あの頃のように

沢村信二 様

久しぶりにお前から手紙をもらって、俺はすごく驚いている。 もう二度と手紙がくる事はないと思っていたし、もう二度と手紙を送る事もないと思っていたからだ。
まずはお前が元気そうで安心した。本当に、心からほっとした。
S学園は相変わらずか?
俺もS学園に入学した頃は、そこで暮らす時間が永遠のように長く感じていた。 勉強漬けで、規則に縛られる毎日がすごく嫌で、何度も寮を飛び出したいと思う事があった。
でもそこで過ごした最後の1年間はとても楽しかったよ。
お前と出会ってからは、ずっとずっと卒業する日がこなければいいと思っていた。
なのにあの1年は早かった。本当に、瞬く間に時が過ぎていった。
今はあの頃がすごく懐かしい。
俺がこんな気持ちになれたのはお前のおかげだと思っている。
だから、礼を言うのは俺の方だよ。どうもありがとう。

いったい何から話せばいいのか分からないけど、まずはお前の質問に答えよう。
お前が言うとおり、俺は全部分かっていたよ。
俺がそこを去った後、お前の気持ちが別な人へ向かっていく事も。そしてお前がすぐに俺ではない誰かの胸に飛び込む事も。
信二は泣き虫で頼りなくて1人じゃ何もできないんだから、誰かの手を必要とするに決まってる。
そこまで分かっていてお前を愛したんだから、それはしょうがないと思ってるよ。
俺の心の中にいる信二は今も13歳のままだ。お前はちっとも大きくならないのに、俺1人だけが年をとってしまった。
俺は14歳のお前を知らないし、15歳のお前も知らない。 俺の知らないお前が誰と何をしようと、そんなのは知った事じゃない。だからお前は、自分を責める必要はない。
俺はお前の弱さを愛したし、お前の声が好きでたまらなかった。
俺の知ってる信二の声は、透き通るようなソプラノだ。
あの澄んだ声を聞くだけで、すごく幸せな気分になれた。耳元で甘い言葉を囁かれると、なんでもしてあげたいと思った。

俺はお前の卒業式にそっちへ行くつもりだった。もう航空券も手配したし、ホテルも予約してある。
だからといって今更お前とどうにかなろうとしていたわけではない。 ただ卒業生の親に混じって遠くからお前の姿を眺め、そこを黙って立ち去るつもりだった。
どうしてそんな事を思い立ったかというと、1つは俺もお前と一緒にS学園を卒業したかったからだ。
俺は5年前に卒業生として旅立ったけど、魂はそこに残したままだったような気がする。
でもこれがいい節目だから、そろそろ忘れ物を取りに帰ろうと思った。 そして肉体と魂の両方をそこから卒業させたいと思ったんだ。
そしてもう1つは、どうしても今のお前の声を聞いてみたかったからだ。
お前は卒業生代表で答辞を読むそうだな。風の噂でその事実を知った時、居ても立ってもいられなくなった。
お前は覚えているかな?
俺が寮を出た時、一度だけ窓から顔を出して俺の名前を呼んでくれただろう?
あの声は、今も耳について離れない。不思議な事に、ふとした時にあの声が聞こえてくる事があるんだ。
こっちで何かあるたびに、お前の呼ぶ声が俺を抑制させた。
腹の立つ奴の胸ぐらを掴んで拳を振り上げた時。
酔った勢いで行きずりの相手とやっちまおうと思った時。
そんな時はいつもお前の呼ぶ声が邪魔をして、思いを遂げる事ができなかった。
俺を呼ぶ信二の声がどんなふうに変わったか。
俺はそれを知りたくてたまらなかった。お前の声がS学園の会堂に響き渡るのを、どうしても聞かずにはいられないと思った。

俺に届いた手紙の消印は2月25日になっていた。でも内容から察するに、実際にそれを書いたのは12月初旬のようだな。
お前がどんなふうに手紙を書いたのか、目に浮かぶようだよ。
言葉を選んで、何度も書き直して、時には便箋を破り捨てて、きっと何時間もかけて書いてくれたんだろう。
お前はやっと書き上げたその手紙を出すのに3ヶ月近くもかかっている。
きっとポケットに手紙を忍ばせて、何度も寮とポストを往復したんだろうな。
震える手で手紙を握り締め、赤いポストの前に立ち、手紙がポストへ飲み込まれる寸前に思い直して寮へ引き返す。
寮へ帰るともう一度考え直し、また寒空の下を歩いてポストへ向かう。
その様子を想像すると、すごく胸が痛くなるよ。でも、この痛みは嫌いじゃない。

卒業式に行く事を決めて航空券を買った日、アパートのポストにお前からの手紙を見つけた。
その時はすごく驚いて、胸がドキドキして、頭が混乱した。
すぐに部屋へ戻って手紙を読もうとしたけど、結局我慢できずにアパートの階段で封を切った。
薄っぺらい便箋には懐かしいお前の文字が並んでいた。
お前の愛が詰まったその手紙を読んだ時、俺は人目もはばからず泣いた。 同じアパートの住人に泣き顔を見られてしまったけど、どうしても涙を止める事ができなかった。
今でも好きだと言ってくれて、すごく嬉しかった。もう一度会いたいと言ってくれて、本当に嬉しかった。
俺は18歳になったお前ともう一度めぐり会いたい。
少し大人になったお前と、もう一度胸が熱くなるような恋がしたい。
早くお前の声を聞きたい。早くお前を抱き締めたい。
俺は卒業式にそっちへ行く。お前に会うために、お前の声を聞くために、必ずそっちへ行く。
その時に1つお願いがあるんだけど、聞いてもらえるだろうか。
お前がくれた手紙を、一度だけ読んで聞かせてほしい。俺はまた泣いてしまうと思うけど、どうしてもそうしてほしいんだ。
その時きっと、そこで過ごした2人の日々が思い出に変わるだろう。
それから2人でS学園を出よう。宝石のような思い出を両手に抱えて、今度は一緒にそこを出よう。
そして、もう一度2人で新たな恋を始めよう。あの頃のように、もう一度。

田辺