二月十四日。
私立の男子校、最神学院に通う榊大輔(さかき だいすけ)は、教室に入る
なりいきなり頭を抱えていた。髪を短く刈り込んだ、中肉中背の少年だ。
「……か、帰りてえ」
机に突っ伏し、呻くように呟く。
その言葉に反応して、机の中に教科書を入れ終わった高円寺陸(こうえんじ
りく)が、心配そうに振り返った。
柔らかい茶色の癖毛、小柄でやや幼い顔立ちが可愛らしい。着用している学
生服は丈が合わないのか、少し大きかった。
大輔の幼馴染でもあり、また学生寮でのルームメイトでもある。
「どしたの、大輔。気分悪いの? さっきまでは、元気だったのに」
「そうだな。気分が悪いといえば悪い」
テンションも低く、大輔は陸の方に顔を向けた。
ふむ、と陸は首を傾げ、おもむろに大輔の額に自分の額を合わせた。
「んー、熱はないみたいだね」
「って、こ、こらぁっ!」
触れたのはほんの数瞬、反発した磁石よろしく、大輔は椅子に座ったまま大
きく後ずさった。後ろの席が強引に圧縮され、席に座っていた男子達は当然巻
き込まれて悲鳴をあげる。
「い、いきなり額をくっつけてくるな!」
「何だよぅ。体調が悪いのかどうか、ちょっと調べただけじゃないか。失礼だ
よ」
心配してあげたのに、と陸は不満そうに唇を尖らせた。
「し、し、失礼とか、そういう問題じゃなくてだな……ああ、もう」
頼むから、一応男子同士である事をもう少し自覚してくれ、と思う大輔であ
った。
「んー……それはあれ? 二人っきりの時にもがもが」
言葉の続きは、大輔が陸の口を押さえたため、くぐもってしまう。
「……分かってるんだったら、教室でやるな教室でっ!」
「ぷはっ! りょ、了解」
大輔の手から解放された陸の返事に、彼は大きく息を吐き出した。
まったく……本当に分かっているんだろうか分かってないんだろうなぁ。
一見女の子のように見える小柄な陸は、実は正しく女の子である。
本来男子にはないはずの膨らみは(ささやかながら)あるし、ついているは
ずのものはついていない。
が、それはこの学院では、決して表沙汰に出来ない秘密の事柄だ。
その理由は単純明白である。
男子校だからだ。
が、その単純な事を本当に忘れているのか、全然気にしていないのか、陸は
小動物のように首を傾げる。
「で?」
「何だよ」
「帰りたい理由、聞いてない」
「……陸、ここは男子校だ」
何度も言っているんだが、と心の中で念を押す大輔である。
「うん、知ってるよ?」
だったら、さっきみたいな事はやめろと大輔は言いたかったが、話が続かな
いのでここはグッとこらえた。
「つまり、女は限定されている。一部の教師と食堂のおばちゃんぐらいだ」
「購買部のお姉さんは?」
「ああ、それもいるな。とにかく、女性はほとんどいないといってもいい。な
のにだ」
大輔の握り拳がふるふると震える。
「うん」
陸の返事に、大輔は机に向かってその拳を叩きつけた。
「……なんで、下駄箱やら机の中やらにチョコレートが入っていて嬉しそうに
驚いている男子生徒が何人もいるんだ! おかしいだろうが、どう考えたって!!」
「あ、柔道部の部室前でチョコレート手渡ししてる人いたよ?」
「ぬがー! 異常だ異常! ここは魔界かー!」
たまらず立ち上がり、絶叫する大輔であった。
すると、後ろからクールな声音の突っ込みが入った。
「朝から騒々しいなと思ったら、やっぱり大輔か」
大輔が振り返ると、両手に紙袋を下げたクラスメイトがこちらに近付いてく
るところだった。
うなじの辺りで一括りにした長い黒髪に、凛々しく端整な顔立ち。
黒一色の学生服の中、一人だけジッパー式の白ガクランの映える理事長の孫、
最神清夏(もがみ せいか)だった。
「あ、せーか。おはよう。うわ、すごいね。どうしたの、そのチョコの山」
陸が、清夏の紙袋を覗き込んで感心する。
清夏は、陸の隣の席に座った。
「うむ。登校途中にもらったのだ。……僕には既に心に決めた人がいると断っ
たのだが、どうしてもというのでな。無碍にもできず、受け取ってしまった」
「ははー、なるほど、まあ、せーか、格好いいもんね」
「それはそれで実に複雑な評価なのだが……陸の可愛さに比べれば、僕程度、
大した事はないと思うぞ?」
「そんな事ないよぉ。あ、ボクも用意してきたよ、はい、せーかの分」
陸は、ラッピングした包みを鞄の中から取り出して、清夏に手渡した。
「……ありがとう。家宝にする」
感無量、といった響きの礼をいい、清夏はうやうやしくその包みを、自分の
鞄の中にしまい込んだ。
「するな。あと周り、変なテンションで騒ぐな、うるさいから」
大輔は、こめかみに血管を浮かせながら、周囲に突っ込んだ。
なんで、同性しかいないはずの教室で、嫉妬の視線を浴びなきゃならないん
だ。
「あ、大輔が拗ねてる。大丈夫だよ。大輔にもちゃんと気合入れたの作ってあ
るからね、はい♪」
嫉妬と憤怒の視線は、大輔にマックスで集中した。
「だーかーらー、どうしてお前らは、そんな殺気を込めた目で俺を見るんだこ
らぁっ!!」
陸からもらった包みを手に、大輔が立ち上がりながら周囲に怒鳴った。
「まあ、無理もないだろう。……事情を知らないとはいえ、彼らの怒りは的を
射ている正当なものだ」
大輔以外に唯一、陸が女の子である事を知っている清夏が、冷静に言う。
「……事情を知らないから、おかしいつってんだろうが。大体、お前がチョコ
もらう事自体、間違ってないか?」
そう、陸だけでなく清夏にも秘密がある。
大輔は、それを知っている。
で、これを考えた場合、陸から清夏というのは、ここが男子校である事を差
し引いても変なのだが。
「そんな事は、正しく認識しているとも。だから、お前にもちゃんと用意して
ある」
てい、と清夏は大輔の机に包みを置いた。
おお、と教室の中が湧いた。いや、教室の外にも、いつの間にか野次馬が出
来ていた。
「……だから、そういう問題じゃなくてだなぁ」
たまらず脱力する大輔であった。
「心配するな。大輔のは二番目だ。本命は、こちら」
大輔に対してのものより数倍気合が入ってるっぽいリボンつきの包みを、清
夏は陸に渡した。
「あ、ありがとー、せーか」
満面の笑みを浮かべる陸に、清夏ははにかむような笑みを返した。
「うむ、どういたしまして。どうした大輔。頭痛か?」
「……ああ、本格的にひどくなってきた」
本気で帰りたくなってきた大輔であった。
(終)