Lovers

 リビングの真ん中に立った薪は、冷ややかな眼差しで部屋の中を一瞥した。隣に立った青木が目線を送ると、仏頂面で頷き返す。どうやら「いる」らしい。室内に特に変わった様子は見受けられなかったが、薪の目にはどうやら違うものが映っているらしかった。
 そしておもむろに口を開く。

「……観念して出てこい、鈴木」

 その声を聞いた青木は、背筋をヒヤリとさせる。彼は普段の付き合いから、今の状態が嵐の前の静けさであることを知っていた。そしてそれは相手も同様のはずだった。
 薪はしばらく様子を窺っていたが、彼の呼びかけに応じる者は現れなかった。さすが十年来の親友、薪の脅しにも簡単には屈しない。それとも怖くて出てこられないだけなのだろうか。
 すると、薪が声の調子を変えて語りかけた。
「なあ、鈴木。お前なら知っているよな? この家にどれだけのセキュリティがかけられているか」
 青木は反射的に周囲を見回す。彼はキッチンの壁に設置されたガス警報器の場所しか知らなかった。
 薪は尚も話し続ける。
「そうそう、一度お前がうちに来ていた時に、この家に押し入ろうとしていた輩を捕まえたことがあっただろう。あの時の顛末を覚えているか? あれは傑作だったな」
 薪はくすくすと楽し気に笑う。まるで相手が目の前にいるかのように。
 しかし第九に所属している者なら全員が知っている。この一見気さくな態度は、彼が獲物を捕らえる時の擬態なのだと。
 そして薪は取っておきの笑顔を振りまきながら言う。

「あれからまたセキュリティを強化したんだが……お前、試してみるか?」

 そして室内は沈黙に包まれた。
 それはまるで、永遠に続くようにも感じられる長い時間だった。青木は音を出すのを憚って、必死に息を堪えていたし、カチコチ鳴る時計の秒針はやけに大きく響いていた。
 薪は目を瞑って腕を組んでいる。まるで必要なことは全て語り終えたと言わんばかりに。その穏やかに凪いだ表情を見れば、彼がいつまででも待ち続けるつもりであることが明白だった。
 場の緊迫感に耐えかねた青木は、心の中で先輩に訴えかけた。
 ──もういいですから、早く出てきてください、鈴木さん。薪さんは本気です。あなただってご存知でしょう? この人が絶対冗談を言わないってこと。今のうちに出てきた方が、傷は浅いはずですから……。
 するとその祈りが届いたのか、ようやく部屋の片隅で動くものが出た。ベランダに続くサッシの一枚が、外側から開けられたのだ。
 青木ははっとして、薪はうんざりというように、そちらを見る。やがて大きな人影が、部屋の中に入ってきた。
 彼は非常に気まずそうな表情で、二人の前に現れた。そして顔の前で小さく両手を合わせる。
「……悪い、薪」
 やっと獲物を炙り出した薪は、疲れたようにため息をついた。



 同じ空間に、薪、鈴木、青木の三人が集まった。となれば、青木としてはやることは一つしかない。プライベートではあるが、階級は自分が一番下であり、二人とも常日頃世話になっている相手である。ということで、彼はいつものようにコーヒーを淹れに行った。
 キッチンから戻ってくると、彼は興味深い光景を目にすることになる。先程まで同じ目線で向かい合っていた両者が、一方がソファから降りて床の上に正座していたのだ。彼がお湯を沸かしていた間も、一言も声が聞こえてこなかったので、少なくとも一方が「下りろ」と指示したわけではなさそうだった。
 彼は二人の邪魔をしないようにカップを出し、そっと後ろに下がった。すると、薪が口を開く。
「……言いたいことは色々あるが、まずこれだけは聞いておこうか。お前、いつからここにいた」
「そ、れは……」
 鈴木の表情が強張る。彼は口を開いたまま硬直していたが、やがて青木の方をちらりと見た。
 鈴木と目があった青木は、彼の視線の意味を正しく理解し、ぺこりと頭を下げてその場を下がった。薪は鈴木の行動に眉を顰めたが、青木を引き留めることはしなかった。
 そして青木が隣室に入るのを見届けると、鈴木はほうと息を吐き出した。
「……鈴木」
「いや、ほんっとごめん、薪! 俺が悪かった。こんなつもりじゃなかったんだが……いや、何を言っても言い訳だな。とにかく本当にすまなかった」
 第三者がいなくなって、ようやく口が滑らかに動くようになったらしい。鈴木は膝の上に手をついて、深々と頭を下げた。薪は困り果てた表情で彼を見つめる。
 彼を信頼して合鍵を渡したのは自分である。青木と付き合うようになっても、彼に鍵の返却を求めたことはなかった。しかし、今回の一件は友人として許容できる範囲を明らかに超えている。
 一方でこんな事態になってもまだ、彼に対しての信頼が自分の中で揺るがないのも事実であった。薪は先ほどとは違うため息をついて、鈴木を見やる。
「何か事情があるんだろうが、だからといって簡単に許せることじゃないのは分かっているな?」
「ああ……」
「じゃあちゃんと説明しろ。あと、さっき雪子さんが来たのは彼女に話してあったからなのか?」
「いや、それは俺も分からないんだ。なんであいつにここがバレたのか……」
 鈴木は不思議そうに首を傾げている。女性の千里眼について考察を重ねるのはまた次の機会にするとして、薪は話を進めることにした。
「で? お前、昨夜の何時頃にここに来たんだ」
「えっと、昨日の……いや、日付的にはもう今日になってたな。午前二時……もう少し遅かったっけ、三時前ぐらいかな」
 鈴木の言葉を聞いて、薪は少しだけ安堵する。その時間帯なら、すでに自分たちは就寝していたはずだ。しかし鈴木にそうと伝わらないよう、表情は緩ませなかった。
「なんでそんな時間に……いくらなんでも非常識だろう」
「ああ、分かってる。ちょっと緊急事態でさ」
「雪子さんに家を追い出されたのか?」
「追い出されたって言うか、自分で飛び出したって言うか、まあ色々」
「なんでメールの一本も寄越さなかった」
「携帯を忘れたんだ。その上財布も持ってなくて、ズボンに定期とキーケースしかなかったから、他に当てがなくて。ほら、ここならギリギリ歩いてこられるだろ?」
 なるほど、雪子が彼の居場所を当てた理由が分かった。そういえばいつだったか、彼女が「克洋君はしっかりしているようで、案外詰めが甘い」と言っていたのを聞いたことがある。
「最初は普通に泊めてくれって頼むつもりだったんだ。けど家の前まで来てから、もしあいつが来てたらやばいかなって思って。念のために先に鍵を開けてみたら、案の定デカい靴があるだろ? チャイムが鳴らしづらくなって、けど今更他の場所に行く余裕もなかったし。それで、悪いとは思いながらも、ついつい不法侵入のまねごとを……」
「靴を隠した意味は?」
「後ろめたかったんだ。本当はお前らに気づかれる前に帰るつもりだったんだよ。始発が動き出すまでちょっと居させてもらおうかなって。けどソファに横になったらうっかり寝ちまってさ」
「お前の身体じゃうちのソファは……」
 一晩中大きな手足を縮めていただろう彼に同情しかけていた薪は、あることに気づいてはたりと口を閉じる。
 鈴木が寝ていたソファは、今現在自分たちが腰かけているものだ。それはキッチンカウンターに向かい合ったものと、背中を向けたものの二つがある。彼は一体どちらで寝たのだろうか。
「……ちなみに聞くが、お前いつごろ目を覚ましたんだ」
 薪がその質問をすると、鈴木は明らかにぎくりとなった。その反応を見て薪は確信する。鈴木が寝ていたのは、今彼がいる方、すなわちキッチンカウンターに背面している方だと。
「……鈴木」
「いや、それが、その……」
 鈴木は俯いて言葉を詰まらせる。しかし薪が黙っていると、ようやくぽつぽつと喋り出した。
「最初は自分のいた状況が分からなくてさ……なんか人の声がするなって思って……そのうち、お前の家に来たこと思いだして……そしたら頭の方から話し声が聞こえてきて……」
「ほう?」
 薪の目つきが鋭くなる。こちらにつむじを向けた鈴木にそれが見えたはずはなかったのだが、気配で察したらしい。鈴木の顔がますます下がって、床と平行になる。
「僕たちが何を話していたって?」
「う……いや、だから、その……」
「正直に話さなければ、僕たちの友情もこれまでだからな」
「……わ、悪気はなかったんだ」
「答えになっていない」
 彼の弁解をぴしゃりと跳ねつけると、ようやく観念したらしい鈴木が、顔を上げて苦し気に声を絞り出した。

「い、一緒に風呂に……入るとか、入らないとか……」

 その瞬間、薪は頭の血がさあっと下がっていくのを感じた。そして今度は反対に上がっていくのが分かった。
 気が付いたら彼はソファから腰を浮かし、口を大きく開けていた。彼は自分が何を言おうとしているのかも自覚していなかった。ただ腹の底から湧き上がって来る熱い塊を、口から吐き出そうとしていた。

 そして隣室にいた青木は、壁一枚隔てた向こうから、言葉にならない悲鳴のような叫びを聞いたのだった。

コメント

さく子さん

もーーー!笑いました!!!
どっひゃー!鈴木ーーwwいたんかーいwwみたいな感じで!
いやぁ、やりとり聞かれた薪さんもだけど、
親友が恋人とにゃんにゃんしてるのを聞いちまった鈴木もかわいそう(笑)いたたまれないw
読むの楽しすぎます。本当に楽しい!
続き待ってますヽ(*´▽)ノ♪

> どっひゃー!鈴木ーーwwいたんかーいwwみたいな感じで!

そう、いたんでーす♪
このシリーズは基本薪さんが可哀想な目に合ってプチ不幸(笑)になることを目的としているので、
笑ってもらえて本望です。
原作は薪さんが可哀想だから幸せにしてあげたいなって思うけど、
IF編は鈴木が生きてて薪さん不幸じゃないから、あまり罪悪感がないんですよね(笑)。

> 親友が恋人とにゃんにゃんしてるのを聞いちまった鈴木もかわいそう(笑)

だ、大丈夫……そのものずばりなシーンを目撃したわけじゃないから……。
ただ、「薪さんと一緒にお風呂に入りたいです〜」「もう、こいつぅ(はぁと)」
みたいなシーンには居合わせちゃいましたけどね?w
ほんと人の惚気話ほどどうでもいいものはないですよねw

> 読むの楽しすぎます。本当に楽しい!

そう言ってもらえて嬉しい〜。
IFシリーズもネタたくさん溜まってるので、続き頑張りますね!

 

kahoriさん

気まずい雰囲気の鈴木の告白にハラハラさせられっぱなしです。
そりゃ、あの薪さんのどプライベートを覗き見しちゃったんですもの、羨ましすぎる鈴木!!
彼が薪家に到着したのが本当に深夜3時前だったのかちょっと疑ってしまいました…
激怒されるのが怖くて言えなかっただけで、
もしやもしや隣の部屋に聞き耳立ててたりしてないですよね!?←それは私の願望
やけに1話の状況説明が時間軸に沿ってたんたんと述べられていた訳ですね。
状況理解するのにまた見返してきゃーってなりましたよ>_<
薪さんと青木君だけの素敵な朝が飛んだことになっててビックリ。
薪さんに怒られはするけどなんでもしちゃえる鈴木無敵ですねv
鈴木生存設定楽しすぎますね♪

> 激怒されるのが怖くて言えなかっただけで、
> もしやもしや隣の部屋に聞き耳立ててたりしてないですよね!?←それは私の願望

それがですね、実は私、ドアの隙間から二人の様子を覗き見してたんですけど、
周囲に私以外の人の気配はなかったんですよ。だから鈴木は嘘ついてないですね。
良かったー、薪さんのしどけないお姿は私と青木で無事守れました☆
……とまあ、冗談は置いといて。
さすがに真っ最中だと家の中まで上がりこまなかったと思うので
逆説的に大丈夫だと断言できます。鈴木はいい人。

> 状況理解するのにまた見返してきゃーってなりましたよ>_<

鈴木がどんな心境で二人の会話を聞いていたかを想像してもらえると
いっそう楽しんでもらえるのではないかと思います♪

> 薪さんに怒られはするけどなんでもしちゃえる鈴木無敵ですねv

鈴木ならではですよね。
現状で一番薪さんと距離が近いのが鈴木なんです。青木は好きだけど二番目。
だから遠慮もしないし、逆に寛容にもなれるという。
青木に向けるのとはまた違ったベクトルで、
薪さんにとって特別な存在なんだってことを描きたかったんです。

> 鈴木生存設定楽しすぎますね♪

本当に心から楽しいです!
こういう楽しみ方ができるのも二次創作ならではですよね。

 

あやさん

うひゃあ!こんなかたちで青木と鈴木さんが対面するなんて^^;
雪子は薪さんと青木の関係を知らないようだけど鈴木さんも知らなかったのかな?
親友でも恋人とのプライベートは見られたくないですよね。
青木は特に気まずいですね(笑)
鈴木さんは薪さんが自分以外の人間に夢中になっているのは
親友としても淋しいのでは、と思ってしまいます。

> 雪子は薪さんと青木の関係を知らないようだけど鈴木さんも知らなかったのかな?

実は鈴木は二人のことを知ってました。
「もしあいつが来てたらやばいかなって」というのが青木の事を指してるんですね。
一応デートの邪魔をしたら悪いとは思ってたみたいなんですが、
時間が時間だけに背に腹は変えられなかったみたいです。
鈴木は普通の家で育った子なので、あまりそういう応用が利かないんですね。
これが雪子さんだったら、適当に野宿するか科警研に忍び込むかしてたと思います(笑)。

> 青木は特に気まずいですね(笑)

それが意外に一番落ち着いてるのが青木なんですよ。
この状況下でも「俺が一番下っ端だからコーヒー淹れに行こ〜」とか呑気に考えてますし(笑)。
鈴木にはもう自分たちの関係がバレてるから今更だし、
「鈴木さんならヤバいことはしないだろう」って
先輩を信頼してのほほんと構えてるんですね。

> 鈴木さんは薪さんが自分以外の人間に夢中になっているのは
> 親友としても淋しいのでは、と思ってしまいます。

そうですね。その辺の心境はこの後書く予定なので、もう少しお待ちください。

 

なみたろうさん

ううう。薪さん……うううー。
キスしてくれたらとか言っちゃっ…バレたーーッ!!
大丈夫、死にやしないよ大丈夫だよ薪さん。
幸いノーパン見られたりはしてないぽいよ?
お風呂であんあん聞かれるよりいいじゃない元気出して下さい。

てか鈴木さんと青木が同時に存在することに素直に納得している私。
すごいです。なんとゆう文章力。
沈丁花さんお忙しいんですか?無理なさらないで、どこまでもお待ちしてますね。

> キスしてくれたらとか言っちゃっ…バレたーーッ!!

そうなんです。薪さんお可哀相に……。
ちなみにその時鈴木はソファに隠れながら、必死に気配を消そうと頑張ってました(笑)。

> てか鈴木さんと青木が同時に存在することに素直に納得している私。

夢のような空間ですよね。
青薪はもちろん大好きなんですが、その周りの関係性も好きなんですよ。
もし鈴木が生きてたら、青木とは普通に先輩後輩付き合いしてただろうなーとか、
薪さんは青木と付き合っても、やっぱりまだ鈴木との方が距離が近いから、
青木に対する扱いとは違って、普通に男友達にするようにぞんざいに扱ってーとか、
ほんっと妄想するのが楽しかったです♪

> すごいです。なんとゆう文章力。
> 沈丁花さんお忙しいんですか?無理なさらないで、どこまでもお待ちしてますね。

いえ、それはなみたろうさんが頭の中でうまくイメージしてくれてるからですよ。
謙遜でも何でもなく、私の文章力なんて全然です。
ほんと自分でも嫌になるぐらい、書いては消し、書いては消しを繰り返してますから^^;
せっかくなみたろうさんに見に来てもらえてるのに、お待たせすることになってすいません。
更新ペースは落ちますが、これからもよろしくお願いします。

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可