攘夷軍の情報を幕府側に流していた男が倒れ、絶息する。ふうと息をつき、凍てついた気配をそのときようやく高杉は肌に感じた。 背筋が粟立ち、血が引く。 振り返るのが、億劫でかつ恐怖だった、歪んでそれはもういっそ幸福の余り。 抜き身の白刃を押し当てられたよりも肌が震える。目眩がする後悔、それと隣り合せの歓喜が奥から湧き上がる。振り返る先の一瞬がいつまでも訪れないとよかった。 一生目など合わなくていい、そして振り向いた先の銀時の目を忘れないだろう。それは高杉のものだ。 何かが終わる。 ゆっくり頭を巡らした先で銀時は、高杉の刀から滴る血を眺め、しばらく黙っていた。 「……高杉、自分から手ェ汚しててめえは何を折るつもりだ」 低い声を、目を上げず銀時は押し出した。 「銀時ィ、手を汚すっていうのはこういうことでもねェよ。血に塗れた手を、隠そうとするから汚れて見えるだけじゃねぇか」 高杉は笑った。昂揚は饒舌に変換される。 「血が流れてるのが汚いってことはねぇよ。臭いと乾いた血がこびりついた手が汚いだけだ」 足元にはたった今高杉が始末した幕吏の流れる血が草を染め、臭気を上げていた。 血を浴び続けていると知らないうちに目が淀むことがある。 己が血に飢えたような目をしていると時々高杉は気づかされる。それを映して気付かせるものは寺の境内の水たまりであったり、寝起きの洗面所の鏡の中であったり、銀時だった。 銀時が、眠たげな目で、真っ直ぐ当落のライン上に高杉を置く。 そのたび高杉は心臓を刺され、引き戻される。身体が凍るように強張り、血の気が引く。自己嫌悪に全身の血管が総毛だって震え脈打つ。息すら荒れる。 それを銀時は見ている。 眼に何の感情も無いのでない、見極めようとする、高杉に理解しようのない痛みはある。 桂に連れられて来たときから既に銀時の後には屍が積みあがり、銀時は戦の申し子だった。 歯を噛んで口の端を目一杯挑戦的に上げて銀時は笑う。それが皆の血を滾らせ、死線へ容易く赴かせる。それでいて確かな揺るがないものが銀時を構成し、銀時は過たず存在の生殺与奪の権を握っている。高杉にとって銀時はそういう意味で確かだった。 引けない。もう逃げ道はない。 高杉は脂のべったりこびりついた刀の柄から手を離し、刀を地に投げ出した。 同時に無言で銀時が殴りかかってきた。 飛び退き、高杉は拳を避けた。踏み込み腹を蹴る。腹筋に力を入れ、銀時はそれを受け高杉の足首をつかんだ。バランスを崩して丈の高い草の中に倒れた高杉の上に銀時が伸し掛かってくる。高杉はその腹を足の裏で思い切り蹴った。わずかに顔をしかめ、銀時は構わず高杉の下腹を拳で抉り、体重で高杉の脚を押さえつけ、腕の動きを封じようと掴みかかってくる。酷く冷静な銀時がいる。 躊躇なく高杉はその顔を殴った。 「てめぇ……!」 手加減なしで据わった目で顎のあたりを拳で打ん殴られた。火花が散る。一瞬目も見えないまま、高杉は押さえられた脚を銀時の背中に絡め踵を落とした。苦痛に銀時が目を見張る。 顔を歪めたままの銀時に鳩尾を抉られ、息が詰まった。 「くそったれ……!」 苦しそうに眉根を寄せて、銀時は呪詛を吐き続けた。 自分で意味が分からなくなっても、高杉の襟をつかみ、呻く。 縋るように揺さぶられ、高杉は無抵抗に首を振った。息を忘れる。 刀をにぎる節ばった手が高杉の首元にかかった。喉仏が圧迫される。 銀時は容赦ない力で絞め上げ、呼吸を封じた。高杉はもがいたが、手は食いついて離れない。息が通わず、意識が朦朧とぼやけだした。 身体の下の手足の動きが止んだことに銀時は暫くして気づき、手を外した。 咳き込み射殺すばかりの形相で睨めつける高杉を、不思議そうに一度見下ろして銀時は喉元に噛みついた。 焦点の奇妙に合っていない理性の飛んだ表情がちらりと見えた。銀時も何をしているか分かっていない。 苦痛に抵抗する高杉の合わせをはだけ、熱い手が胸に触れた。そのまま下肢を乱暴に手がまさぐり、帯が無理やり緩められた。凶暴性を顕わにしている銀時は珍しい。 「銀時、てめぇ」 腰に熱いものが押し当てられた。 「何盛ってやがる」 押しのけようにも昂ぶった精神は、刺激に鋭敏になっていた。殴り合いで興奮した身体はゆるく勃ちあがっていた。 具合よく筋肉のついた腕がばんざいの形に頭上で高杉の両手を一本の腕で押さえつけ、空いた手が強引に高杉を握りこんで扱き、追い上げる。息を呑んで堪えた高杉の視線の先で、銀時は切れるような目をしていた。 脳髄が痺れた。 目の前の男に、常には片鱗も窺わせない牙が見える。力ずくで高杉を押さえつけて銀時は、白夜叉と呼ばれる殺気すらまとっている。 歯向っていく感情は、それを目にした瞬間襲い来る欲望に変貌した。 優しさの欠片もない、ただ征服欲に駆られたような性急な手が這い回り、舌が鬱血を残していく。眩むような快感が全身に回り、ちりちりする。 闇では、銀時の白い髪が目立って顔の位置がよく分かった。 欲望は、飢餓だった。そして、一抹の背徳感、昏い勝利感とがそれらを飾る。 熱い銀時自身が腹の上でこすれる。背が震えた。思考が麻痺していく。 高杉を拘束していた腕の重しが外れても、高杉はもう暴れ出さなかった。お互い欲情している。 銀時は馬乗りになったまま、高杉の乳首を舐めた。刺激から逃げるように頭を振ると、銀時はふと笑ったようにゆるく歯を立てた。わずかに高杉は仰け反り、腰がぶつかった。熱い固く張りつめたものが互いの熱を伝え、男の匂いが鼻腔をかすめる。身体の切っ先から皮膚の奥が火照った。 高杉は誘うように、自分から舌を突き出した。銀時がそれに自分のそれを絡める。体温の区別がつかなくなる。手に浴びたままだった血糊を銀時の背に残した。 犬歯の裏を舌でなぞると、銀時がくぐもって声を立てた。 どれほどの間銀時が声にならない叫びを堪えたか、銀時にそんなものがあると高杉は初めて知った。脇から痩せた肌をあますところなく吸い食いつき舐める銀時に求められるまま、高杉はすべる口の粘膜にぬるぬる突き立つ熱い硬いものを受け入れた。ぎこちなく舌を這わせる。不慣れなそれでも銀時は昂ぶり容積を増し、塩からいような苦いような味が口の中に広がった。喉の奥に突き立てられて生理的に吐き気がしたが、それすら痺れた頭は快感と捉えた。 髪を撫でられる。四つん這いにされ、まだ引っかかっていた帷子が完全に地面に落とされた。 尻の丘を舌が舐め解していく。 羞恥に高杉は唸り声を上げた。執拗に舐め、尖った舌が出入りする。指と舌で十分に慣らし、上体を支えていることができなくなって倒れこんだ高杉の脇腹を撫で、銀時は高杉の足を抱え上げ腰をねじこんだ。高杉は引き攣った悲鳴を上げた。切れる感覚がして血が匂う。銀時は構わず腰を進めた。引っ掻き回される。熱した鍋がぐるぐると身体を引き裂くと感じた。 血で濡れて滑りがよくなったのか、くちゅくちゅと卑猥な音が立った。それが再び快楽を呼ぶ。高杉は目を閉じて眉を寄せた。 高杉は途中から泣くような嬌声を漏らした。 銀時の動きが激しくなる。 「……っ」 どうしようもなく、あられもない声を上げ続けた。唾液が口から首筋を伝う。銀時が呻いた。 高杉はそのがっしりした胸に抱きついた。何もかも意識から飛んでゆく。腰を揺らして律動をあわせた。揺すり上げられ、嬌声を上げ、高杉は達した。 折り重なって草に縺れ、荒い息に上下する心音を聞く。 高杉の潰れた左目から不意に涙がこぼれた。言うことをきかない涙は頬に熱い。じっと見つめた銀時の喉が鳴った。 高杉は、不思議に色のない心地で目を閉じた。 |
続きます。 |