悲しみを紙ヒコーキに乗せて

 僕は今日、とても悲しい事があっていつもの場所へ行きました。
いつもの場所というのは、僕の背丈と同じくらいの高さのススキがいっぱい生えている川辺です。
僕は悲しい事があるといつもそこへ行って泣くのです。
そして自分の身に起こった悲しい出来事を1枚の紙に綴り、今日の悲しみを紙ヒコーキにして飛ばします。
僕はいつも向こう岸へ紙ヒコーキを飛ばすのですが、横風が強いため、紙ヒコーキは大抵向こう岸まで届きません。
悲しみを乗せた紙ヒコーキは川の中へ墜落し、やがて水の流れに乗ってどこかへ消えていきます。
いつも泣きたい時にその場所へ行くのは、背の高いススキが僕の泣き顔を包み込んでくれるからです。
川の淵には、僕専用の石があります。僕はちょうどいい大きさのその石に腰掛け、ススキに守られながらたった1人で泣くのです。

 僕は今日、とても悲しい事があっていつもの場所へ行きました。
いつもの石に腰掛けると、それだけで少しほっとしました。
僕を守るススキの穂は、夕日の下でキラキラと輝いていました。いつもの石に腰掛けると、川の水に夕日が反射して眩しく光っているのが僕の目に映りました。水の上をスイスイと飛び回る赤トンボが、僕の心を少し和ませてくれました。

 でも僕は今日、そこへ行っても泣きませんでした。何故かというと、僕より先に川辺に来て泣いている人がいたからです。
白いワイシャツを着たその少年は、向こう岸で、たった1人で泣いていました。
僕と同じようにちょうどいい大きさの石に腰掛けて、両手で顔を覆って泣いていました。
サワサワ流れる川の水の音は、少年の泣き声をかき消していました。
背の高いススキの群れは、少年の泣き顔を包み込んでいました。
僕と同じようにこの場所で涙を流す人がいる。それを知った時、僕の悲しみが半分に減ったような気がしました。

 少年の髪は夕日の下で赤く輝いていました。時々秋の風が吹くと、ススキの穂と一緒に少年の髪も揺れていました。 僕は鞄の中から紙と鉛筆を取り出し、いつものように悲しみを綴る事にしました。でも向こう岸で泣いている少年の事が気になってちっとも筆が進みませんでした。
僕はその時、もう自分の悲しみをすっかり忘れていました。それよりも、川の向こうにいる少年の事が気になってしかたがありませんでした。
少年は何を思って涙を流しているんだろう。
どんな悲しい事があってここへ来たんだろう。
僕は鉛筆を片手に少年の姿を見つめ、しばらくぼんやりとそんな事を考えていました。
少年は僕より2つか3つ年下に見えました。中学3年生の弟より、もう少し幼く見えました。
僕より小さな少年は、僕より大きな悲しみを抱えているように見えました。

 僕は膝の上に白い紙を広げ、たった1行だけ短い言葉を綴りました。
『君の悲しみの半分は、僕が引き受けてあげるよ』
たったそれだけ書いた紙で、僕は紙ヒコーキを作りました。それから先の尖った紙ヒコーキを右手に持って、強い追い風を待ちました。
向こう岸の少年は、その時になってもまだ顔を覆って泣いていました。
横風が強いため、紙ヒコーキは大抵向こう岸まで届きません。
いつもの僕ならそれでもいいと思っていました。でも今日の僕は少し違っていました。僕は強い追い風を待って少年のいる場所まで紙ヒコーキを飛ばしたいと思っていました。

 やがて強い追い風が吹き、僕らを包み込むススキの穂が斜めに大きく揺れました。僕の首の後ろを、ススキの穂がコチョコチョとくすぐりました。
僕はその時、勢いをつけて紙ヒコーキを飛ばしました。
真っ白な紙ヒコーキは夕日に照らされて赤く染まり、赤トンボを避けてスーッと真っ直ぐに飛んでいきました。
『彼の所まで届け』
僕は心の中でそう祈りました。
紙ヒコーキは向こう岸の手前で横風に煽られ、いつものように川の中へ墜落しそうになりました。
でも僕の祈りが届いたのか、紙ヒコーキはあと少しがんばって向こう岸へ辿り着きました。
夕日に照らされる紙ヒコーキは、夕日に照らされる少年の髪に当たってその足元にポトリと落ちました。
今の今まで顔を覆って泣いていた少年は、足元に落ちた物をそっと拾い上げました。
少年はゆっくりと紙ヒコーキの折り目を伸ばし、僕が綴った言葉に目を通しているようでした。

 少年は、やっと顔を上げました。
川の水に夕日が反射して眩しかったので、彼がどんな顔をしているのかはよく見えませんでした。でもその頬に光る涙はやっぱり夕日に照らされてキラキラと輝いていました。
僕は急に恥ずかしくなってそこから逃げ出しました。
僕が逃げようとすると、ススキの穂が頬を叩いて僕を止めようとしました。それでも僕はススキの群れの中を走りぬけ、やっぱりそこから逃げ出しました。

 『またあの少年に会いたいな』
僕は家へ帰ってきた後、心の中でそうつぶやきました。でも、少年にはもう会わない方がいいと思いました。
あの少年は、きっと僕と同じです。少年は、悲しい事があるとあの場所へ来て泣くのです。
僕はもうあの少年に悲しい事が起こらないようにと祈りました。そして僕にも悲しい出来事が起こらないよう祈りました。
もうあの場所で決して少年に会う事がないように、何度も何度も祈り続けました。

 階段の下で母さんが僕を呼んでいます。
もう午後7時になりました。きっと夕食の時間がやってきたのです。
僕は明日、悲しい事がなくてもあの場所へ行こうと思います。僕はもう一度あの場所へ行き、今夜ここに綴った言葉を紙ヒコーキにして飛ばしたいと思います。
ついさっき僕は、もうあの少年には会わない方がいいと思いました。でももし少年が明日笑顔であの場所へやってくるのなら、もう一度彼に会いたいです。
僕と同じように悲しい事がなくても少年があの場所へ来てくれるのなら、もう一度、笑顔の彼に会いたいです。

終わり