キス

 夕方6時を過ぎると、外はもう暗くなり始めていた。
でも僕は部屋に明かりは灯さず、窓にカーテンを引く事もしなかった。
薄暗い部屋の中には隣のアパートの窓から洩れる明かりがわずかに零れ落ちていた。
その白い明かりは、彼のメガネのレンズを微かに光らせていた。
僕の大好きな彼は、白い壁に寄り掛かって畳の上に座っていた。
そして僕は彼の膝の上に座ってメガネの奥の鋭い目を見つめていた。この場所は、僕だけの特等席だった。
彼は有名私立中学へ通う秀才だ。
藍色のブレザーの胸に光る金色のエンブレムは、彼がエリートである事の証しだった。
皆が憧れるブレザーを着た彼が僕のように平凡な少年を愛してくれた事は、奇跡としか言いようがなかった。
彼は短い髪をさっとかき上げ、自分のトレードマークである縁なしのメガネをそっと外した。
畳の上にメガネが投げ出されると、部屋の中にカツン、という小さな音が響き渡った。
その瞬間、僕はすごくドキッとした。
メガネのない彼の顔をこんな近くで見るのは初めてだったからだ。
僕は冷たい手で彼の柔らかい頬に触れ、高い鼻に触れ、きりっとした目尻に触れた。
眼光鋭い彼の目は、真っ直ぐに僕だけを見つめていた。
次の瞬間彼の手が僕をきつく抱き寄せ、その渇いた唇が僕の唇に重ねられた。
これが僕らの初めてのキスだった。
彼は恐らくキスをするためにメガネを外したのだ。
これからは彼がメガネを外すたびにドキドキしてしまいそうだ……
ふっくらした彼の唇を味わいながら、僕は頭の隅でそんな事を考えていた。

終わり