「ねえねえ、甥鳴山って聞いてなんかおいなりさんが食べたくなっちゃた。明日どっかで食べない?」
「そうですね。お土産もおいなりさんにしますか。」
絢と春希は先程まで艶事に興じていたとは思えない程、のんきな会話を繰り広げていたがそのとき。
ドタドタドタ・・・・ドンッ!!!
「きゃあっ!!」「ひゃあっ!!!」
誰かが廊下を駆けて来て、絢と衝突した。
「あ、絢!!あ・・・。だ、大丈夫ですか!?」
春希は一瞬、絢を呼び捨てにしてしまったことにドキッとしたがすぐ気を取り直し、絢に呼び掛けた。
「う、うん・・。平気。たいして痛くないし・・。」
春希は絢の様子に安心すると、ぶつかってきた相手に声を掛ける。
「そちらは大丈夫ですか・・?真夜中なのですからお静かに・・・。って夕顔丸さん!?」
『きゃあっ!!』という悲鳴から相手は女だと思って穏便な言い方をしたが、春希にとっては男である夕顔であったことに驚いた。
「あ・・・。ごめ・・・すまなかった・・・。」
興奮や照れで男の演技をするのもままならない夕顔だったが、必死で低い声を出し、男口調で謝った。
「何があったのかは知りませんが、真夜中に走るのは感心しませんね。夕顔丸さんらしくもない。」
春希は彼にとっては男である夕顔に少し厳しく諭した。夕顔の方はと言うと、夏希に瓜二つな春希の顔を直視出来ず
男の演技もますます気が入らない心情になっていた。
「・・・・。ごめんなさい・・・。いや・・・・すまぬ・・・。」
夕顔の声は女としての本性を隠しきれなくなっていた。あまりの夕顔の変貌ぶりに絢も春希も困惑した。
「夕顔丸、どうしたの・・?なんかいつもとは別人みたい。まるで女の子の様な・・。」
夕顔の表情は完全にか弱い少女のもので、更に長い髪を下ろしたままなのでどんなに男の扮装をしていても
男にはとても見えない姿になっていた。
「・・少し言い過ぎましたね。すみません・・。立てますか、夕顔丸さん。」
なんだか女の子を責めた様な気になった春希は夕顔に謝ると、尻餅をついたままな彼女に手を差し伸べた。
「・・・・・。」
夕顔は無言で春希の顔を見ない様にしながら彼の手を握り、起き上がった。
「え、えっとすみませんでした・・・。わた・・いや、俺はこれで!!」
夕顔は起き上がるやいなや、必死で謝るとほうほうの体で走り去っていった。
「どうしたんだろ・・。夕顔丸。ほんと女の子みたいだったね・・。そういや、ぶつかったとき、身体が柔らかかった様な・・。」
「私も・・手を握ったとき、夕顔丸さんが女性の様に細い指をしてたのに驚きましたね・・。」
「まさか・・ボクと同じ・・いや、そんなはずないか。」
「そうですね・・。」
そうは言ってもどう見ても女にしか見えなかった夕顔の姿に二人の驚きは治まらない。夏希がいる部屋に向いながら
二人はあることにふと気がついた。
「さっき夕顔丸さんが走ってきたのは私と夏希の部屋の方からでしたね・・。」
「ほんとだ・・。」
「夏希、今戻ったよ。」
春希は夏希に呼びかけながら襖を開ける。夏希は布団に篭っていたが、春希の声を聞くと勢いよく起き上がる。
「あああ兄貴!!あ、絢様も・・・。」
「夏希?」「なっちゃん?」
夕顔との情事の興奮が治まっていない夏希は動揺が隠せない声を上げた。
「どしたの?なっちゃん。夕顔丸だけじゃなくてなっちゃんまで様子がおかしいなんて・・。」
絢の口から夕顔の名が出たことで夏希は顔を真っ赤にした。
「夏希、夕顔丸さんと何かあったのか?」
夕顔の名が出たことで夏希が顔を赤くしたのに気付いた春希は夏希に問い掛けた。
「な、なななな何でもねぇ!・・・よ・・・。」
『『絶対なんかあったな・・。』』
夏希のあからさますぎる様子に絢と春希はそう確信した。
「夕顔丸さんと喧嘩でもしたのか?」
「ち、ちげーよ!!そ、そんなことするわけ・・・・・。」
夕顔の名前を出されるたび、彼女の艶姿を思い出してしまい、夏希の緊張は更に高まっていく。
「あ、明日は早いんだから、オレ、もう寝る!!!おやすみ!!!」
動揺を隠せない夏希は絢と春希の質問攻めを避けるべく、布団に覆いかぶさった。
「・・・じゃあ、ボク戻るね。はーちゃん、おやすみ。」
「おやすみなさい、絢様。」
絢はこれ以上夏希に何かを問うのは無粋と思い、部屋に戻っていった。そんな絢を見送り、襖を閉めた春希は夏希に話し掛けた。
「夏希。」
「なんでもないって言ってるだろ!!!」
夏希は布団の中から声を張り上げた。
「わかったよ・・。これ以上何も聞かないよ。」
そう言うと春希は着替えを始め、寝る準備をした。
――夕顔・・・・。
――夏希さん・・・。あっ!
「わあぁ!!」
夏希は叫び声を上げながら勢いよく起き上がった。
「・・・夏希、どうしたんだ・・・。」
夏希の叫び声に目を覚ました春希が少し不機嫌そうに声を掛けた。
「あ、兄貴、わりぃ・・・。」
「顔が真っ赤だぞ、夏希。風邪でもひいたんじゃないだろうな?」
春希は起き上がると夏希の額に触った。
「熱はないな。ん、夏希、なんか色事の夢でも見てたのか?勃ってるみたいだぞ。」
「えっ!?」
春希の指摘に驚いて布団をめくると、確かに夏希の男根は勃っていた。
「ほんとだ・・・。あーよかった・・。でもさっきはなんで・・。」
「? さっきってなんだ?」
「わー!!なんでもない!!なんでもない!!!」
その頃の夕顔。
「あっ!夏希さん!!!」
夏希同様の夢を見て、同様の反応を示す夕顔。
「わたしってばまたあんな夢・・・。」
夕顔が夏希と情事をいとなむ夢を見たのは一回ではなく、もう何度も見て何度も飛び起きていた。
「早く寝ないと・・。明日から旅なのに・・・。・・・普通に振舞えるかしら・・?」
夕顔は夏希との情事と絢と春希に示してしまった自分の女の態度を思い出しながら恥ずかしげな声を上げた。
四人(特に夏希と夕顔)にとって色んな意味で長かった夜が明け、まだ朝早い辰の刻(午前八時頃)城を発つ準備が整い見送られている。
「じゃあ、絢ちゃん、頑張るのですよ。」
絢に話し掛けているのは絢の母である珠子である。絢と瓜二つで、可愛らしい容姿をしているが、活発な娘とは違い
かなりおっとりでにこやかな女性なので雰囲気は随分違って見える。
「うん、母様、父様をよろしくね。」
そのそばでは春希が両親と対応している。
「では父上、母上、行ってきます。」
「がんばるのよ!春希!」
春希に豪快に話し掛けてるのは母親の季佳(きよ)である。顔は息子二人に受け継がれた美貌を持ち合わせているが
性格はいたっておおらかである。そんな季佳の後ろに隠れる様に小さく「頑張れー。」って言ってるのが父親の吉彦である。
妻と息子達と違い、見た目も性格も目立たない人物である。
「ところで夏希はどうしたのよ?」
そう言って季佳は夏希に視線を向けた。夏希はぼやーとしてて、いかにも寝不足といった状態になっている。
実は少し眠るたび夕顔と情事に営む夢を見てしまい、そのたび興奮の余り目を覚ましてしまい、ほとんど眠れないまま
朝を迎えてしまったのである。
「そういえば、夕顔丸さんも同じ状態になってますね・・・。」
そう言って春希は夕顔の方を見た。夕顔も夏希と全く同じ理由で寝不足になり、かなりぼんやりした顔になっていた。
季佳はそんな夕顔に近づき、春希達に会話が届かないところまで離れて、夕顔に話し掛けた。
「ちょっと、夕顔ちゃん、そんな顔してせっかくの美人が台無しよ。いつも規則正しい生活してんのにどうしたの。」
実は季佳は夕顔の正体を知っていた。季佳だけではなく、真琴も珠子も吉彦も知っていた。その事情は後ほどで。
「その、あの・・。き、今日のことで緊張して・・・。」
夕顔は寝不足でぼんやりとした頭を必死で働かせながら言い訳をした。しかし、季佳の目はごまかせなかった。
おまけに夏希も夕顔と同じ状況になってることから季佳はピンときた。
「夕顔ちゃん、夏希となんかあったでしょ。」
「えっ!!!!」
季佳の的を射た言葉に夕顔は思わず声を上げてしまった。
「しっ!夕顔ちゃん、聞かれるよ。」
「あ、す、すみません・・。」
「気にすることないわよ。あの子、ようやく夕顔ちゃんの正体に気付いたんだね。なるほどー。夕顔ちゃんにつっかかったり
夕顔ちゃんの文句を言ってるの見るたびわが子ながら鈍いなーって思ってたのよ。でも、あの子、夕顔ちゃんに
惚れたんじゃないかって最初の様子見たときから思ってたんだけど、大当たりだったようね。」
流石は母親というか、季佳は夏希の思惑を完全に見抜いていたようである。
「後、夕顔ちゃんも夏希のこと気になってたんでしょ。」
「!!!」
季佳に今度は自分の考えを当てられた夕顔は顔を真っ赤にした。
「あはは、やっぱり。で、昨日の夜になんかあったのね。ふふふ、旅から帰ってきたら詳しく聞こうかしら。
その間に夏希と進展あるといいわね。楽しみに待ってるわ。」
季佳はおどけた調子で夕顔に言った。
「き、季佳さん・・・。」
季佳のあけすけな言葉に夕顔は恥ずかしそうな声を上げた。